8 古戦場跡地再訪

「仮に百歩譲ってわたしが田中くんに好意をもっているとしても」

「百歩も?」

「百!万!歩!譲ったとしてもないかもしれんけど、純粋に仮定の話として、二人が付き合うとして!」

「わかった。仮定。はい」

「だとしても綾禍解決のためじゃいうて、なんでうちが生贄にならんといけん?」

 放課後、なっぴたちに強引に誘われ、いやいや郷土史研究会の部室に付いてきたていのわたし。気まずいし、ちょっと居づらい。もう少し素直になれないものか、自分。

「まあ、たしかに理不尽だよねー」となっぴ。

「ほうじゃろ?」

「まああれだ、尊い犠牲ってやつ?」と彩乃ちゃん。そんなテキトーな。

「なんでうちが犠牲に?」やっぱ、そうすぐに素直にはなれん。

「そ、それもそうだね、うん……」彩乃ちゃんがシュンとする。

「二人を引き合わせて、夫婦になる約束をさせて、そのあとの夫婦生活は成仏後にどうぞご自由に、じゃダメなの?」わたし必死に食い下がる。ここは容易には引き下がれん。

「それで納得してくれればいいけど」となっぴ。

 みんなが気まずい感じで黙り込む。

「田中、なんとか言えや」と高橋くんが促す。

「だけどオレからお願いしたら、いかにも下心あり、じゃろ。言いづらい」田中くん、汗びっしょり。

「事実、下心ありじゃけんなー」と高橋君がおちょくる。

「はい」正直者か。ちょっとウケる。

「いつまでうじうじしてても埒が明かん」なっぴが厳しい口調で「田中、告り。いまここで告りんちゃい」

「告るって、こんな皆の前で?」腰が引けてる田中くん。

「いいから。男じゃろ。男になれ、今ここで」と迫るなっぴ。

「そういうもんじゃないじゃろ」田中くん涙目。

「わたしだって急にそんな困る」わたしも同調。

「困る? うちらが邪魔ってこと?」

「それはまあ、人前でそういうのは、ね」

「パンダのお見合いペアリングじゃあるまいし、くっつけ、くっつけ言うて固唾を呑んで見守られても」

「分かった、じゃあ、二人きりにしよう!」と彩乃ちゃんが手を叩く。そんな名案?

「やめてー。そんなことされても急に仲良くはなれん」

「いやいや、そうとも限らないっしょ」彩乃ちゃん、そのニヤニヤやめて。

「陰でこっそりモニタリングされてると思ったら、素直な気持ちになれんじゃろ」と田中くん。

「素直になったからといって、自動的に相思相愛になる訳でもないし!」と念を押してしまうわたし。いじわるか。

「まあまあ。なかよくなるかどうかは別として、とりあえず二人きりで話し合ってみたら?」なっぴが世話焼きおばさん気質を発揮する。

「何を話し合う?」

「打開策じゃ」と高橋くん。だからどうしろと?

「はいはい、人払い人払い」なっぴがパンパン手を打ち鳴らす。

「繁殖♪ 繁殖ぅ♪」彩乃ちゃん、ちょっと面白がりすぎ。

「やめてー! 繁殖とかせんけえ!」

「うちらはサ店で茶ぁでもしばいてくるけえ」

「ちゃんと対策を話し合いんちゃい」

「こっそり監視とかせんけえ」

「愛を語らいんちゃい」

 ゾロゾロ出ていくみんな。

「ちょっと待ってよー」

 部室に取り残された田中くんとわたし。

 みんな勝手すぎ。


 沈黙が針のむしろ

 めっちゃ気まずい。

 耐えかねた田中くん「あ、あの、樫飯さん」いやビビりすぎだから。

「なんでしょう」いけん、思った以上に冷たい口調に。

「こないだはごめん」

「なんの件?」

「あの、えと、鷹之丞が急に告白みたいな発言を」

「謝るポイント、そこ?」

「違いました」

「むしろ鷹之丞さまは田中殿の背中を押してさしあげたのじゃ」あれ、わたし何言ってる?

「樫飯さん、口調が?」

「何も可怪しうない」いや、おかしいでしょ。(可怪しくないぞえ)

「ひょっとして綾姫?」田中くん、顔ひきつってる。

「樫飯じゃ。いつもどおりの瑠香ちゃんじゃけえ」(そんなわたし、いないわ)(うるさいのー)

「樫飯さん、なの?」ふっ、まんまと騙されよるわ。

「そうだよ。いや話がそれた。謝るべきは彩乃ちゃんの脚を好色な目で見ておったことじゃ。そんなに大木殿の脚がよいのかえ?」そがな無礼な仕打ちを許しては殿方はつけあがるばかりじゃ。

「そ、それはたしかに、見てしまったことは事実。だが、ワシが、いや僕が一番見惚れるのは、やはり樫飯殿の美脚じゃ」(あれ? 田中くん? 鷹之丞さん?)

「なんとイヤラシイ言いようぞ」

「露骨な表現に渡ったことはひらに勘弁じゃ。しかし、ワシの心には樫飯殿の麗しき瞳、麗しき黒髪、その凛とした心ばえへの愛しかござらんよ」

 これは明らかに鷹之丞殿の言葉。

 とすると、口を極めて樫飯殿を絶賛しているのは。

「鷹之丞さま? 鷹之丞さまでござりましょう」

「わ、ワシはあくまで田中でござる」

「そのような成りすまし、この綾にはバレバレでござります」

「あ、綾姫? 樫飯殿ではなかったのか」と鷹之丞さま(田中殿か?)

「あ、え、ああ! 樫飯だよ。わたし瑠香ちゃん」(いや手遅れだし。モロバレでしょ)

 わたしのことを疑るような目で見ていた鷹之丞さん(田中くん?)が、そっと溜息を付いた。

「綾姫。いや、樫飯殿か。もうこのような不毛なる化かし合いはこれきりにしようぞ」

「それは妾も異存はないぞえ」

「うむ。で、綾姫はとどのつまりどうしたいのじゃ」

「それを女のわたしの口から言わせるのでございますか」恥じらう綾姫。

「ワシが率直に願望を申しても、どうせああでもないこうでもないと難癖を付けられるぐらいであれば、最初から希望を聞いたほうが早いではないか」

「妾がいつあーでもないこーでもないと難癖を? 殿方たるもの、心を尽くしてああであろうかこうであろうかと女心のつぼを探り、その望みを叶えんと努めるべきでござらぬか」(綾姫いいこというね)(ふん、当然じゃ)

「面倒くさいのう」

「それを面倒がるようでは一人前の日本男児とは申せませぬ!」(そうだそうだー)

 ここまで言わせてようよう意を決したらしき鷹之丞(田中)殿。

「あいわかった。それがしとて武士もののふの端くれ、我が思いの丈を正々堂々述べようではないか」

「謹んでうかがいましょう」

「綾姫や、ワシはそなたのことが、ぶち好きじゃけえ、つきおうてくれ」……綾はその言葉を五百年待っておりました。(あれ?)

「はい。鷹之丞様のお望みのままに」(え? ちょ、ちょっと待って! なんでそんな急に素直?)

「つきあうだけでよいのでございますか」(催促しないでー)

「むろん夫婦めおととなりて、この世の尽きるまで仲睦まじう添い遂げるのじゃ」(二人はそれで満足かもしれんけど、わたしと田中くんはどういう扱いに?)(何が不満じゃ。問題なかろう)

「どうじゃ、満点の答えであろうが」(鷹之丞さん鼻息荒いけど、待って待って)「綾姫、何を小声でぶつくさいうておるのじゃ、何か気がかりなことでも」

「いいえ何もございませぬ、ただ、ここで」と、わたし(綾姫)が頭を指差し「ちょっと樫飯殿がぶつくさ喚いているだけのこと」喚いているだけ、って何だよ。その扱い、ひどくない?

「樫飯殿の気持ちを思うと、少々強引な感もあるが、どうせいずれは田中殿と結ばれるのだから、なに、ちょっと早まるだけのことよ」

 鷹之丞勝手に決めつけないで!

