第294話 【閑話】諮問会議
王都の奥、内壁の一画に設けられた会議室。
石壁がむき出しで、置かれた長机も装飾らしきものがなく、ただ機能を果たすだけの質素な造り。
しかし長机の左右に並ぶ面々は、金属鎧やローブなど、格好は様々なれど、金の糸で刺繍された帝国の紋様をあしらった外套を羽織っており、それぞれが帝国の重要人物であることが一見にして分かる。
そこに、ひとり正面入り口ではなく、別の扉から現れた若き人物。帝王、ガラージィン・キュレスその人である。
居並ぶ人物たちを一瞥したあと、部屋では一番奥の、一段高くなっている場所の椅子に座る。それは自然な振る舞いであり、いつも彼が玉座で行っているような、芝居がかった動きではなかった。
「諸君、ご苦労。これより帝国諮問会議を開始する」
「「「ははっ!!」」」
声を揃えて返事をした「諸君」らは、それぞれが立ち上がり、少し頭を下げる動作をした。
「よい、よい。これは王宮でやっているような堅苦しい場ではないぞ。私が帝国の枢要である諸君らと、ざっくばらんに意見を交換するものだ」
「……陛下。正式なものでないために、影も参加されるのですか?」
少し遠慮気味に疑問を発したのは、王から見て右奥に位置する人物。
筋骨隆々の身体を丸めて椅子に押し込めている、銀髪の男性だ。
その頭には、獣耳族の垂れた耳が見て取れる。しかしそれ以上に、顔にある大きな傷が印象深く、可愛らしさというものは感じられない。
「ヘトリアン、そういうわけではない。この場は格式ばったものではないが、『影庭』は王宮に正式に参内することもできる。正式な役職だ」
ヘトリアン、と帝王が銀髪の人物の名前を口にしたことで、数人が顔を見合わせた。
この場は役職名で呼ばずともよい、そのような場だという理解をお互いの顔色で確かめたのだ。
「陛下。影の者が、などと今更言うわけではございません。しかし、そもそも影庭殿は合家の人物。正式な参内など聞いたことがございません」
「固いことを言うな、ヘトリアン。そう言いたいところだが、卿の指摘は最もだ。その点は私が熟考し、従来の方式を一部改めたのだ。分かってくれるか」
「……ご承知のうえで陛下のご決断であれば、何も言いますまい」
「悪いな。それとも、まだ怒っておるのか? ヘトリアン」
帝王が少しからかいの入った口調で最後に付け加えると、ヘトリアンと呼ばれた男は眉を寄せてあからさまに不機嫌な顔を作ってみせた。
「当然でしょう。陛下に弄ばれたのは、ソーゲルルカ殿と同じです」
銀髪の男は、向かいの特製の椅子に座った丸鳥族の人物を見て頷く。
それは、最初の質問が『影庭』と呼ばれる当人、ガラージィン王のお目付け役であり、王宮の影を長きに渡って指揮してきたソーゲルルカ・マーフィに含むところがあったわけではないことを示すための一種の話術でもあった。
「さよう、さよう。若、その件は弟君の苦労を汲んでいったんはモングロウの流れに委ねましたが、忘れたわけではありませんぞ」
「じい。それは流れに委ねたと言えるのかい」
銀髪の男に話題を振られた丸鳥族、「じい」ことソーゲルルカも流れに乗って不満を示してみせ、帝王は肩を竦めてそれに応じた。
「それで? 格式ばったものではないことは理解しましたが、それではこの場では何を話すおつもりでしょう」
ソーゲルルカは、雑談から本題へと移るように促す。
帝王はそれに頷き、彼から見て右の列中ほどにいる人物に目くばせをした。
「皆さま、まずは耳役として私からご説明を差し上げます。その後、皆さまのお知恵を拝借して帝国の課題に取り組んで参るのが、この会議の目的です。この場では通常の礼儀作法、発言の順番など細かい慣習は問いません。礼官もあえて同席させておりません」
礼官とは、帝国の儀式や正式な行事において、間違いがあった場合にそれを正す助言役のことだ。王宮における正式な会議においても隅に控え、進行を差配したり助言したりする。
