早乙女くんとマンドラゴラ
リン・シンウー(林 星悟)
第0話 あるちっぽけな存在の末路
喉が焼けるように熱い。
全身の血の気は水を打ったように静まりかえっている。
声が、出ない。出し方を忘れたわけではないが、どういう言葉を発するべきかも考えつかない。ちっぽけな脳味噌が、目の前に広がる光景を理解することを全力で拒んでいる。
「あがっ、いっ、ぃだ、ぁ、痛い、いだぁぁぁあい‼」
そんな断末魔の叫びも、どこか遠くの世界から聞こえているかのようだ。
両の脚を喪い、逃げることも叶わず、むせかえるような臭いの体液を撒き散らして這いつくばる「それ」は、ほんの目と鼻の先の距離で喚き立てているのに。
……目が、合う。
「ぐっ、うぅっ、た、助っ、げ、でぇ」
当然そうなる。
人畜無害そうな顔だ、と人にはよく言われる。
勿論こっちだって、残る四肢を食い千切ってやろうなんて考えもしていないのだから、そういった意味では無害この上ない。この姿が前門の虎に映ったのなら、わざわざ這いずってまで助けを求めたりはしないだろう。
けど、助けてと言われハイわかりましたと助けてあげられるほど、少年漫画の主人公じみたヒロイズムを持ち合わせてもいない。
現に今この時だって、腰を抜かして冷たく濡れた砂利道に手をつき、間抜け顔でへたりこんでいるだけだ。
……だって、あんな化け物。
一介の高校生男子の手で、どうにかできるわけがない。
「⁉ ぃッ、嫌だ……いやだぁぁあっ‼」
やがて脚の嚥下を済ませたのか、後門の狼――不揃いな牙を並べたあまりに暴力的な見てくれの
沈みかけの太陽に照らされたその牙の奥は、夕陽よりもなお紅く、夕闇よりもなお昏く。
「たッ……助けで……! な、なん、ッ、でもずる、がらぁ……!」
頭上に迫る顎を虚ろな目で見上げ、力なく喘ぐ哀れな「獲物」。何もかも無駄だ。そう確信していながら、なおも足掻き生にしがみつくその執着。
尤も、かの大口――否、「牙を持つ巨刃」に……命乞いを聞き入れる耳が備わっているようには到底見えなかったが。
「ぁ、や、やめ……! ッぉぐぅッ⁉」
忽然。
視界から「それ」が消えた。
「ぁぁぁぁあ……!」
いや、上だ。放り投げられたのか、蹴り上げられたのか。欠けた身体が宙を舞い、傷口から飛び散る痛みの象徴が、茜空に醜悪な虹を描いていた。
自由落下を待ちわびる大顎は、さながら星を見上げて哀愁に耽る無邪気な少女の瞳のようで。
「――――ぁ、」
ごしゅっ。
身が潰れ骨が砕ける音を奏で上げながら、肉食の瞼が固く閉じた。
「――――」
ひと呑みだった。
「はっ、はは」
数年ぶりに聞いたかのように思えた自分の声は、ようやく絞り出された最初の声は、冗談みたいに乾ききった笑い声だった。
何より可笑しいのは、その「食事」の一部始終を目の当たりにしてなお。
ここから逃げ出すどころか、指先ひとつも動かせずにいるという事実だ。
ああ、そうだ。脚なんてあってもなくても同じなんだ。動けないんだから、逃げられるわけがないんだ。
嘘のように静まり返った、紅の世界で。
不揃いな睫毛から滴り落ちる、どす黒い涙の臭いが鼻をつき。
再びゆっくりと開かれた顎の奥……紅く昏い瞳に、吸い込まれてしまった時。
僕、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます