03_side_S_再来 - Octopoda -
夕焼けを薄めた空が廃材で造られた地形を静かに染めている。その地面を踏みしめてロボットの後についていく。材料はともかく、ちゃんと地面があるというのは何とも落ち着くものだ。少し歩いたら警戒心も薄れて足取りが軽くなってきた。――そういえば私はどうしてこの色が夕焼けだと分かるのだろう。朝日が昇る空、朝焼けという可能性は? ひとまず太陽を探してみるけれど、ここでもその姿は見当たらない。雲も同じだ。それならばと空のグラデーションで方角を判断しようと思ったのにどちらを向いても綺麗に同じ色。諦めて視線を水平に戻した。
遠くのアーチ橋が蜃気楼のように思えてきた。少し歩いた程度ではちっとも変わらない距離感で、私に何かを訴えているような、隠しているような。
「コウバク……コウリョウ……」
「何だ?」
「なんでもない、独り言」
「そうか」
時々現れる廃材の塊を避けるように蛇行して歩く。多分“荒れた”という漢字を使うのだと思うけど、この景色に相応しい言葉が出てこない。忘れたんじゃなくて残念ながら私は元々知らないのだろう。断っておくと『現国』は好きな科目に入るよ。でもそれとこれとは……そうだ、こんな時は便利な『ケータイ』の辞書機能だ。もしかしたら時計も直っているかも。
「あら、無くなっちゃったか」
空の底へ落ちる途中に落としたのか、スカートのポケットに入れていたはずの便利なアイテムは消えていた。空ではぐれたのは他に鞄と、セントナツ号と、あと伊達メガネもか。
「今度は何だ? 踊りか?」
私がポケットに手を入れて何も取り出さず、鞄の肩ベルトをなぞって自転車のハンドルの高さで空中を握って眉間に触れて両手で輪を作って目に当てたので……彼が不思議がるのも無理はない。
「えーっと、持ち物の確認をしただけ。ここに来る時に色々と落としちゃったみたいでね」
「そうか……。その革靴は頑丈か?」
「くつ?」
ロボットがそう聞いてきたので、片足立ちで膝を曲げて振り返りローファーの靴底を見る。履き慣れた相棒に異常は見られない。まぁ確かにこんな地面を歩くことは考えて作られていないだろうね。
「んーしばらく歩く分には問題ないと思うよ。思ったより地面がトゲトゲしていないし」
一体全体何を使って、どれだけ強い力で均されたのか不思議なくらいに。
「人間の足は柔すぎる。俺に靴を補強できるかどうかは微妙だが、もし不都合があるなら言ってくれ」
「うん……ありがとう」
私がお礼を言い終わるとロボットはまたすぐに歩き出した。折り曲げられない左脚のせいで、言いづらいけど少々不格好な歩き方で。とても高性能には見えないその背中を見ているとやはり先ほどの彼の発言が引っかかる。
「ねぇ、さっきあなたが言っていたこと、私の聞き間違いじゃないんだよね?」
ロボットが足を止める。振り向かないまま。
「その、王様のこと……どうして?」
ヒトの足を心配できるほどのあなたが。
「俺はその使命を持って生まれた。機械たちは皆使命を持って造られる。一本のネジでも一片のプラスチックでもそれは同じだ」
使命。その言葉を嫌そうに言っているのか誇りを持って言っているのかを知りたいのに、声色だけでは微妙に判断が付かない。顔を見たところで彼に表情は無いから突き詰めるには会話を続けるしか――
「お前は王の姿をどんなふうに想像している?」
ロボットの方からこちらに振り返った。双眼鏡と丸ライトの顔からはやはり表情を読み取れない。えっと、王様のイメージ?
「冠を付けて綺麗な衣装を着て……椅子に座ったふくよかなおじいさん?」
「まずはそのイメージを書き換えろ。王は生物ですらない。機械を寄せ集めた塊だ」
言葉が出てこない。カタマリ? 朧げな“王様”のイメージが巨大な“はてなマーク”に変わり、泳いだ目が視界に入れた廃材の塊を掴む。
「それに、俺が王を殺そうとするのはこれが一回目ではない。既に何度も失敗している。このまま準備せずに向かえば今回もまた失敗するだろう」
「待って、ちょっと待った、んーと……」
「歩きながらでも質問をまとめることはできるはずだ」
「……分かった、進もう」
おっしゃる通り……。さて、聞きたいことの種はいくつもある。まず、今回私は王……王様が殺されるのを見なくて済む? 何故ロボットは「機械の塊」を相手に“壊す”ではなく“殺す”という言葉を使うのだろう。私が頑なに“様”を付けるからそう言っているのではない気がする。それから“失敗することが分かっている”のに殺そうとするのはどういうこと? ロボットだから制御が効かなくなるような事態が起こるとして、では彼を制御しているのは彼の言う「使命」? そうではなく、何者かが彼を操るとか?
