9今回もいろいろありました

「イタタタタタタッ。あん!」


「いい声ですね。ここが整体でなければ、襲っているところですよ」


 アキヒロの耳もとで、こっそりとささやく整体師。アキヒロはその言葉に、かあっと頬が赤く染まる。


「そ、そんなこと言って。お、おれなんて、食ってもおいしくありませんよ」


「いえいえ、今の声を聞いて確信しました。あなたは感度がとてもいい。僕にとってはおいしいと思えます」


「先生、電気が終わりました!」


「はいはい、今から行きますから、少しそのままで待っていて下さい」


 他の患者の声に整体師は軽く答え、アキヒロから離れていく。その際に、アキヒロへのアプローチは忘れていなかった。


「あなたの腰は、もう少し完治には時間がかかりそうです。まあ、治る頃にはまた、痛みがぶり返すかもしれませんが。そうなったら、私が全力で治療に当たりますからご心配なく」


 最後の言葉の意味を理解する前に、整体師はアキヒロから去っていく。意味を理解したアキヒロの顔は、ゆでだこみたいに真っ赤になり、他の患者から心配そうな目で見られていた。




「ううん。まあ、最初はこんな感じでいいか」


 それにしても、河合さんはあの日、どうして整体に来ていたのだろうか。パソコンに向かって、新作のBL小説を執筆中にふと浮かんだ疑問。どこか悪い場所があったから整体に行ったのは確かだが、理由が気になった。他人の事情など知ってどうなることでもないが、あんな怪しい声を出していたのを思い出すと、どうしても理由を知りたくなってしまう。


 ちらりと、私はリビングにいる、二人のことを考える。今頃、いったいどんな話で盛り上がっているのだろうか。お互いに近況報告をして、仲を深めているだろうか。


「気になるけど、私が今、部屋を出たら、せっかく自分の部屋にこもった意味がないし……」


 お手洗いのついでだと自分に言い聞かせ、私はこっそりと自分の部屋をでた。そして、これまたこっそりと、二人の様子をうかがうために、リビングに向かった。




「それで、紗々さんが変なことを口走っていたと?」


「そうそう、あれは傑作だったよー。こんな面白い女性がいたとはって、笑いが止まらなかったよ!」


「はあ、紗々さんらしいと言えばらしいですが」


「そうなの?まあ、私も人のこと言えないかもだけど」


 二人の会話に聞き耳を立てる。リビングでは、二人が仲睦まじく会話をしていた。しかし、会話の内容が、私の思っているものと違っていた。


「そういえば、河合さんも整体に行っていたんですよね、どこか痛めたんですか?」


「えええ、私のこと気になるんだー。どうしよっかなあ」


「もったいぶらずに教えてくださいよ。どうせ、大したことではないでしょう?」


 私も聞きたかったことだ。どうして、河合さんはあの日、整体にいたんだろうか。


「そうだねえ。だったら……。倉敷先輩も一緒に聞きますか?そこにいるでしょう。私たちのことが気になるなら、自分の部屋にこもるなんてこと、しなくていいのに」


「河合さん、紗々さんはこっそりと僕たちの会話を聞いていたんですよ。わざわざ、隠れていることを指摘することはなかったのでは?」


「でも、こっそり聞かれても、堂々と聞かれてもどっちでも問題ない会話でしょ。これって。だったら、堂々と聞いていた方がよくない?」


「一理あります。僕たち別に、紗々さんに聞かれてまずい会話はしていませんし」


 私が隠れて二人の会話を聞いていることは、すでにばれていたようだ。ばれてしまっているのに、これ以上こっそりと会話を聞く必要はない。しぶしぶリビングにいる大鷹さんと河合さんの前に姿を見せることにした。


「おや、紗々さん、新しい創作はもういいのですか?」


 私が姿を見せると、大鷹さんが白々しく質問してきた。自分たちのことが気になるから部屋から出てきたことはとうにお見通しのくせに。


「創作って、倉敷先輩、もしかして」


「そうですよ。紗々さんは小説サイトにビーエ」


「ストップ。大鷹さん、それ以上言ったら、絶交しますよ!」


 そのうえ、私が自分の部屋で何をしていたかを河合さんにばらそうとしてきた。ぎりぎりのところで止めることはできたが、河合さんは大鷹さんの言葉の続きを推測しているようで、じっと考え込んでいた。


「あ、あの河合さん、私は」


「倉敷先輩、後でその話、詳しく教えてください!」


 私自身が弁解しようと口を開くと、河合さんに言葉を遮られた。あっけにとられて、言葉を失う私に、河合さんが整体に行った理由を話してくれた。


「先輩の話は気になりますけど、話すと盛り上がりそうなんで、私の整体に行った理由から話した方がいいですね。実は私……」


『オタ芸をしていて、腰を痛めた』


 彼女は、笑いながら整体に行った理由を話してくれたが、理由が予想外過ぎて、私も大鷹さんも開いた口がふさがらなかった。


「私、実はこう見えて、二次元のアイドルオタクなんですよ!ああ、男性の方ではなく、女性アイドルです。ほら、年末の歌番組でも出ているあの有名グループのファンで、倉敷先輩には自分の部屋まで見せなかったんですが、自分の部屋にはフィギアがたくさん置いてあるんですよ!」


