第二部 第一章 一 アルファ・ロメオと不眠症
はるみの部屋に寄って、何日か分の着替えをバッグに詰め、スーパーマーケットで食料品を買い込んでから、わたしの部屋に帰った。
昨日の朝まであの子がいて、そして今ははるみがいた。あの子のときには、部屋が暖かくなったような気がした。今はそれに加えて、部屋が明るくなったような、いろいろなものがくっきりしているような、そんな感じがした。まるで、描きあがったばかりのフェルメールの絵を見ているみたいに。
必要なものを冷蔵庫に入れてから、二LDKの部屋をひと通り案内した。三人で生活することを考えると手狭かもしれないが、書斎にしている部屋をはるか用にすれば当面は対応できるだろう。中学生になる頃には引越しも考えなければいけない。
案内をするまでもない造りだが、はるみは一部屋ごとに興味深そうに覗いていた。わたしの生活自体に興味があるのかもしれない。部屋を覗き込む仕草さえ、ひとつひとつ可愛かった。
居間に戻ってくると、がまんできずに抱き締めた。はるみは驚いたようにちょっと身体をすくめた。でもすぐに力を抜いて、体をわたしに預け、腕を回してきた。はるみの温かさを感じた。キスをした。それからソファに移動して、何度もキスをした。抱き合ってキスをしているだけで、十分に満たされるほどだった。それでも本当はその先に行きたかったが、はるみのお腹が鳴った。わたしもかなりの空腹を感じていた。
お昼に寿司を結構食べたはずだが、寿司というのは割と消化がいいのか、そういえば採光園についた頃にはすでに空腹感があったような気がする。だからかもしれないが、スーパーでは持って帰るのも大変なほどの食料品を買い込んでいた。夕飯は外で済ませようかとも思ったが、外食が続いていたし、はるみは二人で料理を作りたいと言った。これまでは独身だったからお金の管理も適当で済んでいたが、これから三人で生活するとなると出費も増えるだろうし、今の給料でちゃんとやっていけるのかいささか不安だった。たぶん少しは倹約する必要があるはずだった。子どもがいるとどのくらいお金がかかるかなんて、これまで考えたこともなかった。
「仕方ない、そろそろご飯を作ろうか。ぼくも腹が減ったし」
「はい」はるみは腹が鳴ったことには恥ずかしさを覚えていないらしく、明るい顔で元気よく答えた。よほど食べることが好きらしかった。
「ところで、なにをつくろうか」
「やっぱり、カレーかな」
「カレーが好きなの?」
そう、わたしははるみについてまだほとんど何も知らない。好きな食べ物も、好きな遊びも、好きな映画とか音楽とかも。あるいはどんな生活パターンを好むのか、どんな生活スタイルが好きなのか、好きな色とか、好きな季節とか、何も知らなかった。知らないことにさえ気が付かなかった。でも、そんなことはこれから知っていけばいいだけの話だ。はるみだって、わたしのことをほとんど知らないのだから。それなのにお互いをこんなに思えるのだから。
「はい。でも、わたし、なんでも好き。おいしいものなら、なんでも好き」
「そうか」
子どもっぽい答え方に、おもわず笑いがこぼれた。
「わたしがカレーとサラダを作りますから、たかふみさんはご飯を炊いてください」
「うん、わかった」
新婚生活というのはこんな感じなのかと思った。
悪くない。
いや、素晴らしい。
なんとも、甘く、心地いい気分だった。愛する人が、手を伸ばせば、そこにいる。そんなことがこんなに素晴らしいことだとは思わなかった。つまりはこの歳になるまでここまで好きなった人がいなかったのだろう。
森野さんについてはどうなのだろう。あのとき、もしわたしを受け入れてくれたなら、こんな気持ちになったのだろうか。おそらくは、これに近い気持ちにはなっただろう。でもやっぱりちょっと違う気がした。いや、ちょっとではない。本質的に違う気がした。はるみが特別なのだ。
