マリアの騎士Ⅲ うしなわれた宝玉

草宮つずね。

序章

 雲のない西の空に夕焼けのなごりがうっすら残る時間帯。黄昏とも言われる時間になって、ようやく顔を上げる。

 夢中になって書類をかたづけていたためか、室内が闇に閉ざされようとしていることにも気づかなかったことにレイヴァンはおどろく。

 今日は、夜会が開かれる日であるから早々に仕事を終えようと考えていたのに予定通りに進まない。特に今日は、大切な日であるのに、うまくことが運ばないことに苛立っていた。

 マリアの誕生日である今夜、開かれる舞踏会は貴族達に「女性である」ことを公表し、正式に「王位継承者」とする式典がおこなわれる。こんなめでたい日に一番の臣下である自分が遅れるわけにいかないとレイヴァンは思ったのだ。けれど、準備をしなくてはならない時間はとうに過ぎた。あと一刻もすれば、夜会が開かれてしまう。


「ああ、まずい」


 思わずつぶやいて、騎士として甲冑をまとい帯剣したあと、着慣れぬ正騎士長としての漆黒のマントをまとい羽根飾り帽子をかぶる。マントの胸元に国王からいただいた軍事勲章をつけて、鏡の前に立った。

 見慣れない自分の姿にとまどいが消えないまま、正騎士長となって新しく与えられていた部屋をあとにした。

 正騎士だったときよりも、この部屋はマリアの部屋が近い。それは嬉しいことであるが、レイヴァンにとっておちつかないことがある。正騎士と同様に個人に部屋を割り当てられているのはかわらないが、今までの部屋よりもうんと広く、豪華なかざりがたくさん施されていることだ。ベッドひとつとっても、赤と金の天蓋カーテンがついているし、壁には真っ赤な壁紙が張り巡らされ、床は天井にぶらさがったシャンデリアを反射するほどうつくしい。

 離宮から王城へと戻ってきてから部屋に割り当てられたときもそうだが、もどるたびに自分には身に余るとレイヴァンは思ってしまうのだった。


「おやおや、いかがなさいました? 正騎士長殿」


 おどけた口調で声をかけてきたのは、正装に身を包んだソロモンである。口元には意味ありげな笑みが浮かんでいる。


「どうもしない」


 つめたく返したけれど、気にもとめていないらしくソロモンはレイヴァンの肩に腕を乗せた。


「そうには見えませんでしたぞ。無意識ですか、ふかぁい溜息が零れてましたぞ?」


 聞いておどろく。溜息をこぼしたつもりなど、本当になかったからだ。


「正騎士長という任はそれほど重いのですか。それとも、姫様と婚姻を結びたいという話を陛下にいうことができなかったからですか」


 ソロモンの言うことも一理あった。国に戻ってきた後、国王から「何でもほしいものを言って欲しい」と言っておきながらレイヴァンが言い終わる前に倒れていらい、レイヴァンは仕事が増えて、まだ言えてなかったのだ。


「いや……」


 言葉が出てこず逡巡していると、チュールを何枚も重ねられたライトブルーのドレスをまとった少女がこちらの姿をみつけて駆けてきた。


「レイヴァン!」


 半年前に比べれば、ずいぶんと伸びた薄い金の髪をなびかせて青い金剛石の瞳をうれしげに細め、明るい声を響かせていた。けれど、驚きの声に変わり、まだ慣れないヒールに足をもつれさせ、顔面が床とぶつかろうかというとき、体をすかさずレイヴァンが支え、ことなきを得た。


「大丈夫ですか、マリア様」


「ありがとう、レイヴァン」


 少女――マリアは、照れた表情で笑い礼をいった。すると、ピナフォアを振り乱しながらビアンカが駆け寄ってきた。


「姫様、大丈夫ですか。だから、走らないよう申しましたのに」


 すっかり、メイドが板に付いたビアンカが言えば、マリアは「ごめん」と言いつつレイヴァンから離れる。名残惜しげにレイヴァンが思っていると、背後でソロモンが咳払いした。


