第207話 地表の小人
ダンジョンの冷たい床に寝袋を広げて包まる。
周囲の音が消えると、微かに水が流れる音、水滴が落ちるような音が響く。
地底湖の音だろうか。あるいは壁の奥に、水が通っているのだろうか。
拠点とした部屋に、光るキノコはない。真っ暗だ。既に、特別な光源がなければ暗闇に包まれる地下深くに潜っている。
仮に俺たちが戻らなくても、救助隊が来ることはないだろう。そう考えると、少しだけ怖くなる。
少し前なら、リスクを考えてそろそろ戻る選択肢も考えたのではないだろうか。
しかし、今は。
命掛けばかりの異世界での体験が、俺の常識をも壊してしまったのだろうか。
少しの怖さに倍する、ワクワクする気持ちが足を先に進ませる。
ルキの姉が惹きつけられた、地下に無限のように広がる未知の世界。
偶然が繋がって手中にある魔力鍵と、そこに隠されているかもしれないささやかな宝と謎。
サーシャは金銭的に元が取れるのかを心配しているが、こんなリアル宝探しを出来るだけで、十分だとも考えてしまう俺がいる。
瞼を閉じた視界の隅を、チカチカと光が通る。
夜番に立っているキスティとサーシャが、光源を操作しているのだろう。
「ご主人様、ご主人様!」
「ギー、ギー!」
サーシャとドンの切羽詰まった声で起こされた。
闇に沈みかけていた意識が急浮上して、がばりと身体を起こした。
「なんだ、敵か?」
「違う、と思います。いえ、分かりません。とにかく武装して地底湖の方へお越しください」
「分かった」
鎧下は付けたままだが、流石に眠るのに支障のある鎧類は結構外している。
サーシャの助けを受けながらそれらを装着する。その間、ドンはギーギー言いながら休んでいたメンバーを残らず起こしている。
切羽詰まった感じでもないが、警戒はしている。
どういう状況だ?
「キスティがいないが」
「無事です、何かあれば下がってくるように言ってあります」
「む、そうか」
サーシャに促されつつ、地底湖の方に向かう。
通路を通せんぼするように、キスティが仁王立ちしている。
魔力を練りつつ、探知を巡らせる。なんだこりゃ。
「キスティ。デカブツがいるようだな?」
「主! 龍よ、我らの主はこのお方だ」
龍と呼ばれた、地底湖から顔を出した生物は、ブフゥと鼻息を漏らした。
「龍だと?」
「久方ぶりのヒトの群れよ。何が目的でこのような場所に来たのだ?」
重低音を響かせながら、龍が流暢に話した。
しゃべれるのか。
キスティの前に出ると、その顔をまじまじと見ることができた。
東洋の龍っぽい見た目の頭部だ。ただ首より下は湖に浸かっている。
胴体は水中にあって見えないが、気配は巨大である。
それなりに広いはずの地底湖が小さく見えるほどだ。
「探索だ。教えて欲しいが、何かあなたの気に触ることをしただろうか?」
明らかに強キャラっぽいし、言葉が通じるようなので下手に出てみる。
「いいや。特に何かを咎めに来たわけではない。ふむ、地表の小人たちはこの地の探索を再開したのか?」
地表の小人?
