第46話、わたくし、蜘蛛女がキスするのは、BLよりもGLであるべきだと思いますの。

「──いやあ、教皇聖下、このたびは、とんだ災難でしたなあ」


 全世界数千万の『なろう教』信者の崇拝の的である、いと尊き少女を目の前にしながらも、その一介の司教に過ぎない男性は、不遜にもいかにも馴れ馴れしく声をかけてきた。


 聖職者お仕着せのカソックの上に羽織られた白衣は、くたびれている上に汚れが目立ち、ボサボサの長髪に縁取られた彫りの深い顔は一応整ってはいるが、瓶底眼鏡の奥の瞳と口元とが共に浮かべている不敵な笑みが、見る者の神経を逆なでした。


 ──アルベルト=フォン=カイテル司教。


 世界宗教『聖レーン転生教団』総本山、聖都『ユニセクス』、教皇庁地下最深部に極秘に設置されている、『アハトアハト最終計画研究所』における、チーフ研究員にして、実質上の最高責任者。


「……そう言う貴殿のほうは、ドラゴンどもの炎のブレスの文字通りの雨あられの猛攻によって、教皇庁どころか、聖都ユニセクスそのものがほぼ全域にわたって瓦礫と化した中で、研究所にはほとんど被害が及ばなかったのは、僥倖であったな」

 そのように不快感を隠そうともせずに宣うのは、年の頃七、八歳ほどの、初雪のような純白の髪の毛に縁取られた精緻な人形そのままの小顔の中で、鮮血のごとき深紅の瞳を煌めかせている、妙に大人びた絶世の美少女。


 ──アグネス=チャネラー=サングリア。まさに彼女こそが、聖レーン転生教団現教皇その人であった。


 しかし、そんな彼女の皮肉めいた物言いをものとはせず、変わらぬへらへら笑顔のまま、ヌケヌケと言ってのける白衣の男。

「いやあ、何と言っても我が研究所は、かつての教皇庁の地下深くにございます『秘密研究所』ですからなあ。普段は最悪の職場環境と思っておりましたが、何が幸いするものか、わかったものじゃありませんねえ」

「そうかそうか、それなら我ら上層部が聖都外に疎開している間も、さぞかし研究が進んだことであろう、そろそろ成果のほどをはもらえぬか?」

「ええ、ええ、もちろんでございます。──テレサ司祭、こちらへ!」

「は、はいっ! た、ただ今!」

 その時初めて、地下研究室(と言っても、今や『地上部分』の教皇庁そのものが存在しないのだが)の隅っこで身を縮めるようにたたずんでいた、痩せぎすの長身を漆黒の尼僧服で包み込んだ、いまだ二十代半ばの若さだというのにどこか陰鬱さを漂わせ、丸く大きなトンボ眼鏡で顔のほとんどを覆い隠している、いかにも冴えない修道女シスター──私こと、テレサ=テレーズ司祭へと、その場にいる一同──アグネス教皇とカイテル司教以下、研究員と教皇の随員である枢機卿たちから、一斉に視線が向けられた。

 それに促されるようにして進み出て、教皇聖下より五歩ほど前の場所で跪き、こうべを垂れる。

「──では、聖下、お願いいたします」

「う、うむ。し、しかし、この『術式』で、本当にうまくいくのかや? アルベルトよ」

「一応マウス等の、人間以外の検体での実験では、成功いたしております」

「よし、わかった。──テレサとやら、気を楽にせよ。これより、『転生』の秘術を行う!」

「はひっ、あ、ありがたき、幸せっ!」

 緊張のあまり、カミカミとなってしまう、情けない声音。

 それと同時に、両肩に置かれる、小さな幼女の手のひら。


 ──その刹那、であった。


「──っっっ!!!」


 ──脳みそへと直接、大量に注ぎ込まれる、筆舌に尽くし難いほど奇怪な、情報の本流。


 ──様々な映像。


 ──様々な記憶。


 ──様々な知識。


 ──そして、様々な欲望。




 ──しかもそれは、人間のもの、




 キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ。キモチワルイ───。


 ──『私』じゃ、無いモノが、浸食してくる。


 ──どんどんと自分が、『ニンゲン』では、なくなっていく。


 ──人外の『ヨクボウ』が、『私』そのものを、塗りつぶしていく。


 ──モウ、ヤメテ!


 ──駄目、耐えなければ。


 ──『テレサ』、あなたは、自分自身が、嫌いなんでしょう?


 ──引っ込み思案で、常に自信がなく、他人の顔色ばかりを窺い続けるなんて、もう御免なんでしょう?


 ──だったら、変わらなきゃ。


 ──これは、そのための、大切な『儀式』。


 ──身体の痛みも、心の歪みも、すべてが『脱皮』のため。


 ──『新しい自分』になるための、禊ぎの──いいえ、『身削ぎ』の儀式なの。




 ──サア、てれさ、ワタシヲ、ウケイレルノヨ。




 ──『あなた』は、だあれ?




 ──ワタシハ、アナタ。アタラシイ、アナタジシンヨ。




 ──サア、ココロヲヒライテ、スベテヲウケイレテ!