だからといって、あの子に対する気持ちが変わるわけではない。今となっては同情なんて、これっぽっちもなかった。あの子が一緒にいてくれたら幸せだと思う。あの子のこともまた、愛してしまったのだ。はるみとこうしていてもその気持ちはまったく変わることがない。それどころか、はるみがいると、より一層、あの子も一緒にいてほしいと感じる。あのときあの子に言った、〝三人でひとつ〟という言葉は本当だった。
だが、はるみは、想像を遥かに超えて自分とぴったり合っていた。超越した感覚だった。もっともこんなことを誰かに話しても、ただののろけとしか受け取られないだろう。それにあとになって冷静に振り返ってみれば、実際そうなのかもしれない。
あるいは記憶の無いことがいい方向に作用して、つまり、余計な人生経験がないぶん、コンプレックスや偏見や誰かをうらやんだりするといったことがないぶん、純粋で柔軟で、わたしのような偏屈者ともうまく合わせることができるのだろうか。その場合、もし記憶が戻ったらどうなるのだろう。でも、そんな仮定の話を考えてみたところで仕方ない。それに記憶が戻っても、はるみ自身が変わるとは思えなかった。
はるみの料理は手際がよかった。お米を炊飯器に仕込んでしまうと、わたしはやることがなかった。必要な調味料の置いてある場所なんかを教えるだけだった。だからといってソファに座ってしまうのももったいなくて、そばでちょこちょこと手伝いをして、台所を離れなかった。サラダまで作ってしまうと、あとは野菜が煮えるのを待つだけだった。キッチンタイマーをセットして、食卓の準備をした。
そんなとき、携帯にメールが入った。大学の知人からだった。車を買い換えることにしたが、乗っている車をどうするか、という内容だった。今日、ディーラーに行って試乗してきたらしい。彼は十年落ちのアルファ・ロメオのスリードア・ハッチバックに乗っていた。最近同じメーカーのひと回り小さい車種のマイナーチェンジ版が日本でも発売されたので、買い換えを考えていると言っていた。流行のダウンサイジングというわけだ。デュアルクラッチ式のセミオートマチック・トランスミッションも出来がいいらしい。
わたしは、彼の乗っている車が発売当初から好きで、何度か運転をさせてもらったことがあった。高性能車ではないが、エンジンを回せばそれなりにパワフルで、その音は官能をくすぐるものだった。レザーシートの出来もなかなかで、車内にいるだけで心地よかった。もちろんアイドリング・ストップ機能も付いていないし、現在の二リッター車の水準から見ると燃費がいいとは言い難かったが、丁寧に乗りさえすれば極端に悪いわけでもなかった。彼の乗っている初期型は、シングルクラッチのセミオートマチック・トランスミッションが壊れやすいと不評だったが、その車は当たりだったらしく、その手のトラブルはまったく出ていなかった。外装に多少の傷や内装の劣化もあったが、総合的なコンディションは悪くなかった。年式が古く、色も地味めで、下取りに出しても二束三文にしかならないので、買い換えの際には安く譲ってもいいと言ってくれていた。おまけに彼は国産車並みの価格で整備をしてくれる欧州車専門の中古車屋も知っていた。
ほんの一、二時間前に倹約が必要だと思ったばかりだった。駐車場だって借りなければならないし、税金だの保険だの維持費もかかるし、車を持つなんてまったく無謀だった。けれども今後の生活を考えると、車は必要かもしれなかった。もし買うとするならば、コンディションの怪しい、好きでもない中古車を必要に迫られて買うよりは、彼の車を買った方が賢い選択だと思われた。
「くるまか」とわたしはつぶやいた。
「くるまって?」はるみが訊いた。
「職場の知り合いからメールで、車を買い換えるから、今の車を安く譲ってもいい、って知らせてきた。ぼくがその車を気に入っていたから」
「ふぅん。必要なら買えばいいじゃない」
「いや、でも、お金がさ。これからどれくらいかかるかわからないし」
