第34話、わたくし、メリーさん。今、ハロウィンの渋谷にいるの。(その3)

 その夜、ハロウィン祭りパーティも大詰めの週末を迎えた渋谷は、若者を中心として男女を問わず、まさに魑魅魍魎そのもののコスプレをした人々のるつぼと化していた。


 魔女や悪魔や化け猫(つうかネコミミ娘?)等を意匠した、扇情的な衣装で、惜しげもなく素肌をさらしている、女たち。


 それに群がる、デジカメやスマホを手にした、カメコの男たち。


 一見無法地帯となっているかのように見えつつ、そこには確かに『暗黙の了解』があった。


 そう。ここ十数年ほどの間に我が国においても、海外発祥のクリスマスやヴァレンタインデー同様に、若者を中心とした庶民の『祭り』として、すっかり受け容れられていたのだ。




 ──しかしまさにその、『精霊たちの祭りの夜』は、今や阿鼻叫喚の地獄絵図と成り果てていたのである。




「うわあっ、助けてくれ!」


「いやっ、やめてえっ!」


「ぎゃああああああああっ!」


 四方八方から鳴り響く、悲鳴と断末魔。


 街中をとどろかす、爆破音と倒壊音。


 街路樹や店頭を舐め尽くす、紅蓮の炎。




「──狂っている、みんな狂っている、ここは街ごとすべて、狂っているんだ!」




 思わず僕の口をついて出てしまった言葉に、腕の中の白いワンピースに小柄で華奢な肢体を包み込んだ、いまだ十二、三歳ほどの幼き絶世の美少女が、長い銀白色の髪の毛に縁取られた端麗な小顔の中で、不安の色を如実に浮かべている黄金きん色の瞳で見上げてきた。

「……兄様」

「あ、すまん、よみちゃん、大丈夫かい?」

「ごめんなさい、私が渋谷のハロウィンのイベントを見てみたいなんて、言ってしまったから」

「馬鹿っ、それを言うんなら、僕のほうこそ、あかつき御本家の至宝である、『とおの巫女姫』の君を無理やり連れ出したのが、悪いのであって──」


「──見つけたぞ!」


 まさにその時、物陰に潜んで抱き合ってうずくまっていた、僕たちのすぐ間近から聞こえてきた、粗暴なる男の声。

「……散々探し回ったぜ、『の巫女姫』こと、さんよう」

 いつしか周りを取り囲んでいた、棒きれや倒壊した建物の瓦礫を手にした男たち。

「さっさとおっんでもらって、この『お祭り』も幕にしようぜえ」

 そう言うや、男の一人が不気味なほくそ笑みを浮かべながら、こちらへとゆるりと近づいてくる。

 その途端、いまだ年端もいかないお嬢様の神経が、限界に達した。


「──いやあ、助けてえ! ゆう! お願い、助けてえ!」


「ぐえっ⁉」


 あたかも少女のSOSに呼応したかのように飛来してきた、大きな石つぶてが男のこめかみに直撃し、一瞬で意識を刈り取る。

「だ、誰だ⁉」

「くそう、姿を見せろ!」

 たちまち警戒心もあらわに、周囲を見回す男たち。

 すると、街灯もビルの明かりもすべて消え去った、漆黒の暗がりの中から、いかにも皮肉げな声音が聞こえてくる。


「……だから言ったでしょう、不特定多数の有象無象の輩が集まる下賤な場所なぞ、お勧めしないと」


 年の頃は十五、六歳ほどか、小柄なれどしなやかな肢体を白のシャツと黒のベストとスラックスで包み込んだその姿は、いかにも『少年執事』といった趣であった。

 しかし、そのボブカットを極端に短くしたような黒髪に縁取られた、中性的に妖しく整った顔には、一切の感情を浮かべておらず、


 まさしく今の彼は、むしろ『武装執事』とも呼ぶべき、冷徹な戦闘マシンと成り果てていたのであった。


「ぐわっ!」

「ぎひっ!」

「ふぐっ!」


 暴漢たちに、正拳突きや飛び蹴りやエルボーや回し蹴りを喰らわせて、次々に無力化していく、まるで軽業師であるかのような、目を見張るような体術を駆使していく少年。

 気がつけば、周囲には僕ら同様に難を逃れて隠れていた人々以外には、立っている者はいなくなっていた。

 文字通り『死屍累々』そのままに、倒れ伏している男たち。

 中には明らかに、出血多量であるように見える者も、少なからず見受けられた。

「……お、おい、ちょっとやり過ぎなんじゃないのか?」

 窮地を救ってもらった相手に対して何だが、あまりの惨状を見かねてつい口に出してしまった僕の言葉に、いかにも侮蔑の視線を向けてくる、明石月一族筆頭分家の次期当主、うえ祐記少年。