「早まるだけは言いすぎでしょ」と必死に抗議するわたし。(この馬鹿娘、せっかくまとまった話を台無しにするつもりかえ)

「あ、綾姫、何かまずいことでもござったか」オロオロする鷹之丞。意外と小心者?(根は屁垂れなのじゃ)

「やはりうら若き乙女の体をお借りするとなれば、少なくとも本人の承諾は欠かせませぬ」(樫飯殿、まさか妾になりすまそうと?)

「それもそうじゃのう」

「それに田中くん……田中殿のお気持ちだってあるでしょう?」

 鷹之丞さんは大笑いして、

「いやいや田中殿はこの成り行きに諸手を挙げて喜んでおるよ」そ、そうですか。そうでしょうとも。心配して馬鹿をみた。

「それゆえ、綾姫から樫飯殿を説得してくれれば問題は解決じゃ」

「か、樫飯殿は、田中殿の口からきちんと思いを聞きたいと申しております」ちょっと声裏返っちゃった。

「もっともじゃ。少々待たれよ」というと鷹之丞は頭をガンガン叩きながら「おおい。田中殿、田中殿、出番じゃ」

「そんな自由に呼び出せるの?」怪しさ満点でしょ。

「ボ、ボク田中だよー」って、鷹之丞、演技がド下手。

「た、田中殿であったか」必死に笑いを噛み殺すわたし。

「ささ、綾姫殿もはよう樫飯殿を呼び出し……いや、もう既に樫飯殿であったかな」バレてた。

「樫飯さん」

「なんじゃ」あ、もうなりきらなくていいのか。もう訳がわからん。

「ボ、ボクは樫飯さんがぶち好きじゃけえ、つきおうてくれんかのー」

「鷹之丞。なりすましが下手すぎてお話にならん」馬鹿にしてるん?

「な、なりすましじゃないよー」オロオロする鷹之丞。

 わたしは堪えきれず、つい吹き出してしまう。

「ぷっ。大根役者すぎるじゃろ」

 顔を真赤にした鷹之丞が目を見張り、

「ああ、もうダメじゃダメじゃ」蝿を払うように手を振った。

「扉の陰で耳を澄ましておる各々方 おのおのがた 、もう止めじゃ止めじゃ。話は決裂じゃ」

 扉がガラガラと開き、みんなが肩を落としてゾロゾロと部室に入ってきた。あれ。サ店に行ったんじゃなかったん?

「大体、田中殿がいざとなると臆病で、へっぽこなのがいけんのじゃ」と鷹之丞はすっかり匙を投げた様子。

「わしらの憂いを取り去り、心安らかに成仏してもらおうという真心が微塵も感じられん」

「これではのう」と綾姫(あれれ。またもや再占領された)

「ほんにのう」と鷹之丞。

「ほんにのう、って他人事みたいに」権藤殿の口調が厳しい。

「大体、鷹之丞がしゃしゃり出てくるから話がこじれるの。ちゃんと田中本人が瑠香ちゃんに告白しなきゃダメなのに」

「ワ、ワシとてまかり出てくるつもりはなかったのじゃ。気づいたら成り代わっておってのう。むしろ田中殿がワシの陰に隠れたのではあるまいか」

「田中ならありえるな」と高橋殿。

「そうじゃ鷹之丞さまばかり責めるのは筋違いじゃ」

「綾姫、あんたもなんででしゃばった?」権藤殿がこちらにも矛先を。とんだ藪蛇じゃ。「わ、妾も鷹之丞様をかばおうと、つい気がついたら」

「うわー、ラブラブじゃーん」と大木殿が冷やかす。

「熱いのう」と高橋殿まで。

「ごちそうさま」「よ、ご両人」「ひゅうひゅう」

 二人に散々冷やかされ、綾姫はいたたまれなくなったらしく。

「綾姫、いなくなっちゃった」とわたし。

「鷹之丞も消えたわ」と田中くん。

 二人は目を合わせ、安堵の息を吐く。


「で、話は振り出しに戻る訳か」と彩乃ちゃん。

「なーんにも進展せんかった」となっぴ。

「サ店に行ったのも無駄足か」と高橋くん。いや行ってないじゃろ。

「田中ー、お前ほんまにつかえんのー」

「早くなんとかしてよね」

「なんか言うことあるでしょ」

 口々に責め立てられる田中くん。

 田中くんが必死な面持ちでわたしを見つめた。なんか決死の様子。やだ、何を言うつもり。

「樫飯さん!」と立ち上がる田中くん。

「な、なに?」

 田中くんはその場に土下座し額を床にこすりつけ、

「お願いだ。助けると思って、一緒に発掘現場に行ってください」

 え、発掘現場に? そこで告白するん?

