第10話「物語の羅針盤」

 つい先日、ついに靉裂さんが俺の護衛となる人物を家に連れてきた。

 また俺の個人の願いとして、『親父にできるだけ心配をかけたくない』という依頼をしたのだが、その面も最大限考慮してくださったのは、本当に心の底から感謝している。少し話は面倒になってしまったが、それくらいなら仕方ないだろう。

「それでは本日より、ホームステイという形でお世話になります。私のことはそうですね……。シロとでもお呼びください」

「そうですか、色の友達の紹介ということでしたが。それではシロさん、暫くの間よろしくお願いいたします」


 筋書きはこうだ。

 白虎さん――もといシロさんは、もともと日本にホームステイの予定があったのだが、とある事情からもともとホームステイ先として滞在する予定だった家からキャンセルが出てしまった。

 困ったシロさんが靉裂さんに連絡し、靉裂さんの知り合いである俺に話が飛んできて、滞在費などのもろもろを靉裂さんが負担する形でホームステイが決まった。

 以上。


「申し訳有りません。本来ならばシロさんを歓迎したいところなのですが、あいにくとこれから仕事がありまして」

「いえいえ、お気になさらないでください。私はあくまで無理を言ってお願いしている身ですから、本来の生活の方を優先なさってください」

「そうですか、ありがとうございます。それでは色と仲良くしてやってください。それでは失礼いたします」

 親父はそう言い残して、いつも通り仕事場へと車を走らせた。

 シロさんと込み入った話をしたかったので、親父がいない時間ができるのは、少し都合が良い。


「はぁ、行ったか。飯くれ飯」

「……わかりましたよ」

 さっきまでは言葉遣いも綺麗で、名家のお嬢様と言われれば信じてしまうほどだったのに、親父がいなくなった途端にこうなってしまうのか。

 外見以外の何もかもが変わってしまって――厳密に言えば目つきも鋭くなっているし、少し顔が似ているだけの別人のようなものだ。

「靉裂との契約はあくまで護衛に関するものだが、どうせ小遣い稼ぎの一環だしな。暴力団の連中も本当に襲って来るかは眉唾なもんだ」

「そういうものなんです?」

「あぁ。あいつは一応の保険って言ってたな。家の中身も知ってるし、色々情報を撒き散らしたんだって?バカバカしい」

 そういえばリーダー格らしい人と会話をしたのをうっすらと覚えている。あの時の酒のせいで、前後の記憶がどうにも曖昧なのだ。


「しかし敵が来なければ、それはそれで暇だな……。何もやることがないし、お前に勉強くらいなら教えてやってもいいぞ。追加料金も一切なしでだ」

「え?」

 この人にそこまでの教養があるようには見えない。

 傭兵団ということで、軍事関連の知識がと言われればよく理解できる。俺よりも年上なのはわかっているから、人生経験も豊富だろう。中学校レベルなら一般教養として大丈夫なのかもしれないが。

「正直シロさん、頭良さそうに見えないんですけど」

「嘗めるなよ。これでも偉大なる我が祖国で、きちんと大学課程を修了しているんだ。地元モスクワで小中高大とな」

 テレビで聞いたような記憶があるが、モスクワ大学って東大よりも賢い大学だ、って紹介されていなかったか?

 乱暴でがさつそうな見た目や態度に反して、一応美人だし教養もあるしってなると、少し嫉妬の念が浮かび上がる。

「飯頼む飯」

 ……不安だが。



「こうして見てると、シキは本当に背が高いんだな?170はあるよな?」

「夏休み前に学校で測った時は、確か173cmくらいでしたかね」

「まだ13なんだろ。その年でその身長なら、何かしらの武道に手を出して見たらどうだ?あの……飛鳥だっけ?あいつに教わればいいじゃないか」

「いや、飛鳥は多分拒否しますよ」

 まぁもともとインドア派な人間だし、今更そこまでん哀歌を極めようみたいな気持ちは湧いてこない。

 幼少期から野山を駆け巡ったおかげで、人並みかそれ以上に体力はついているし。これ以上は望まなくてもいいかな、なんて。


 それに、俺が最も望んでいることは平穏な生活だ。靉裂さんから話を聞かされた時、やっぱりロマンを感じたから能力なんかに興味は湧いたけど、一番は争いのない平和な時間を過ごすことなんだ。

 それは飛鳥や愛花ちゃん、鈴音ちゃんだって例外じゃない。特に飛鳥はすでに地獄――勝手にそう故障するべきではないかもしれないが――のような経験を送っているんだ。なおさら女の子らしい、普通の生活を送ってほしいと願う。

 ……シロさんには無縁の話に見えるが。


 シロさんは災害指定者リストでは第5位に記載されていた。実力はそこまででもない、みたいな書かれ方をしていたが、それでもそんな危なっかしいリストに載っているんだから、並の人間なんて一捻りなんだろうな。

