第139話 狂犬
思わず、周囲の護衛と一緒に見上げる。
巨体が空を跳んでいる。
ズシンっ
軽く地面が揺れたあと、死蜘蛛は脚を畳みながらクッションにし、衝撃を逃したようだ。
この巨体で、跳び慣れている。
剣を持ち上げ、魔力を流す。
噴き出した炎に気付いた死蜘蛛が、脚を振り上げる。
ここまで観察してきて、振り上げてから下ろすまでの間隔は、何となく分かった。確証はないが、タイミングを測って後ろに下がる。1本目は大きく外れ、2本目は目の前の地面を貫き、土煙が上がる。
と、死蜘蛛の身体がグラリ、傾く。そして胴体が横倒しになる。
着地の直後、不安定な態勢のまま、振り上げた脚。残りの脚でバランスを取っているところを、思いっきり掬われたらしい。
死蜘蛛の向こうから歓声が聴こえる。最前線が死蜘蛛越しに少し見えた。そこにいたのは、パシ族の斧持ちの男だった。どんな手を使ってかは知らないが、向こうの脚をまとめて引っかけたらしく、死蜘蛛は思いっきり脚を投げ出した不格好な態勢をとっていた。
これは、チャンスか……!
前に近づく。死蜘蛛は変わらず、こちらを見ている。転がったままの態勢で、脚を無理やり、振り上げた。振り下ろすタイミングに合わせて、更に前へ、前へ。
1本目、後ろに逸れる。2本目も、後ろのどこかで地面を叩いた音がする。
しかし3本目は、上からではなかった。
胴体が転がっている状態で繰り出したためか。それとも、狙ってのものなのか。
3本目の脚は、地面と平行に薙ぎ払うように繰り出された。
想定していなかった軌道。逃げ場のない攻撃。
混乱する頭を何とか集中させ、サンドシールドとウォーターシールドを展開する。
音もなく振るわれたそれは、出来かけのシールドと衝突すると、大して勢いを殺すこともなく、脇腹をしたたかに打った。
目の前に光が飛ぶような感覚。衝突の瞬間の記憶が飛び、気付けば空中に投げ出されていた。一瞬の思考ののち、身体ごと地面に衝突し、衝撃が駆け巡る。
2回転、3回転してからは数えていない。しばらく回った後、うつ伏せの状態でようやく動きを止めた。
「グッ!」
ズキリと、脇が痛む。ゆっくりと腕を動かすが、何とか動かせる。
「グゥ……」
しかし痛い。とんでもなく痛いが……状況はどうなった!
「主、危ない!」
聴こえた声は、後ろから。
飛び込んできたキスティが、上から降ってきた何かを弾く。
「ッッ」
何をしている、俺は。起き上がれ、戦場だぞ!
キスティが2本目の脚を弾く。
「キスティ……」
1回、下がってから立ち直そう。
そう声を掛けようとしたところで、気付いた。
「ぐううううう……があああ!!」
キスティは3本目の脚を弾きながら、獣のような唸り声を上げると、前に踏み出した。
「こんなときに、“狂化”が発動したってか……!?」
と、また1本の脚が、振り上げられたことに気付く。
「待て、キスティ! 前に出るな、上から来るのを弾け!」
キスティが、ピタリと前進を止めた。そして、上を見上げ、剣を構えた。
「よし、正気に……」
「ぐううう……ああああ!!」
振ってきた脚を、キスティが弾いた。弾くのみならず、脚の殻を削ったようで何かが散った。
いや、待て。
キスティの様子からしても、あのバカ力からしても……おそらくまだ狂化状態だ。
なのに、何故。あ。
「!! そうか!」
ピコンッと、電球マークが出たかもしれない。ふと繋がった思い付き。
狂犬。
あれの効果か。
「狂犬……狂犬か。なるほどな……」
狂暴だが、群れの主には従順。そんなイメージだろうか。
もし、想像どおりだとしたら。
「キスティ、付いて来い! あの蜘蛛の脚は、全て弾け!」
「ぐおおお!!」
雄叫びを上げるバーサーカー化したキスティ。
喉を傷めそうだから、返事はもっと普通に返して欲しいね。
脇は痛むが、痛みにも慣れてきた。