「樫飯さんに付き合ってもらえるとか思い上がってはおらんけど」

 そ、そうなの。

「じゃけど、ぶち好きなのはほんまじゃ! じゃけえ、なにかしてくれとはいわん、ただあの二人を成仏させるために……」そこで言葉に詰まる田中くん。

「ために?」

「二人で念仏を唱えてください!」と言って手を差し出す田中くん。

 ね、念仏かよ……これ、告白とはいえないよね。でも、なんか熱い気持ちは伝わる……そっと手を握り返す。

「ほんとに念仏だけでいいの?」

 そう優しく尋ねると完熟トマトばりに真っ赤になる田中くん。よからぬことを想像したかー。可愛いヤツめ。

「いや、できればその……お付き合い……」思わずジロッと睨んでしまうわたし。いけん。これでは前にすすめん。

「ご、ごめんなさい。念仏で! 念仏でお願いします」はーあ(深い溜息)

「いいよ、念仏唱えるぐらい」

「あ、ありがとう」

 握った手。田中くんの温もり。掌を通じて二人の体を同じ電気が流れている気がする。

 煮え切らない様子のなっぴたち。

「念仏て」

「それであの二人は成仏できるんか」

「さあ。分からん」と田中くん「成仏してほしいという願望ぐらいは伝えられるか…、と……」語尾がうやむや。そんな自信ないん。

「ねえねえ、今のって、告白?」と彩乃ちゃん。

「うーん、告白未遂?」とわたし。「でもいいじゃん。何かは前に進んだ気がするよ」

「で、あんたらはいつまで手えつないどるん」

「あ、そうでした」



      * * * 



 善は急げで、そのまま五人で発掘現場に行く話がまとまった。

「でも、念仏なんて誰が唱えるん」と高橋「オレそういうの全然わからん」

「そこはまかして」と権藤。

 権藤はお笑い研究会で古典落語や講談を勉強中(意外に真面目な活動してるな)ということで、なぜか般若心経が暗唱できる。

「その二つの関連がわからん」

「西洋文化の理解にキリスト教が欠かせないように、日本文化には仏教が欠かせないってこと」権藤鼻息荒い。

「部室から袈裟けさのコスプレ衣装を持ってくるわ。なんならハゲヅラもかぶる?」ノリノリの権藤だったが、コスプレは皆が止めた。

 制服姿の五人は学校を出て住宅街を歩き、広電宮島線とJR山陽本線を越えて、小学校の裏手に近いホテル建設予定地に辿り着いた。

 中には入らず、建設現場を囲む柵の外を柵に沿って歩く。

 オレは何かの声(どうせ鷹之丞だろう)に導かれて進み、とある場所で森の奥に踏み込んだ。ところどころ下草の繁みを踏んづけたり腕で払わないと先に進めない。

「これ、ちょっとした冒険だね」と大木さん。

「けっこう山深いじゃん」

「こんなに奥深く入らんといけんの」