俺たちを指しているのだとしたら、ヒトのことだろうか。まあ確かに、この巨体と比べたら小人だ。
「いや、探索はストップしているが、俺は興味本位で潜ってるんだ。……以前の探索隊の遺品の回収も兼ねてな」
遊び目的と言うと流石に怒られるリスクもあるかと思って、最後に理由を取ってつける。
ルキの姉を探しているし、ウソでもない。
「ほう、それはご苦労なことだ」
「……そちらの素性を聞いても良いだろうか?」
「よかろう。我は水龍の一員」
「水龍? サーシャ、キスティ。分かるか?」
振り向くが、2人して首を横に振る。
「我らのことは、限られた者しか知るまい。我とて、久しぶりのヒトが、原初の魔法を用いていなければ、関わるつもりはなかった」
「……原初の?」
「なんじゃ、かつて見えた帝国の者は知っておったというに。失伝したか」
「俺が一般人だから知らされていないだけかもしれない」
「ふむ。今日の昼間に、この地で水を操ったのはキサマか?」
「ああ、多分そうだ。スドレメイタンに絡まれたから、水に投げ込んだけだが」
「ふははは! スドレなんちゃらというと、あの木偶の棒どものことだったな。あれに絡まれると、面倒だからな。気持ちは分かるぞ」
「水龍も、スドレメイタンに襲われるのか?」
「む? 当たり前ではないか。我らには知性がある故な」
「知性? 知性と襲われることに、何の脈絡が……」
待て。
この世界でヒトと呼ばれるものは、色んな種族がいて。それこそ丸鳥族のような、人型ですらないヒトもいて。
それでいて、魔物はヒトを等しく襲うという。
「……魔物は、知性あるものを襲う?」
「なんじゃ、それも知らなんだか。近頃の地表の小人は、不勉強だのう」
「それじゃ、こんな魔物だらけのダンジョンにいるあんたらは、大変じゃないのか」
「大変だとも。だから、地表の小人が彼奴らを減らしてくれるのは、我らにとっても都合が良い。遠慮なくやってくれ」
「……あんたらが、それを手伝ってくれたりは」
「そこまでする義理はないのう。ふむ、確かにキサマは面白い魔力の巡らせ方をする。だが原初の魔法とは少し違うのう。それを確認しに来ただけだ、邪魔したな」
「あ、ああ。待ってくれ、このダンジョンというやつは、どういう存在なんだ?」
「そんなことは我らも承知せぬ。解き明かすは小人の役割だろう。励めよ。そうだ、奥に進むなら、イミテーターどもに気をつけよ。最近この付近まで出張って暴れ回っておるようだ。彼奴らは、我らにもしつこく攻撃してくる故、鬱陶しい。よくよく駆除してくれると助かる」
龍が身を捩り、地底湖の深くへ潜って行く。ザバン、と音がして地底湖の水面が大きく波立つ。だがあの巨体からすると、もっと津波みたいな波が立ってもおかしくない。
水龍はそうならないように動くものなのか、あるいは俺たちにある程度配慮してくれたのだろうか。
「主、あれは一体……」
「キスティにも、サーシャにも分からないことが俺に分かるかよ。ルキは起きたのか? 聞いてみよう」
部屋に戻り、装備を着込んだルキに事情を聞く。
「水龍、ですか」
「ああ。何か聞いたことや、心当たりは?」
「全くありません。そのような存在を、噂話や伝説でも聞いたことはなかったです」
「そうか」
「私も会ってみたかったです」
「引き止められる雰囲気じゃあなくてな」
「はい……」
ルキは、水龍の正体が分からないことより、そんな神秘に触れ損ねたことの方に、悔しがっているようだ。
「ルキ。ご主人様と旅を続ければ、このような経験はいずれ出来ますよ」
「なるほど、そうですか」
そうだろうか?
流石にこんなビックリ体験はなかなかないと思うが。
俺の脳内ツッコミは届かず、サーシャたちは話を進めた。
「とにかく、あの言葉が本当なら、彼らは我々に味方するわけでもありませんが、敵対もしないようです。利害は一致しているようですし」
「そうですね。しかし、共通語を話していたと言うことは、ヒトなのでしょうか?」
「そうかもしれません。この地のヒト種族について、知らないことは多いですから。しかし、言葉を話すという意味では、龍種の一部は話せると言う伝説もたまにありますよね」
つまり。
龍とか竜とか、ドラゴンとか呼ばれているうちにも色々あって。
魔物もいれば、言葉が通じて魔物と敵対している存在もいるということか。ヒトと亜人みたいなことかな。
……だとすると、言葉の通じる龍はヒトと何が違うんだろな。
「原初の魔法ってのはなんだ? 俺はそんなスキル、持ってないが」
「そちらもさっぱりです」
ダメだ、うちの知恵袋たるサーシャも、他のメンバーもハテナマークを飛ばしている。