歩けるし、瞬間痛みを我慢すれば、両手で剣も振るえる。
十分だ。弱点は、あそこ。
まだ転がったままの胴体の先端に付いている、ドクロ模様の頭部。後ろでは慌てて起き上がろうとする蜘蛛の動作をまだパシ族の傭兵とその仲間が、邪魔をしているらしい。起き上がろうとしてまた転がる、というのを3回ほど繰り返した。
近づいて来る俺たちに怯えるように、振り下ろされる脚はキスティが弾く。
まるで蜘蛛脚の中身が空かのように、剣で軽く弾く。
動体視力も強化されているのか、弾くタイミングも完璧に合っている。
振り上げられた脚が全て弾かれた後、走り出す。死蜘蛛が、喰われた傭兵を切断した鋭い口バサミを広げて待つ。
もう蜘蛛の顔は目と鼻の先だ。文字通り、眼と鼻の先。そして口の中だ。
勢いよく閉じられたハサミを、空中にジャンプすることで盛大に空振りさせる。更に空中でエア・プレッシャーを発動させ、強引に空中に身を投げる。
蜘蛛は急に消えたような俺の動きに、反応できていない。
言ってやるか。蜘蛛相手に言ってもだが。
「上だ」
複眼の間、人間の眉間の場所に落下しながら。ジョブを調整し、スキルを発動しながら落下していく。
身体強化魔法を発動、エア・プレッシャーで更に勢いをつけながら、「強撃」スキルを発動!
魔剣に限界まで魔力を流し、勢いのままに突き立てた。
ジョブを付け直し、魔剣術を発動。内部で火魔法を放ち続ける。
勢いよく頭を振って抵抗する死蜘蛛に、必死に喰らい付きながら。
「ギ、キィ…………」
バタリ、と首を下げる死蜘蛛に、地に投げ出される。
思わず剣から手を離してしまったが、まだ生きているのか!?
慌てて振り向くも、蜘蛛は身体を弛緩させたまま、横たわり動かなかった。
おそるおそる、近付いて剣を抜く。抜いた頭から黒い液体がドロリ、流れて地面に零れ、落ちた。
「うおおおおお!」
「よくやった、無事な者は救護に回れ!! 医者はいるか!?」
倒したんだ、と思った瞬間、周辺の音が入ってきた。
ずっと聴こえていたが、聴こえていなかった。
あと、死ぬほど痛い。脇腹が。
「……主、無事か」
「キスティも……無事だったか……焦ったぞ……」
「無理に話さなくて良い。すぐに救護班が来る」
「ああ、俺は……どうなってる? 自分では、五体満足に感じるが」
「ははは。間違いない、無事だよ。しかし、内臓を痛めている危険もある。無理に動かないほうが賢明だぞ」
「そうか……」
寝転がって、空を見る。
青空に、蜘蛛みたいな形の雲が、ぷかぷかとしている。
なんて平和そうな光景なんだ。
「無事か、あんた!? 医者連れてきたぞ、診てもらえよ!」
「ああ……」
「うむ、意識はしっかりしているね。僕は『医者』のニースだ。どこか怪我はあるかい?」
「脇をしこたま打った。動くとかなり痛い。骨が折れているだろう」
「……少し動かしても? ふむ……折れてはいない。安心して」
腕を上下に振るように動かされると、激痛で顔をしかめた。
なにをバカなことを言っているのだろう、この藪医者め。
「そんな馬鹿な。それでこんな痛いはずがない。折れているんだろう」
「……いや、スキルで確かめたし、動くし。腕も折れていなければ、肋骨も無事そうだよ。ただ、ひびが入っているように見えるけどね」
「ぐぅ……治せるのか? あんたのスキルで」
「いや、『医者』にそんな便利な魔法みたいなスキルはないよ。『癒術士』とは違うんだよ。僕に出来るのは、回復を促進することと、ギブスで固定してあげること。しばらくは護衛任務も休憩しなさい」
「ええ……報酬はどうなる」
「馬鹿なことを言わないでよ。立派に魔物を倒しての怪我なのだから、報酬どころか特別手当があるでしょう。大人しく休養だね」
「報酬はもらえるのか……なら大人しくする」