 おまけに戦闘狂、周囲の被害を顧みない、とにかく暴れまわる。とにかく気をつけろと靉裂さんには入念に釘を刺された。どうにも飛鳥と手合わせすることも狙っていそうな予感がしてならないし。

 第一印象は「なんて傍迷惑な人なんだろう」って感じだった。初めて会った時はご飯食べてたところしか見てないし、まだまだ決め付けるには早い、と、思いたいんだけどなぁ……。



「シキ、私の扱いが面倒なのはわかる。だがそんなに暗い顔ばっかじゃ、どうにも飯が不味くなる」

「いや、これからどうなるんだろう、って思うとですね……」

 どうにも、気が重い。そうはっきりとは言えなかった。


 シロさんの食事ペースは、飛鳥に負けず劣らずのものだった。飛鳥も平然と五杯くらいのおかわりは余裕でして来るのだが、シロさんは既に七杯目に手をつけ始めていた。

 やっぱりこんな人でも、勢い良くご飯をかきこんでくれるのは、料理を作っている側としては非常に嬉しい。ご飯食べてるだけならおとなしいわけだしね。

 このくらい平和……平和?まぁ平和か。

 平和な時間がずっと続いてくれれば、何も起こらず護衛の期間が終わってくれれば、俺としては理想的なんだけどな。


「ならそんなシキに、未来の人生を色彩豊かにする方法を教えてやろう。お前は今まで、人生がどんなものだと思いながら生きてきた?」

「人生、ですか」

 ……そういわれると、何も出てこない。特に考えたことなんてなかったし、ただ漠然として暮らしていたような気がする。

 テレビで「あなたは人生をどう思っていますか?」なんてコラムを見るのはしょっちゅうなのに、いざこんな形で直接質問されると、どう答えていいものか。

「あまり気にすんなよ。大抵の人間は、明確に答えを持って生きてるわけじゃないからな」


 シロさんが箸を持つ手を止め、胸元からメモ帳とペンを取り出す。

「いいか、シキ。人生っていうのは、お前自身が主人公になった物語なんだ」

 そう言いながら、メモ帳の上によくわからない文字を書き始め、すぐに破り捨てた。新しいページをめくり、二つの言葉を今度は日本語で書き連ねる。それは『謎』と『目標』だった。

 最初はおそらく間違ってロシア語で筆記してしまったんだろう。

「どんな物語にも必要なものは二つある。それは謎と目標だ」

 ついで箇条書きで、左側には『犯人』『超能力』『メカニズム』『心理』。右側には『見つけ出す』『身につける』『解明する』と、順番に書き足されていく。

「あらゆる物語は『謎』から始まる。その謎をどうにかするために目標が立てられていく。そうやって様々なイベントが発生するんだが、それに応じて人生に起伏が生まれていくんだ」


 つまるところ、まず最初に俺は謎を探さなければならない、ということなのだろう。

「その謎っていうのは、なんでもいいんですか?」

「まぁそうだな。謎を見つけて目標が立ったら、自分がどう振る舞っているのか?どう立ち回っているのか?それを意識しながら行動を考えていくといい」

「……随分と難しそうな話ですね」

 それはまるで、演劇のようだ。

「そうでもないさ。要するに結局は物語なんだよ。自分の一生が一冊の本になったとして、他人が読者になった時、飽きさせないためにはどうすればいいと思う?」

「それなら、なにかアクションを起こせばいいんじゃないですか?」

「正解だ。そのアクションもなんでもいいんだ。自分の信念に対して、間違ってないと思える行動をとっていくだけだ。謎探しはあまり悠長じゃない方がいいぞ」


 謎。

 それならついこの間から、俺の心の中ですくすくと芽生えている題材がある。靉裂さんが与えてくれた、強大で摩訶不思議な謎だ。話を聞くだけではまるでなにもわからない、そんなとっておきの存在だ。

 飛鳥はそんな奴らに対して、薙刀で戦いを挑もうとしている。

 俺や飛鳥たちが平穏に生活するためにはどうしたらいい?飛鳥にとっての信念が闘争ならば、俺が言って聞かせるだけでは止まらない。時間をかけなければきっと止まらない。

 ならその間、俺には何ができるか。

 不幸にも時間はたくさんあるのだろう。ならその長い時間を使わないのはあまりにも勿体ない。飛鳥たちの側へと寄り添うには、もってこいの時間だろう。


 俺は知りたい。魔術だとか、妖術だとか、能力だとか。そんなわけのわからない奴らを知りたい。

 そして、飛鳥を――

「いい顔になったな」

 ククク、とシロさんの笑いが居間に響く。

「お前の物語が、ようやく始まったってところかな?」

「そうなのかもしれませんね」

 決意が静かに固まっていく。あぁ、これはきっと、心地よい感覚に間違いない。

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