「きっと大丈夫よ。わたしも働けばいいし。あとで考えてみましょうよ」
「働くっていっても、もう沢田さんのところでは働きにくいんじゃないの? あんなことになっちゃったし」
「そんなことないと思う。三上さんもいるし。わたしだってそれなりに役立っているんだから」
昨日喫茶店で聞いたときには事務所の厚意で働かせてもらっている印象を持ったが、三上さんの夫の件を聞くと十分に戦力になっていそうな感じはあった。それにはるみは何をやっても上手かった。もちろんまだ二十歳なりの未熟な部分はあるのだろうが、物事ののみ込みは早く、行動も的確だった。
「それにわたしはどちらかといえば、働きたいの。もちろん、あなたの妻として、あの子の母親として、専業主婦をするのもいやではないけど、外で働くことはきらいじゃないの。いろんなことを知ったりできるから。そりゃ、人付き合いはうまくないけど、沢田さんのところだったら慣れているし、時間の調整もきくしね」
車を譲ってもらいたい気持ちに変わりはないが、事情があって少しだけ検討する時間がほしい、と返事をしたら、買い換えは来週か再来週になるから今でなくても構わないと返信が来た。ただすでにディーラーに現物があって結論を待ってもらっているから、あまり長くは待てないということだった。わたしの休み明けの水曜日に大学で詳しく話そうということになった。
野菜からしっかりとスープの出たおいしいカレーだった。サラダも水気がよく切ってあり、ドレッシングがちゃんと絡んでいて、これもまたおいしかった。
「すごくおいしい。料理は誰に習ったの? 三上さん?」
「そうね、だいたい三上さんかな。あとは料理の番組を観たり、料理の本を見たり、外に食べに連れて行ってもらったときに観察したりとか」
「へえ。はるみって、なんでもできるんだね。コーヒーを淹れるのもぼくよりうまかったし」
「昨日はたぶん偶然だと思う。ビギナーズ・ラックみたいのかな。ほら、最初は無心でやったりしてうまくいくことがあるじゃない」
「まあ、そういうこともあるけどね。でもセンスがいいんじゃないのかな、いろいろなことに対して。コンピューターとかはどうなの」
「パソコンはそうだなぁ、それほど得意ってわけでもないかな。ワードとかエクセルとか、ソフトはあまり得意じゃない。でも調べ物とかは結構得意かな」
携帯のキー操作は今時の子らしく速かったが、基本は意外とアナログなのかもしれない。そういう意味でもわたしとは相性がいい。
「そういえば、部屋に図書館で借りた本があったよね、ジョン・アービングの」
「ああ。あの人のは、木乃香さんに『ガープの世界』という本を教えてもらって、それからいくつか読んだの。それとポール・オースターという人のも好き。本の関係はだいたい木乃香さんに教えてもらったの。木乃香さんが読んだ本をわたしが借りて読むとか」
「へえ、そうだったんだ。そういえば、森野さんは本の話をしていたな。そんなに読書家だったんだ」
「入院していたときは、よく図書館で本を借りてきて、って頼まれたの」
「そういえば、森野さんは病名がわからなかった、って沢田さんが言っていた」
「衰弱っていうのでもないんだけど、生きる力が失われていくというか、命が抜けていくというか、そんな感じだった」
「そうか」ため息でもつくようにわたしは言った。
もちろんはるみにもあの手紙のことを話すわけにはいかなかった。あの書き方は、いくらはるみでも駄目なのだろう。はるかだけだ。はるかに読ませたら、三人の内、はるみだけが知らないことになってしまうが、これだけは仕方がない。もし手紙を裏切ったら、あの子に災いが降りかからないとも限らない。別にそんなことは書いてはいなかったが、避けるに越したことはない。あの子は手紙の存在は知っているが、読ませずにおくということも考えた方がいいのかもしれない。はるみとは今日から一緒に暮らすのだから、手紙はすぐにでもどこかちゃんとしたところにしまっておくか、あるいは処分してしまうことも考えないといけない。大学でスキャンして、パスワードを掛けて圧縮して、見つからないところにしまっておこう。そしてそうしてしまうのは惜しいけれど、本体はシュレッダーで裁断してしまおう。
