第36話 王子の勝負


 旅の料理人との対決。


ノースターの領地は一気に盛り上がった。


チャラ男は館の中だけでなく、町に出ても同じようにあちこちで笑い声を響かせていた。


「ネス様は何かご用意はされないので?」


御者の助手くんが、俺の遠出に付き合いながら聞いてくる。


今日は冬の前に国境の砦からドラゴンの様子を見に来た。


「一応準備はしているんだけどね」


そう書いた文字板を見せると、助手くんは首を傾げている。


「そんな様子は全然ないんですが?」


俺はそれには曖昧な笑顔で返しただけだった。


 ドラゴンの小さな個体の様子を見ると、まだ動き出す様子はなかった。


「どれくらいで成体になるのか、それが問題ですな」


隊長と話ながら戻る。


巣立ちがいつになるのか、どの方向に向くのか、それの観察続けてもらう。


隊長にお礼の言葉と共に上物の酒を渡し、隣の温泉宿へと移動する。




「あー、ネス様ー」


小さな男の子が出て来る。


舌足らずなのか、領主という言葉が言いにくいらしく名前を呼んでくれる。


 六歳になった「砦の子」は出生不明の拾われっ子だ。


卵を産む鳥を担当しているので、俺を鳥小屋に連れてってくれた。


冬になると静かになるように、小屋に大きな布をかけてあった。


どこか小屋に不都合はないか調べながら、鳥たちの様子を見る。


「卵いっぱーい」


今朝採れた分を見せてくれる。


 獣や魔獣が来なかったか聞くと、今のところは姿は見かけないそうだ。


温泉宿の夫婦と筆談していると、砦の子も顔を突っ込んで来た。


「これ、なあに?」


と訊くので、しゃべれないから言葉を文字で伝えていると書く。


「ふうん」と寂しそうな顔をするのは、もっと誰かと話したいのかな。


冬の間、温泉宿も暇なら一時的に預かるのもいいかも知れない。


その時に集中して文字や勉強を教えるのだ。


宿屋の家族でその辺りも相談してもらうように伝えて、風呂に入ってから館に戻った。




 夜は寝室で魔術の勉強をしている王子の横で、庭で試験的に作ったリンゴの実を食べていた。


誰かが入ってくれば、リンゴをかじりながら勉強している風にしか見えないんだけどね。


少しずつ違う魔法陣にしたので、どれが一番美味しいか、食べやすいかを比べている。


 この町のどこにでも見られるこの果樹を、この土地の名産に出来ればと思った。


元の世界のリンゴに比べると小さくて酸っぱくて硬い。


これを品種改良して、誰にでも食べやすくする。


それが俺の目標だ。


『どれも変わらないと思うけど』


王子は食にはこだわりが無い。 さすが毒入りでも気にせずに食べ続けた子供だ。


俺は気にする。 美味しいモノは正義だ。


「これ、俺のいた世界でも普通に見かけた果物に似てるんだ。


それに味が近づけば、これを使ってお菓子が作れる。


大々的に売り出せるんじゃないかな」


『ふうん。 それがお菓子対決の理由か』


注目を集め、美味しいという評価をもらえば、それは自然とこの町に拡がっていく。




 俺は使用人としてお手伝いに来てくれているおばさんにパイ生地が作れるかを聞いた。


「パンのように発酵していない生地ですね。 大丈夫でございますよ」


この地方では主に肉や野菜を乗せるらしい。


そういえば見た覚えがある。 王都ではあまりやらないらしいけど。


 うん、俺はアップルパイが作りたかったんだ。


元の世界の俺の母親が子供の頃、良く作ってくれた。 台所で作っている姿が目に浮かんだ。


俺も良く手伝ったりしたなあ。


思えばあの頃から、俺は台所に立つのが好きだったんだ。




 リンゴを煮詰めるのは高価な砂糖でなくてもいい。 はちみつならこの森で採れる。


準備として小麦粉を塩と水で練ったパイ生地を用意してもらう。


あとはリンゴを適当に切って、はちみつをかけて煮たものをその生地に乗せてオーブンで焼くだけだ。


他に必要な物は生地に塗る油と、上に塗るための卵黄かな。


 何度か試作もしてみる。


おばさんと二人でこっそりやっていると、おやつの時間に子供たちがやって来る。


「美味しそうな匂いがしたから」


恥ずかしそうに笑う子供たちに、俺は「失敗作だから」と書いた文字板を見せて、食べさせてみる。


「美味しいよ」「美味しいね」


子供たちの笑顔がうれしい。


 今までこういうお菓子は無かったのかと聞くと、


「果物を煮込むというのはあまり聞かないですね」


という答えが返って来た。