「まったく……身体よりお金かい? まあ気持ちは分かるけどね。……今、内臓系も確かめたけど、多分大丈夫だね。頑丈な身体に感謝しなよ。何かおかしい所があったら、いつでも医療班に言ってね。君は功労者のようだし、優先して診察するよう配慮するから」
「ああ……たすかる……」
「うん、ちょっといくつか薬置いてくから、飲んで寝ていな。どうせ、こいつの解体と倒れた馬車の整備でしばらくは待ちんぼだからさ」
キスティが薬を受け取り、用法を聞いている。
ドッと疲れが出た俺は立ち上がれもせず、キスティに薬を飲ませてもらうと、その場で夢の世界に入っていった。
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木目の天井。天井は低い。年輪模様が蜘蛛の複眼に見えて、一瞬身を竦めたのはここだけの話。
起き上がろうとすると脇腹に痛みが走り、思わず叫んだ。
「ぐぅっ!! くっそ、そうか、怪我して薬を飲んでっ?」
「キュー?」
のそのそ、とドンさんが近付いてきた。
痛みのない右の手で左側のドンさんを撫でる。
左手を動かそうとするとイチイチ痛いんだ。
「ドン、状況はどうなっている?」
「ギュー、ミィ!」
「そうか」
詳しくは分からないが、問題ないようだ。
ドンさんは健闘を讃えて、ピュコの実をごそごそと取り出すと、枕元に置いてくれた。
いらんとも言い辛かったので、丸かじりをしたが、相変わらず独特の渋みだ。
だが前よりは少し慣れて、渋みの奥にある独特の味も分かる気がする。ありがとう、ドン。ふわふわの毛を撫でておく。
こいつの毛、ふわふわのところと、ごわごわのところが混在しているのだよな。そして日によって、というか季節によってその配置が変わるっぽいことが分かっている。
俺は何となくそうなんだなあ、程度だが、サーシャは今どこが一番ふわふわなのか研究し尽くしているようだ。暇があれば毛づくろいしたり、撫でたり、エサを与えたりしているから。
そうして和んでいると、そのサーシャが入ってきた。
「ん、お気付きでしたか。大事ありませんか?」
「ああ。アカーネはどうしたんだ?」
「無事ですが、魔道具の修理に駆り出されています」
「ああ……」
途中で破壊されてたからな。
……魔道具をメンテできるのって1人だけなんだよな。それがこの戦闘でやられていたら、アカーネが1人でどうにかするしかないのか?
「この隊の方と一緒に、なんとか直せないかと議論を交わしておりました。あの娘の魔力視は優秀らしく、重宝がられていますね」
「……そうか」
どうやらもう1人は無事だったようだ。発動したのは別だったのかな?
メンテできる能力と、発動する能力は別物ってことか。
「サーシャたちは、後ろの馬車から攻撃を続けていたのか」
「そうですね……。頭への攻撃は避けますし、当たっても硬いですから、胴体に攻撃していました。嫌がってはいたようですが、結局防御層は突破できなかったようです」
「そうか……頭を割れなきゃ、持久戦で胴体を落とすしかない状況だったかもな」
「そうですね。それだけに、ご主人様が飛び込んで止めを刺したとき、歓声が沸き起こりましたよ」
「はは……」
さすがに今回は、頑張りすぎた。
止めを刺したとき、あいつの体液と一緒に、吐き出された手が見えた。
……喰われた護衛の、手だったのだろう。
一歩間違えば、俺も同じ目に遭っていたはずだ。
よく生きてたよ、俺。はぁ~……。
「膝枕でもいたしますか?」
「たのむ」
魅惑的な提案に、秒速で頷く。
まあ、実際枕もなくて痛かったから、仕方がないんだ。うーん、最高だ。
サーシャの腹の匂いを嗅ぎながら、いろんな雑念を頭からなくす。
「こうして、膝枕で匂いを嗅がれるのも、懐かしい気がしますね……」
前もやったっけ。やったのか。やった気がするなあ……。
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