話をしながらゆっくりと食事をして、デザートにリンゴを食べた。ひとりだといつも十五分くらいで食べ終わってしまうのに、今日は一時間くらいかかった。そして、はるみがコーヒーを淹れてくれた。ドリップ専用のやかんを使ったせいか、昨日よりももっと美味しかった。
それからソファで寛ぎながら、また話をした。いくら話をしても尽きることはなかった。あの子が見ていたら、「またいちゃついている」と言ったかもしれない。そして先にはるみに風呂に入ってもらい、わたしが食事の後片付けをした。
はるみは昨晩一睡もしていなかったからもう寝ちゃっただろうな、と思いながら、わたしは風呂を出た。でも、ベッドに横になってはいたがはるみはまだ起きていて、わたしを見ると可愛らしく微笑んだ。普通にパジャマも着ていたし、別に誘っているという笑い方ではなかったが、心が沸き立ったのはいうまでもない。
疲れているはずなのだが、まったく疲れを感じなかった。まるで身体のセンサーが壊れてしまったようだった。自分で心配になるほどだった。でもすぐにそんな心配もどこかへふっとび、はるみと愛し合った。素直に潤っていたから、今日はもうまったく痛がらなかった。
ゆっくりと時間を掛けて終え、すべてから解放されたようなすっきりした気持ちになると、急激に眠気が襲ってきた。意識を失うように寝てしまったらしかった。どのくらい寝たのか分らないが、夢かなにかのはずみで目が覚めた。枕元のライトが薄暗く灯ったままになっていた。隣を見ると、はるみも目を覚ましていた。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「ううん、起きてた。もしかしたらわたしが動いたから起こしちゃったのかも」
「いや、いいんだけどさ。よく眠れないの?」
「あのね」
はるみはそう言って、体を寄せてきた。次を言おうかどうか迷っているようだった。
「なに? どうしたの」
「実は、わたし、眠れないの」
「眠れない? 不眠症なの?」
「わからない。そもそも眠るということがよくわからないの」
「眠るってことが分らない? それって、どういうこと? 言っている意味がよくわからない」
ぼんやりとしていた意識がすぐにはっきりとした。
「普通の人はこうして夜に横になって目を閉じたら、起きている意識がなくなって、夢を見たりするんでしょう?」
「ああ、そうだよ。じゃあ、はるみはずっと意識があるままなの?」
「うん。だから、夢を見るということもわからない。もちろん、本で読んだりして、どういうものかだいたい想像はつくけど」
「三上さんはそのことを知っていたの?」
「今はもう直ったと思ってる。最初は眠るという感覚がわからないから、普通に布団に入って、横になっていたの。横になって休むことは必要なの、心を穏やかにしてね。でも、頭から意識が消えることはないの。それが普通だと思っていたら、記憶喪失に関係した不眠症じゃないかって、三上さんに病院に連れて行かれた。でも、わたし、病院は好きじゃないの。特に自分が診察されるのは。他人から身体を触られるのも嫌。たかふみさんとはるかちゃんと木乃香さんは別。あなたから触られるのはとっても好き」
そんなことを言われると、深刻な話の最中にもかかわらず、また元気になってきてしまった。でも、軽く口づけするだけにした。
「ぼくも医者は好きじゃないけどね」
「わたしは嫌いなの。白衣を見ると、身の毛もよだつというほどではないにしろ、すごく嫌な感じがする。そのときにも、脳波を測るとかで頭にいろいろ付けられて、気が狂いそうだった。早くはずしてほしくてしかたなかった。でも、結局なにも悪いところは見つからなくて。頭にも体にも外傷はまったくなかったし、精神的なものが原因だとしてもその記憶がないし、記憶を失った原因も分らないし、内科とか精神科とか、いろいろ連れ回されたけど、結局睡眠導入剤をもらっただけ。それを飲んでみたけど、気分が悪くなってもどしちゃって。で、もう、しょうがないから、他の人の寝ているのを見て学習して、寝たふりをしてごまかすことにしたの。それで三上さんたちも安心してくれたし。それにわたしの方は全然なんともないし」
「そうなんだ」
ものすごく心配だが、医者に調べてもらってもおかしいところはないというし、少なくとも五年くらいそういう生活を続けているのだろうけど本人はなんともないというし、それ以上何をしたらいいかわからない。それでも、しばらく様子を見て、嫌がるかもしれないが、また医者に診てもらった方がいいだろう。
「あなたには早く言っておこうと思って。寝たふりをしているのも結構辛いし。ただこうして横になって、あなたの寝顔を見ているだけでしあわせだし」
「なんだか恥ずかしいな、寝顔をずっと見られているなんて」
「お願い、そのくらい、いいでしょう? 目を休めるために目をつぶっていることもあるけど、ずっと横になっているだけなんて、退屈なんだから」
「いや、まあ、いいけどさ。変な寝言とかいったりしないかな」
「大丈夫。ほかの女性の名前を言っても許してあげる。木乃香とか、はるかとか」
「うわー、それは困るな。まあ、たぶん、はるみ、って言うと思うけど」
「うふふ、ありがとう。大好き」
はるみはほっぺたにキスをしてくれた。そして「おやすみなさい」と言った。「うん、おやすみ」と返事をすると、わたしはすぐにまた眠りに引きずり込まれていった。
目覚まし時計の電子音で八時に目を覚ました。もう隣にはるみはいなかった。昨日と同じだ。ベッドを抜け出ると、はるみはソファに座って、その辺に置きっぱなしにしていたレイモンド・チャンドラーの小説を読んでいた。食卓にはもう朝食の用意が整っていた。何とも素敵な光景だった。朝起きると、自分の部屋にはるみがいる。昨日の朝、はるみの部屋で感じたのとはまた違う感動があった。これはもうほとんど奇跡なんじゃないかと思えてきた。はるみの背中に羽根がないのはわかっていたが、あらためて確かめてみたくなったほどだった。
「おはよう。早かったんだね……というのともちょっと違うのか」
「おはよう」はるみは本を置いて、にこりとした。「でも、そんなようなものよ。意識があるかないかだけの違い。たぶんね。早く顔を洗ってきて。わたし、もうお腹が空いちゃった」
これだけ食欲があるのは健康の印だった。過食とは違う、健康的な食欲だった。
わたしの本籍がある、東京のベッドタウンの市役所に行って、戸籍謄本と婚姻届の用紙をもらった。はるみが職員に訊いたら養子縁組にも戸籍謄本は必要だということだったので、二通入手した。
婚姻届の証人を誰にするか迷ったが、ひとりは三上さんにお願いした。事務所近くの先日の喫茶店で落ち合った。
「おめでとう」三上さんは署名を終えるとわたしたちに笑顔を向けた。「ところで、昨日、沢田さんたちといろいろあったんだってね」
「はい。すみません、三上さんも関係あるのに、お知らせするのをすっかり忘れていました」はるみが詫びた。わたしも謝り、「わたしが気付くべきでした」と追加した。
「まあ、いいわ。あなたたちはあなたたちで大変なんだし。でも、こっちも大変だったんだから。夜、彼女がうちに来て、すっかり酔いつぶれちゃって。ただ、結果的にはいい方向に落ち着いたとは思うんだけど」
三上さんによると、沢田さんはあれから、後藤ときちんと別れたらしい。でもその前に、後部座席にあんな格好で乗せられている後藤を見た人が通報して、沢田さんたちは警察に行く羽目になった。弁護士だったし、後藤の方もただの遊びだと説明し、問題にはならなかった。ただ沢田さんはその場で「こんなことになって、もう愛想が尽きた。あなたとはもう終わり。別れましょう」と後藤に別れを告げたのだそうだ。後藤は警察署の中ということもあったのだろうが、意外にも冷静に受け止めて、ひとりで車に乗って去っていった。
そんなことをわたしたちにしゃべってしまっていいのかと思ったが、三上さんが沢田さんにこれからわたしたちに会うと伝えたら、昨日のことを話しておいてくれと言われたのだという。
「彼女なりの謝罪とけじめなんだと思う」と三上さんは言った。「さすがにこんなこと自分じゃ話しにくいしね」
三上さんはついでにと言って、養子縁組の手続きや申立書の記入に関するアドバイスもしてくれた。こういう特殊なことには、その手の専門家が近くにいてくれるととても助かる。婚姻届のもう一人の証人は喫茶店のマスターになってもらった。三上さんが思いついて、ダウンロードした養子縁組申立書の用紙を印刷してくれるようマスターに頼んでくれ、必要なことを記入した。後見人の部分は沢田さんから署名をもらってきてあげると三上さんが申立書を持って帰った。
婚姻届はまだ陽のあるうちに、はるみの住所の市役所に提出した。ついでに転出届も出した。それからはるみの部屋に寄って、もう少し荷物を運び出した。ほとんどが衣類だった。『熊を放つ』は図書館に返却して、本屋で文庫本を買った。不動産屋で解約の手続きも済ませた。明日には養子縁組許可申立書を家庭裁判所に提出することにして、採光園の乾さんにも連絡を入れた。沢田さんからは、わたしたちが養親になることを承諾するとの連絡がすでに入っていた。そのあとはるかも電話に出て、「やったー」と素直な喜びの声を上げてくれた。
養子縁組の手続きは順調に進んだ。申立書を提出後、およそ一週間で通知が来て、その一週間後にわたしとはるみとはるかの三人で東京家庭裁判所の支部に出向いて、面接を受けた。わたしははるかと出会ったばかりだったが、すっかりなついているし、母親と友人であったことも好印象だったようだ。はるみについては記憶喪失であることとかなり若いことが調査官の気持ちに引っかかったようだが、はるかとはもう五年も付き合いがあったし、なによりも緊密な感じがいい印象を与えたようだった。親子かどうかは別にして、本当の家族のようにしか見えなかった。そしてはるか本人は、太田さんはこんな人で自分のことをこんなにわかってくれていてとか、はるみさんは母親代わりにずっと愛情を持って面倒を見てくれてとか、わたしたちの子どもになりたいということを大人っぽい口調で力強く訴えてくれた。だから面接は何の問題もなかった。その後、担当の調査官が家に来て、生活状況や部屋の間取りをチェックしていった。沢田さんとは直接会うことはなかったが、未成年後見人として非常に協力的に支援してくれたらしかった。そして最初の面接から二週間後に家裁から養子縁組を許可する旨の審判があった。そして二週間の公示の後、わたしたちは晴れて戸籍の上でも家族となった。はるかと出会ってから一か月半だった。
公示中に異議申立てのあることが一番不安だった。後藤が妙な動きをしていないか心配だったのだ。でも、何もなかった。
例のアルファ・ロメオはあのあとすぐに譲り受けた。知人は教えてくれた中古車屋でしっかりと整備をしてから渡してくれた。
養子縁組が成立する前に何度かあった休日には、その車でドライブに行ったり、もう少し寒くなってきていたので山ではなく海に近いところでキャンプもした。はるみはほんとうは山の中でしたかったようだが、それでも大満足だった。
キャンプで明るいうちに夕食を終えて寛いでいるとき、はるかがわたしたちのことをそれぞれなんて呼んだらいいか悩んでいると言った。
「ねえ、これからちゃんと親子になったら、太田さんとおねえちゃんのことなんて呼んだらいいのかな。太田さんはお父さんでいいとしても、おねえちゃんのことはお母さんって、わたし呼べないかもしれないんだ。だって、お母さんはやっぱりお母さんだから」
そんなことで悩んでいたとは知らなかった。わたしとはるみは顔を見合わせた。