「護衛である私が、明石月御本家のお嬢様を害する輩に対して、手加減する必要があるとでも? それにこれくらいのことなら、明石月の力を使えば、『事件』になる前に完全にもみ消すことができますよ。──とはいえ、『彼ら』には、何の効果もないようですけどね」

 その言葉にはっとなり、周囲を窺えば、ほんの今まで僕ら同様に身を縮めてうずくまっていたはずの避難者たちが、暴漢たちが取り落とした棒きれや瓦礫を手にして、周りを取り囲んでいた。

「──ひひっ、そう言うことだ」

「いくら俺たちを倒しても、無駄だぜえ?」

「何せする身体は、この街中に無尽蔵にあるからよう」

 その言葉に、落雷を喰らったかのような、衝撃を覚えた。

「……再転生って、まさか、『死に戻りセーブ・アンド・リロード』⁉」

「そうですよ、琉一様。だからこそ極力殺さないように攻撃を加えていたのですが、どうやらこの『死に戻りセーブ・アンド・リロード』は憑依した身体の命が失われなくても、失神しただけで再転生できる、改良版のようですね」

「いやどうして、『完全なる現実世界』であるこの現代日本で、『死に戻りセーブ・アンド・リロード』なんてできるんだ⁉ ま、まさか、こいつらって──」


 その瞬間、目の前の少年は、この絶望的な状況の中にあって、いかにも不敵な笑みを浮かべながら、僕に向かって宣った。


「ええ、ご想像通り、薄汚き他の世界からの『転生者』どもですよ。ね。──剣と魔法のファンタジー世界のホワンロン王国第一王子の、ルイ=クサナギ=イリノイ=ピヨケーク=ホワンロンさん?」


「──っ」

 ……やはり、知っていたのか。


 どうもおかしいと、思っていたんだ。




 最初から僕たちは──いや、明石月本家の、『遠見の巫女姫』の詠は、すべての行動を監視されていて、虎視眈々とつけ狙われていたのだ。




 もちろん初めのうちは、この渋谷の街はただ単に、週末のハロウィンの人出で賑わっているだけであった。


 しかしコスプレした若者たちにあふれた道玄坂どうげんざかに、一台の暴走ワゴンが突っ込んできてから、様相が一変してしまったのだ。


 多数の男女たちを跳ね飛ばした後にそのワゴンは、最後には道路に面したビルに衝突することで、ようやく停止する。

 そして運転席からよろよろと降りてきた血まみれの中年男が、僕らのほうに近づきつつ、こう言ったのだ。


「──見つけたぞ、我らが世界を滅ぼす、災いの巫女姫めが!」


 そして突然襲ってきた彼を、例によって祐記が難なく倒したわけだが、むしろ本当の災厄が始まるのは、それからだったのだ。

 さっきまでただ街ゆくコスプレイヤーでしかなかった、多くの者たちが、まるでいきなりかのようにして、表情を一変させて奇声や雄叫びを上げるや、己の同行者を含む周りの人々に襲いかかったり、周囲の店舗に飛び込み略奪や破壊活動を始めたのだ。


 ──そして瞬く間に、ハロウィンの渋谷の街そのものが、阿鼻叫喚の地獄絵図と化してしまったのである。


 しかもそのうち彼らは徒党を組んで、詠のことを執拗に狙い打ちし始めたのだ。

 いや、どうやら最初から、彼らの最大の目的は、彼女を亡き者としようとすることのようであった。

 最初に迫ってきたワゴンの運転手を倒した後も、次々に迫り来る暴漢たちに、さすがの『武装執事』少年も防戦一方となり、僕は彼に促されるままに詠と二人でその場を逃げ出し、騒ぎの中心から少し離れたビルの物陰に隠れていたものの、ついに暴漢たちに見つかってしまい、あわやという大ピンチというところを、まさに今駆けつけてきてくれた祐記に、再び助けられたといった次第であった。


