北葉高校放送部日誌:短編集

朝海拓歩

大丈夫なんて信じない

「ホント、あいつら良いよねー。だるい行事のたびに隅っこでサボれてさ」

 そんな言葉を投げつけられた瞬間、日野先輩の表情は凍り付いた。

 行事の休憩時間、全校生徒が集まる体育館の隅にある音響ブースで待機していた俺と先輩だけがその言葉を聞いた。俺と同じ新2年生の榊は、遠いステージの上で次の発表のための準備をしているのでもちろん聞こえないだろう。他の生徒は、トイレに行くなり外の空気を吸う為に慌ただしく俺たちの前を通り過ぎて行く。

 悪意を投げつけてきたのは、見知らぬ3人の女子グループだった。上靴の色から判別すると、日野先輩と同じ新3年生のようだ。



 今日は我が北葉高校の入学式だ。そして入学式のあとには新入生たち歓迎しつつ部活動なんかを紹介するPRタイムがある。そこで俺たち放送部は生徒会に協力して、体育館で使用されているマイクやスピーカーなどの音響を一手に引き受けて会をサポートしていた。

 しかし、今の放送部にはこれら行事への協力が結構な重荷になっている。毎年やっていることだけれど、新2年生の俺と榊、新3年生の日野先輩の3人だけでは明らかに人手が足りない。

 本当なら、俺たちこそ新入生獲得のために派手なアピールを行いたいところだけれど、音響の仕事があるからそうもいかない。

 結局、アナウンサーである日野先輩がマイクで呼びかけをするだけと決まってしまった。学校行事のために尽くしている俺たちが不遇なのは、なんだか納得いかない話だ。

 そんな不満を、先輩についこぼしてしまったのだけれど「気持ちはわかるけど、腐っていても仕方ないじゃない。腕の見せ所だと思って頑張りましょう」と明るい声が帰ってきた。

 先輩は大人だ。俺はまだそんな風には思えなかった。



 だから、そんな気持ちで運営をしている俺たちに向かって、さっきの言葉はあまりに酷い。俺は相手が上級生であることも女子であることも忘れて食ってかかった。

「俺ら別に、サボってるわけじゃないっすけど」

「は?」

 怒りを隠そうともしない俺の声音に反応して、通り過ぎようとしていた女子グループが立ち止まった。日野先輩が驚いた表情で俺を見る。女子グループは俺を無視して、先輩に話しかけてきた。

「日野サーン、この子何?後輩のしつけがなってないんじゃないの?」

 リーダー格らしい、茶髪でショートの女子生徒だ。化粧をしているらしいが、ややつり目な顔立ちが好戦的な性格をよく現していた。というか似合いもしない化粧が逆にイタいんだよ。

 俺は心の中で毒づいて言い返そうとしたけど、先輩が先に口を開いた。

「八代君は良い後輩だよ。それに、私たちも結構大変なんだから。行事のたびに生徒会に言われてやってるだけだよー」

 先輩が苦笑まじりの曖昧な笑顔で取り繕うのと同時に、休憩時間が終わりチャイムが鳴った。生徒がばたばたと体育館内に戻ってくる。つり目の女子はまだ何かを言いたげだったが結局一瞥するだけで仲間と自分たちのクラスに戻っていった。

 部活紹介が再開され、音響ブースにはまた俺と先輩の二人だけになった。

 先輩はさっきの事なんて無かったかのように普段通りの顔でマイクの点検を始めた。

 俺はまだ先ほどのやりとりが尾を引いており、まだイライラが収まらない。あんなこと言われて先輩は悔しくないのだろうか。昨日、「腕の見せ所だ」なんて言ってたくせに「言われてるからやってるだけ」だなんて、真に受けて頑張ろうと思った俺が馬鹿みたいじゃないか。

