05_side_K_水底の城、廃材の王


 背の高い通路に出た。戦車でも通れそうなそのスケールに一瞬足が止まる。もし私のいた部屋のドアがヒトの大きさでなかったら、他には何が、誰が。継ぎ目のない金属の壁にはまた高い位置に四角い穴が開いていて、その形の光が等間隔に通路に差し込んでいた。足元は相変わらずの様相だ。斜めに伸びた細い柱を何本か遮って歩くうちにふと思い付く。地面に映った四角い光の角に自分のローファーを重ねようとして、光の方がローファーに重なった。


(……?)


 顔を上げて光源と光の柱を見比べる。気のせいか、あの薄青い空が見せていた光とは色味が違うような。


「どうかされましたか?」


 前を歩いていたキサキさんが振り返ってくれた。


「えっと、この光は外から差し込んでいる光かな?」


「はい、そうです」


 光源の四角い穴を見つめたキサキさんの半透明な瞳にもその光が反射する。


「外の空は……何色?」


「私の感覚が正常ならばよいのですが、私には薄いオレンジ色、茜色、“夕焼け”の色に見えています」


「やっぱりそうだよね。私にもそう見えるよ」


 私たちのいた浮島の空が薄い青色をしていたことをキサキさんに伝える。興味深そうにそれを聞いた彼女は、後で城の外に出て改めて私の目で見てほしいと言った。


「私では解釈できない何かを訴えてくるような、そんな色です。ハルカさんが何を感じたのか是非聞かせてください」


 もちろん。けれど……いや、この地面のことは今聞くべきじゃないかな。まずは王に会おう。



 内側から建物全体の構造をぼんやりとイメージしながら歩くうちに大きな両開き扉の前に来た。私の倍の高さはある、装飾のない鋼鉄製の二枚板が頑丈そうな枠に収まっている。扉の左右から伸びた緩やかな弧を描く線。閉じ込めているのか守っているのか、大きな円形の空間が扉の向こうに。


「この部屋で王が待っています。心の準備は……いえ、身構えなくても大丈夫ですね、王はあなたを待っているのですから。扉は私が開けます」


 右ドアの前で私に向き直ったキサキさんがそう言ってくれた。私の合図を待っている。

 一度だけ深呼吸をした。未来のスーパーコンピューターか、はたまた最新鋭の男性型アンドロイドか。何にせよ会ってみるしかない。


「ありがとう。私は大丈夫。開けてくれるかな」


 キサキさんは精巧で繊細な表情を扱える。どこか嬉しそう頷いた彼女が重そうな扉に向き直り手を触れ、そっと引く。扉は『ギィ』と音を立てて開き始めた。薄暗い空間に……淡い茜色の光。


「どうぞ中へ」


 まだその姿は見えない。ドアの横に立ったままのキサキさんに申し訳ないので“王の間”に足を踏み入れる。


「広い……」


 思った通り円形の大部屋、しかし構造は独特だ。高い天井にも壁にも設けられたスリットが360度の全方位から光を取り込むようになっていて、陽が傾き始めた空のような薄いオレンジ色の光が部屋を照らしている。……王はどこだろう? どこか虚しく広がる空間にはそれらしい姿が見当たらない。金色の縁取りをした赤い絨毯も煌びやかな椅子も。いよいよ言葉で表現しなければ――廃棄されたモノを踏み固めたようなこの異質な、異様な地面。それを小さな山型に積み上げた塊と、出入口となっている扉の反対に小さな……机? 上に何か乗っているようだけれど、


「王、戻りました」


 キサキさんがそう告げた。私にも理解できる言葉、ヒトの言葉で。


「この方がお伝えしていた人間のハルカ様です」


 堆く積まれた廃材の方へ。……まさか、


『ギギィ』


 金属の軋む音。何かが廃材の山から突き出した。壊れた監視カメラ? 思わず身構える。


「うわっ」


 今度は黄色い油圧ショベルの手――確かバケットだっけ――が這い出した。近くで見るとこんなに大きいのか、銅線を束にした太い管、矢印付きの信号機が地面から這い出て持ち上がる。人工物が崩れる音、“命”が動く音。廃材の中からゆっくりと、見上げる高さに、王が……形を成した。


「……」


 竦んで声が出ない。合わさっていた巨大油圧バケットと信号機がギュルンと音を立てて回転した。下顎と、目? これが……顔?