「姫様、自重してくださいね。それにしても、ビアンカはずいぶんと見違えましたね」


 数日前にマリアが女性だと知らせたとき、まったく動揺を見せなかったことを思い出しながら、ソロモンが告げればビアンカは頬を赤らめつつ「いいえ」とかえす。


「とんでもございません。わたしなんて、まだまだです」


「謙遜しなくてもよろしいですよ、本当のことですから」


 わざとらしくビアンカにいい、マリアとレイヴァンを見て深い息を吐いた。


「本当に進歩がない」


「おい」


 ソロモンの言葉にレイヴァンがことさら低い声でいうと、ソロモンは肩をすくめてみせて話をそらし「夜会の会場へ向かいましょう」と言ったのだった。

 公爵であるソロモンに手を引かれながらマリアは、会場へつくとすでに名前も知らぬ貴族達が上品な声をひびかせていた。いくつもある机上には、豪勢な食事が置かれ、給仕が軽妙な動きで貴族に葡萄酒や三変酒シャンパンといったお酒を運んだり注いだりしている。

 はじめて出席する夜会にマリアが会場を見回していると、壇上に上がっていた国王オーガストが声を張って告げた。


「いま、会場にファーレンハイト公爵にエスコートされて来ましたのがわたしの娘、クリストファー……否、マリア・アイドクレーズです」


 国王がソロモンをラストネームで呼び、マリアを本来の名に訂正して言えば、貴族達が言葉をかわしあう。どのような言葉であるか、マリアには聞こえぬがどうも居心地の悪さを感じ、ソロモンにエスコートされながらうつむいていれば、ソロモンが出来るだけ柔らかく微笑んでくれた。


「あなたは堂々としていればよろしいのですよ、お姫様」


 かわらないソロモンの声にマリアが顔を上げて笑みを零したとき、わかい女性の黄色い声があがる。どうやら、ソロモンに向けられた声らしく貴族の二十代前半頃の息女が頬をあからめ、うっとりと胸の前で手を組んでいた。


「あれがファーレンハイト公爵? わかくして家を継いだと聞いていたけれど、本当にお若くて薔薇のように品のある笑顔を浮かべられるのね」


「ファーレンハイト公爵もいいけれど、後ろに控えているエーヴァルト卿もいいですわ。あのわかさで王族に次ぐ正騎士長であらせられるのですもの」


 ひそひそと話す声がマリアの耳にとどいた。ふたりは、貴族達から好感触であるらしい。自分のことをひとつも言われないのは、すこしほっとするけれど、ふたりの側にいるのがいたたまれず逃げ出してしまいたい感情にかられてしまう。


「姫君」


 耳元でソロモンにささやかれ、うつむいていたのだと気づく。ごめんと紡がれようとした唇が、ソロモンの言葉によってかたまってしまった。


「いけませんよ、姫君。そのようにうつむいては、せっかくのかわいい顔が台無しです」


 甲高い声がいっそう、つよく会場にひびいた。けれど、マリアは困惑してしまいそんな声も耳に入っていなかった。むろん、後ろでレイヴァンが不機嫌そうにしていたことなど知るよしもない。

 玉座の前まで来ると、ソロモンは優雅にマリアから離れ後ろで跪く。国王は、玉座から降りるとマリアが女性であることを告げ、いままで男だと言ってきたことを謝罪した。形の上だけでも貴族達は納得を示して拍手が会場を満たす。やがて、音が止むとマリアを正当な王位継承者として認めることを宣言し、臣下に“あるもの”を持ってくるよう命じた。

 少し経って、臣下がもどってきたが、臣下は冷や汗を浮かべて国王に耳打ちする。臣下の言葉を聞いていくうちに、国王はあおざめていった。


「なんだって」


 何かあったのだろうかとマリアが見つめていると、国王がしばし悩んだ後、マリアに壇上へあがるようにいい、玉座のとなりにある椅子に座るよう言われた。レイヴァンとソロモンはいぶかしげな表情をうかべたまま、マリアの後ろに控える。貴族達も、なんだかおちつかないようすでさわがしい。


「皆、申し訳ない。正当王位継承の儀はここで終わらせてもらう。どうやら、神官殿が急遽、こちらへこられなくなったらしい」


 国王がつげれば、貴族達の声もやんだ。なにかあったのだろうかとマリアが小首を傾げていると後ろでソロモンがつぶやいた。


「神官がこのような大切な日に来れないというのは、おかしい」


「ソロモン、わかってて言ってるだろう。理由は別のところにある」


 レイヴァンが言うには、神官は城に来ているらしい。朝にはすでに来ており、あいさつに行ったそうだ。


「ならば、もうひとつ可能性があるとするならば……」


 レイヴァンとソロモンの会話に耳を側立てている間に国王は玉座に座り、赤いカーペットの上を貴族達が我先にとあいさつをしていた。どうやら、どの親も自分の息子と婚姻を結ばせるのに必死のようだ。娘しかいない貴族はさっさとあいさつすれば去ってしまうが、息子を持つ親たちは息子をアピールすることに必死だ。息子自身は、最低限の礼儀をわきまえていたり、嫌そうな表情を浮かべていたりと様々であるが……。