ああ、あのすっぱい実でも砂糖があれば煮込んで美味しくなるのにな。


砂糖が高いのが悪いんだ。 王都では高くても手には入るが、ここでは珍しい。


なら、自然のはちみつだけじゃなく、養蜂を増やしたほうが良いかも知れないな。


そうすればもっと子供たちに甘いおやつを作ってやれる。




 勝負当日は領主館の前は人だかりがすごかった。


一つしか当たりのないくじ引きで審査員を決め、その人の目の前に二つのお菓子が出されている。


一つは見た目から派手な、果物やクリームの乗った王都でも流行りのお菓子のようだ。


砂糖の入手は難しいが、相手もはちみつを使ったのだろう。


牛乳や卵は、まだまだ数は少ないが、この町でも手に入る。


もう一つは素朴な形のパイ生地の菓子で、中身はリンゴのような実だ。


俺が勝手にリンゴと言ってるだけで、この土地ならどこにでもある。


審査員に選ばれた住民の男性は、初めて見る派手なお菓子を恐る恐る食べて、目を丸くして驚いている。


 勝敗は火を見るよりも明らかで、俺は素直に負けを認めた。


「皆さんも見ているだけではつまらないでしょう。 さあ、こちらをどうぞ」


俺が合図すると眼鏡さんが事前に用意していたお菓子を配り始める。


チャラ男が驚いている間に、館の奥から次々と町の奥さん連中がリンゴのお菓子を持って現れる。


「さあさあ、皆、ご領主様がお作りになったお菓子だよ。


たっくさんあるから喧嘩しないで食べとくれ」


集まった者全員に配る分はあるだろう。


 昨日から下準備はしておいた。


おばさんの知り合いを頼り、内緒で生地を作ってもらい、今朝から大量に焼いてもらっていた。


俺も大量のリンゴの皮むきをやった。 腕がいたくなっても<回復>をかけながらがんばったよ。


「作ってみたいっていう人は後で教えるよ」


「実もたっくさんあるからねえ」


納税に来た住民で、この実を納めるものが結構いたのだ。


だから倉庫には俺が作った果樹ではない実もたくさん保存されていた。


今年の冬は奥さんたちのお菓子の試行錯誤が流行りそうだな。




 俺がニヤニヤとした顔をしていると、チャラ男がやって来た。


「おめでとうございます。 何でも好きなものを進呈しますよ」


俺は用意していた言葉を書く。


チャラ男は頭を掻きながら、いやいやと手を振る。


「俺の負けっすよ。 参りました」


チャラ男からチャラい雰囲気が消えていた。


俺の前に跪き、正式な礼を取る。


「ご領主様にお願いがあります。 私を弟子にしてください」


俺が困った顔をしていると、ハシイスが警戒の姿勢を取った。


「私が勝者だというのなら、それが私の望みですので、叶えてくださいますよね?」


チャラ男がチャラい笑顔を見せる。


「ご領主様の弟子は私一人だ。 弟子になりたければ私を倒してみろ」


ハシイスが声を上げ、周りの者たちがざっと飛びのいて、館前の広場に円陣が出来上がる。


クシュトさんが二人を嗾けるように木剣を投げた。



 

 結論から言うと、ハシイスはチャラ男に勝てなかった。


「なかなかやりますね」と文字板を書いて見せると、眼鏡さんはため息を吐いた。


「喧嘩だけは昔から強かったですよ」


大人しそうに見えるのに、何故か剣を持たせると負け知らずだったそうだ。


 ハシイスが何度か転がされると、クシュトさんが間に入り止めさせた。


「腕は落ちていないようだな」


とクシュトさんがチャラ男に声をかけている。


チャラ男はハシイスに手を貸して立たせ、こそっと耳元で囁いている。


驚いたハシイスは「すみません、先輩とは知らずに」と何度も謝っていた。


 館の前は解散となり、人々は帰らせた。


おばさんたちも片づけが済むと、馬車で送って行ってもらう。




 執務室の応接セットでお茶を飲みながら話を聞く。


チャラ男はクシュトさんの部下だったそうだ。


現在は放浪の旅をしながら情報収集という形らしい。


「しかし、ネス様には本当に参りましたよ。 母があれだけ気に入るのも分かる気がしまっす」


おばちゃんがどんな話をしたのか、気になる。


 チャラ男はこの冬の間は領主館に滞在することになった。


「その間、鍛え直してやるよ」


とハシイスに向けたチャラ男の笑顔は獰猛な獣のようだった。


ハシイスだけでなく、私兵たちや、何故か俺も縮み上がっていた。


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