「制服で来る場所じゃなかったわ」

「ねえ田中くん、どこまで行くの、てかどこに向かってるん」

「鷹之丞がどんどん進むんだよ」だからオレにも目的地は分からない。

「鷹之丞どこ目指しよるん。骨があったのは、ホテルの建設現場じゃろ?」

 バイパスの下の連絡通路をくぐって、さらに森の中を進む。

「このあたり?」

「発掘現場から随分来たよ」

「うん、来すぎたね。道を間違えたっぽい」

「田中よー、つかえんのー」

「いや、オレじゃなくて鷹之丞のナビが悪いんじゃ」

「鷹之丞もつかえんのー」まったくじゃ。


 帰り道は来た道を戻るだけなので楽だ。

 女子三人が先に立って歩いていく。

 樫飯さんの肩甲骨の下辺りまで伸びたサラサラの黒髪が揺れる。短く詰めたスカートの丸い膨らみ、その下にすらり伸びた健康的な脚。

 オレ(&高橋)が後姿に見惚れていると、大木さんが樫飯さんの手を取って歌を歌いだした。すかさず樫飯さんが唱和する。二人がダンスを踊り出す。さすがは桜尾高校(ラオコー)No.1のダンスユニットだ。

 森のなかで突如はじまったミニライブ。

 これは儲けもの!

 細かい部分まで見事にシンクロした二人のキレッキレのダンスを、権藤、高橋、オレの三人は固唾を呑んで見守る。

 天女が舞い降りたとしか思えん美しさで踊る二人が、揃ってクルっと回転した拍子に、ただでさえ短いスカートがふわっと広がり、白い太腿が目に飛び込んできた。

(これはこれは絶景かな)鷹之丞まで二人の美脚につられて出てくる始末。

 三人(&霊)の熱い視線に気づいた樫飯さんと大木さんが、

「そんなジロジロみないで」

 と口を尖らせる。

 そんな短いスカートでダンスされたら、誰だって見ちゃうでしょうが。

「そんなジロジロだなんて。ただカッコいいダンスだなーと」と誤魔化すオレ。

「本当に?」

「濡れ衣じゃ、ワシは断じてそなたの、その、ぎりぎりまで露出した、白くてむっちりとして形の良い生足をば……」(鷹之丞? 語るに落ちてるよ?)

「がっつり観察してるじゃん」

「そのように見せつけてくるそなたらが悪いのじゃ」

「認めたね。開き直ったね」

「いや、そもそも樫飯殿の太腿を凝視したのは田中殿であって、ワシは仕方なくお付き合いで、その」(こら、都合の悪いときだけオレのせいにすな!)

「あれれ? いま、ひょっとして鷹之丞?」と樫飯殿。

「い、いいえ。某は田中にてござるぞよ……」

「鷹之丞だ!」(その通りだよ樫飯さん!)

「もしくは田中が鷹之丞に罪を被せようとしてなりすましてるか」と大木殿。(大木さん、誰の味方なんだ!)

「大木殿鋭いぞ。まさにそのなりすましじゃ」(違うだろ、武士の風上にも置けない卑劣漢めが!)

