ガンバリドキ 0

安東リュウ

Chapter.1:On your marks

1.桜咲く始まりに



──午後3時現在のグラウンドコンディションは気温28.6度。南西の風1.8mでございます。女子走幅跳決勝、最後の跳躍者は清鳳学院せいほうがくいん藤堂とうどう美郷みさとさん。現在の記録は5m98で第2位。武州大附属の多々良さんとは16cmの差があります────



 気がついたら私は、走り幅跳びの助走路に立っていた。


 私は確かに藤堂美郷で合っている。清鳳学院っていうのは私が明日から行く学校だし、それも正しい。でも、憧れのユニフォームはまだ持っているはずないのに、何故か着ていた。

 さらに、自分のベスト記録よりも1m以上超えている記録。私はそんなに強い選手ではないし、夢のような話だった。

 というか、夢なんだと思う。


「でも、目標なことには間違いないし……」


 27m先にはハッキリと、白と緑の踏み切り板が見えていた。

 でも、いつも出るような大会にはないような計測機器やら、電光掲示板やら、観客の多さやら、とにもかくにも、圧倒されそうな程にとてつもないところに立たされている。

 でも、私はそんなことじゃ負けたくない。だから大きく息を吸って、


「いきま────す!!!」


──はーい!!!


 緊張なんか掛け声で吹き飛ばしてやる。

 スタンドには私の仲間達がいた。私の背中を押してくれる"戦友"達なんだと思う。手を上げて声を上げると、仲間達が応援の声を返してくれた。

 こんな大舞台のような場所でみんながいるのは心強い。みんなって誰だろう。でも、中学の時もこんな感じだった。



 落ち着こう



 ゆっくりと息を吐いて、身体を下げつつ走り出す構えをとる。急に静かになるメインスタンド。戻ってきた緊張なんか見たくないから一息に足を踏み出す。

 躊躇せずに二歩目、三歩目、どんどん走り出す。タータンの感触がスパイクのソールを貫き、私の身体に力を与えてくれる。私はその力を生かして踏み切り板に駆けていった。



 ────16歩、16歩駆けた先に踏切板がある。私はその板に全ての力を込めて踏み切った。

 ふわりと身体が浮く感覚。まるで、空を飛んでいるような感覚に包まれる。私はその心地よい感覚に身を委ねた。

 身体が自然と砂場に着地する姿勢をとる。砂場に着地した時、私の心はただ、一点の曇りも無い鏡の中に飛び込んでいくような、そんな感覚の中にいた。

 どよめきが鏡の中から私を引っ張り出す。いや、正確には半分くらいか。昏迷と覚醒の間を意識がさまよっているような感覚だった。


 とりあえず砂場から出て自分の記録を聞こうとしたが、上手く聞き取れない。私の耳に入ってくるのは、幸福感を壊さんばかりにジリジリと鳴っている金属音しか聞こえなかった。

 うるさい、うるさい、でも音はどんどん大きくなっていく。


「嫌だ、うるさいっ、やめて!」


 私は声を上げるが、その声は誰にも伝わらなかった。

 

 しずかに、してよ!!!!


 不快な音に抗おうと叫ぶが、その声は声にすらならなかった。


 その刹那、私のお腹に鈍い衝撃が与えられた。


「うぐっ! 何が起きたの?」


 衝撃と共に倒れ、しばらく起き上がれなかった。不快な音に包まれながら、白い雲が流れる空をぼーっと眺めていた。しばらくすると、突然お腹の上で何かが蠢き始めた。びっくりした私は起き上がると────



 そこには猫がいた。




***




「うわぁああっ!!」



 気がついたら私はベッドにいた。どうやら夢から戻ってきたようだ。

 けたたましく鳴っているシンプルなデザインの目覚まし時計を荒々しく止めて一つ欠伸をする。

 もう一回寝たいけど、お腹の上には飼い猫のミーシャがいる。どうやらお腹が空いているみたいで、私にやたらと甘えていた。普段は素っ気ないのにこういう所がかわいいんだよね~

