ハルの森

百一 里優

プロローグ

 研究という仕事はどこかギャンブルに似ている。コツコツ積み上げるという点ではたぶんギャンブルとはまるで違う。でも、結果は当たったり当たらなかったり、時に大当たりもする。そして、ひとつの成果が人生を大きく変えることもあるのだ。


 結局、河村教授からもらった森林内の長期間の気象データを論文の中で使うことはなかった。でも、その解析がヒントになって始めた研究は、狭い専門分野の中ではあるが、世界的な評価を受けることになった。そして、ドイツの研究所から招聘され、研究の足場を数年の予定でドイツに移すことになったのだ。

 あの日から日本を出るまでわずか一年のことだった。その間、何度も森野さんのことを思い浮かべた。でも約束どおり連絡はしなかった。それにもうあそこにはいないのだ。

 あの日以来、わたしは女性から以前よりずっと好意を持たれるようになった。何人かの魅力的な女性からデートに誘われた。でもそのたびに森野さんと較べてしまい、付き合いたいという気持ちに至ることはなかった。

 そのぶん研究に打ち込んだ。信じられないことに解析を始めてわずか半年で論文を投稿し、わりとすんなり受理された。査読者二人のうち一人の一度目のコメントはいささか厳しかったものの、むしろそのコメントのおかげで、論文はさらにいいものに仕上がった。

 論文の投稿中に開催された国際学会でそれに関係する内容をポスター発表していたら、見知らぬドイツ人の研究者から声をかけられたのだった。あとでなんとなくわかったのだが、実はその人が査読者のひとりだったらしい。

 ドイツに来て一緒に研究をしないかというオファーを受けたのは論文が受理された直後だった。自分の専門の気象・気候分野ではなく、河村教授や森野さんが専門とする植生分野の研究所だった。河村教授を訪ねたのも、今回の論文で森林と大気との関係を調べたのも、森林が従来考えられているよりもずっと能動的に環境に影響を与えているのではないかという、かなり思いつきに近い自分の仮説を調べたいと思ってのことだった。そういう意味では、願ったり叶ったりのオファーだった。ただ、ドイツ語はほとんどできなかったし、英語を話すのも得意ではなかった。初めての海外勤務のうえ、元々の専門とは違う分野の研究所だ。だから、少なからぬ不安はあった。でも、河村教授を訪ねてからの何か不思議な流れみたいなものがあったし、それに自分のやりたい研究に近づけるのだ。引き受けないという選択肢はなかった。


 あの日のあと、河村教授とは研究に関することで何度か電話でやりとりをした。

 あの東北の山間やまあいの研究所から東京に帰って、週明けにすぐお礼の電話を入れた時に、森野さんにはとてもお世話になったとだけ話し、あらためてお礼を言っておいてもらえないかとお願いをした。大まかな経緯は森野さんから聞いたらしく、教授は「大変だったみたいだな」と笑って言った。もちろんあの晩の詳細を、森野さんが絶対に誰かに話すはずはなかった。データの提供に関しては、改めて感謝の手紙を書いた。なにしろ何十年もの間、教授が地道に観測を続けてきたデータだった。

 それから二、三か月してちょっとした研究の相談で教授に連絡したとき、あれからすぐ森野さんがあの村から突然いなくなったことを知らされた。それでもまだわたしは彼女のことを思い続けた。教授は、わたしがドイツにいる間、心臓発作で亡くなった。それを知ったのは亡くなってしばらくしてからで、葬式に出ることさえ叶わなかった。


 ドイツに行ったあとはもう森野さんを思う余裕はなかった。新しい環境に慣れるのに時間のかかるタイプなのだ。苦しくも楽しい五年がほんとうに飛ぶように過ぎていった。重要なものとは言えなかったが、植生分野の学術誌にも論文がいくつか掲載され、先方の要望もあって、滞在は予定よりもさらに三年延び、最終的には八年に渡った。専門分野の違うわたしは発想も新鮮で、研究室にとってもいい刺激になっているらしかった。さほど目立った研究成果は上がらず、ときどき日本が恋しくはなったけれども、新たな分野への挑戦は勉強になったし、次のステップへの手応えも感じ始めていた。日本では苦手だったビールも、お気に入りの地ビールができた。ただ、ドイツという国は思っていたほどわたしには合わなかったようだ。いささかかっちりしすぎていた。滞在中に足を伸ばしたフランスやイタリアの方が食べ物も美味しいし、ずっと快適に感じられた。それでも人々は親切だったし、どこへ行ってもたいてい自分の下手な英語で通じたから、過ごしやすかったことは間違いない。

 帰国する日が目前に迫った休日のことだった。親類や知人への土産でも買おうかと、惜しみ深い気持ちで街を歩いていた。夏の終わり際の涼しい日だった。歩き疲れて、客もまばらなやる気のなさそうなカフェにふらりと立ち寄った。テレビからは音楽のプロモーションビデオが垂れ流されていた。

 次々と流される意味のない映像をぼんやりと眺めていたら、ある曲のビデオに釘付けになった。冒頭、ひたいの上がった男性歌手が、詩のような歌をドイツ語で歌い始める。その時はさして興味もなく、曲名もアーティスト名も見なかった。ところが最初の数小節をすぎると、場面が変わり、バックの演奏が始まる。そして、ひとりの若い女性ダンサーが観客のいない舞台で踊り始めるのだ。本格的なバレエだった。曲のプロモーションなのか彼女のプロモーションなのかわからないほど、そのダンサーの踊りが前面に出された内容だった。撮影もカメラ好きには分かるような凝ったもので、スタッフの力の入れようも伝わってきた。

 そしてなにより、その美しく伸びやかな踊りは、あの日の森野さんを彷彿とさせ、突然わたしを、記憶の片隅に押し込んでいたあの日に引き戻した。

 すべてはあの日に始まったのだ。

 見終わったあと、しばらくの間、呆然として動くことができないほどだった。でももうあの日は遠く、森野さんの顔をはっきりと思い出すことさえできなかった。帰りにCDショップに寄ってみたが、曲もダンサーの名前も結局わからずじまいになってしまった。

 その数日後、わたしは帰国した。ドイツで手がけていたわたしの研究分野は世界的に見てもまだニッチというべきもので、わたしの研究は当然日本ではほとんど評価されていなかった。それでも海外での研究経験が評価されたらしく、研究員という立場こそ変わらなかったものの、少なくとも待遇面では前よりはずっとよくなって、元の大学の研究所に戻ったのだった。


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