 そのアイドルグループのコンサートに当選して、当日に向けて、オタ芸の練習をしていたそうだ。それで、普段の運動不足がたたって、腰を痛めてしまったらしい。


「なんていうか、コンサートってめったに当たらないから、当たると大抵、整体にお世話になるんですよー」


 整体に行った驚きの理由を語った河合さんは、その後、面白いいたずらを思いついたように、にっこりとほほ笑んだ。


「ねえ、おおたかっち、おおたかっちは、紗々先輩のどこが好きなの?腐女子っていうだけで付き合っているのなら、私と」


 わざとらしく、ここで言葉を止め、ちらりと私を見てきた河合さん。席を立ち、大鷹さんに腕を絡ませようとしたが。


「大鷹さんは、私の旦那です。気安く触らないでください!」


 無意識に河合さんの腕を掴んでいた。


「イタタタタタタ!力強すぎ。そんなに強くつかまなくても、おおたかっちには触れないって。それに、冗談に決まってるでしょ。どう考えても、おおたかっちは、私のこと、眼中にないし」


「紗々さん」


 河合さんの声にハッと我に返り、慌てて腕をつかんだ力を緩めるが、完全に離すことはしなかった。そのままの状態でいると、大鷹さんに声をかけられた。


「ナ、ナンデショウカ」


 大鷹さんの真剣な声に、思わず片言の返事になってしまった。大鷹さんは何を言おうとしているのだろうか。


「紗々さんも、僕のことをようやく旦那だと認識してくれたんですね。うれしくてつい、言葉にしたくて」


 恐る恐る大鷹さんの顔を見ると、これまで見たことのないような緩んだ顔をしていた。うれしくて仕方のないという顔だ。それを見た河合さんがつぶやく。


「まったく、私の前で、おおたかっちがこんな緩んだ顔をしたことなかったんだけど」


「あ、あの河合さん、私……」


「お二人とも、新婚ラブラブごちそうさまです。ですが、これ以上この家に居ても、胸やけがしそうなので、今日はいったん帰ります。紗々先輩にはまた後日、二人きりで、小説サイトの件をじっくりと聞きたいと思いますのでご容赦を」


 ああ、甘すぎてやばいわ。


 あっという間に荷物をまとめ、河合さんはお邪魔しましたと言って、玄関から出て行ってしまった。





「去っていきましたね」


「騒がしい人ですけど、いい人ですよ」


「大鷹さんが言うと、なんか微妙です」


河合さんが去った後の家は、妙に静かだった。ぼそぼそと会話をする私たちだが、私は大鷹さんと目が合うと、なんだか恥ずかしくなって、目をそらしてしまった。


「珍しいですね」


「自分の発言に、今、猛烈に恥ずかしくなっています」


 私は、河合さんに大鷹さんのことを旦那だと言って、触らないで下さいと言ってしまった。これでは、ただの旦那を取られたくない、独占欲の強い女ではないか。私は、大鷹さんを幸せな家庭を築いてもらうために、相手を探さなくてはならないのだ。それを妨げる発言をしてしまった。恥ずかしさと同時に、後悔が押し寄せる。


「先ほど、河合さんに伝えた言葉を後悔しているのですか?」


 大鷹さんは相変わらず、私の心の中を的確に読む力に長けている。図星であった私は、黙り込んで黙秘した。


「前から言っているんですが、僕は紗々さんの旦那です。ですが、今回は、紗々さんからうれしい言葉をいただけたので、良しとしましょう」


 では、時間も時間ですし、夕食の時間にしましょうか。時計を見た大鷹さんがそう言うので、私はこくりと頷き、大鷹さんと一緒に夕食の支度をするのだった。





 あれから、河合さんには「紗々先輩」と呼ばれるようになった。私の名前は呼びにくいし、代わった名前なので、あまり他人に呼ばれたくないので、苗字に戻すよう伝えたが、あっさりと断られてしまった。


「いやですう。だって、紗々先輩って、おおたかっちと結婚しているでしょう。だから、倉敷先輩は本当ならおかしいです。だから、名前呼びです!」


 もっともな理由に仕方なく、名前呼びを許したが、もう一つの案件は許したくなかったが、彼女の強力な説得により、許可してしまった。


「それで、小説投稿サイトの話ですけど、紗々先輩って、どこのサイトに投稿しているんですか?ぜひ、教えてくださいよ!私も、小説を書いてみたいなと思っていたので、参考にしたいですう!」


 大鷹さんが余計なことを言ったせいで、私の秘密の趣味がばれようとしている。


「それは、さすがに教えられません」


「なんでですか。ああ、もしかして、超過激な奴なんですか?イイですよ。私、そういう激しいのでもいけますよ」


 あまりにもしつこくて、つい口が滑って、私のペンネームである「紗々の葉」を河合さんに教えてしまった。


 腰の痛みから、新たな人間関係が広まったかもしれないが、私の秘密がばれてしまったので何とも言えないのであった。

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