【R15】魚(うお)に願いを【なずみのホラー便 第11弾】

なずみ智子

魚(うお)に願いを

 いつもの兄妹喧嘩で終わるはずであった。

 そのはずであった。




「ひどいよ! お兄ちゃん!」

 冷蔵庫近くのごみ箱の中をのぞきこんだチセが金切声をあげた。

 

「ん? なんだよ? お前、何そんなに怒ってんだよ?」

 チセとは1才違いで小学校4年生の兄・ケントが、心の底より不思議そうな声で彼女に問う。


「”何そんなに怒ってんだよ”じゃないよ! お兄ちゃん、私の分の納豆巻き食べたでしょ!! お母さんが1人1つずつ買ってきてたのに、お兄ちゃん私の分食べたでしょ!!!」


 ”チセの喚き”にケントはニヤッと笑う。

「だって、お前、なかなか食べなかったからさ……いらないかと思ってよ。俺は男だからお前より腹だって減るし。それに、食べ物ってのは賞味期限ってもんがあるんだぜ。納豆巻きしかり、卵しかり、お肉しかり、お魚サンしかりって具合にな♪ 食べ物を粗末にしちゃいけないから、俺の胃袋におさめさせてもらったんだよ」


「もう! 楽しみにしてたのに! 私、納豆巻き大好きなのにぃ!! 納豆巻きだけじゃないよ! お兄ちゃん、前にお父さんの友達がお土産にくれた海老せんべいだって、いっぱい食べてたじゃん!!!」

 食べ物の恨みは怖い。

 涙を滲ませ、地団太を踏み始めたチセに、ケントはわずかばかりたじろいだ。


 だが――

「あーはいはい。お兄ちゃんが悪かったよ。でも、あの納豆巻きはまた、お母さんが買ってきてくれるだろうから、そう気を落とすなって」

 玄関へとそそくさと逃げていくケント。

 もちろん、チセは追いかける。


「ついてくんなよ。今からマサやテツたちと遊ぶんだからよ。妹なんか連れていけるかっての」

「誰もついてなんかいかないよ。でも、ほんと”いつも”ひどいよ! お兄ちゃん!!」

 チセの蓄積されていた怒り。その噴火の勢いはなかなか静まらない。


「……機嫌直せよ。ガシャポンでお前の好きそうなの、出してきてやるから」

「いらない! そんなの!」

「あーそうかい」

 フンとそっぽを向いたチセ。

 バタンと閉じられた玄関のドアの向こうより、ケントがタタタタ、と駆けていく音が聞こえた。




「お兄ちゃんの馬鹿……」

 玄関にポツンと取り残されたチセが、わずかに滲んでいた涙をぬぐう。

 チセももう小学校3年生であるため、この程度のことで声をあげてワンワン泣きはしないも、兄・ケントに自分の気持ちを取り合ってもらえないのは、やはり悔しい。



 ふと、玄関を見回したチセ。

 その時、チセはふと”ある物”と目が合ったような気がした。

 それは靴箱の上に飾られている”魚の置物”であった。


 鈍色の鱗、ギョロリとした赤い目、開いた口から除く鋭い乱杭歯。

 しゃちほこを思わせるポーズで鎮座しているその魚は、どこかキュビズムを感じさせる不思議な雰囲気を漂わせている置物であった。

 

 さらに言うなら、この魚の置物は数か月前、家族皆で骨董市に行った時に見つけて、我が家に迎え入れたものでもあるのだ。

 一目見た瞬間、チセはこれがなぜかとっても気になり、金額も500円と高くはなかったため、チセ自ら何かに突き動かされるように両親にねだったことを今でも覚えている。

 兄・ケントは「げ……趣味悪ぃ」と笑い、父も「ん~もっと他に女の子らしいのあるんじゃないかな」と苦い顔をし、母も「芸術なのかもしれないけど、全く持って可愛くないね」と渋々この魚の置物を買ってくれた次第であった。



