藍黒色の彼女
夢太
藍黒色のお客さん
目が覚めると、ツバメがいた。
窓越しに映るツバメは、物干し竿に乗っかりながら、こっちをジッと見ている。
「気持ちよく昼寝してたのに、何よアンタ」
「……」
窓を開けてビビらせようと思っていたが、藍黒色の羽がステキなお客さんは、それにも反応せずだんまりを決め込んでいる。
「まあ、そっちがそういう態度なら私もそうさせてもらうわよ」
人間の言葉が通じないのは分かっているが、生憎私はそれしか話せないので、通じないと分かってても話す。
もう三月とはいえ外は寒いのによく外に出れるわね、そんなことを思いつつもお腹が空いたので、ちょっと早めにお昼ご飯を食べることにする。
平日の昼間。
テレビでは料理の特集をしていたが、作る気合いも無かったのでカップラーメンでも食べることにする。
キッチンに行き、ティファールに水を入れる。
電源をつけ、1分ほどでお湯ができるのを見ながら、技術革新はスゴい勢いで発達しているんだなぁ、といつもは絶対思わないことを思う。
ラーメンにお湯を入れ、リビングにもっていくと、まだツバメはいた。
「アンタ、餌とか取りに行かなくていいの?」
あまり詳しくないが、雛鳥のために餌を取りに行くとは知識が無くても知っている。
だが、どうやらこのツバメは違うらしい。
私と同じでボーっとしている。
ラーメンができるまで5分程度待たないといけない。ちょうど暇つぶしと思い、ヒーターを近づけてスマホで『ツバメ 形態』と検索してみる。
「ふーん、脚は短く地面に降りることはないんだ。尾が長いのが男の子、ってことはこの子は女の子なんだね」
目の前にいる彼女は、ネットの写真よりだいぶ短いことを確認し、他の情報も確認する。
大体は載っている情報と一致しているが、
「ツバメの雄は浮気性、とな?」
雄は何度も相手を変えながら、違うメスに対してプロポーズを繰り返しているそうだ。
まあ、動物である以上、自分の妻以外に浮気することによってより多くの子孫が残せることが行動原理になっているそうであるが……。
「アンタ、もしかして浮気されたの?」
「チュビチュ」
言葉は分かっていないはずなのに、返事をしてくれた。
ネットには浮気されて嫌気がさし、メスが突然家出することもあると記述している。
彼女は雛鳥を育てている気配は全くない。ゆえに、勝手にそうだろうと決めつける。
動く感じがしないので、勝手に食事に付き合ってもらうことにする。
椅子だけ窓際にもっていき、カップ麺を啜る。
「ふーん、なんだ。アンタ〝も″そーなんだ」
実は、私も昨日彼氏に浮気されたところだったのである。
浮気された同士、それとも人間に話したくなかっただけなのかもしれないが、私は彼女に愚痴を聞いてもらう。
「彼氏――純にはいつも『愛してる』って言われてたんだよね。そんな薄い言葉をいつまでも信じてた私もバカだと思うけど、実際に純のことが好きだったから」
藍黒色の翼に対してお腹は白く、同じ女性として綺麗だと思う。
彼女は私の愚痴が始まってもじーっと聞いている。
「会社の友達に連れて行かれたバーで純とは知り合ったのだけど、純粋そうな男性だったの。付き合い始めてもやっぱり純粋で、手を繋ぐのにも緊張してて」
そのころを思い出してクスッと笑う。
手汗をかいていたけど、気持ち悪くなく、むしろ初めて手を繋げて一歩前進した高揚感に充ち溢れていた。
手を通して、私たちのの心も通じあっていた気がしてた。
でも、
「昨日、見ちゃったんだよね。浮気してる写真を」
デートの最中だった。
ちょうど晩御飯を外で食べているときに、彼がトイレに行った後、スマホが動いたのを横目で見ていたら、女の子からメッセージが来ていた。
それ自体は別に何とも思わなかったのだけれど、メッセージ内容が私の目線を逸らすことを許してくれなかった。
『この間の写真! 今度はいつ遊んでくれる??』
確かこんな感じのメッセージだったと思う。
トイレから戻ってきた純を問いただし、スマホをぶんどると、その写真は居酒屋らしき場所で可愛い女の子とのツーショットだった。
二人とも見るからに親しげな様子だったので、これは確信犯と思い、言い訳も聞きたくなかったので怒って帰ったのだ。