「王……様?」


 やっと絞り出した声で私はそう聞いていた。


『ギュュィィィン』


 モーターの駆動音。伐採した大木を掴む強靭な三本爪のアームがゆっくりと開く。肘から先は筋繊維代わりの銅線束だ。腕は四……五本、地面から出ている部分の高さだけで三メートルくらいか。人工物を纏う巨大な姿。見る人によっては怪物だとか化け物だとか、そんな言葉が出てくるような姿。ここで私はようやく自分の置かれた状況を理解した。もしキサキさんが私を騙しているのなら、この“王と呼ばれた存在”は私を簡単に捻り潰せてしまうのだろう。


『ガァギィィィ』


 見上げた特大黄色バケットの奥から唸り声に似た音が響いた。口を開くように顎が動く。矢印一つを抱えた信号機の三つ目に光は灯らない、その意思を読むことができない。大きな三本爪が横から妙にゆっくりと迫ってくるように見える。上二本、下一本のそれを開き手首を90度回して、この身体を、一掴み。

 迂闊だったのかな。私は縋るようにキサキさんを振り返る。キサキさんは――指示を待つ従者がそうするように――両手のひらをボディの前で重ねたまま表情無くこちらを見ていた。あるいは全てが王の。


「ぅ……」


 覚悟はできていたのかどうか。ただ、ナツの明るい笑顔が思い浮かんだ。今更やっと一歩だけ下がることができて、身を守ろうと交差させた腕が……力なく下りた。


『ガァァ』


 黄色く塗られた巨大な三本爪は私の胸の高さで停止した。それ以上……近付いてこない。よく見るとその爪先は小刻みに振動している。


「……?」


 敵意は……無い?


『ギィィガァァ』


 もう一度声が発せられる。『カチン』と音がして、コインサイズの大きなボルトが一個、顎の辺りから落ちた。


「――キサキさん、“王様”は何て言っているの?」


 事の顛末とはまだ言えない、王と私のファーストコンタクトを見守っていた未来のアンドロイドはこちらへ歩み寄る。


「『怖がらないで、どうか怖がらないで』と、私にはそう聞こえます」


 安堵……祈り? そうか、勝手な想像をしていたのは私の方だ。改めて王に向き直りその細部をしっかりと見る。無理やり陸に上がったクラゲが全部の触手を束にしてどうにか重い頭を支えているようなフォルム。原形の分からない機械の部品、欠片を集めて。体の中心には銅線とチューブ束の隙間から機械の詰まった灰色の箱が見える。その部分から更に骨と管を真似たような部品が伸びて三本爪の腕を動かしている。もう一本の腕は網状の筒、ワイヤーもフックも無いけれどクレーンの一部だろうか。地面から伸びたチューブと鉄の棒材は手首のように先端で折れて、私の手でも握れそうなレンチと、監視カメラのようなレンズ付きの長方形の箱が付いている。

 私は一歩詰め寄った。薄い茜色の光の中でさっと視線を走らせて、各部位の色味と錆と汚れを確認する。胸の前に黄色の三本爪。見上げて、少し歪んで繋ぎ止められたショベルバケットの顎、日除けの欠けた信号機の目をじっと見つめた。王の身体を構成する全ての人工物。その中に壊れていないもの、綺麗なもの、完全な状態のものは恐らく一つもない。


「王様」


 私はロボット工学の『ロ』の字も分からない。特大スパゲティのようになった銅線束の下の地面に強力な頭脳であるコンピューターがあって、一見でたらめに思える身体も実は指先まですべて説明が付くのかもしれない。――でも、きっと違う。あなたはそんなもので動いているのではない。