 思わず溜息を吐けば、レイヴァンが「陛下、姫様はおつかれのようです。すこし休まれませんか」と進言すれば、国王は受け入れマリア達に席を立つよう言ってくれた。レイヴァンに深く感謝しつつ、マリアはふたりに促されるまま会場をあとにした。


「ありがとう、ふたりとも」


 月のかおりがただよう中庭が近い廊下へ出て、マリアは気の抜けた笑みを浮かべて二人に告げた。けれど、ふたりの双眸はけわしげに揺れる。


「マリア様、少しお時間いただいてもよろしいですか」


 レイヴァンの言葉に何かあったのだろうかと考え頷くと、漆黒のマントがゆれてマリアを横抱きにした。


「申し訳ございません、その靴では歩きづらいと思いまして」


 おどろいたが「かまわない」と答えると、レイヴァンはちいさく微笑むだけにとどめ夜の気配が満ちた廊下を駆けていった。



 しばらくして、ひとけが少なく古い扉の前へ来ると兵士が槍を持って立っていた。どこか焦燥した表情のふたりにレイヴァンが「中へ通してくれないか」と言えば、すんなりと中へ入ることに成功する。いままで、訪れたことのない部屋にマリアは、やや戸惑ったがレイヴァンに降ろされて、まだなれないヒールの靴で床の上に立ち、硝子ケースの中にあるものを覗き込んだ。薄暗い部屋の中で、天井にあるステンドグラスを通し射し込む月の光を反射して銀の鎖がかがやく。元は首飾りであったのだろうが、引きちぎられて無残な姿へと変貌していた。


「これはいったい……」


 つぶやいたマリアの後ろでソロモンが眉間に皺を寄せる。


「これは正当なる王位継承者に贈られるものです。即位するまで身につけなくてはいけないもののはずですが」


 こうなっては、身につけることもできないとソロモンが言えばとなりにいるレイヴァンも無言でうなづく。これでは、儀式を執り行うこともできないであろう。むしろ、この状態で儀式を執り行えば沽券に関わる。


「どうやら、姫様を継承者と認めたくない者がこの城の中にいるようです」


 ふたりを振り返りマリアが「そんな」と声をあげた。ソロモンは、顎をさすりながら黙り込む。いくつか、はかりごとをめぐらせているのだろう。レイヴァンも表情は晴れないままであるが「会場へ戻りましょう」とマリアに告げる。騎士らしく差し出された手をマリアは取りながら、表情を硬くしていた。

 それから、廊下へと出るとソロモンは考えたいことがあると言い、部屋へ戻ってしまった。もとより夜会に出ることも嫌であった様子なので、もう戻ってくることもないだろう。


「マリア様、中庭へ出ませんか」


 レイヴァンの申し出を受け入れることにした。正直、夜会に戻るのはつらく感じていたのだ。

 手を引かれるまま中庭へ出ると冷たい風が頬を撫でる。身震いすれば漆黒のマントがマリアの肩にかけられた。


「着ていて下さい」


 かすれた声で「ありがとう」とマリアはかえした。そのあと、レイヴァンに向き直り口をひらく。


「レイヴァンは、今回のことどう思う?」


「そうですね、マリア様が即位することをよく思わない者がいるのでしょう」


 城に出入りする人である可能性が高い、とレイヴァンが言葉を紡いでマリアに向き直る。視線を見つめ返しながらマリアは、凜然とした瞳でくちびるをひらいた。


「確執があるのだろうか」


 言葉にして青い瞳がゆらいだ。彼女の心には、不安が募っていることだろう。不安を包み込むように黒い瞳が細められた。


「そうかもしれません。けれど、ないかもしれません。俺は、あなたが心配することなど何もないなどとは申しません」


 黒い騎士の体がゆれて、片膝が地面に付いた。


「どうか、あなたが思うままに」


 さきほどとは打って変わって、低い位置にいるレイヴァンの顔をマリアは見つめた。蒼穹の瞳に光が産まれてレイヴァンに笑顔をこぼした。


「まだ何一つかえせないけれど、わたしの臣下でいてくれてありがとう」


 言葉を紡いでマリアは、“王子の表情”にかわると告げた。


「わたしは、何も知らぬままの阿呆でいたくはない。力を貸してくれるだろうか」


「あなたの仰せのままに」


 かしづくレイヴァンが頭を低く下げる。すると、闇の中で静寂をやぶる洋琵琶リュートの音が風にながれてくる。おどろいて、そちらを向けばいままでなりを潜めていたギルが月明かりの元へ出てきた。