んで、今日の仕事は仮病を使って休んだ。
体調が悪いというわけではなかったのだけど、今日仕事をしてもミスをたくさんしてしまいそうだったし、家から出たくなかった。
会社の人にはなんて謝ろうか。
純は今反省しているのか。
私はどうしたいのだろうか。
いろいろな感情が私の胸の中を渦巻いている。
元来悩むことがあまりなかった私は、悪い夢でも見ている気分だった。
「アンタならこの気持ち分かってくれるよね?」
それでも、目の前の彼女は、夫から浮気されても自由に生きている。
そんな彼女に尊敬の意を込めて接す。
「チュビチュルルルル」
「そうね、ありがと」
お互い頑張りましょう、と言われている気がした。
「会社には今から行くことにするわ。よかったら明日も来て」
「チュビチュル」
そう言い放ち、漆黒の翼を広げてどこかに飛び去る。
本当は私の言葉が通じているのかな、と妄想しながらもそんなわけないか、と準備をしながら思い耽る。
次の日。
「アンタ、ホントは言葉分かってるんじゃないの」
目が覚めたらまた彼女は物干し竿に乗っていた。
首を左右に振っている姿はまるで本当に聞こえているのではないかと思ってしまう。単に餌を探しているだけかもしれないが。
「昨日はあの後会社に行ったんだけどね、同僚に元気そうだねって言われて仮病がばれそうだったのよ」
「……」
「寝て起きたら治ってた、って言ったから何とか乗り越えられたんだけど、あんまり嘘はつかない方がいいわよね」
誰に対して言っているのか、自分でも定かではないが、この言葉だけは本当だと思う。
嘘を嘘で誤魔化すようになっちゃったら自分の心が苦しくなるだけだろうし。
朝にコーヒーを飲むのは社会人になってから習慣となっていたが、ご飯は抜くことが多かった。が、今日は一緒に食べてくれる仲間がいるので窓際でパンを食べている。
苦いとは思わなくなったコーヒーで喉を潤しながら、ツバメを眺めていると。
「あら、お友達かしら?」
もう一匹ツバメが物干し竿に乗った。
「確か、尾が長いのは雄だったっけ。ってことはこの子、求婚されているの!?」
どうやら友達ではなく、ナンパされているようだった。
「アンタ、意外とモテモテじゃない!!」
自分事のようにテンションが高まる。
「ジージー」
「チュビチュ」
例のごとくツバメ語は理解できないけれど、雄がゴリ押し求婚しているのは何となく分かる。
そして、彼女はあまりいい反応をしていないっぽいことも。
結局、
「ジージー……」
雄の方が残念そうな鳴き声を最後に残し、どこかに飛んでいった。
「なにアンタ、もしかして振ったの?」
「チュル」
「やるわね、いつでも告られるし、もっとイケメンを見つけようって?」
「チュビチュ」
「ん? そういうわけではないの?」
翼を広げ反論されてしまう。
そもそもナンパには興味が無いってことだろうか?
それとも……
「もしかして、前の旦那にまた会いたいのかしら?」
「――チュチュル」
少しの間があって、彼女は肯定の意を示した。恐らく。
「アンタは強いわね、浮気されても、まだ愛した相手を愛せるなんて。私にはまだその勇気が無いわ」
メッセージアプリはあの日以来通知を表示しないようにしていたので、純のことを忘れるまで開かないようにしている。
というのは建前で、本音としては真実に向き合うのが怖いだけだ。
もし、メッセージが来ていて、内容が『別れよう』という類いのものと思うだけで、ゾッとしてしまう。
そう思ってからはメッセージアプリを開くことができないでいた。
スマホは画面だけでなく私の俯いた顔までも映し出している。
ふと外を見ると、朝日は昇ろうとしている。
けれど、私の心は沈んでいた。
「チュビチュルルルルル‼」
「え、え!? どうしたのよ急に⁉ って、あ!!」
いつもは寡黙なはずなのに、急に鳴き出したせいでスマホを誤タッチしてしまう。
そして、画面を見ると、メッセージアプリが起動していた。
「ちょっとアンタね‼ これどうしてくれんのよ‼」
「……」
画面をバッっと見せても、『何のことだい?』と言いたそうに首を傾げているだけの彼女。
「ちょっとこれ……、はぁぁぁ」