しかし、あえて王宮外の一室で設けられたこの会議においては、礼官を置かないことが説明された。それは即ち、礼官に指摘されるような慣習違反や失礼があったとしても水に流すということだ。
実際は礼官といえど、帝王や貴族のひと声があれば細かい慣習違反等をいちいち指摘するような真似はしない。それでも敢えて外したのは、この会議は形式よりざっくばらんな意見交換を重視するということを分かりやすく示すためだろう。
発言した人物は、右府耳役のブルカ・ミシアン。主に内政に関する情報収集を管轄する部署のトップだ。抑揚のない喋り方は実に事務的であるうえ、霧族男性であり、その表情も分からないが。
ブルカは皆の理解を試すように数拍を置いた後、小さく頷いて先を続けた。
「ご理解いただけたようですね。それでは早速、私から報告をいたします。お手元の資料をご参照ください」
ブルカは簡素な地図が印刷された高級紙を捲りながら、状況を報告する。
オーグリ・キュレス港に入港する船の数は前年比で微減していること。
その原因として、海の魔物の増大が考えられること。
トアナ地方では昨年秋に大豊作となったことと、東西の交易が滞る一方で南北の交易量が増大していること。
テーバ地方から流入する魔石の量が想定以上で、一部値崩れを起こしていること。
それらが説明された後で、リック地方の動乱についても説明がなされた。
「以上のように、帝国建国以降、様々な問題はあれど大きな混乱要素には至っておりません。続いてリック地方にも言及しておきましょう。私よりも詳しい方も多いでしょうが、総論として認識の違いがないかもご確認ください」
ブルカは立ち上がって、手元の紙束の中から1つの厚紙を取り上げると、バサリと広げる。
それはリック地方の地図である。それを机の上、帝王の見やすい位置に広げると、指揮棒で地点を示しながら進める。
席によってはほとんど地図が見えない者もいるが、それを気にする様子はない。もっとも手元の資料に同じ地図もあるので、それを見て話の流れは把握できる。
「河の合流地点、ソリスト軍港への緊急輸送は5回に分けて全て実行されました。途中襲撃を受ける場面もありましたが、いずれも撃退に成功し、輸送任務は完遂されております」
「輸送艦の1隻も沈まなかったのですね?」
質問を挟んだのは、ブルカとは逆の列の端、帝王の隣に座っていた人物。
ローブに身を包み、柔和な表情を浮かべた女性である。
「ええ、フィフィ閣下。逆に敵船を拿捕した輸送船もいたそうですよ」
「それは凄いですね」
フィフィと呼ばれた女性は微笑を浮かべたまま、称賛の言葉を口にした。
「輸送船と言っても、武装商船を雇ったものですからな。彼らもそういった“河賊対策”はお手のものなのでしょう」
フィフィが発言したからなのか、その向かいで同じく帝王の隣に座する男が口を開いた。
「それより大事なのは、この輸送作戦により、敵の戦力を確認できたという点です」
「あら、右府様。そうなるとその輸送船は囮、というわけですか?」
「オーレンで結構。輸送が必要であることは真実ですが、軍というものは1つの任務に複数の意味を持たせるものなのです」
「なるほど、勉強になりますわ。アルサス公」
帝王の左右を挟んだ会話はそこで途切れる。
それを察して、ブルカは続きを説明しだした。
「さて、これによりリック地方に展開していた軍、戦士団の補給の心配はなくなりました。ロイスト地方で嫌がらせをする諸侯が出たとしても、心配は不要でしょう」
ロイスト地方というのは、反乱を起こしているリック公のいるリック地方の北東の地域のことだ。王都からリック地方までを陸路で進むにはロイスト地方を経由しなければ難しい。
しかし、先んじて水路で十分な補給を受けた軍勢は、少なくとも短期的にはロイスト地方の補給線を気にする必要がなくなった。
「また話が前後しますが、リック公の艦隊との決戦も行われ、リック公の河上戦力はほぼ喪失したと聞いています。トン将軍、間違いないですね?」
名指しされたトン将軍は、椅子に座ってすらおらずに部屋の隅に待機していた。
指名されたことで一歩進み出た将軍は、報告する。
