第24話 西原千華

 和臣が今日一日の予定を反芻して、美咲に謝りに行く時間が無いと知ったのは、よりによってこの日の朝になってからであった。

 午前中から閉店までみっちりバイト。その後は『Honey Sweet』を貸し切り西原一家の送別会。条例の許す限り夜が更けるまでどんちゃん騒ぎだ。

 和臣の知る限り、神楽坂ハルカ、西原文華の両名は酒癖がひどい。さらに『かぐら』と『Honey Sweet』が揃って翌日を休業日にしている事実から推測される通り、夜通し飲む気満々である。最悪、和臣も逃げられないだろう。


「せめて美咲の連絡先を聞いておけば……いやいや、電話やメールでだなんて」

「和臣ー! バイト遅れるわよー!」


 リビングから急かすような母の呼び声。当の彼女は父・堅吾と共に貴重な休暇をとって出かける予定でいる。


「……とにかく、行ってから考えよう」


 遅刻してはいけない。ヘアゴムに変身したフローを手首に通し、荷支度を済ませて家を後にした。




 結局、バイトが終わるまで美咲のことを考えながら、一度も会うことはできなかった。

 三十分間の休憩時間に、往復を考えてもギリギリの距離にある美咲の家まで走って行ったものの、どうしてもインターホンが押せずにおめおめと逃げ帰ってきてしまったのである。

 情けない。これでは昨日とやっていることが同じである。


「はぁ……」

「元気ないぞ若人ぉー!」

「あっ、て、店長」


 仕事を終えてエプロンを脱いでいたところに、ハルカが勢いよく背中をバシバシと叩いてきた。痛くはないが、仮にも更衣中なので遠慮が欲しいところではある。


「何~早乙女ちゃん。私と離ればなれになるのがそんなに寂しいの?」

「さ、西原さんっ……」


 あすなろ抱きよろしく、モデル体型の文華がのしかかるように抱きついてくる。まさか、もう酔っているのだろうか。


「早乙女ちゃんも、もうお隣移動してていいよ」

「あ……はい。わかりました」


 心ここにあらずな調子で返事した後、はっと我に帰る。このテンションのまま送別会に参加したのでは、皆にいらぬ気遣いをさせてしまう。

 うじうじ悩んでいても仕方ないと、和臣は割り切ることにした。美咲のことも大事だったが、今は目前に迫った西原家の送別会に心を向けなくては。


「……よし!」


 一人、気合いを入れ直す。拳に入れた力に応じるように、手首の白い鈴がちりりんと笑った。




『かぐら』の門を出て、すぐ隣にある小洒落た洋風の店構えをしたスイーツショップ『Honey Sweet』の扉を開ける。

 カウベルの音とともに和臣を出迎えたのは、数週間ぶりに見る幼なじみの顔。


「こんばんは、先輩」

「千華ちゃん。こんばんは」


 本日の主賓のひとり、西原千華の柔らかい笑顔が待っていた。


 烏の濡れ羽を思わせる艶めく黒髪。髪型は背中までのロングストレート。吸い込まれるようなダークブルーの瞳。白磁のように美しく透き通る肌は、思わず触れてみたくなる。

 服装はピュアホワイトのフロントフリルブラウスに、対照的なインディゴブラックのロングスカート。ブラウスのボタンは一番上まできっちり留め、襟元にはリボンタイの代わりに真紅のバラのブローチ。淑やかさの中に一粒の『情熱』が力強く煌めく。

 全体的にシックにまとまっていて落ち着いた印象を受けるのだが、ワンポイントのブローチがアクセントとなって雰囲気を引き締めている。千華の好きな花が赤いバラというのは以前に聞いたことがあったが、それを効果的にファッションに取り入れているテクニックは和臣をして畏敬の念さえ抱かせるほどだった。


「高校生活はいかがですか、先輩?」

「楽しくやってるよ。面白い友達もできたんだ」


 部屋の隅にある来客用のソファーに並んで腰掛け、久しぶりに会った後輩と他愛ない話に花を咲かせる。

 何か準備を手伝おうとやって来た和臣だったが、この様子では作業を始めれば千華も嬉々として追従してしまう。送別会の準備を主賓の愛娘に手伝わせるわけにもいかない。

 先に来ていた拓治や他の従業員、会場主である八樒家の面々もそれをわかっていたらしく、彼女を引き付けておける人物の登場を待っていたようだ。なので仕方なく和臣は「囮役」に甘んじることにした。

 もっとも、こうしてゆっくり話せるのは今日が最後になってしまうかもしれないので、和臣としては喜ばしい機会ではあったのだが。

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