 しかし、たった今耳にした彼の言葉は、とても聞き捨てならないものであったのだ。


「……何で君自身は、あくまでもこの現代日本の人間のくせに、僕や襲撃者が他の世界から、転生してきていることを知っているんだ?」

 僕が自分の正体がばれるのも厭わずに発した質問の言葉に対して、目の前の少年はただ肩をすくめるばかりであった。

「これまでも何かにつけて、今回のように『転生者』どもに襲われてきたのですから、嫌でもあいつらの事情にも詳しくなりますよ」

「──なっ、こんな異常な有り様に見舞われるのが、初めてではないだと⁉ 君は──いや、詠ちゃんは、何で異世界からの転生者なんかに付け狙われているんだ⁉」


「それだけ『の巫女姫』──いえ、『禍苦詠むカクヨムの巫女姫』という存在は、彼ら剣と魔法のファンタジー世界の住人たちにとっては、最大の脅威に他ならないからですよ」


「へ? 『禍苦詠むカクヨムの巫女姫』だって? あ、いや、ともかくそれって、詠──でなくが、たちの世界において、そんなにも脅威の存在であるというわけなのか? それが何でこの現代日本で、別人である詠を襲うことに繋がるんだよ?」

「もちろんそれは何よりも、『禍苦詠むカクヨムの巫女姫』の、『災いの予言を絶対に現実のものにできる』力が、世界の次元を超えるほど強大だからです」

「災いを必ず現実化できるだと⁉ ──いやだから何で君は、まさにそんな世界の次元を超えることを、知っているんだよ⁉」

「それは私自身も、次元を超える力を持った、草薙の『語り部』だからですよ」

「へ? 『語り部』って。つうか、君までも次元を超える力なんて持っているの⁉」

「あなたはご自分がどうして、今ここにいるのか、本当にわかっておられないようですね。……くそう、『メイ』め、私が今回の騒動に紛れて、琉一様を亡き者にしようとしたのを、感づいたな?」

「──ちょっ、何を急に言い出しているの⁉」

「何せ『転生者』を宿った状態の人間を殺したら、場合によっては『死に戻りセーブ・アンド・リロード』が発動して、別の人間の身体に憑依したりして、収拾がつかなくなりますしね」

「いきなり真剣な表情になって、怖いことばかりつぶやかないで! 何か知らんけど、俺をこの世界に転生させたのは、アルのメイドのメイなわけ?」

 そのように僕らが、周りの状況も忘れて言い争っていた、まさにその時であった。


「──おいおい、楽しいコントは、もうそのくらいにしてくれないかな?」


 その唐突なる声に振り向けば、律儀に僕らの話が終わるまで待っていてくれた暴漢たちが、にやついた笑顔でこちらを見つめていた。

 ……くそう、実際に『自分』が死ぬわけでも傷つくわけでもないものだから、余裕綽々でいやがる。

 しかし僕のすぐ側には、もっと大胆不敵な、自称『次元を超えた』御仁がおられたのだ。

「──いえ、お待ちください。あなた方は詠様を亡き者にしようとなされているもののとお見受けしますが、それにしては周りの狂騒ぶりは、もはや本命の目的を隠すためのカムフラージュなんてレベルとは言えないほどの、他者に対する殺傷や建物等に対する破壊活動と思われるのですが? 後始末のこともございますので、できましたらもう少し控えていただけないでしょうか?」

 おいおい、この大ピンチの中で、周囲の状況を冷静に見定めて、他人の心配までできるなんて、本当に余裕たっぷりだな⁉

「ああ、あれか、すまねえ、あれは俺たちにも、制御不可能なんだ」

「……何ですって?」

「いやね、俺たちが憑依したのは、少々羽目を外していたとは言え、『普通のシブヤ系の若者』たちだったんだが、あいつらが憑依しているのは、いわゆる『アンチのくせにパパラッチ』な連中だったんだよ。──その辺のことは、生粋の現代日本人である、おまえさんのほうが詳しいんじゃないのかい?」

「ああ。そういう……」

「──いや、『そういう』って、どういうことなんだよ⁉ 一人で納得していないで、僕にもわかるように、教えてくれよ、祐記君!」

「チッ、面倒な」

 舌打ちされた! 僕一応、君の大切なお嬢様の婚約者なのに!

