第248話 【閑話】戯れ
世界地図を広げ、思案にふける人物が1人。
蝋燭に灯る火の光が、人物の影を揺らしている。
「失礼します。お呼びでしょうか、閣下」
「来たか。入れ」
部屋の主が顔を上げて見たのは、鉄製の重厚な扉。無骨な造りだが、目線の高さには水鳥の紋章が彫られている。
軋む音と共にその扉が開かれ、身体ごと扉の重さを支えるようにして、静かに入室してきた人物は、入るなり胸に手を当てて、膝を折って敬礼した。
「ご苦労。遅くにすまんな」
「はっ」
「楽にせよ」
楽にせよと言われた人物は、敬礼を解き、すばやく周囲の状況を観察した。
机の上には地図が1つ。
周りに並べられている蝋燭の配置から見て、部屋の主が地図を見て状況を考えていたことは明白。
光源に魔道具を使わずに蝋燭を使っているのは、部屋の主がその地位にも似合わない節約癖を有しているからだろうか。
コップは1つ、酒精の匂いはない。
さらに頭を働かせる。
自分が呼ばれたのは、地図を見て考えたことに関係しているのだろう。
ならば、迅速に本題に入るために、自分から質問するのが適切だ。
「閣下、その地図は」
「うむ。軍議に用いる地図だ。今夜これを見たことは極秘とせよ」
「はっ」
「そう硬くなるな。少し意見を聞きたくて、な」
「何なりとお尋ねください」
閣下と呼ばれた男は、微かに笑って相対する部下の肩を叩く。
「硬くなるなと言ったろう。切れ者という噂ゆえ、一度話をしてみたいというだけだ。戯れじゃ、戯れ」
「……はっ」
硬くなるなと言われたところで、難しい。
閣下と呼ばれた男、ギスタン・トンは王家から直接一軍を任せられている将軍だ。
客観的に見ればカエルのように潰れた顔をした醜男だが、その筋肉質な身体と佇まいが、不思議とヒトを惹き付けるオーラを放っているように思う。
「入隊演習では活躍したようだな。とても入りたてのひよっ子とは思えんと、教育部隊の者らが噂しておったぞ」
「恐縮です」
「うむ。……この図を見てみよ。何を検討しておったか、分かるか?」
「はっ」
目線をやって、地図に並べられた駒の配置を頭に入れる。
緊張でなかなか頭が回らない自分を内心叱咤し、焦りを覚えながらもトン将軍の質問に集中する。
かなり広域を描いた地図らしい。
様々な地域に、小さな木の駒が描かれている。
多くはただの正方形の木駒だが、いくつかは何かの生き物、おそらく各種馬の形に彫られている。
「各地の兵力の配置でしょうか」
「うむ」
「……防衛体制の再編を検討しておられるのではないでしょうか」
これだけでは情報が少なすぎるが、質問には答えなければならない。
無難な答えを出せたと安堵しつつ、将軍の顔色を窺う。
無表情。果たして想定通りだったのか、失望されたのかも分からない。
永遠のような沈黙が流れたあと、将軍は失笑した。
「……くくくっ。悪いな、戯れだ」
「はっ」
何の戯れだったのか分からなかったが、口答えは許されない。
ただ短く承服を示すのみ。
「これはな、近々起こるかもしれぬ、大乱の備えよ」
「……はっ?」
思わず、調子の外れた返答をしてしまう。
しかし、将軍はそれを気にした様子を見せない。
「此度、王都や港都市に各地の貴族や太守が集結することは知っておるな」
「はっ、存じております」
「そこで何かが起これば、たちまち大乱となろう。この国はそれだけ、大きくなりすぎたというわけだな」
「はっ」
「どう思う?」
「……はっ」
何と答えるべきものか。
そもそも、何について「どう思う」という質問なのか分からない。
また「戯れ」だろうかと察しつつ、すぐに考えを巡らせる。
「……この国の繁栄は、歴代の王家と、それを支える皆さまたちの為した偉業であります。大乱を招かぬよう、我々が治安を……」
「すばらしい忠誠だ」
「はっ、え?」
「だが、そのような模範解答を聞きたいわけではない。分かるな? 歴代の王が放置し、多くの者が見て見ぬふりをしてきた問題が、今のこの国には累積しておる」
「……」
「大乱は悪いことばかりではない。旧弊を駆逐し、新たな世界を築くのは戦争屋の仕事よ」
「……」
「戯れじゃ。さて、本題に入ろう」
将軍は、地図の上、北の方角にある小さな駒を手にして、親指とひとさし指でつまんで持ち上げると、プラプラと揺らしてみせた。
「これが我が部隊。小さいのう」
将軍はいくつかの駒を指で叩きながら、地名を上げた。
「共通点が分かるかね?」
「……我らの部隊の駒と色が異なります」
「左様。これらが敵だ」
「な!?」
思わず驚く声が漏れた。
それは、あまりに晴天の霹靂。
「どう勝つ?」
「……」
「勝てぬと思うか?」
「これも戯れですね?」
「……」
将軍と目が合う。
鋭い眼光に耐え、目をそらさずにいると、ふっと笑いを漏らした将軍が再度、肩を叩いた。
「左様、左様。また戯れじゃ」
「お人が悪い」
「そう言うな。それで? 戯れに言ってみよ、そなたならどうする?」
地図を見て、悩む。
地図の西の方は、敵とされる木駒がない。
だが、我が部隊と言われた木駒と同じ色ではない。
つまり、敵でもないが、味方でもないということか。
敵の多くは、北と南に集中している。
そして、王都周辺にも多くの「敵」の木駒が集まっている。