「事実です。既に輸送船襲撃などの実戦を経て、軍艦隊の実力がリック公に組する艦隊に劣らず、逆に同数であれば圧倒できる程度であることを確信しておりました。加えて当方有利となる状況が確実であることが判明したため、あえて決戦に及びました」
「有利になる状況、とは?」
「リック公旗下の主要人物の離脱です。これによりリック公の艦隊は半数近くが機能不全となりました」
リック公にとっては衝撃的であっただろう事件だが、淡々と語る将軍の報告に驚いた者はいなかった。
そもそも内政部門の役人である右府耳役にまで届いている情報なのだ。この部屋に集まっている人物であれば、艦隊決戦の開始とその経緯および結果くらいであれば、知りたいのであれば簡単に知ることができたというレベルの情報だ。
「気になるのは、決戦後のリック公側の戦力についてだ。本当に喪失したのであれば、東西の水運は通常通りに再開しても良いのだから」
ここでは正直に意見交換をしても良い、という帝王の前置きがあった。
そこで率直に気になる点を聞いたのは、右府と呼ばれたアルサス公であった。
「ここで言う戦力の喪失は、戦をするには十分ではないという意味です。未だにリック公の艦隊が消え失せたわけではなく、リック公に傾いている可能性のある河川諸侯もいないとは言い切れません」
「残党に襲われるか。それは賊と変わらないように思うが、軍で抑えられないか?」
「敵軍港の封鎖は手間のかかる仕事です。危険性を警告したうえで、商船の通行許可を出すくらいは出来るでしょうが、その安全を保障はできません」
「そうか。まあ、軍も一刻も早くファルナーゼ地方に荷揚げしたいだろう。河川諸侯にも手を貸して貰いながら、治安を安定させるしかないな」
「はい、そのように出来るのであれば、軍も歓迎するところです」
アルサス公は何とも言えない表情でトン将軍を眺めてから、また資料に目を落とす。
再び機を察して、ブルカが発言する。
「トン将軍。陸の様子はどうなのです? そちらは私はあまり把握できていませんが、将軍から報告できることはありますか?」
「敵がジナチ要塞から出てこないという報告は受けております。がしかし、近いうちに状況は変わるでしょう」
「それは?」
「艦隊決戦で敗れたリック公が、次に何を考えるか。河を使っての機動戦が無理なら、考えられる方策は限られます」
「ふむ。陸の方での決戦ですか」
「流石ですな。その通りです」
トン将軍は、一瞬本当に感心して声をあげた。
事務屋であると認識していたブルカ右府耳役が、即座に軍事的常識を言い当てたからだ。
「現状、河で敗れたことでリック公の大きな強みが1つ消えました。この場合、痛いのは戦力の喪失それ自体よりも、身内の評判です。リック公は最大の河川貴族と認識されてきました。その威光が薄れると、時が経つほどに身内の離反を招くでしょう」
「奴等の狙いは時を稼ぐことだった。その関係が反転したわけだな」
「はっ」
トン将軍の説明にカットインしたのは、帝王そのヒトだった。
将軍は直ちに敬礼の姿勢を取った。
「そう畏まるなと言っただろう。つまり今の状況をまとめると、だ。近々反乱は鎮圧されるということだ」
「……まだ敵の軍勢には主力が残っております。これを打ち破らないうちは、確たることは言えないかと」
「慎重だな、将軍。別に油断しているわけではない。ファルナーゼ公とピゴ公も討伐に動いておるしな、どういう方法にしろミルウェイを抑える可能性は高かろう。その後の話を今日、ここで話したいのだ」
「はっ」
ファルナーゼ地方はリック地方の西、ピゴ地方は南東に位置する。
その2つの地域で最大の影響力を持つ2つの貴族家が、リック公の討伐のために軍勢を動かしている。
東から迫る軍主体の討伐軍と合わせ、リック公は既に絶体絶命だ。
陸でも、河でも、1つでも大きな戦闘に敗れれば瓦解しかねない状況にあったのがリック公なのである。
「その後というと、北のあの国ですかな?」
アルサス公が話を先に進める。
「そうだ。ついでに南のあの国も、な」