「おや、正騎士長様はお姫様と逢い引き中ですか」


 あいかわらずの軽口で言葉をすべらせるギルにマリアが反対しようとしたとき、レイヴァンが先に言葉を吐いた。


「そうだ、だから邪魔をしないでもらおうか」


 何を言い出すのかと思って、まじまじと騎士を見つめる。けれど、騎士は真剣そのもので冗談でかえしている様子ではなかった。

 ギルがややひるんで、軽口でかえす気にもなれず肩をすくめた。


「お姫様は、そんなつもりではなかったようですぞ」


「それはいけない」


 ギルにそう返して、レイヴァンがマリアの肩をつかむ。くちびるの口角が上がり、瞳がいやらしくきらめいた。


「あなたにはもっと“自覚”をしていただかなくては」


 目の前にいるのはレイヴァンであるはずなのに、どこか恐怖を覚えうろたえる。先ほどまで、黒い瞳にはやさしい光が宿っていたというのに、今は武器を持ち戦うときの瞳と同じで冷たい光を宿している。彼自身は気づいていないのだろうが、戦いとなると彼の瞳はひどく凍えて見える。瞳の色も彼自身も何一つ変わっていないのに、淡々と戦場を見つめる目は、どこかおそろしくマリアには感じていた。


「な、なにを……」


 震える声でマリアは尋ねた。“姫”である自覚が足りないのだろうかとマリアが考えたとき、レイヴァンの瞳があやしくきらめいた。


「もちろん、女性であるという自覚ですよ」


 日に焼けた無骨な手がマリアの頬にふれ、輪郭をなぞる。体をふるわせて、目をとじたマリアの首筋に舌を這わせた。あでやかな声が桜色の唇から漏れれば、レイヴァンはにやりとした。


「そんな声で俺を誘惑して、いけないお姫様ですね」


「違う!」


 ささやかれた言葉にマリアがすかさず、否定したけれどレイヴァンの手が下へ下へと滑っていく。ドレスの上から腰をなでられ、魅惑的な声をあげてしまう。マリア自身も逆上せていくのを実感する。


「おひめさま?」


 唐突に幼い声がひびき、レイヴァンはあわててマリアから離れるとフィーネが中庭へ出ていた。此度の夜会には出ていないから、服装がいつものワンピースだ。


「フィーネ、どうかしたの?」


 マリアが尋ねると、フィーネのうしろからレジーとジュリアもあらわれた。どうやら、マリアをさがしていたらしい。


「そろそろ、夜会に戻って欲しいって陛下が」


 三人の代表してレジーがつげれば、マリアはつかれた笑みをうかべて「わかった」と答えた。正直、夜会に戻るのは気が重いのだ。


「マリア、つかれてる?」


 レジーが無表情で問いかける。レジーには嘘が通らないから、マリアは素直にうなづいた。


「実はね、夜会に出たことがないから疲れてしまって」


 それに継承者の証である首飾りが砕けていたことのほうが、気になっていたのだ。


「それでしたら、陛下に申して姫様を休ませてもらうよういいましょうか」


「いや、主役であるわたしが抜けては意味がないだろう。大丈夫だよ」


 申し出たジュリアにマリアは、かえすとレイヴァンを振り返って「戻ろう」と一言いえばレイヴァンは「はい」と答え、騎士らしくマリアの手を取ると夜会の会場へと戻っていった。



