第15話、わたくし、BL同人誌の世界へTS転生してしまったのですの(その2)

 この世界の、女たちはみんな、こう思っているだろう。


 ──こんな世界なんて、滅んでしまえばいいのにと。


「……どうしたの、ルイーズ?」


 その時唐突に、物思いにふけっていたわたくしの顔を覗き込む、あたかも夜空の満月のごとき、神秘的な黄金きん色の瞳。


 ふと気がつけば、『彼』が──誰よりも最愛の人が、わたくしの机のすぐ前に立っていた。


 一応はわたくしと同じく、我が国の誇る最高学府王立量子魔術クォンタムマジック学院の、高等部生の制服をまとってはいるものの、いまだ性的に未分化な小柄で華奢な肢体は、十歳という実年齢を隠しおおせるものではなく、匠の技による精巧なる人形そのものの端麗で中性的な小顔も併せて、まるで天使か妖精かといった雰囲気をかもし出していた。


 まさしく彼こそは、わたくしことホワンロン王室第一王女、ルイーズ=ヤンデレスキー=ホワンロンの婚約者である、筆頭公爵家令息、アラウヌス=シラビ=セレルーナ──通称『アル』、その人であった。

 ──まさに今この時、その天使そのものの少年が、何とほんの目と鼻の先で、こちらを真摯な表情で見つめていたのだ。


 いかにも心の底から心配げな、憂いをたたえた双眸。


 ……うぐっ、そんな捨てられた子犬のような目をして、反則でしょうが⁉

 わたくしはできるだけ平常心を保ち、どうにか笑みらしきものを浮かべながら、唇を開いた。

「え、アル、どうしたって、何が?」

 しかしそんなやせ我慢など、幼くして何かと気配り上手な少年には通用しなかった。

「何が、じゃないよ! ここのところずっと、いかにも心ここにあらずって感じで、ため息ばかりついているじゃないか! ……そりゃあ、僕はまだ子供だから、頼りないかも知れないけど、これでもれっきとした貴女の婚約者なんだから、もっと頼ってくれない?」

「……アル」

 子供だから、頼りないですって? そんなことあるわけがなかった。


 ──なぜなら彼は、この上なく優しかったから。


 ごく平凡なわたくしなんか比べものにならないほど、聡明で何よりも努力家のアルは、本当はこの学院の高等部ではなく、大学の研究室に通っていてもおかしくなかった。

 それなのに彼は、婚約者であるわたくしと一緒に学びたいと──いつでもわたくしに手助けができるようにと、度重なる大学からの入学要請を突っぱね、あえてランクを落として高等部への飛び級を選んでくれたのだ。

 もちろん自分のほうが年上なのに、申し訳ないとも情けないとも思わなくもなかったが、その時は、ただ彼の思いやりこそが、何よりも嬉しかった。


 ただしあくまでも、文字通りその時の、話であるが。


 ──そう。むしろ今では、彼が優しければ優しいほど、辛いだけであったのだ。


「……ううん、アルはちゃんと頼りになるわ。だって今もこうして私が悩んでいるのに気づいて、声をかけてくれたじゃない」

「る、ルイーズ……」

 私がどうにか今度こそ心からの微笑みを見せれば、ようやく表情を緩めてくれる、年下の婚約者。

 ──まさに、その時であった。


「おやおや、お二人さん。今日も熱々だな」


 唐突にすぐ間近からかけられた、いかにも爽やかでありながらも、どこか威厳に満ちた声音。

 振り向けばそこには、一人の上級生の男子生徒がたたずんでいた。

「……お兄様」

 それは間違いなく、私の兄にして我が国の次代を担う王太子である、ソーマ=メネスス=ホワンロンであった。

「何だよ、王子、また僕がルイーズと仲良くしているのを、邪魔しに来て」

「……相変わらず、つれないねえ。ルイーズと仲良くするんだったら、俺とも仲良くしてくれてもいいだろうが? それに何度も言うように、俺のことは王子ではなく、『お義兄にい様』と呼べったら」