「実は、今回の渋谷のハロウィンのイベントに参加した人間には二種類あって、一つは言うまでもなく、こういう首都有数の若者の街での大イベントに当たり前のようにして参加してくる、大雑把に言えば『リア充』や『陽キャ』と呼ばれている方々であり、そしてもう一つが、まさに彼らとは正反対の、『オタク』とか『陰キャ』と呼ばれている連中なのです」

「えっ、何で『オタク』や『陰キャ』たちが、こんないかにも『リア充』や『陽キャ』のためのイベントに、しかも秋葉原でも池袋でもなく、彼らが最も苦手とする渋谷なんかに繰り出してくるんだ?」

「そのご疑念、ごもっともです。彼らの大部分の者は、今回の渋谷のハロウィンイベントに対しては、否定的態度をとったり、そうでなくても完全に無視するというのが、基本的なスタンスなのですが、中には──特に首都圏近郊に住んでいる者のうちには、『ハロウィンともなると本来だったら近寄ることもできない「陽キャ」の可愛い女の子が、セクシーなコスプレをしているところを混雑にかこつけてすぐ間近で見たり、あわよくば「お触り」だってできるんじゃないのか?』とか何とか思いついて、よせばいいのに似合いもしないニワカ仮装に身を包んで渋谷までやって来たところ、当然『陰キャ』が周りの雰囲気に溶け込むことなんてできず、『陽キャ』の女の子たちからは侮蔑の視線を投げかけられるだけで、かつてないほどの絶大なる『疎外感』に苛まれることになって、自分の愚かなスケベ心を大後悔をするといった始末なんですよ」

「……うわあ、ある意味自業自得だけど、悲惨極まりないなあ、それって」


「だけどそれこそが、『転生者』と一体化することによって、更なる災いを呼ぶことになったのです」


「へ? オタクと転生者が融合することで、一体どんな不都合が?」

「それが大ありなんですよ! 元々『転生者』たちは、本来の目的である『詠様襲撃』から周囲の目を反らせるために、人を襲ったり建物を破壊していただけだったのですが、それが憑依した肉体──つまりは『オタク』や『陰キャ』たちの、強烈なる『ハロウィンイベントに対する逆恨み』と融合することで、もはや誰にも制御不能な、『暴動マシン』と成り果ててしまっているのです!」

「──ほんと、最低だな、あいつらって⁉」

「と言うことでよ、予定よりも周囲の被害は大きくなっちまったものの、俺たちの目的が、そこの『禍苦詠むカクヨムの巫女姫の』の小娘を、亡き者にすることに変わりはないんだから、そろそろ使命を果たさせてもらうぜ?」

 そう言って、おのおの即席の武器を手にして近づいてくる、一応まともな(?)『転生者』たち。

「……ふん、あなたたちを片づけるだけなら、造作もなかったのですが、周りの騒動まで収めるには、ちょっとばかり大々的な手を講じなければならないようですね」

 そのように、何だか思わせぶりなことを言いながら、スラックスのポケットからスマートフォンを取り出す『少年執事』。


「──では、始めましょう、真の『魔物たちのハロウィン一夜のから騒ぎ・ナイトパーティ』を!」


 そして彼が、スマホの画面に何事か書き込んだ、

 まさに、その刹那であった。

「──っと、な、何だ、こんな時に?」

 突然僕のスラックスのポケットの中で振動し始める、愛用のスマートフォン。

 ──しかしそれは、何も僕だけではなかった。

 渋谷の街中で鳴り響く、携帯端末の呼び出し音。

 こんな異常な状況なのに、もはや『大手通信会社に完全に飼い慣らされた家畜に過ぎない』現代日本人の悲しいさがなのか、襲われている一般人はもとより、何と転生者に取り憑かれているはずの襲撃者までもが、一斉にスマホ等を取り出して、通話ボタンをタップする。

