第75話 秋月燈と浅間龍我
記憶が私の中に欠けていたモノを埋めていく。いつも私は水底で水面に向かって泳いでいた。
どこか冷めた水の中だったけれど、いつも水面の向こうから太陽の日差しが差し込み、私を照らす。
今ならわかる。
私は沢山のモノたちに支えられていたのだと。だから、昔の私は──
守られてばかりの存在が嫌だった。
今度は龍神や式神の椿を守りたいと強く思ったのだ。
その為に私は自分の非力さを認め──戦力外だという事実に直面した。
たしかに私は《アヤカシ》を見れる、聞こえる、触れられる──でも《剣術》や《術式》の才能がまるでない。
「それで浄化とか無理でしょ」と、言って関わらない道だって確かにあった。けれど私は《
それでも私は、私の魂が紡いだ《約束》を守りたい。
それに──他人と関わることで、私は私自身を好きになれるかもしれない、自分を大切にしようと思えるかもしれないと思った。
大切な友人が増えていった。
師匠──浅間さんに弟子入りをしたのは、強くなるため……、というのが大きいがもう一つ理由がある。
二〇〇一年××月──
私が病院を退院してすぐだったと思う。祖父に連れられて私は、栃木の訓練場を見学させてもらえた。
山々の連なる緑豊かな土地での体力強化合宿。
「もし強くなる気があるなら、ワシの仕事を手伝ってみんか?」と言ってくれたからだ。
そこには龍神や椿もいると。けれど彼らを師匠には選びたくなかった。これ以上、重荷になりたくない。そう思っていた時、浅間さんの姿を見つけた。
彼は木漏れ日の木々の下に居た。驚くほど胸がギュッ、と苦しくなったのを覚えている。
何故なら──
浅間さんの傍に
十代だろうか、桃色の長い髪がふわふわと浮いており、淡い色の衣を纏っている。美人というよりは愛らしいという方が正しいだろう。
「しーっ」と人差し指を立てて、微笑む姿はとても素敵だった。
ヨクナイモノではないのと、私にしか見えていないという事だけが分かった。
──また会えたわね。わたしとの《約束》を覚えているかしら?──
《約束》。その言葉が合言葉だったかのように私は思い出す。
ずっと昔。私の魂の記憶が覚えていた。
数千年前、《現人神》であり《荒御魂》でもあった神は、最愛の妻を殺した。愛していたからこそ、真っ先に命を奪った。それがその半神のもつ唯一の愛情表現。
《現人神》は愛する者を失って初めて、悲しみと愛おしさを自覚する。看取った時、
見ていて選んだのだ。
私はその時に生まれることのなかった命。
けれど、
片割れは復讐に囚われたが、もう片方──私の魂はその時に邪気に対しての耐性がついた。
父は愛していたからこそ、その衝動を止められなかった。
よく考えれば母が来てから、
結果──腹の中にいた双子の弟は、復讐を選び《荒御霊》の器となった。
残った双子の姉──私は、母の命が潰えた時に《約束》をしたのだ。
不器用で頑なな父を助けよう。
復讐に走る双子の弟を止めよう、と。
母は「
浅間さんに渡したペアリングは、ある術式が組み込まれている。もし《荒御霊》が戻った時、完全な神に戻るのを遅らせる効果と、浅間さん自身の加護。最後にずっと傍に居る母を現世に顕現させる
「いつか待っている奥さんに渡してあげて」と私は浅間さんにペアリングを渡した。
──本当に? 本当にあの方と会えるの?──
「うん。えっと、じーさまの本に書いてあった。触媒には数年の時間が必要だから、最短でも私が十六になるまでかかるけど」
──それでも嬉しいわ。あの方に会えるのだから──
全ては十六歳の儀式で、決着がつく──はずだった。
六条院家の当主となることも覚悟をしていた。
式神の呪縛を断ち切って、本契約を成功させる。そして龍神があの男の子ではないかと尋ねて──気持ちを伝えようと思っていたし、浅間さんの願いも叶えられると──
けれど私は双子の弟の執念を見誤っていた。
厄介ごとに首を突っ込んで探してみたけれど、それらしい姿は見つけられず力が衰えているのかもしれないと勝手に解釈したからだ。
***
二〇〇九年一〇月──
《荒御霊》に取り憑かれた双子の弟──
術式の集中を乱したのも──私の左腕を吹き飛ばしたのも──龍神や椿じゃない。まして私の影でも、
あの日、家に火を放ったのは祖父の弟──私にとっては叔父にあったる人だ。当主の座を狙って、あの地の封印を解いたのが発端だった。
焚きつけたのは、木下馨一。暗躍していたのは、
そして私を目の敵にしていた
もっとも木下馨一は、私そのものを壊しに来たわけではなく、六条院家の封印に興味があったらしい。無理やり封印を解除したのち、その怨念と憎悪を外に解き放そうとして失敗。
四季柊次は私を殺そうとして失敗。木下馨一と連携して片腕をもぎ取ったのち──暴走した椿に吹き飛ばされて戦線離脱。
龍神や式神、そして封じられた深淵から引き離そうと考えていた。
彼女の願いは「友達がほしい」その一点だけだった。
傍に居ても、佳寿美の持つ業の影響を受けない人間と一緒に居たい。
最初はささやかな願いだったのだ。