『ガァァ』


 警告色の指先はひやりと冷たかった。


「ごめんなさい王様。私に……何ができますか?」


 私の何を知りたいのですか。私にはその声が伝えようとしていることを直接理解できない。それがもどかしい。


「ありがとうございます、王を……拒絶せずにいてくれて」


「キサキさん、キサキさんには王様の言葉が分かるの? 私の言葉を王に伝えることは……できる?」


 キサキさんは頷いたが少し付け加えた。まずキサキさんが王の声から読み取った意味が絶対に正しいと、王の意思そのものであるという保証はできないと。その上で、一体どういう現象なのか“機械的な理解”は及ばないが、何故か彼女には王の言っていることが分かるのだと。そして、


「ハルカさんの言葉は王に伝わっています」


「……え?」


 ヒトの言葉でいい。ヒトの言葉を模したアンドロイドの言葉でもいい。私たちの声は、意思は、王にちゃんと伝わっていると、キサキさんはそう言った。


『ガガァァ』


「王様、私の名前はハルカです。まだ思い出せないこともあって、ここに来る前はモノが浮かぶ空にいて、それから……もう一人『ナツ』って名前の友だちが私と一緒にこの近くに来たはずで――」


 綺麗にまとめることもできずに今分かっていることを王に伝える。思い出せないことも伝える。ナツの安否、この場所のこと、そしてあなたとキサキさんのこと、知りたいことがいくつもあると私の声で、ヒトの言葉で伝える。王はじっと動かずに私の話を聞いていた。私が一通り話し終えると、小さなレンチの腕が地面に潜って、何かを引っ掛けて持ち上がって来た。金属製の……輪? 地面の廃材は全て色褪せて見える。でも王の身体には色が戻っている。王が持ち上げた輪も同じ、鈍く銀色に光っている。


「王、これをハルカさんに?」


『ガァ』


「しかしこれは、“この場所のもの”です」


『ガガァァギギィガァ』


「――分かりました。ハルカさん、どちらかの手を前に出していただけますか。王がその輪をあなたに贈りたいと言っています」


「うん、分かった」


 手のひらを下に向けて右腕を伸ばした。それを確認した(と思う)王は、レンチの先に引っ掛かった輪を私の手に近付けた。輪は細い金属で、正確には一箇所が千切れていて『C』の形になっている。ブレスレットにでもしてくれるのだろうか。


『ベコッ』


 レンチの腕とは別に地面から太いロボットアームが出てきた。これも傷が見て取れるが比較的原形をとどめている。恐らく機能も。


『キュイィィン』


 UFOキャッチャーの先端より何倍も力を出せそうな指先がゆっくりと動き、金属の輪を掴んだ。円の面ではなく縁を挟む。欠けたを『C』を『O』にできるように。


「ハルカさん」


「大丈夫、王様を信じるよ」


 自分の腕がやけに華奢に見えてしまう。きっと王にもそう見えるのだろう。小さな輪っかには不釣り合いな出力の機械の腕、その不器用そうな指先は震えていた。私の手首を傷つけまいと細心の注意を払って。


「ありがとう」


『ガァァ』


 手首にブレスレットを賜った。輪は完全に繋がらず『C』のままだけれど、これはきっと王が加減した形。


『ギィ』


「ん?」


 王が天井を見上げた? 違う、光源の方? そういえばこの光、この部屋、私の足元に影が――


「王、そういうことですか? ハルカさん、落ち着いて聞いてください」


 キサキさんの声に緊張が表れている。“そういうこと”って? キサキさんが出入口の大扉を一瞥した。


「例の“有事の際には”がこれから起こります。ハルカさんは王と一緒にこの部屋にいてください」


「お城の外へ行くなら私も、」


「城の外は危険です」


 キサキさんが遮った。


「城の中に危険は及びません。もし何かあっても王ならばあなたを守れます。どうか……」


「分かった、ここまで待ってる」


「恐れ入ります」


 私の答えを確認したキサキさんは大扉へ向けて駆けだした。『この城が、王が狙われる時』と彼女は言っていた。誰が、何故。“妃”が出ていった扉の方を向いていた王はゆっくりと茜色の光が差す方角へ向き直った。そう、この光には光源がある。この場所には影ができる。……ここで待て、か。


「あなたがそう言ったのなら従います。でも、私は友だちを探さないといけない」


 王は私を見下ろした。あなたはそれを許してくれますか。

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