第5話 王子の苦悩


 翌朝、俺が朝食を作っていると、クシュトさんが外から戻って来た。


食堂には俺とガストスさんと眼鏡のパルシーさん。


「やはり、足跡があるぞ」


「そうか」


爺さんたちの会話に俺が首を傾げていると、眼鏡さんが料理を運んでくれる。


本当に宰相の息子なのかと思う位、こまごまとしたことに気が利く人だ。


「何かありましたか?」


俺は文字板をテーブルの上に置き、食事を始める。


「ああ、昨日の燃えかすをそのままにしておいたんだが」


お陰で館の周りは灰で真っ黒になっている。


「誰かが夜の間に入り込んだみたいで、黒い足跡が点々とな」


「あー、なるほど」


俺が文字板を書いている間に眼鏡さんが返事をする。


「それが町に向かって続いていたって感じですか」


俺が書こうとすることを先に言わないでくれ。


「そういうことだ」


ふう、もう俺、無口キャラでいいんじゃね?。




 クシュトさんはおそらくそのためにわざと灰を残しておいたんだろう。


夜、門の中に忍び込んだ誰かは足元が灰だらけだとは思っていない。


そのまま歩き回ったということか。


きっとクシュトさんも分かっていて、捕まえずに泳がせておいたんだろうな。


「それで、俺はこれから足跡を追って行く。


そいつを見つけたらどうする。 連れて来たほうがいいか?」


クシュトさんが俺を見た。


「いいえ。 ただ本人には再びこのようなことはしないように釘は刺しておいてください」


文字板を見てクシュトさんが頷く。


もしかしたらクシュトさんの仲間かも知れないしね。


「それと、出来ればこの町の仕事斡旋所を見てきてください」


「斡旋所?」


「はい」


俺は文字板の文字が消える前に、下のほうに書き足す。


「こちらで使用人を募集したいのです」


「そうか、分かった」


信用出来る者がどれだけいるのか、分からないけれどね。


クシュトさんは馬で出かけて行った。


町の中心部からここまではかなり距離がある。


歩いていたらきっと一時間はかかるんじゃないかな、だいたいだけど。




 部屋に戻って署名の作業を続ける。


今日の夜までには終わる予定だ。


ガストスさんは今日は塀の外を見回って来ると言っていた。


他にも黒い足跡がないか、調べるそうだ。


「物騒ですね」


眼鏡さんは言葉の割に、その顔は何故かうれしそうに歪んでいて緊張感なんてない。


昨日の態度から見て、王子の側で仕えられるのがうれしいみたいだ。


彼は昨日に引き続き、俺の側で王都からの書類を整理している。


俺の中で黙っていた見ていた王子が『あれ、見て』と呟いた。


(うん?)


顔を上げると、眼鏡さんが鞄から書類を出し、棚に収めている。


『あれ、魔法鞄だ』


(あっ)


そうか。 宰相家の人間なら持っていても不思議ではない。


俺は監視を王子に任せ、チラチラと眼鏡さんを見ながら署名を続けた。




 眼鏡さんが席を立ち、お茶を淹れてくれた。


俺はじっとそれを見ている。


文字板を取り出し、「あなたは魔術師なんですね」と書いた。


昨日よりは少し崩れたオールバックの髪を掻き、眼鏡さんが頷く。


「出来損ないなんですけどね」


彼は成人と同時に、魔術師になりたくて家出したそうだ。


「だけど、師匠には魔術師を仕事にするのは難しいと言われてしまって」


魔力が足りなかったそうだ。


「それでまあ、家に帰って文官の勉強をしようと思ったんですが、すでに二十代でしたからね。


王宮内では宰相の息子なのに初歩の勉強をしているのが恥ずかしくて、王都から外に出て文官の見習いから始めたんです」


王都なら文官を目指すエリートの学校もあるらしい。


だが、田舎では少し勉強が出来る子供が成人してから見習いを始めるそうだ。


それで三年ほど色々な町を回って、つい先日正式な文官になったらしい。


そういう事情だったのか。


「でも良い事もあります。 王宮内の派閥争いには巻き込まれないし、魔法が使えると田舎では重宝しますから」


小さな魔法でも喜んでもらえて、すぐに仲良くなるのだとか。


なんてうらやましい。




(俺たちもさ、バーッと魔法を見せたら人気者にー)