幼い頃、私が病院を退院するときに彼女はそう言っていた。その時から私と彼女は知り合いだった。友人ではなく本当に親友だったのだ。
けれど、彼女の願いはいつの間にか変質し、狂い始めた。
なぜ自分だけがこんな目にあっているのだろう、と。
自分だけが我慢しなければならないのだろう、と。
気持ちは分からなくはない。
私も同じことを思った。
けれど、それは仕方がないことだ。
私はその業を背負うだけの《約束》をしたのだから。
私はそれでも傍に居たいという人たちがいたのだから。
全ては生れ落ちる前に私は私自身の課題を決めていたのだ。
出来る出来ないではなく、そうありたい、と。
幸いだったのは、私が気づくことが出来た。
押し潰れそうな幸せも、不幸も。
些細な幸福も、ちょっとした不幸も。
受け入れられたのは、独りじゃないと気づけたからだ。
支えてくれている人がいると、気づいたからだ。
自分を少しだけ好きになれた。
自分を少しだけ許すことが出来た。
ダメなところも、汚い心も、醜い感情も、それも含めて自分だと抱きしめられたから──私は、道を踏み外さずにすんだ。
今度は私が返す番。私が支える。
ずっと後ろを追いかけてきた二つの背中。
ようやく隣に立てるぐらいになれたよ。椿、龍神。ううん、
***
緊急警報のようなけたたましいサイレンが燈の耳朶に届いた。
「!?」
燈が慌てて起き上がると冷たい石畳の上に寝転んでいた。状況が飲み込めず、周囲を見渡す。天井が見えないほど高い白く真四角な空間、家具などはなく窓や扉もない。天井からの眩い明かりは自然光ではなく、蛍光灯の明かりに近かった。
学校の敷地内ほどの広さ──端的に言って現実味がなかった。
「えっと、夢?」
そう思いたくなるほど絵にかいたような真っ白な空間に、大きめの段ボール箱が二つ置いてあった。そのうちの一つは既に開封されている。
(あーーーーーうーーーーん。私、何してたんだっけ?)
あまりにも長い夢を見ていたせいで、記憶の整理が上手くできていなかった。燈は顎に手を当てて唸った。
(えっと。冥界で龍神と別れて、烏天狗の柳と一緒に《青龍の鳥居》に向かって──追手とか、追手とか追手のせいでボロボロなって、椿が寝ぼけたことを言い出したあとに──)
「ようやく目が覚めたか」
弾かれたように燈が振り返ると、
「あ、浅間……さん!? 何してるんです?」
「天井まで登って行ったが、途中で落ちただけだ」
浅間は遥か彼方に見える天井を登ろうとしていたと聞いて、燈は驚愕を通り越して呆れてしまった。
(途中までって、きっと人類で到達できない高さだと思う……)
「…………」
「…………」
沈黙。
「……って、師匠!? なんで封印術式を強制解除したんですか!?」
「ほお、どうやら記憶は戻ったようだな」
浅間は悪びれもせず、冷静に弟子の反応を観察していた。
「いやいやいや。あれって一つ間違えれば死にますよね!? メチャクチャ痛かったんですよ!」
「仕方あるまい。貴様よりも先に龍神の力が低下していたんだからな。アイツが死ぬとまた面倒だったから手っ取り早い方法を取っただけだ。だいたい貴様がさっさと式神と本契約をしていればだな……」
燈は納得がいかず「ブー、ブー」と文句を言いまくった。殺そうとした加害者と、殺されかけた被害者だという構図なのだが、もはや殺気立った雰囲気など皆無だ。
もっとも燈は浅間が単に暴走して、殺そうとした訳ではないと信頼しているからこその反応であった。
親子としての血の繋がりはない。しかし、師弟としての絆はしっかりと築き上げていた。それを燈も思い出したからこその反応だった。
もし記憶が戻っていなければ、険悪な雰囲気なまま疑心暗鬼になっていただろう。
(ううー。記憶を思い出したら、すっごくこそばゆい。
前世で関りがあると肉親以外の近い存在となることが多い。また家族となる人たちは何らかの課題があったり、敵対していた人間だったりと事情は千差万別だ。
(父親は幼い頃からいなかったし……、椿も保護者みたいだったけど、年の離れたお兄さんだったしな……)
ふと改めて浅間の服装へと視線を向けた。
ゴールデンウィークにみたデザインが異なる黒の軍服と黒の外套を肩にかけている。元々整った顔立ち故、その軍服と相まって似合っていた。
「さっさと起きて段ボールを開けて支度を調えろ。何が起こるか分からない今、警戒は充分にしておけ」
浅間の緊迫感ある声に、燈は小首を傾げた。
「は、はい? あのー師匠。私、師匠に拉致られたんですよね?」
「そうだ」
「後から龍神たちと合流できるように、集合場所に転移したんですよね?」
「ああ」
「じゃあ。……ここ、どこです?」
燈の疑問に、浅間が口を開きかけた瞬間──
──♪ファレラレ ミラッラ ミファミラレ。
「なんでファ〇マの入店音!?」と燈は思わず突っ込んだ。
「なんでコイツこんなに元気なんだか」と浅間は思った。
──アサマ様、アキヅキ様。《迷い家名物、
ひび割れたノイズ交じりの音声だけが部屋に響いたのだった。
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