「アホか、あんたは将来この国の王様になるんだろうが? そしたら単なる一臣下に過ぎない僕が、『お義兄にい様』呼びなんてできるわけないじゃないか」

「いや、将来の国王を、アホとかあんたとか呼ぶほうが、よほど無礼じゃないのか?」

「今のあんたは、国王じゃないだろうが? 晴れて即位したら、ちゃんと敬ってやるよ」

「じゃあ、即位するまでは、『お義兄にい様』って呼べよ!」

「御免こうむるね。そもそも僕はまだ、ルイーズとは正式に結婚していないんだし、結婚したとしても、あんたはあくまでも『ルイーズの兄さん』なんだから、僕が『兄』呼ばわりする義務はないだろう?」

「──このう、屁理屈ばかり言いやがって。そんな生意気なガキは、こうしてやる!」

「ちょっ、いきなり、ヘッドロックって。なに、『ゲンダイニッポン』のプロレス技なんて使っているんだよ⁉」

「ぐはははは、王子様に逆らおうとする、貴様が悪いのだ!」

「──王子様は、神聖なる学び舎で、こんなことはしない!」

 周囲の奇異な視線を頓着することなく、あたかもじゃれ合うかのように騒ぎ続ける、婚約者と実の兄。

 当然私はそんな彼らを、微笑ましく見守ったり──はに、


 むしろ密かにどす黒い嫉妬の炎を燃やしながら、ねめつけていたのだ。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──幼い頃から自己中で、文字通り『オレサマ』王子様だった兄は、最初のうちは妹である私の婚約者なぞに興味を持つことはなく、アルが私に会いに王城を訪れた際にも、わざわざ顔を見せることはなかった。

 ……まあ、自分よりも六、七歳も年下のガキンチョなんかと会っても、面白くも何ともないとでも、思っていたのであろう。

 しかし実はアルが数百年に一人現れるかどうかの『神童』であり、初等学校入学以前から、王国内各種大学から引く手あまたの状況にありながら、わたくしと共にいる時間を優先して、王立量子魔術クォンタムマジック学院高等部に飛び級入学したことを知るや、俄然興味を抱き、わたくしたちのクラスにたびたび姿を現して、アルにちょっかいをかけるようになったのだ。

 妹であるわたくしは、悪気など全然無いのを知っているが、生まれた頃から次期国王最有力候補として自他共に認められてきたゆえに、尊大極まりなく唯我独尊を地でゆく兄は、何かと誤解を受けやすく、アルも当初は自分に無遠慮に絡んでくる兄のことを心底うざったく思っていたようで、素っ気ない態度ばかりとっていたところ、老若男女誰からもちやほやされて当たり前の『王太子様』としては、むしろそんな対応をされることが新鮮だったようで、更にアルに興味を持ちだして、事あるごとにわたくしたちの教室に顔を出すようになって、いつしか兄がアルにちょっかいを出して、逆にアルが兄にかみついたり邪険に扱ったりして、そしてそれを私が微笑ましく見守っているといった、いかにもわたくしとアルとの婚約関係をかなめにした、仲のいい年頃の男女三人組となっていったのであった。


 ──しかしそんな中でも一人わたくしだけは、常に不安を抱えていたのだ。


 いつか自分は、あの二人に捨てられてしまうんじゃないかと。


 なぜならこの世界は、残酷なる『びーえるの神』に支配されているのだから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 この世界の女たちは、太古の昔から、不幸な人生を歩むことを義務づけられていた。


 それというのも、いくら女が他者を愛そうとも、この世界で愛を成就させることができるのは、に、限られていたのだから。


 ──この『びーえる世界』の神話時代においては、『創作者カミサマ』は女性しか存在していなかったのだが、なぜか彼女たちは自分が創り出した『同人誌セカイ』の『登場人物ニンゲン』のうち、もっぱら男同士を掛け合わせることに血道を上げて、女性なぞは『同人誌セカイ』の隅っこに追いやるばかりで、『本筋レキシ』に絡ませることもなく、いくら男性に恋愛感情を抱こうが、『びーえる世界』である限りけして成就することなぞなかった。