「──おお、『転生』は成った。実験は、成功じゃ!」




 唐突に、幼い声が、耳朶を打った。


 それと共に、情報の奔流が途絶える。


 ──否。今も、『彼女』と、繋がっていることを、感じる。


 そう。私はついに、異界への、扉を開いたのだ。


 その自覚をひしひしと感じながら、ゆっくりと立ち上がり、伏せていた顔を上げる。


 それと同時に、眼鏡と尼僧服のフードとが外れ、これまでほとんど隠されていた顔が、初めてあらわとなる。


「「「うおおっ、こ、これは⁉」」」


 それを見て一斉にどよめく、身分の上下を問わない男たち。


「ほう、どうやら実験は、成功のようですな」


 満足そうに笑みを浮かべる、カイテル司教。


 分析官のデスクの前の巨大な量子魔導クォンタムマジックモニターの画面に、いつしか映し出されている、一人の女の姿。


 修道服を着ているものの、嵐の波濤のごとく波打つ黒絹の髪の毛に縁取られた端整な小顔の中では、目映く翠玉色エメラルドグリーンに輝く瞳と、鮮血のごとき深紅の唇とが、とても聖職者とは思えないまでに妖しい色香を放っていた。


 それはまさしく、現在この時の──晴れて『儀式』の終わった直後の、私自身の姿であったのだ。


 ──ああ、すごい。


 ──今まで感じたことのない、『全能感』が、身体中にみなぎっている。


 ──どうしてこれまで、あんなに自信がなかったのだろう。


 ──こんなにも世界は、『私』を祝福してくれているのに。




 ──こんなにもたくさんの、『糧食エサ』を、用意してくれているのに。




「──うっ、『彼女あやつ』の我を見つめる目が、何か非常に、怖いのだが」


「そりゃあ、そうですよ。今や『彼女』にとっては、聖下だけではなく、この部屋の全員が──いや、このが、『美味しそうな御馳走』でしかなくなっているのですから」

「……と、言うことは」

「ええ、『実験』は、大成功と言うことですよ♡」


 ──『エサ』どもが、何かさえずっているけど、もはやそんなことなぞ、どうでもいい。


 ──早く、私に、食べさせて!


 ──とびっきり、美味しそうな御馳走を、用意して頂戴!


「ふふっ、そう怯えずに」

「──なっ、わ、我は、怯えたりなど、してはおらんわ!」

「ご安心ください、現在の『彼女』では、我々に直接危害を加えることは不可能ですので」

「何?」

「確かに、先程の『禁術』によって、今や彼女は『ゲンダイニッポン』からの、『転生体』をその身に宿してしまいましたが、彼女の肉体自体は、人間のままなのであって、『転生体』の捕食行為等を、そのまま実行できるわけではないのです」

「む、むう、そういえば、そうか。──いや、それならば、あやつの『食欲』は、どのようにして解消すればいいわけなのじゃ?」

「──『性欲』ですよ」

「ふへ?」

「今や彼女は『転生体』としての、我々人間に向けられた『食欲』が、自動的に『性欲』に変換されるようになっているのです」

「ちょっ、それでは我は今、別の意味で『食べられそう』になっているという、大ピンチにあるわけじゃないか⁉」

「ああ、それに関しても大丈夫です。『彼女』はいまだに、基本的には人間そのものなのだからして、ちゃんと言葉によって誘導することができるのですよ。──それに、何よりもテストケースとして、最初の『犠牲者エサ』は、すでに選別していますので」

「……ほう、つまりそれこそが、今回の『実験』の、最大のメリットというわけじゃな?」


「──そうなのですよ! これはまでは『ゲンダイニッポン』の人間の魂を、このファンタジー世界のモンスター等に『転生』させてみても、はかばかしい結果は得られませんでしたが、ここは発想を大転換させて、今回はあえて『ゲンダイニッポン』の人間存在の魂を、この世界の人間の身に宿らせて、ちゃんと人間の理性を保たせたままで、『ゲンダイニッポン』の動物や鳥や昆虫や魚等の性質を併せ持つ、『ハイブリッド転生体』を生み出してみたという次第なのですよ、はい」


「……その第一号が、まさに目の前の『彼女』と言うことか?」


「ふふふ、彼女には何と、『蜘蛛』の魂を『転生憑依』させておりますゆえに、我々人類に対して、強烈な食欲ならぬ性欲をいだくようになっており、しかも蜘蛛が捕食対象の『性別』を選んだりしないように、彼女も性欲の対象の『性別』を選んだりすることはなく、何とまさに今ここに、男も女も喰らい尽くすことを本能とする、無敵の『両刀遣いバイセクシャルマシン』が爆誕したわけなのですよ♡」


「くくく、面白い、こやつを目障り極まりない女どもの牙城である、ホワンロン王国に投げ込んでみれば、どのような阿鼻叫喚の地獄絵図になるものか、見物であるな。──よし、アルベルト司教、実験を第二段階へと移行せよ!」


「ははー、聖下の仰せのままにー!」


 いかにも殊勝に、胸に手を当てこうべを垂れる司教殿であったが、


 その唇だけが、嘲笑の形に歪んでいることを、蜘蛛ならではの鋭敏に研ぎ澄まされた私の視線が、見逃すことはなかった。


 ──いいえ、今更そんなこと、どうでもいいじゃない。


 ──せっかく、『糧食エサ』を用意してくれるというのなら、今のところは、大人しく従いましょう。


 ──でも、見てらっしゃい。


 ──たらふく喰って、蜘蛛としての力を十分つけた暁には、あなたたちのことも、みんな食べてあげるから♡



 ──そう。もはやこの世界の存在はみんな、私にとっての『糧食エサ』に過ぎないのよ♡

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