 それにしても眠い、いい夢くらいもっと見させてくれればいいのになんて、ちょっと悪態をついてみた。

 いや、いい夢だったのかもしれない。もう少し夢の世界に浸っていたかった。

 しばらく撫でて、ミーシャにご飯をあげようと思ったその時、扉がドンドン叩かれた。


「美郷、もう七時半よ!! アンタ、入学式から遅刻するつもりっ?!」


 母親の怒鳴り声につられてシックなデザインがお気に入りの掛け時計を見ると、針は七と六を指していた。

 今日は四月五日の月曜日だ。確か、入学式は月曜だったから…………


「ああっ、遅刻だぁ!」

「そんな素っ頓狂な声出してないで早く着替えなさい!」

「分かってるよ!!」


 シワ一つない制服に袖を通し、急いでネクタイを締める。第一印象絶対大事。きれいにしていかないと。

 鏡の前に立って最終確認、清々しいくらいの青いブレザーにチェックのスカート。知らない人から見れば、多分女子高生に見えるのだろう。


「早く出てきなさい!!」

「分かってるって!!」


 催促の声に引っ張られて、下の階に向かう。

 でも、朝ごはん食べてる暇がなくなってしまった。


「もう行きなさい、お弁当袋の中に朝ごはんの分のおにぎりも入れといたからね!」


 という声と共に飛んできた巾着袋をドアを開けつつキャッチして、私は家から飛び出した。


「え、うそ、本当に?ありがとう!!」

「早く行きなさい、ホントに、美郷みさとは抜けてるんだから〜!」


 お母さんのいつもの小言が飛んできて、ちょっと嫌な気持ちになる。けど、寝坊したのは私だししょうがない。あー、昨日、栞里のくだらない話にずっと付き合うんじゃなかった!


「うるさいな〜もー! いってきます!!」

「いってらっしゃい! お弁当残さず食べるのよ〜!!」

「はーい!!」



 四月の春の空はやっぱり暖かかった。

 そよ風が吹く土手を自転車で駆け抜けていく。まだ見ぬ新生活への憧れに私は心を高ぶらせた。落ち着け、私! ハイスクールライフはまだ始まってないぞ!

 20分くらい自転車で走ると、大きな学校が見えてきた。あれが、私がこれから通う清鳳学院高等学校だ。清鳳学院高校は私の愛する埼玉県にある大きな高校だ。しかし、ただ大きいだけではない。

 個性を尊重する校風から、ユニークな部活が見受けられる。高校の体験入学で太極拳ならぬ八極拳同好会とか見かけた時には目を回しそうだった。

 だけど、私はもう入る部活を決めている。というか、この高校の、陸上部に入る為にここに来たんだ。

 私は陸上部に入ってからの夢やらなんやらを膨らませながら自転車を所定の位置に止めた。昇降口には既に新一年生たちがワンサカいた。


「み〜さ〜と〜!!」

「なに?!」


 突然の衝撃が脇腹に走る。ゾワゾワした感覚が私を一気に冷めさせた。

 脇腹に後ろから差し込まれた手に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。こんな事をする犯人を私はよく知っている。私は抗議の念を込めて、後ろを振り向いて犯人を睨んだ。


「ちょっと脇腹くすぐっただけでそんなに怒らなくてもいいじゃんか〜」

「そのちょっとが私は嫌なの! 栞里には何度も何度も怒ってるじゃん!」

「まぁまぁ、そんな事言わずに、クラス分け見に行こ?」

「はぁ、本当に栞里っていつもそうなんだから…………」


 昇降口にはクラス分けの紙が大きく張られている。

 私の名字……藤堂とうどう……えっと、あ、あった。ん、その次にある名前にも見覚えが────


「おおおっ、美郷と同じクラスじゃん!」


 嬉しい、けど嬉しくもないような気がしてきた。毎日くすぐられたら寿命がどんどん縮まるし、でも喋る相手がいるのはかなり嬉しい。

 私は、のんきな友達に手を引かれるまま自分のクラスと思しき教室に連れていかれた。

 1年C組、一年間お世話になる教室には何人かの新入生が楽しそうに話したりしていた。


「えっと、席は……」

「ここだよ〜!」


 栞里に手を引かれるまま、教室の真ん中辺りに座らされた。黒板に貼ってある座席表を見る限りそれは間違いない事実だった。私は一息ついて後ろの席に座っている栞里に話しかけた。


「ねぇ、栞里、友達出来た?」

「何人か出来たよ〜」

「そっか、やっぱ栞里はモテるんだね〜」

「そ、そんなことないよー!」


 目の前で赤くなっている友人、中村 栞里。彼女は身長172cmという高身長で健康的な黒い肌にスラッとしたスタイル、カラッとした笑顔がチャームポイントの彼女は、言葉も喋れなかった時代からの大親友だ。しかも、栞里がすごいのは、中学時代は全国に名を馳せたスプリンターだったのだ。100mのベストは12秒13で全国大会準優勝、200mは25秒01、こっちは三位だった。

 そんな彼女は全国の色んな高校から推薦を貰っていた。県内のみならず日本で一二を争う強豪校である武州大附属や短距離の名門、紅陵学館、さらには県外の高校からも推薦が来ていた。

 だけど栞里は全ての推薦を蹴った。そして清鳳学院に一般の推薦で入学したのだ。理由は一つ、「お父さんの出身校だから!」だそうだ。


「あれ、栞里のお父さんって今どこだっけ?」

「東洋電工の短距離コーチやってるよ〜」

「じゃあ、栞里も高校卒業したら実業団行くの?」

「いや〜、キャンパスライフって憧れるじゃん? だから大学行こうかな〜って思ってる!」


 栞里の一家はスポーツ一家だ。お父さんは実業団の中でも五本の指に入る強豪チーム、東洋電工陸上部の短距離コーチ、お母さんはプロバスケットボールリーグのチームの監督、そして私たちの二個上のお姉さんはインターハイ常連の狭山学園に特待生で入学し、二年連続インターハイ得点王という、周囲から見ればキラキラしているようにしか見えない家族なのだ。