「南は今、まさに宣戦布告を知らされても驚きませんな」
アルサス公が肩を竦めて見せる。
南のあの国こと、ズレシオン連合王国の王太子は反キュレス強硬派で有名だ。
彼の母親が幼いころに暗殺されたとき、キュレスの関与が疑われたことが発端という推測がされているが、仮にその事件がなくともキュレスとズレシオンは長年の仇敵だ。
帝国宣言という、周辺諸国に喧嘩を売るような真似をしたキュレス帝国に対して、いの一番に反応しそうなのはズレシオン連合王国なのだ。
「実際に王宮内では随分息巻いておるようですぞ。戦は準備が必要と、重臣たちに止められておりますが」
ここで口を開いたのは、帝王のじいこと丸鳥族のソーゲルルカ・マーフィであった。
裏での情報収集を担当する彼には、仮想敵国であるズレシオン連合王国の動向が詳細に報告されていた。
それによると、我が意を得たりと本格開戦を主張する王太子に対し、軍を中心に慎重派が抑えに回っているという。
これは開戦したくないというより、開戦するなら十分な準備をすべきという意味だろう。
むしろキュレス帝国としては、準備不十分なまま攻め込んで来てくれた方が御しやすいのだが。
「北の国はどうだ、じい?」
「エメルト王国は静かですな。軍勢や物資を集めている兆候はあるものの、あまり本気には感じられないのです」
「欺罔では?」
質問を挟んだのは、ブルカである。
他の閣僚には丁寧に話す彼も、本来影の者であるソーゲルルカにはやや言葉が乱暴になっている。
「その可能性はある。しかし、それを考慮しても大人しいというのが見立てじゃ」
「エメルトは西が厳しいという噂もある。その影響か……」
キュレス王国の北西に位置するエメルト王国は、国土が広い。
その西端では部族との戦いが続いているというが、近年ではあまり余裕がないようだ。
そちらに軍勢を派遣していたりするとしたら、この状況でキュレス帝国と二正面作戦をすることに消極的だという理由付けになる。
「じいの分析は頭に留め置くとして、今考えたいのはエメルトが本気で侵攻してきた場合だ。しばらくはエイゼン公やバジ・リル公に任せることはできると思うが……」
「長期戦となると援助が必要ですな。陛下、公国に救援は依頼できそうなのですか?」
アルサス公が帝王に問う。
「いや、それが公国も一枚岩ではないようでな。何でも怪しげな武装組織も不穏な動きをしていて、現状でもこちらの問題には対応できない可能性が高い」
「怪しげな武装組織? まさか、クーデターが起こる可能性はありますまいな」
クーデターで王家自体が挿げ替えられるという例は、あまり成功例がない。
しかし、王家の中で方針が異なる者に王を交代させるために、有力貴族などが軍勢を起こすパターンはままある。
もしそうなると、王同士が個人的にも親交があり、親キュレスだとされている現王の方針が転換され、反キュレスになる可能性がある。それを危惧しているのだ。
「現王もそれなりに支持を固めている。まるっきり方針が変わるようなことは、ないとは思う」
「しかしこちらに派兵できるほどの状況ではないと」
「そもそもあ奴は、腰が重くてな。特に荒事は苦手なのだ」
個人的に親交のある公王について、帝王がぶっちゃける。
このような発言は、他の公式の会議であれば絶対に出ない話だ。
とんだ情報に少し面喰いつつも、アルサス公は話を続ける。
「そ、それで良く王が務まりますな」
「ふっ。少し前まで、私とて臆病者と見られていただろう」
「そうでしたな。しかし、私は初めから裏の顔を見せられていたもので、とてもそうは思えませんでしたぞ」
「ふはは、そうか」
帝王とアルサス公の、笑っていいのか分からない話。
フィフィ閣下と呼ばれた女性以外は、かわいた笑い声を上げるのがやっとであった。
「それにしても、怪しげな武装組織とは。何やら怖いお話ですわね」
フィフィ閣下はそう言って、ニコニコと笑った。
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