 その途端、響き渡る、幼い少女の声。




「「「──あたし、メリーさん。今、あなたの、足下にいるの」」」




 思わず自分の真下に目をやると、そこにはか細い腕がアスファルトの地面から突き出ていて、スラックスの裾を掴んでいた。

「ひいっ!」

 咄嗟に後ろへと飛び退けば、ずるりと全身を現す、何だか『少女』。

「…………は? 詠、ちゃん?」

 まさにその、あたかも月の雫のごとき銀白色の長い髪の毛に縁取られた端麗なる小顔の中で煌めいている、まるで夜空の満月そのものの黄金きん色の瞳は、確かに一見よく見知っている僕の婚約者である、我が国でも一二を争う名家明石月御本家令嬢の、明石月詠そっくりそのままであった。

 けれども、その年の頃十歳ほどの性的に未分化な小柄で華奢な肢体を包み込んでいる白のワンピースや、顔や手足を始め身体中の至る所が、汚れと垢まみれであるところも、そして何よりもすべての感情が拭い去られた顔に、光沢と焦点とが失われたいわゆる『レイプ目』そのものとなっている瞳も、とても名家の深窓の御令嬢には見えず、あたかも『捨てられた人形』すらも彷彿とさせた。


 ──そう。まさにかの『メリーさん』の伝承、そのままに。


 そんなことを思い巡らせながら、ただ呆然と突っ立っているばかりの僕の目と鼻の先で、少女の鮮血のごとき深紅の唇が、おもむろに開かれていく。


「あたし、メリーさん。薄汚い侵略者やオタクや陰キャどもから、この渋谷の街を守る、主にリア充や陽キャ限定の、正義の味方なの」


 ……あれ、なんかいきなり、他の作家様の、『異世界限定のメリーさん』みたいなことを言い出したぞ?

「ああ、この人は一応転生者だけど、超名家のお嬢様の婚約者で、自身も某一流国立大学に通っている現役の学生だから、襲撃対象ターゲットから外してね」

 すかさず横合いから助け船を出してくれる、『少年執事』君。

「……くんくん、確かにこの人からは、高貴なるリア充の香りがするの。わかったの、別の転生者をことにするの」

「く、喰らうって……」

 その言葉にはっとなって、周囲を見回せば、


 ──すでにすっかり、『生き地獄』へと成り果てていた。


「た、助けてくれえ!」

「たとえ再転生できようとも、こんな死に方は嫌だ!」

「生きながら喰われるなんて、そんな殺生な!」


 次々に地面から這い出てきて、転生者たちに襲いかかる、無数の『メリーさん』たち。

 もちろん暴漢たちも必死で反撃するものの、素早い身のこなしと見かけによらぬ怪力と、更には地面の中から繰り出してくる不意討ちと、そして何よりも人数の多さとによって、瞬く間に屈強な男たちをアスファルトへと組み伏せていく。


 歓喜に満ちた、純真無垢なる笑顔。

 人の血肉を咀嚼する、耳障りな音。

 口元を始めとして、真っ赤に染め上げられる、幼い肢体。

 吐き捨てられる、小骨や歯や爪や髪の毛。


 それはまさしく、地獄の餓鬼どもによる、悪夢のディナーショウであった。

 しかしそれでも僕は、その凄惨なる光景から、目が離せなかったのだ。




 ──なぜなら、彼女たちは、この上なく美しかったから。




 たしかに人の血肉を喰らうその姿は、まさに浅ましき悪鬼そのものであったが、陶器のように白く穢れなき素肌や月の雫のごときつやめくしろがね色の髪の毛は、血だまりの中にあってなお妖しい色香を深めていき、人形みたいに端整な顔の中では人にはありえない縦虹彩の黄金きん色の双眸が、血汁を浴びるほどに生き生きと煌めきを増していったのだ。