悪いのは私なんだけれど、溜め息をついてしまう。
こうなってしまった以上覚悟を決めるしかない。
意を決して画面を直視する。
未読メッセージが10数件ほど溜まっていた。
その半分は友人からであったが、残りの半分は純からであった。
最後の通知が通話になっていた。
純から電話する事なんて今まで無かったことを考えたら、何か言いたいことがあるのだろう。
「ふぅぅぅー」
一度深呼吸をして心を落ち着ける。
窓の外に目線を移すと、
「チュビチュ‼」
と今までで一番いい声で鳴かれた。まるで頑張れ‼ と言われているみたいだ。
その声に背中を押されてメッセージを開く。
『花蓮、あの写真は誤解だよ!』
『隣にいたのは妹!』
『たまたまコッチにきてて遊んでただけなんだ!』
『誤解させてしまったのは謝る。だから、連絡返してくれないか!?』
『今晩電話かけてもいいか?』
そこからは未通話のアイコンだった。
さらに居酒屋の写真と、妹さんの写真が2つ貼られていて、比べたら確かに妹さんだった。
「ははっ……なによ妹って……」
思わず苦笑いしてしまう。
というか、あの真面目が取り柄の純が、浮気なんて出来るはずない、ってちょっと考えたらわかるのに。
勝手に私が暴走して。
純や、妹さんにまで迷惑をかけてしまった。
謝るのは純の方じゃない、私のほうだ。
気づいたら通話ボタンを押していた。
さっきまではメッセージを見るのにも苦労していたのに、そんな憂いもなく。
(お願い、かかって……!)
スマホを両手で持ち、目を閉じ、祈る。
永遠にも等しいと感じる時間と、何度目か分からないコールを聞きながら。
『もしもし! 花蓮か‼』
祈りは通じる。
「純、ごめんなさい!! 私、勝手に勘違いしちゃって……。それに妹さんにも迷惑かけて」
『いいんだ、花蓮。俺の方も誤解させるようなことをしてしまったのには謝らないといけないし。妹にはたっぷり𠮟っておいたから』
「そんな‼ 妹さんは悪くないわよ」
『事の元凶はアイツだったんだ。兄として叱って当然だよ。それにちょうど兄貴離れもしてほしかったところだったし、いい機会だったよ』
フッ、っと笑う純の声を聞き、私の心は浄化されていく。
『今晩改めて謝らせてほしい。会えるかな?」
「もちろんよ、純」
『……今言うのは卑怯かもしれないけど、花蓮。愛してる、もう俺から離れないでくれ』
ドキッ、と心が跳ねる。
目頭には涙が零れ落ちてくる。
「えへっ、卑怯だよ。でも。私も愛してるから。もうどこにも行かないでね」
『当たり前だ!! ……今晩、俺らのことで大切なことを言いたい』
「うん、わかった」
何となく純の言いたいことは分かったので、それ以上は追求しない。
『それじゃあ、仕事行かなきゃ。それじゃ花蓮』
そこまで言うと、通話は切れ、スマホはもう純の声を出すことはなかったけれど、私の中には残っている。その事実だけでもう大丈夫だ。
「お待たせ」
「……」
藍黒色のお客さんは、私が話している間も見守ってくれていたようだ。
「次はあなたの番よ。旦那に会って来なさい、何かの誤解かもしれないんだし」
「――チュビチュルルチュ」
それだけを言い残し、旅立った。
「幸せになりましょう、お互いに。幸せな夢を見続けましょう、お互いに」
それから。
目が覚めると、純が隣で寝ていた。
あの電話した夜、夕食を食べていたら純にプロポーズされたのだ。
当然私は、間を置かずに返事をした。
私達はあの事件からお互いの大切さを再認識し、結婚することを決めた。
今日にいたるまで色々なことがあった。結婚式の準備や、家族への連絡。忙しすぎてあっという間に一年が過ぎた。
楽しいことや辛いことも含め、いい思い出に変わりつつあるのだけれど、やっぱり彼女には報告しておきたい。
桜も咲き、そろそろやってくる時期だ。
また私の前に現れてくれるのかな。
それとも――、
「あ、また動いたわ」
やさしくお腹をさすりながら、なんとなくこう思う。
新しく生まれる子供と一緒に寡黙なあなたは来てくれる、と。
藍黒色の彼女 夢太 @yumeta
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