つまり、今度の行事で集まってくる諸侯にも、反逆者がいるという想定か。だが、王都の内部にも多くの「敵」駒が置かれていることが気にかかる。
いったいどういう設定なのか。果たして「敵」は反逆者なのか、それとも……。
これは、本当に戯れなのだろうか。
いや、それは考えてはいけない事柄だ。
「まずは王都を抑えることが先決です。ですが、単に敵と数で勝負すれば、長期戦となりましょう」
「であろうな」
「であれば、まずは王都は最低でも均衡を保ちます。膠着させれば良いと考えれば、重視すべきは籠城に有利な拠点」
「王都周辺では均衡したとしよう。次はどうするかね? 敵の優位な南北から挟み撃ちにされるぞ」
「……敵が分散しているのであれば、戦略的には各個撃破しかありません」
「模範的な解答だ。問題はその方法だな」
「足止めの方法が、閣下の質問の核というわけでございますね」
足止めをしながら、各個撃破する。
言うは易しだが、その方法が難しい。
魔物の群れを追っているような場合とは訳が違う。相手はヒトであり、連携も頭脳も魔物とはレベルが違うのだから。
「この辺りにある……敵の馬。これが王都に向かってきたら?」
将軍が、駒をひとつ示す。
そう。
種々の馬の形をした木駒は、あえて他の駒とは違うものとして置かれていることが明白だった。つまり、機動力のある騎乗部隊を持っているということなのだろう。
機動力のある部隊というものは、厄介だ。
まだ軍に入って間もない身でも、演習でそのことは痛感させられた。
実戦形式の演習では迫りくる騎兵の恐ろしさを知ったし、机上演習ではその便利さと厄介さを何度も思い知った。
「……お時間を頂いても?」
「構わん、夜は長いのでな」
将軍は部屋の隅に置かれた椅子までゆっくりと歩き、優雅に座る。
その表情はいたずらの結果を見守るいたずらっ子のように楽しげで、部下の答えに期待しているようだった。
改めて地図を眺める。
その配置、敵味方の色を確かめながら、各地の戦況を想像する。
演習でたまたま良い結果が出たのは最近で、指揮官としてエリート教育されてきたわけでもない。
貴族の跡取りなどであれば、幼くして戦士団の指揮を執るようなこともあろうが、残念ながらそういった経験もない。
したがって、これだけの配置情報から有利不利や、敵の進軍速度を推測する知識や経験がないのだ。
それでも、期待には応えなければならない。
たとえ期待されていた答えでなくとも、自分なりの策を。
ふと、ある駒が目に入った。
その形、色、配置場所を確かめる。
何度か脳内でシミュレーションをして、そして結論する。
実際にできるかと言われたら疑問符がつくが、自分なりの答えにはなろう。
「閣下」
「うむ」
「私であれば、この駒を、こうします」
将軍の角度から見えるように意識しながら、駒を移動させる。
移動させるルートも重要だ。
将軍は反応を示すことなく、黙って立ち上がると地図の前に戻った。
「もう一度、動かして見せろ」
「はっ。この駒を、こうです」
同じように移動させる。
「……蝋燭の火では、駒が見えづらかったか?」
「いえ、承知しております。駒の形も、色もです。動かす場所も加味したうえで、ご説明しております」
「成り立つのかね?」
「はっ。成り立つと考えております。彼らならば乗ってくると」
「なるほど。君は確か……商人の家の出であったな」
「はっ」
将軍はカエル面をニヤリと歪めて、緊張している部下の肩を叩いた。
「商人の発想というのは、面白いな」
「ありがとうございます」
「行ったことがあるのか?」
「いえ。しかし経験上、この地に来てからはよく考えてきました。果たしてヒトを動かすものは何なのかと」
「君は……ああ、そうか」
将軍は何かに思い至って、小さく頷いた。
「言っておこう。君より前に、同じことを言った者はいた」
「そうでしたか」
オリジナルではないということで、がっかりする気持ちと、そんなに外れたことを言っていなかったのだという安堵が入り混じる。
「しかし、こうして夜中突然呼び付け、戯れに訊いただけで、そこに至る者はいなかった。誇れ」
将軍は今夜だけではなく、色々なヒトに同じことをしているようだった。
将軍なりの遊びなのだろうか。
「今夜は戻りたまえ。人となりを知れて良かった」
「はっ。失礼いたします」
戻っていく部下を見送ってから、将軍はコップに入った水を呷った。
「閣下」
壁の向こうから、囁くような声が届く。
「手出し無用。あれは白じゃろう」
「はっ」
「それに、なかなか消すには惜しい人材だった。どこか余りの部隊を与えて、魔物狩りにでも向かわせるか」
「手配いたします」
「それなりに使えそうな叩き上げを付けてやれ」
「はっ」
壁の向こうの気配が、去ろうとした刹那。
将軍がそれを留める。
「待て。いまのは名は何だったかな」
「彼女ですか。たしかアアウィンダ。エモンド家のアアウィンダです」
「そうか。アアウィンダか」
「はい」
「覚えておこう。もう良いぞ」
将軍は、再び地図に視線を落とした。
そしてそっと、アアウィンダの動かした駒を元に戻す。
それからしばらくの間、王都に多数置かれた「駒」のひとつを、ただただ睨みつけていた。
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