 先輩にそう問いただそうとしたのだけれど、先に先輩が「あ」と声を漏らした。何やらマイクに異常があったらしい。

「これ電池が切れちゃってるみたいだから、ちょっと部室から取ってくるね。すぐ戻るから」

「あ、はい」

 タイミングを逃した俺は、ぱっと駆け出した先輩をぽかんとした顔で見送った。マイク、昨日ちゃんと確認したと思うんだけど。



 音響ブースで仕事をしながら、部活の紹介が続いているステージの様子を眺めていると次第に落ち着いてきた。悔しさの炎は弱火になり、先ほどの状況を冷静に考えられるようになる。

 あれは、先輩の対応がベストだったのかもしれない。あいつらが戻っていったクラスを見ると、どうやら先輩と同じクラスらしい。クラスでのもめ事は避けるに越したことはない。俺たち放送部員は、ただでさえクラスに馴染みづらいのだから。

 放送部は、昼休みは昼放送のためにほぼ放送室で過ごす。そうなってくると必然的にクラスの友人と過ごす時間は少なくなってしまい、友人と親睦を深める時間はなかなか作れないのだ。

 俺と榊は男子だからまだ良い。ただ、先輩はクラスの女子グループで微妙な立ち位置に居るのかもしれない。いや、女子のことなんて俺にはよくわからないんだけど。

 そんなクラスのことを考えたら、あまり強い言葉は使えないだろう。そして自分のことが気に食わない相手は、内容の正否に関わらず反論すると余計に攻撃してくる。

 だから、無視も反論もせず曖昧な言い方で流してしまう方が良い。部活もこの春の大会で引退だし、受験のときのクラスで波風を立てるのはリスクが高いだろう。

 頭が冷えれば俺にもそう思えたけど、咄嗟にあんな対応を出来るなんてやっぱり先輩は大人だと思う。だけど頑張ってることを馬鹿にされても言い返せない環境なんて、やっぱり悔しいし間違ってる気がする。

「俺、まだまだガキなのかなー」

 音響ブースに戻ってきた榊に話しかけてみる。

「未成年だからな」

「そういう話をしてるんじゃなくてさー」

「じゃあどういう話なんだ?」

 先ほどのあれこれと自分の考えを説明するのが面倒くさくなって「なんでもない」と口を閉じた。もともと無口な榊はそれ以上追求はしてこないようで、仕事に集中していた。



 部活動の紹介も後半に差し掛かった。派手な運動部たちによるパフォーマンスは終わり、比較的地味な文化部の紹介へと突入している。

「ところで、先輩はどこ行ったんだ?」

「さっき部室にマイクの電池取りに行ったはずだけど」

 榊はステージと式のスケジュール表を一瞥して言う。

「それにしては遅くないか。もうすぐウチの順番も回ってくる」

 確かにそうだ。物思いに耽っていたから気付かなかったが、あの休憩時間から随分経つ。

「わかった。ちょっと部室見てくるわ」

 榊を音響ブースに残し、駆け足で放送室へ向かう。少しの間ひとりになってしまうが、文化部のパフォーマンスで複雑な音響のものは無いし、何かあっても榊なら大丈夫だろう。見た目通り無骨な職人気質のあいつは、既に先輩よりも機材の扱いに詳しい。

 考えてみれば、日野先輩と榊、二人に混ざった自分はどう見えるんだろう。

 俺は要領が良い事は自覚してるし、なんでもそれなりにこなせる。だけど、これなら誰にも負けないというような特技も、トップを狙えるような総合力もない。足は引っ張ってないとは思うけど、なんだか2人とは差がついているようで少し凹む。



 あっと言う間に放送室の前に着いた。ドアノブをひねって重いドアを開ける。

「せんぱーい、もうすぐ俺らの番が来ちゃいますよー」

「あ!ちょっと待っ」

 先輩の言葉よりも俺がドアを開ける方が早かった。俺はドアを咄嗟に抑えようとした先輩とぶつかりそうになったけれど、問題はそこじゃない。

 ぶつかりそうな至近距離で見た先輩は、泣いていた。

「す、すみません…!」

 動揺した俺はすぐ廊下に出てドアを閉めた。なんだ、どうしたんだ。俺何かした?ってそんなわけない。俺が来る前から泣いてたんだ。じゃあ、いったい…。

 混乱した俺にドアを少しだけ開いて先輩が話しかける。防音扉なので閉めると声は聞こえないからだ。

「ごめんね。直ぐに戻るから、先戻ってて」

 涙声と鼻をすする音が、涙は見間違いじゃないと裏付ける。そこで、はっと気付いた。もしかしてさっきの…?