 それでは男同士でしか恋愛できずにどうやって子孫をつくっていくかというと、一応正式な結婚制度については男と女の間で結ばれることになっており、『びーえる世界』においては当たり前のようにして、男と女の間で『愛無き結婚』が推奨されていて、そこで子孫を創り、その育児や教育は女のみが行い、男は外での仕事や男同士の恋愛だけにかまけていれば良かったのだ。


 つまり、この『びーえる世界』においては、女とは単なる子供を産み育てる『道具』に過ぎず、一応家族として男から養ってはもらえるが、そこには愛なぞ微塵も無かった。

 それに対して男のほうは、相手のほうも男である限りは幾人でも関係を持つことができ、しかも『攻め』も『受け』も『リバ』もやりたい放題で、『創作者カミサマ』である腐りきった女神たち──人呼んで『腐女子』たちも大喜びであった。


 ──そう。不幸なのは、報われないのは、ただひたすら『びーえる世界』の中の、女たちだけだったのだ。




 だったらなぜ、神様おまえたちは、わたしたちに、『人を愛する心』なんかを、与えたのだ?




 けして報われない恋心なぞ、ただの地獄ではないか?




『──だ、駄目だよ、ソーマ。いくら人気が無いからって、学院の図書館の中なんかで! それに僕には、婚約者が──君の妹の、ルイーズがいるんだから!』

『いいじゃないか、男には誰でも相手を選ばず愛し合える特権を──「すべての恋愛を成就できる」特権マホウを、母なる「腐れ神様」から与えられているんだからよ!』

『でも僕は本心から、ルイーズを幸せにしてやりたいんだ!』

『おお、いくらでも幸せにしてやれよ。女は愛なんて無くても、男たちの子供を産み育てることこそが、幸せなんだ。何せ同じ女である神様が定めた宿命なんだから、間違いは無いだろうよ』

『……本当に、そうなのかなあ。最近のルイーズったら、何か僕たちとの関係のことで、ひどく思い悩んでいるようにも見えるんだけど』

『ええい、面倒だ! そのおしゃべりな口なんか、今すぐ塞いでやる!』

『──ふぐっ! い、いきなり、何を……ああっ、舌を差し込まないで!』

『どうだ、学院の中ってのも、何だか興奮して、イケるだろう?』

『い、嫌っ、そんな、後ろから、いきなり──』

『さあ、今日も、いつもの生意気な声で、存分に鳴いてくれよな♡』

『──んああっ!』




 頭の中で、先日図書館の中で偶然垣間見た、婚約者と兄との姿が、何度も何度も繰り返し駆け巡る。




 ──もう、やめてっ!


 この『びーえる世界』は、私たち女を、ただ苦しめ続けるだけなのか⁉


 ……憎い。


 この世界が、憎い。


 こんな腐った世界なんか、滅んでしまえばいいのだ。


 ──ああ、私に、この世界を創ったという、腐ったオンナどもと同じだけの力があれば、この世界ごと神も男どもも、すべて破壊し尽くすのに。




 ホワンロン王国王城『スノウホワイト』の一角に与えられた私室において、まさに今わたくしの中で、どす黒い憎悪と渇望とが破裂寸前まで膨らみきった、

 その刹那であった。


『──だったらその願い、私が叶えてあげましょうか?』


 突然すぐ側のテーブルの上に置いていた、愛用の量子魔導クォンタムマジックスマートフォンから聞こえてきた、聞き覚えのない幼い少女の声。


 まさしくこれこそが、わたくしと、この世のすべての異世界転生と異世界転移を司っているとも言われる、『なろうの女神』との、初邂逅の瞬間であったのだ。

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