「鷹之丞だな」

「ああこれは鷹之丞で間違いないな」

「だな」

「何を申す、某は断じて鷹之丞ではござらぬ」

「はいはい、分かった分かった」

 軽くあしらわれて気分を損ねた鷹之丞はまた意識の陰に退却した。

「綾姫は来てないの」と権藤が樫飯さんに訊く。

「意識の隅にあやしい気配は感じるけど出てくる様子はない」

 踊り、歌い、騒ぎつつ、一行は発掘現場のそばまで戻ってきた。

 工事現場の囲いのすぐ脇にちょっとしたスペースがあった。

「ここでいいかな」と権藤。

 オレは胸の中の鷹之丞に問いかけてみたが、特に不満はなさそうだった。

 祭壇もなにもない場所で祈祷をするというのは、なんだか心もとない。

 考えたすえ権藤は、高橋、樫飯さん、オレの三人を並んで座らせ、三人に向かって念仏を唱えることにした。大木さんは権藤の脇に控えている。

「えー、それではこれより、鷹之丞、綾姫、清志丸の成仏を祈願し、念仏を唱えます」

 権藤が朗々たる声で、般若心経を読経する。

「仏説~。摩訶般若波羅蜜多心経~~~。観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時……」

 意味のわからないお経を聞き流しながら、オレは、別のことを考えた。

 鷹之丞は樫飯さんと二人きりになるチャンスを狙っているうちに森の奥深くに入り込んでしまったんじゃないか。

 でもこんな山中で一体何を……

 いや鷹之丞ならやりかねん……

 綾姫は鷹之丞の思いを受け入れる気満々だった。

 樫飯さんはオレの思いを受け入れてくれるのか……

「即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心~経~~~」

 権藤の渾身の読経が終わった。権藤お疲れ。

 だが、読経が済んだところで、何かが変わったという実感はなかった。

 これであの三人は成仏できるのか。大いに疑わしい。

 でも権藤の頑張りにケチをつけるなんて誰にも出来ない。

「これできっと成仏してくれるよ」

 互いに励まし合い、慰め合いながら、五人は帰途についた。

 権藤が、ちょっと肩を落としているように見えた。

 ドンマイ権藤。


 家の方向が同じということで、オレは樫飯さんを送っていくことになった。

「送り狼になれよー」と権藤。

「うるさいわ」とオレ。

 真っ赤になって俯いた樫飯さん「やっぱり一人で帰れる」

「ダメダメ! 送ってもらわないと!」と大木さん「ほら、ちゃんと手をつなぐとか肩を抱くとかして!」

「田中くん、ちゃんと家まで送り届けるんだよ」と権藤も「しっかり♪」

 これはやっぱりパンダのペアリング的な何かだ……


 結局手をつなぐことも肩を抱くことも出来ず、樫飯さんと並んで歩いた。でも袖が触れ合う程度に二人の距離は近かった。それだけで今のオレには十分です(涙)

 そして、とある家の前で樫飯さんが足を止めた。そこには「樫飯」という表札。

「送ってくれてありがと」

「う、うん」

「ちょっと寄っていかない?」

「え? いいの」

「今日うちんち誰もおらんけえ」

 そ、それは一体どういう意味ですか。オレの精神が氷河の末端のようにガラガラと崩壊した。

 階段を上がって二階の樫飯さんの部屋に通された。

 部屋は女の子らしい可愛らしい感じというより、すっきりと片付いている印象で、大きな本棚にぎっしりと並べられたマンガの膨大な量が圧巻だった。

 一旦階下に降りた樫飯さんがトントンと階段を登ってきて、お盆に載せたジュースと煎餅を勧めてくれた。

「マンガ好きなんだね」

「うん。なんでも読むよ」

 共通の話題にできそうなタイトルもいくつもある。

「今日はありがとう。付き合ってくれて」

「楽しかったね、念仏も。あ、面白がっちゃダメか」

「権藤頑張ってたもんな。でも、他人から見たらやっぱり」

「かなり怪しい集団だったね」

 樫飯さんの屈託のない笑顔に溶解しそうな心を落ち着かせようと、コップに口をつける。

「え、こ、これは」

「やさしい果実の3パーセント!」

 樫飯さんはコップをコチンとオレの持ったコップに合わせてから、グーッとそれを飲み干しだ。

 そしてちょっと頬を赤らめてオレを見つめた。

 オレもあわてて残りを飲み干す。

 樫飯さんの視線が外れない。

 な、何か言わなければ。

 言わなければならんことがある。

「あ、あの」

 樫飯さんは次の言葉を待つように黙って微笑んでいる。

「やっぱり、その、念仏だけじゃなくて」

「だけじゃなくて?」

 樫飯さんの目が妖しい光を帯びた。

 そしてコップをお盆に置いて、こっちににじり寄ってくる。

「だけじゃなくて?」

 顔が近い。息が掛かりそうな距離。

 心臓が早鐘のように鳴る。

「オレと付き合うてくれ」

 樫飯さんの見開いた瞳の中にオレの緊張した顔が映っている。

 樫飯さんの甘く匂う息を胸いっぱいに吸い込む。

「もう一回言って」

 オレは樫飯さんの細く華奢な肩に手をかけてゆっくり引き寄せる。

「オレと、付き合うて」

 樫飯さんが目を閉じる。

 その唇にオレは自分の唇を近づける。

「その言葉をお待ち申しておりました」

 え? 綾姫?

「綾姫、ワシもこの時をずっと待っておったのじゃ」

 ワシは綾姫の唇を己の唇で塞いだ。

 五百年の時を超えて、二人の思いがようやく成就の時を迎えたのじゃ。


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