「…あの、あんな人達の言うことなんて気にしなくて良いと思います」

「…ありがとう」

 そう言うと、先輩はまた黙ってしまった。俺も、何を言えば良いのかわからない。沈黙が痛かった。

「…普段はね、あんなことくらい全然平気なんだよ。最近入学式の準備で忙しかったから、ちょっと疲れてたんだと思う」

 入学式の音響は放送部が担当しているけれど、主催は生徒会だ。今の生徒会長は癖のある人物で、先輩と事あるごとに衝突していた。俺たちよりもずっと矢面で気を張っていたのだろう。

「あーぁ、カッコ悪いとこ見せちゃったなぁ。ごめんね、こんな部長で」

 その弱々しく苦笑する声を聞いた瞬間、胸がぎゅっと苦しくなる。俺は先輩にかける言葉も見つけられず、その場に居る事にも耐えられず「先に戻ってます」とだけ言って逃げるように体育館へ駆け出した。



 大人だと思っていた。強いと思っていた。たった1人なのに、俺たち後輩をぐいぐい引っ張ってくれる頼もしい先輩だった。自分もあんな先輩になれるだろうかと不安に思うほど、俺の中で日野先輩は完璧だったのだ。

 でも。

 どこかで無理をしていたんじゃないだろうか。

 旧3年生の先輩方が引退してから、たった3人になってしまった放送部。自分しか引っ張る人がいないというプレッシャー。新入部員の後輩はふたりとも素人で、しかも男子だった。優しく教えてくれたけど、イラつくこともあったのかもしれない。

 さっきまでは“先輩”だから大丈夫だと無邪気に思っていた。

 そんなわけがない。

 年上だから大丈夫だなんて理屈は大きな間違いだ。

 年上だろうが先輩だろうが、弱気にもなれば傷つきもする女の子なんだ。



「日野先輩は?」

 体育館の音響ブースにひとりで戻って来た俺に、榊が不審な眼を向ける。

「なんだか体調が悪いみたいなんだ。間に合わないかもしれないから、いざという時は俺が代わりに勧誘原稿を読む」

「…そうか」

 榊の何か言いたげな視線を感じたが、俺は気付かないフリをして言葉を続ける。

「大丈夫、ちゃんと読めるって。いつまでも先輩に頼りっぱなしってワケにはいかないだろ」

「そうだな。先輩は、ひとりで頑張り過ぎるからな」

 意外な返答だった。もしかして、榊は気付いていたのか。榊が黙々と機材の勉強をしているのは、単に職人気質だからかと思っていた。

 けれど、もしかして先輩のためだったのか?俺はまじまじと榊を見つめてしまった。

「俺の顔になにかついてるか…?」

「いや、なんでもない」

 慌てて榊から視線を外し、ステージに向ける。今は茶道部の発表か。ということは、放送部は次の次…。

 俺は準備のために原稿に眼を落とした。目の前にいないだけで、全校生徒に向けて放送するなんて普段からやっていることだ。大丈夫、絶対できる。小さな声で何度も読んでいるうちに、茶道部の発表が終わった。次の数楽研究会の部長が女子部員と一緒に壇上に上がり、マイクに向かって喋り始めた。

 そこで、先輩が戻って来た。涙のあとなどは見当たらない、いつもの先輩がそこに居た。

「ごめんね2人とも、遅くなっちゃって」

「大丈夫ですか?具合悪いなら原稿は八代が代わりに読むんで休んでてください」

 榊が気遣うように声をかけると、先輩はきょとんとした顔をして俺の方を見る。とたんに顔が熱くなるのを感じた。なんだこれ、別に悪いことしたわけじゃないのに恥ずい…。

 たまらず視線を逸らした俺に、先輩はすっと近づいてきて俺の手から原稿をつまみ取った。

「ありがとう、八代君、榊君。でも、大丈夫だから」

 いつも通りの明るい声音ではあったけど、その言葉にまた無理をしてるんじゃないかと思い、俺は反射的に口を挟む。

「あんまり一人で無理しないでください。俺も榊も、ちゃんと居るんです」

「技術部のことは、もう俺の方が出来ますし」

 榊も加勢してくれて、二人で先輩に釘を刺す。もう絶対にひとりで頑張らせたりはしない。

 思いのほか真剣な二人の男子に詰め寄られ、先輩は少したじろいでいたけれど、直ぐに観念したようにため息をついた。

「はぁ、いつの間にか逞しくなっちゃって。1年前はあんな風に可愛かったのになー」

 言いながら初々しい新入生たちの列を見やる。

「先輩っ、俺ら真面目に…!」

 からかい口調に腹が立った俺の言葉を遮って、先輩は微笑む。

「冗談だよ、ありがとう。もっと頼るようにする」

 柔らかな笑顔の中に、ほんの少し困ったような、申し訳なさそうな気持ちが混じった表情だった。先ほど泣いていたせいか、ほんの少し頬が赤い。

 眼が離せない。先ほどの泣き顔と笑顔が、頭の中で交錯する。あぁ、ダメだ。俺はもう、後戻り出来そうも無い。

「そろそろ、発表の準備を」

 榊の呼びかけで目が覚めた。そうだ、今はまず対面式の仕事をしなければ。えーと、何をすればいいんだっけ。俺が混乱しているうちに、先輩は原稿を持ってマイクの前でスタンバイしてしまった。

「原稿は私が読むから。これはアナウンサーの仕事。新入部員たくさん掴まなきゃいけないから、気合い入れて読むわよ」

 壇上では、数楽研究会の部長が意味不明な数式の解説をしていたのだが、長過ぎて女子部員が無理矢理退場させているところだった。

 生徒会の司会者が進行を進める「それでは、最後に紹介するのは放送部です!放送部はこの式の音響も担当してくれています!それでは、どうぞー!」。テンションの高い司会者からのフリからひと呼吸置いて、日野先輩が原稿を読み始める。

 その日聞いた先輩の声は、今までの中で1番堂々としていて、それでいて澄んだ綺麗な声だった。

 多分、ずっと忘れられないだろう。



 少しだけ後日談。なんと今年は5人もの新入生が放送部に加わった。

 これまで比較的に静かだった放送室は、一気に賑やかになった。女子部員が3人も入ったため、先輩も嬉しそうだ。経験者も居るようだし、大会に向けて今までより面白いことが出来るかもしれない。

 新入生が入るにあたり、3人で部の体制を話し合った結果、アナウンスは日野先輩が、技術は榊がメインで新入生を教えることになった。異論はないけれど、そうなると俺は何をすれば良いのか戸惑ってしまう。

 平部員として気楽にやろう、なんて気持ちにはなれない。俺はちゃんと部を、先輩を支える力になりたかった。

 そこで考えたのは、後輩と積極的にコミュニケーションを取ることだ。後輩がなんでも話せる面倒見の良い兄貴分になる。部をまとめる上で、そういう上級生と下級生の橋渡し的な役割は結構大事なんじゃないだろうか。

 日野先輩は部長としての仕事もあるし、最後の大会に集中させてあげたい。榊は真面目で良い奴だけど、フランクな関係を築くのにはきっと時間がかかるだろう。

 これはきっと俺にしか出来ない、俺の役目だ。

 もう一人で頑張らせたりはしない。隣で一緒に頑張っていく。

 先輩にはまだまだ届かないけれど、必ず追いついてみせる。

 そしていつか、追いついたそのときには――。


fin

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