 まさしくそれは、この上もなく禍々しくもありながらも、真に純粋な者だけが持ち得る、至高の清麗さすらをも醸し出していた。


 僕はもはや言葉もなく、ただ目の前の光景を凝視し続けた。


「──って、ちょっと待て! 何で僕ったら、どこかの耽美小説や奇書の愛好家マニアでもあるまいし、こんないかにも危ないことを考え始めたりしているの⁉」


 あと一歩で人間失格になるところを、辛うじて我に返ることのできた僕が、たまらず叫び声を上げれば、いかにも不快そうに舌打ちをする、すべての元凶かと思われる少年。

「──チッ、そのまま私の『記述』に、身を委ねていればいいものを」

「へ? 記述って……」

 僕が更に祐記を問いただそうとした、まさにその時。


「……ねえ、どうしてみんなさっきから、パントマイムみたいなことばかりしているの?」


 突然背後からかけられる、訝しげな声。

 それは間違いなく、これまで完全に沈黙を守っていた、僕の婚約者である少女のものであった。

「……詠ちゃん」

「暴漢たちと何やらわけのわからないことを話していたかと思ったら、祐記がスマホを取り出した途端、暴漢どころか琉一兄様までもが一緒になって、その場で怒鳴り声を上げながら暴れ始めたりして、何か変なクスリでもキメているんじゃないでしょうね?」

 はあ? 一人で勝手に、って。

 ──いや、もしかして彼女には、『メリーさん』たちのことが、見えていなかったとか⁉


「……やれやれ、やはり貴女には、効きませんでしたか。──いいでしょう、大方『転生者』たちも片づいたことだし、今回の『お祭り』は幕といたしましょう」


 そのようにまたしても思わせぶりなことを言い出したのは、もちろん少年執事』君であったが、彼が再びスマホを取り出して、何事か書き込むやいなや、


 ──文字通り、世界が一変してしまったのである。


「……あ、あれ?」

 改めて周囲を見回せば、そこには『メリーさん』なぞただの一人もおらず、『転生者』たちも血を流したりはしておらず、ただその全員が意識を失い、アスファルトの上に倒れ込んでいるだけであった。

「こ、これって、いったい……」


「ふふふ、つまりすべては、私が『語り部』の力を使って、ここ一帯にいる人たちに集合的無意識を介することによって精神操作を施して、実のところは単なる『幻想』を見せていたってだけの話なんですよ」


「幻想って、さっきの無数の『メリーさん』を始めとする、地獄絵図がか?」

「ええ、集合的無意識に強制的にアクセスさせて、『偽物の記憶』をインストールするという手法をとれば、それは直接脳みそを書き換えているにも等しく、架空の出来事をさも、『実際に体験したように』することすらもできるのですよ。……ええと、集合的無意識による精神操作については、転生者であられるあなたには、今更説明する必要はございませんよね?」

「……ああ、大方のところはわかっているつもりでいるよ。──残念ながら、『語り部』が何なのかは、まったく見当がつかないがな」

「ふふふ。それは今のところは、秘密ということで。──それはともかく、このような荒技を使わざるを得なかったのも、今回転生者をいくら意識を失わせたところで、何度でも再転生してくることが判明しましたので、ご本人たちに二度と転生する気をなくさせるために、Web小説『わたくし、悪役令嬢ですの!』第二十五話で、ゲストヒロインの『ナイトメア』さんが行われていた、『生きながら喰われることで再転生する意思をなくす』という、非常に外道なやり方を見習わせていただいたという次第なのですよ」

 ──っ。『わたくし、悪役令嬢ですの!』、だと⁉


 まさか俺たちの世界が、単なる創作物フィクションに過ぎないとか、言い出すつもりじゃないだろうな⁉


「……ああ、大丈夫ですよ、あなたは間違いなく、あなたにとっての『現実世界』の住人であられますから。実のところ、その世界が現実なのか小説なのかなんてのは、あくまでも『相対的』なものに過ぎませんからね」

「お、おまえ、一体、何を──」

「これも現段階においては、知る必要のないことですので、お気になさらないように。──それよりも、そろそろお迎えが来る頃合いじゃないんですか? 何せあなたの役目は、すでに済んでいるのですからね」

「へ? 僕の役目って……………………っ! な、何だ⁉」

 急に襲い来る強烈な眠気によって、その場に立っていることすらも難しくなる。


「──まあ、今回のところは、見逃してあげますよ。せいぜいあちらの世界の『メイ』に、感謝することですね」


 それが、がこの『ゲンダイニッポン』において、最後に耳にした言葉であった。

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