 姉妹に関しては、実績と容姿だけならばという補足がつくが。


「で、美郷はどうすんの?」

「私?私は…………」


 教室の規則正しく穴の空いた天井を見つめる。

 高校卒業して、私のやりたい事と言ったらやっぱり一つしかないよね〜、って口を開きかけた瞬間


「みなさん、おはようございます


 おしとやかな黒髪の女性が教室に入ってきた。担任の先生で間違いない気がする。


「それでは、皆さん。朝礼を始めるので座ってください」

「先生、美人だー!」

「お世辞を言っても何も出ませんよ、それでは出席とります」


 小柄でショートボブのおっとりとした顔つきの女性が、これまたゆっくりとした声でC組のメンバーで初めての出席をとりはじめる。なんか、眠くなりそうな声だ。

 少し眠くなってきたところで、パチンと手を叩く音に心臓がひゅいってなった。犯人に向かって「後で覚えてろ」って口パクしてから前を向き直した。


「はい、皆さん登校していますね〜。えー、私はこの3年間皆さんの担任になりました九条 由季と申します。教科は国語です。喧嘩せず、相手を尊重しながら皆さんで仲良く生活しましょう」

「先生は何部の先生なんですか?」


 九条先生の自己紹介が終わった後、教室の後ろの方から質問が飛んできた。すると先生はニコリと笑って口を開いた。


「ちなみに私は陸上部の顧問で────」

「ふえっ?!」

「どうしましたか? えっと…………藤堂さん?」

「あっ、いえ、その…………」


 先生の予想外な返答に、私は思わず変な声を出してしまった。

 こんなにもおっとりしている先生が運動部の顧問をやっているからではない。それが私の一番興味のある話だったからだ。


「美郷は陸上部の入部希望者なんですよー」

「えっ、ちょ、待ってよっ」

「あら、そうなんですね」


 栞里が私の考えを代弁してしまったので、クラスみんなに知れ渡ることになってしまった。

 まぁ、私は何を言われようと陸上部に入るつもりだったので、その気持ちがより強く固められたと思って、水を流す事に決めた。

 でも、先生の表情が、ちょっとだけ不思議な感じに思えたのは私だけなのかな?


「えっと、とりあえず、この後入学式があります。式が終わったら各自下校という流れになりますので、皆さんは新体育館に移動しましょう。体育館履きじゃなくていいですからね」


 何か口籠るような先生のその態度が少し不思議だったけれど、なんでかなんて私にはわからないことだ。とりあえず、体育館履きに履き替えて


「先ほどもお話ししましたがローファーのままで出てくださいね〜」


 今し方言われたことをスルーした私の耳を怒りたい。耳まで熱湯に浸かったかってくらい熱くなりながら、私はみんなについて行った。


 



 式が終わり、私は栞里と一緒に帰っていた。自転車を押しながら中学時代の話に花を咲かせていた。


「そう言えば栞里の悪い癖は冬の間に治ったの?」

「癖? 何それ?」

「緊張するとお腹壊す癖だよ。入学式で名前呼ばれる前、顔色悪かったじゃん、あんな事で緊張してたら決勝は腹痛でビリとかいうことになっちゃうんじゃない…………あっ」

「えっ、待って、あの関東の100は、ホテルのせいじゃない? まさか朝に食べたヨーグルトにあたるなんて、想像できると思う? あれは美郷でも無理だね、しかもあの時ちゃんと走りきったし!」

「強がってばっか! その口をもっとメンタルに生かしたらどうなんでしょーか?」

「もー、いいよ!!」


 栞里は文字通り頬をふくれさせていた。いつも私が栞里をいじるとこんな表情になる。ただ、同性の私でもかわいいと思うので、異性に見せたら彼氏の一人二人くらい出来そうな感じはするが、異性に奥手な彼女は恋愛経験0だ。

 そんな私ももちろん0だ。正直、男子と遊ぶより練習の方が絶対楽しいし。

 川沿いを走って橋を渡ったら、そこで栞里とはお別れ。でも明日会えるし、別に寂しくはない。


「それじゃあ、また明日ね〜」

「また明日〜!」


 いつも通り挨拶は私から、軽い感じで私達は別れた。スラッとした親友の背中を見送る。

 夕日がちょっと眩しい。少し暑くなった気がして、ブレザーを自転車のカゴの中に放り投げる・風がちょっと涼しくてついついくしゃみしちゃって、


「風邪ひくなよ〜!!!!」


 川沿いの方から声が聞こえて、顔を向けるといつのまにか栞里がこっちを見ている。多分、ニヤニヤしてるような気がする。


「風邪なんかひいてないよーだ!!!」


 思いっきり言い返してから自転車に跨る。でも、なんかちょっと楽しかった。 







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