 それから、数か月――

 この置物の定位置は、玄関の靴箱の上となっていた。

 毎日、学校に行くチセを見送ってくれ、学校から帰ってきたチセを迎えてくれていたというのに、正直、チセは置物の存在などすっかり忘れていた。



 だが、今日はこうして魚の置物と目が合ってしまった。

 自分のつらい気持ちと悔しさをくみ取ってくれる同士が、そこにいたかのような心強さをチセは感じた。


「……お兄ちゃんなんて、酷い目に遭っちゃえばいいのに」

 思わずポツリと呟いてしまったチセ。

 しかし、返ってきたのは沈黙だ。


 当たり前だ。

 置物が喋ったりするわけがない。

 置物が自分の気持ちをくみ取ってくれるわけなどない。

 アホらしくなったチセは玄関正面の階段を駆け上がり、2階にある自分の部屋のドアをパタンと閉めた。





 宿題を済ませた後は、ベッドの上に寝転がり少女漫画やジュニア小説をパラパラとめくっていたチセ。

 少しウトウトとしかけた時、階下よりケントが帰ってきたらしい音が聞こえた。


「おーい、チセ」

 兄が自分の名を呼びながら、階段をトントンと上がってきているらしい音までも聞こえてきた。


――お兄ちゃんなんか、知るもんか……寝たふりちゃえ……!


 顔を枕にポフッとうずめ、瞳を閉じたチセ。

 しかし、彼女の束の間の狸寝入りは、部屋の外からの”ただならぬ兄の悲鳴”によって中断された。



「……お兄ちゃん!!!」

 部屋を飛び出したチセが見た光景。

 それは――!



「チセ! 来るな!!」


 階段が動いていた!

 本来動くはずなどない階段が、下へと向かって動いていたのだ!


 チセが見たのは、”リミッターなるものが吹っ飛んだエスカレーター”と化した階段と、その階段にて必死で上へと駆け上がろうとしている兄の姿であった。

 

 あと数段で、ケントは階段から抜け出せる。チセのいるところへと辿り着ける。

 しかし……

 ”下流へと向かう更なる激しい流れ”によって、ケントは再び階段の中の位置に戻されてしまった!



 チセが見たのは、それだけではなかった。

「!?!?!」

 なんと、階段の一番下で、信じられないほどに巨大化した”あの魚の置物”が、口をグワワッと開けている!

 幾本もの乱杭歯を鋭く光らせて!


 魚の口の横幅はもはや、下へと流れる階段と同等の大きさだ。

 階段の一段や二段は軽く飲み込めるほどに。

 いや、あの魚が飲み込もうとしているのは――その鋭き乱杭歯でバリバリと噛み砕こうとしているのは、兄のケントであることは間違いなかった。



「お兄ちゃあん!!!」

 身をかがめたチセは泣きながらケントに向かって手を伸ばした。

 階段の中ごろへと押し戻されたケントではあったが、また上へと駆け上がることができ始めていた。


「……チセっ!! お前は絶対に下りてくるな……っ…! そっ……そこで手を伸ばしてくれているだけでいいっ……! だから……っ!」

 言葉を絞り出すのも苦しいだろうに、ケントはチセを絶対に巻き込むまいとしている。


「お、お兄ちゃ……!」

 涙と鼻水でグシャグシャとなった顔で、必死でケントへと――まだまだ届かぬ手を伸ばすチセ。

 チセはハッとした。

 数刻前、自分があの魚の置物の前でポツリと呟いてしまった言葉を思い出す。

 ”……お兄ちゃんなんて、酷い目に遭っちゃえばいいのに”と。

 チセの呟きをしっかりと聞いていた魚の置物は、今まさに兄のケントを酷い目に遭わせようとしている!



「お願いぃ! やめてぇ! お兄ちゃんを助けてえええ!! こんなの嫌だぁぁ!」


 こんなことになるなんて思わなかった。

 今日もいつもの兄妹喧嘩で終わるはずであった。

 そのはずだった。



 だが、下へと流れる階段はその速さをますます増していく。

 階段の下方でバランスを崩し倒れ込んだケントのポケットより、小さな球体が――”ケントがチセへの詫びとして渡すつもりだったガシャポン”が転がり落ちていった。

 

 ガシャポンは、下で待ち構えている魚の口へと吸い込まれ――

 バリバリと得意気にそれを噛み砕く魚の咀嚼音は、チセがいるところまで聞こえ――




「いやああああああ!!!!!」


 チセの絶叫と、魚がついに”ケントの踵の骨”を噛み砕いた音のどちらが大きかったであろうか。

 ケントの血だらけの口から発せられし断末魔と、魚が彼の脚を、腰を、腹を、胸をと着実に噛み砕き続けていく音のどちらが大きかったであろうか。



 禍々しい魚の胃袋へとおさめられゆく兄に、妹の声はもう届きはしない……




―――fin―――

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