『ケンジ、私がそんなことをしたら、謀反の疑いがかかるよ』


あー、そうだった。


王子が優秀な魔術師だなんて分かったら、王宮を追放した腹いせに王国転覆を狙っていると取られたりするかも知れない。


どんなに否定しても、下手をすると母親のように王宮に幽閉なんてことになる。


『アリセイラを人質に取られたりしたら、私は死んだほうがマシだ』


そうか、アリセイラ姫は王子の大切な妹だ。


俺たちに何かあれば、きっと彼女は俺たちを庇おうとするだろう。


せめて彼女が成人して、安心出来る他国や有力な貴族にでも嫁いでしまえば王族との争いに巻き込まなくて済む。


(あと七年か、長いな)


俺たちは、せめてそれまでは彼女に迷惑を掛けないよう、おとなしくしていようと思う。




 昼食は簡単にパンに野菜や肉を挟んだもので済ませる。


ガストスさんの話ではやはり足跡は他にもあったようだ。


ただ周りをまわっているというだけで、実質的な被害はない。


「確かめようとしただけだろう。 ここには結局何もないからな」


外から見ても建物の中がピカピカになっているとは思えない。


何せ、外観はボロッボロなのだ。


王族とはいえ未成年の少年一人と引退した兵士二名。


こんなボロ屋敷で何が出来るだろう。


そう思ってくれて、帰ってそう報告してくれればいいけどな。




 夕方に帰って来たクシュトさんは、追っ手の一団は引き上げたと報告した。


「それでも用心に越したことはないけどな」


それには全員が頷く。


 夕食は四人一緒に食堂の隅、調理場の一番近くのテーブルで食べている。


食後のお茶を飲みながら、俺は文字板を取り出す。


「お願いがあります」


「ん?、なんだ」


ガストスさんが俺を見る。


「この館で使用人をと考えているんですが、まず雇いたいと思っているのは」


三人が文字板を見ていることを確認する。


「私兵なんです」


驚いて三人は声が出ない。




「坊。 俺たちじゃ不満か」


ガストスさんが低い声になる。


「ガストス、止めろ。 俺たち二人だけじゃこれから先、手が足りなくなるのは見えている」


クシュトさんは頷いてくれた。


「お二人が不満とかじゃなくて、お二人だけではこの先、負担が大きくなるからじゃないですか?」


眼鏡さんが俺の気持ちを代弁してくれる。


年上だけど、何かもう生意気だわ、こいつ。


「ガストスさんやクシュトさんについていける兵士を育てたいんです」と書く。


この二人の爺さんは、どうみても規格外なのだ。


早くからこの二人に鍛えてもらえれば、良い兵士になると思うんだよね。


俺の書いた文字にガストスさんが唸る。


「訓練はお二人にお任せします。 必要なら斡旋所も使うつもりです」


と書いて様子を見る。




「ああ、斡旋所は見て来たが、この町じゃ碌に仕事はないようだぞ」


それなら募集すればいっぱい来そうだな。


「ただな、働ける者もあまり多くないようだ」


「どうしてですか?」


俺が文字を書くと、クシュトさんがお茶を飲んで口を湿らせる。


「町中に若いもんがいない」


「ああ、それは私も感じました。 お年寄りと女子供が多い印象でしたね」


眼鏡さんも町では働き盛りの男性をあまり見かけなかったそうだ。


過疎地かよ。


「狩人と自警団で精一杯って感じだな」


若い者は皆そちらで働いているらしい。


「彼らの賃金はどこから出ているのでしょう?」


俺の質問には眼鏡さんが答える。


「おそらくは寄付か、西の領地からの借金ではないでしょうか」


前任の代官は捕まったとはいえ、その財源をノースターの領地に返してくれた訳ではない。


借金。 俺は何だか胸が痛くなった。


斡旋所でただ一部の者だけを雇うのではすまない状況のようだ。


「私を明日、町へ連れて行ってください」


俺は俯いたまま、そう書いた。




 夜の内に王子ががんばってくれて、ようやく署名が終わった。


翌朝、眼鏡のパルシーさんの従者が書類を受け取りに来て、護衛の騎士と共に王都へ戻って行った。


「本当に王都へ戻らないんですか?」


俺はパルシーさんに文字板を向けた。


眼鏡の奥の目尻を下げて、胡散臭そうな笑顔で「はい」と答える。


俺たちは彼に留守番を頼んで、三人で町へ向うことにした。


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