「痛っ」
大きな四角い廃材の塊の角を曲がったところで何かに躓いて転びそうになった。
「どうした」
なんだこれ、二本の針金が台形を描くように並行に、同じ形がいくつも並んで……
「あー……なるほど駐輪場のスタンドかな」
赤茶色に錆びて色褪せて。何故ここにそんなものが。並べて止められるスタンドが一つ、二つ、
「……え?」
なぞって数えようとした視線は一番奥の最後のスタンドで止まった。釘付けになった。
「何か見つけたのか?」
思わず駆け寄った。駆け寄って、手で触れた。全部確かめた。ハンドル、ベル、前カゴ、サドル、フレーム、ペダル、荷台、『Σ』を縦にしたスタンド。そのスタンドで自立して、――間違いない。どうしてキミが“ここにいてくれるの”。
「セントナツ号――」
キミがいなければ空に浮いた島で私はハルカに会えなかったかもしれない。ハルカを乗せてオゥルくんとナレィとWITHGRAVのところに辿り着くこともなかったかもしれない。不安だらけの空で私たちを救った英雄がそこにいた。“完全に色褪せた姿で”、そこにいた。
「その自転車がどうかしたか」
「……ねぇ、ここには自転車が何台もある? これ以外に一台でもある?」
「何台か見かけたことはある。完全な姿を保っているものは少ないが、自転車と呼べる姿のものは探せば見つかる」
「他の自転車はこれと同じ形?」
「いや、中には同じ型のもあるかもしれないがその確率は極めて低い」
「そう……ありがとう」
滑り止めのついたゴムのハンドルは色褪せても同じ手触りだ。私の座ったサドルも、ハルカが座った荷台も。
「その自転車が気に入ったのなら持っていくか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと挨拶していきたいから先に行ってて」
「分かった」
どちらが先だったのだろう。あるいはまだ途中なのだろうか。ハンドルに右手を触れたまま、また躓かないように気を付けて正面に回る。
「ありがとうね」
ハンドルから手を離して蹲む。カゴ下のライトは進行方向の障害物と地面を照らすため、僅かに傾いて私の視線と交わらない。だから顔を横にしてなるべく目を合わせてやる。色褪せた空き缶は線路の下の空に落下する。色褪せた自転車にもきっと乗ろうと思えば乗れる。それでも、セントナツ号は一緒には来られない。少なくともこの場所では。
「いい夢は見られたかい? もしその夢が道半ばなら、何か私にできることはあるかい?」
英雄は黙したまま。……了解。私は銀色に光っていたはずのベルに手を伸ばした。
『チリン』
その音に一点の曇りなし。
「またどこかで会おう」
立ち上がるとロボットがやや急ぎ足で戻って来るのが見えた。待たせ過ぎたかな。
「おい、人間」
「ナツだよ。あなたにも名前を付けたら名前で呼んでくれる?」
「すまない、ナツ。名前はどちらでもいいが少々状況が変わった」
「状況?」
私の挨拶が長かったのではなく。
「城の上空を見ろ。ナツにもあれが見えるか?」
ロボットが正面に立っていたので身体の右側に一歩、彼も同時に一歩退いて道を開ける。
「……」
「見えないのか?」
「た……と……」
「?」
タコ。透明ダコ。
「見え……る。透明なタコが見える」
「なんだそれは。違うものに見えているのか?」
「膨らんだ頭と、多分吸盤付きの八本くらいある腕が――」
お城と同じくらいの大きさの……
「同じだな。ナツは走れるか?」
「うん、あなたこそ大丈夫?」
「人間程度の速度は出せる。できるなら城まで急ぎたい」
「えっと……分かった」
「走るぞ」
ロボットが膝の曲がらない左脚を軸にくるりと向きを変えて、そのまま駆けだした。分かったと言ったけど色々と事態が呑み込めないままとりあえず後を追う。
深海生物にも似た半透明の身体。あれが透明クジラの仲間だと判断するのに時間はかからなかった。本当は頭じゃないらしいけど袋の部分にぼんやりと光るコア、薄オレンジの空を背にその輪郭を光がなぞるようにして沢山の腕が、身体が浮かび上がった。「状況が変わった」というのは間違いなくあれのことだ。タコは何をしようとしている? お城に用事があるなら、王様は、そこにいるはずのハルカはどうなる? “走りながら”でも質問はできるよね。
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