こういうとき、魔法関係はアカーネが意外と答えを持っていることもあるが。ちらり。
「ボクも知らないよ? 水を操るとき、ご主人さまは何か変わったことをしなかったの?」
「いや、心当たりないなあ」
強いて言えば、あれか。
スキル説明で、魔法スキルを説明するときに出てくる言葉。「解禁する」に何かヒントがあるかも。
……ないかも。
「ギギウ」
「ああ、分からないことはとりあえず置いておこう」
ドンのツッコミで我に帰る。
……もっと大事なことがあったな。
「イミテーターって魔物は、どんなやつだ?」
ルキが表情を曇らせる。
「本来は、ずっと奥にいる亜人です。とにかく魔法攻撃に特化していると聞きます」
「実際に戦ったことはなしか」
「ええ。なので確たることが言えないのが懸念ですね」
ルキは、ここまで来ての情報で切り上げるのを心配しているんだろう。
「まあ、そいつらを倒せそうなら、あの水龍にも恩を着せることができるかもしれん。とりあえず進むぞ」
「よろしいので?」
「まあな。サーシャには悪いが」
そう言ってサーシャを見ると、目を瞑って頭を下げた。
「私はご主人様の決めたことに従いますので」
「ああ。今回はよくリスクのある判断をしているが、懲りずにリスクの提言はしてくれ。頼むぞ」
「はい」
魔法戦か。
闇虫相手には無双できたが、流石にそこまで上手くはいかないか。
亜人だから、闇虫よりは知恵があるだろう。
***************************
水龍のせいでやや寝不足になりつつも、朝を迎えて行動開始する。
といっても陽の光はないので、簡易的な時計がわりの魔道具で朝の時間を測定している。
概ね1日で目盛りが一巡する道具だ。
時間を合わせてから、日に日にズレていってしまうらしいが、1週間かそこら潜っている分には問題ない。というか、仮にズレても概ね1日の時間が分かれば十分だ。
朝はまず、仕掛けた罠を覗く。
エビっぽい生き物と、小さな魚が数匹掛かっていた。
別の仕掛けには貝も数枚。
しばらくヒトが寄り付かなかったこともあって、警戒心が薄れていたようだ。
いずれも毒はないということで、早速サーシャが調理する。
昨日のダッシュフィッシュも乾燥させているものがあるし、これで今日明日で飢えることは無くなった。栄養が偏ってる気はするけどね。
海藻、いや湖藻とか採れたら、栄養バランスも良いのだが。このまま魚介ばっかり食ってると、壊血病とか心配だ。
どれくらいの期間ビタミンを摂らなかったら、発症するのだっけ。医学知識なんてさっぱりだ。
いくらか果物は異空間に保存しているから、何日かに一回、少しずつ食えば何とかなるだろうか。
朝食を終えたら、連れ立って付近の調査に向かう。
スドレメイタンの領域に向かう前に、周辺の安全を確保しておきたい。
拠点付近にある、分かれ道の先までひとつひとつ、確認する。ネメアシトの小さな部隊を4つ捕捉し、闇蛇も数体駆除した。ネメアシトは、いずれも石斧を主体とした武装で、動きも平凡。
やはり、この付近のネメアシトは挟撃してきた奴らが主体で、残っているのはバラけて行動している下っ端のようだ。
付近の確認が終わったところで、この日は活動を終える。
翌日、スドレメイタンの領域に向かうことにする。
今日の成果で、スドレメイタンの領域への道付近には主だった敵はいなくなった、はず。
挟撃のリスクはゼロにはできないが、少しでも下げておく。
下の階層、スドレメイタンの領域に至る道はいくつかある。
そのうち、入り口が狭く、中が見渡せる場所をルキに選んでもらっている。
慎重に状況を確認した後、作戦を実行する。そしてもし無理だと感じたら、狭い通路を逃げる。スドレメイタンの巨体は、脅威でもあるが、明確な弱点ともなる。
もしかすると、あえて敵に気付かせて通路に後退して、1体ずつ集中攻撃する状況を連続でこなす形にすれば、それで勝てるかもしれない。
ただ敵の攻撃を躱すスペースもないので、防御面でちょっとリスクが高いか。
なんにせよ、Aプランはそうではない。直接乗り込んで、まとめて叩きのめすのだ。
明くる日も朝食に海鮮というか、地底湖の幸を頂き、鎧を着直す。
昨晩は龍の訪問もなかったので、よく睡眠が取れた。
変異種っぽいとはいえ、1体にあそこまで苦戦したスドレメイタンが、群れでいる場所に乗り込もうとしているのだ。いつも以上に念入りに武具の手入れと確認を行う。
「行きましょう、主様」
ルキに促され、拠点を発つ。
地底湖の水面は静かで、今日もどこかで魚の跳ねる音が響いた。
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