 黒いマントをレイヴァンにかえし、会場の扉をくぐるとゆるやかな宮廷音楽がとまり、貴族達がざわめく声と男の怒りが孕んだ声がひびいていた。


「なんだと、おぬし、なんと言った?」


「ああ、何度でも言ってやるさ。お前は、領地の者から王によって決めらた税の倍を徴収しているそうじゃないか」


 闇色のヒゲをたくわえた悪人面の貴族がいった。すると、先ほどさけんでいたやせた貴族は、こぶしを握り締めて感情を押し殺しながら口をひらく。


「いいえ、陛下。わたくしは、そのようなこと、行ってはおりませぬ」


 血走った瞳を向けられれば、王が辟易しながらも「まあまあ、おちついて」と二人の間に入ってなだめる。とても、王の行動とは思えないが王らしいとだれもが思った。


「陛下、いったいいかがなさったのですか」


 ひとつ溜息をついてから、レイヴァンが低い声で問いかけた。王は、ほっと息を吐きつつ、マリアとレイヴァンに駆け寄る。


「おお、マリアにレイヴァン。二人とも、戻っていたのか」


 言った後、小声でベルク公爵閣下が、ロイス侯爵が不正を行っていると言い出したらしいことを教えてくれた。どうやら、黒いヒゲの男がベルク公爵でやせた男がロイス侯爵と言うらしい。


「レイヴァン、二人をとめてもらえないだろうか」


 貴族同士のいさかいに介入するのは、どうも嫌なのかレイヴァンは微妙な顔をする。王族に次ぐ地位である正騎士長であるため、貴族に口出ししても問題のない身分であるが、気が乗らないのだろう。ひとつ、息を吐き出して何か言おうと口を開いたとき。


「お二人とも、いかがなさいましたか」


 場に似つかわしくない柔らかい声がひびく。うすい緑色のドレスを纏ったディアナがあらわれたのだ。そして、二人に笑顔を向ければ二人して恐縮し頭を下げる。


「これはこれは、ディアナ閣下。お見苦しいところをお目にかけてしまい、申し訳ございませんでした」


 うったえを起こしたベルク公爵が我先にとあやまった。表情には、あせりが浮かんでいる。


「まさか、あなた様がいらっしゃるとは思わず」


「あら、私がいなかったら何をするおつもりだったの?」


 微笑みを浮かべているのに、腹の底まで見透かすような瞳にみすえられベルク公爵は冷や汗を浮かべつつ口をひらく。


「い、いいえ、何もいたしません」


「なら、良いのだけれど」


 青い瞳がするどく光る。けれど、すぐにいつも暖かな眼差しへと変わり「さ、夜会を続けましょう」と言えば、会場にいる音楽団が音を奏で始めた。


「姫様、夜会は楽しんでおりますか」


 ディアナの視線がマリアに変わって、明るい口調で問いかける。呆然としつつマリアが「ええ」と答えると、儚げな笑みを浮かべて「よかった」とつぶやきがかえってきた。


「ディアナ、助かった。一時はどうなることかと」


「お兄様、あなたがしっかりしなくては駄目ではないですか」


 ディアナに返す言葉もないようで、王はうなだれてしまう。そんな王をよそにディアナは、再びマリアに笑顔を向けた。


「此度は姫様が正式に王位継承者となった宴です。楽しまなくてはいけませんわ。そうだ。せっかくですから、だれかと踊りませんか」


 今まで男として生きてきた上、“姫”としての教育はまったく受けてこなかったマリアである。とうぜん、踊り方など知るはずがない。ダンスの腕よりも、剣の腕の方があきらかにまさっている。


「いや、わたしはかまわない。皆で楽しんでもらえれば」


 マリアが答えると、いつの間にかディアナの後ろにいたリカルダが「何をおっしゃっていますの」と声をあげた。


「一回は踊らないと、失礼に当たります」


 ディアナもリカルダの言葉に賛成を示して、大きくうなづく。そのあと、リカルダもフィーネも自分が運営している孤児院であずかることになるから会いにくくなることと、リカルダは貴族として最後の夜会になるのだから姫様の踊っている姿を見せてあげてくださいと告げた。


「しかし、わたしは踊ったことがないし」


 ちいさくなりながらマリアが言うと、無骨な手がすっと差し出される。


「よろしければ、わたくしのお相手を願えますか。姫様」


 言葉を紡いで頭を垂れているのは、レイヴァンであった。たしかに、レイヴァン相手であれば気を遣わなくても良いと思い、その手をとった。

 黒い騎士に手を引かれ、会場の中央へと滑り出る。いささか、緊張したがレイヴァンに任せるままに動いていれば、なんとなく踊れている気がした。

 しかし、ダンスを終わってリカルダの元へもどれば「なんという踊り方をしているのですか」という声をあびせられたのは、いうまでもない。

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