「おねえちゃんのままでもいいんじゃないか」とわたしが言った。
「でも、それじゃ、困るのは太田さんだと思うんだ」はるかが反論した。「だって、それだと、おねえちゃんが太田さんの娘に思われちゃうじゃない。どうする? もし誤解されて、ある日、誰か知らない男の人がおねえちゃんと付き合いたいって言ってきたら。最近、おねえちゃん、ますますきれいになってきたし」
「そういうこともありうるか」
はるみが女らしくなってきていることはわたしも感じていた。はるかの言うことも一理あった。はるみはわたしたちのやりとりを黙って聞きながら微笑んでいた。
「じゃあ、ママっていうのは?」とわたしが提案した。
「うーん。それも考えたんだけど、子どもっぽいしなぁ。それに太田さんはお父さんで、お姉ちゃんはママっていうのもバランス悪いし」
「じゃあ、パパとママは?」
「やっぱり、そうかな。それしかないかな」
すでにちゃんと結論は出していたらしい。そして一緒に住み始めてからは、当初はお互いに照れくさい感じではあったが、そういう呼び方で落ち着いた。
養子縁組をする過程で一番驚いたのは、森野さんの残した遺産の額だった。わたしはせいぜい五千万円くらいだろうと思っていた。それでも大金だ。だが、沢田さんへの必要経費を差し引いても、合計で一億九百二十一万三千四百八十一円もあった。通帳も異なる金融機関に分けて一二冊あった。まとまった金が必要だった後藤が欲しがるわけだった。もちろんその金に手を付けるつもりはなかった。あとで聞いた話では、森野さんが以前病気をしていたこともあり、死因がはっきりしないことを口実にいくつかの保険会社は支払いを渋っていたらしいが、沢田さんが交渉してちゃんと払わせたそうだ。さすがに相手が弁護士だと向こうも強くは出ないのだろう。それ以外にも年金形式の支払いがあった。これについては沢田さんからはるかの生活費に充てるように指示された。森野さんの遺志で沢田さんもそうしてきたということだった。
わたしの母親には養子縁組が成立してからふたりを引き合わせた。最初は複雑な顔をしていた母も、すぐにはるかの虜になり、若いはるみについても「なんか孫がふたりできたみたい」と言っていた。さすがに記憶喪失や身元が不明であることについてはすぐには受け入れられないようだったし、あまりの無口さにちょっと困ったみたいだが、それ以外についてははるみのことも気に入ってくれたようだった。何よりもはるかの魅力が勝っていたようだった。
結婚については、研究者仲間にも知らせなかったし、職場でもほとんど伝えなかった。かなり特殊な家族の形態であり、その事情も説明しきれるものではなかった。伝えたのは、直属の上司と大学時代の恩師、あとは事務の関係くらいだった。立て続けに扶養家族が増えたし、税金の控除や社会保険の書類を提出したときに、はるみの時もはるかの時も生年月日が間違っていないかを確認されたほどだったので、所属する研究科の事務室内ではなんとなく話が伝わっていたようだった。
結婚式は、養子縁組が成立した後に、はるみが発見された神社で、わたしの母親と妹家族、三上さん、沢田さん、乾さんという、ほぼ身内だけを呼んで執り行った。はるみが派手なことを好まなかったからだ。沢田さんとは、養子縁組成立後すぐにお礼を兼ねて再会して、和解していた。それにそもそも沢田さん本人との間に諍いがあったわけではなかった。
十月の半ばには家族三人での暮らしが始まった。はるみの不眠は相変わらずだったが、健康そのものだったので、心配は徐々に減っていった。はるかはもう何度も転校しているので、新しい学校に行くのも友達を作るのも手慣れたものだった。わたしやはるみと違って、人間同士の距離感をつかむのが上手いようだった。わが家で一番社交性のある人間だった。
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