つるのおんがえし株式会社

青海 嶺 (あおうみ れい)

つるのおんがえし株式会社




 むかしむかしあるところに、じさまとばさまが住んでおったと。

 じさまは猫の額ほどの小さな田を作り、倹しい暮らしを立てておったそうな。

 ある朝のこと、じさまが山へ向かっていると、田んぼの稲穂の陰で、バサバサ、バサバサバサと、何かが暴れている。田んぼに入って近づいてみると、矢を受けて傷ついた鶴が、もがき苦しんでおった。

 なんと旨そうな鳥! という思いを払い除け、じさまは、有名な昔話を思い浮かべた。

「おお、可哀想に、さぞや痛いであろう。今、その矢を抜いてやるから」

 その話は、村人たちに、高邁なる動物愛護精神を涵養すると同時に、うまくゆけば思わぬ不労所得を手にできるという、なまぐさい期待をも植え付けておったのじゃ。

 矢を抜いてやった鶴は、しばらくじっとしていたが、やがて大きく羽ばたくと、山の彼方へと飛び去った。その健気な後ろ姿を見送りながら、じさまには、すでに、鶴が若いおなごに化けて、我が家を訪ねてくる様子が目に浮かぶようじゃった。

 じさまは鶴から引き抜いた血の付いた矢尻を眺めた。その下手くそな細工は間違いなく、村はずれの掘っ立て小屋に暮らす与ひょうの仕事。

「せっかく鶴を射ておいて、捕獲しないで放置しておくとは、いかなる了見か。あのバカのこと、きっと何かに気を取られて、鶴のことを忘れてしまったに違いない」


 その晩遅くのことじゃった。飯を済ませ、寝ようとしていると、家の外から「もし、もし。ごめんくださいまし」と若い女の声。

 キターッ、と、じさまは内心絶叫。ヲヲ……古キ言ヒ伝ヘハ真デアツタ。急いで扉に駆け寄り開けてみると、案の定、たいそう愛しげな若い娘が立っておった。

「旅のものですが、一晩泊めてはいただけないでしょうか」

「おなごの一人旅とは、さぞお困りでしょう。狭い家ではありますが、さ、中へ早う。一晩とは言わず、何日でも好きなだけ、さささ、どうぞどうぞどぞどぞどぞ」

「ほんに、かたじけのうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 じさまは、ばさまに言って、晩飯の残りの汁を温め直させ、つゆと名乗った若い娘に勧めた。もしやお前様はあの時の鶴ではないか、と尋ねたくてウズウズしたが、うかつなことを言って出ていかれてはかなわぬ。じさまはそしらぬ振りに努めたが、ついつい「つゆ殿は、どちらの生まれかの」

「あの……その……山一つ向こうの……」

「というと隣の村の」

「……はい」

「隣村に、おまえさまのような愛しげな娘さんがいるとは聞いたことが……ゴホンッゴホンッ……いやいや、それにしても、つる、いや、つゆ殿、以前どこかで会ったことがあるような気がするんじゃが」

 娘はハッとして「それはきっと、他人の空似でございましょう」と、目を泳がせた。


 その夜は、囲炉裏端に当座の寝床をこさえて、三人、親子のように川の字になって眠ったのじゃ。

 翌朝、じさまは、トントントンと包丁で湯がいた青菜を刻む音を聞いて目覚めた。味噌汁のいい匂いもする。見るとあの娘が甲斐甲斐しく台所に立って働いており、ばさまはじさまの横でいびきをかいて寝ておった。娘は、そのあとも何くれとなくばさまの手伝いをし、昼には田んぼのじさまに弁当を持ってきて、田の雑草抜きを手伝った。礼を言って旅に出ていく様子はなかった。

 三人で晩飯を囲んでいる時、娘が言った。

「旅のものと申しましたが、実は行くあてもありません。できればこちらに一緒に住まわせてはいただけないでしょうか」

 二人にはこどもがなかった。申し出は好都合であった。

 そうなるといつまでも三人川の字で寝るという訳にも行かない。娘に部屋をあてがってやらねば。だが余分の部屋はない。じさまの目がギラリと光る。家の外の、農具や古道具やガラクタを仕舞ってある物置に娘を寝かせればよい。そこには先々代が庄屋様から譲り受けたという古い織機がホコリを被って鎮座しておった。


 鶴+織機=鶴の千羽織∴大金持ち


 という数式が、じさまの脳裏にNYかLAの繁華街のネオンサインのように、ギラギラと輝いたのじゃった。

 自分の部屋を授かった娘はたいそう喜び、晩飯の後片付けを済ませると自分の部屋に下がった「それでは、とと様、かか様、おやすみなさいまし」

 じさまとばさまが布団に横になると、ばさまが言った。

「じさまや……」

「なんじゃ、ばさまや」

「あの若いおなごは一体何者じゃ」

「あれはな、本人は認めんじゃろうがの、わしがみるところ、わしが矢を抜いて命を救ってやった鶴の化身じゃと思う」

 それを聞いたばさま、突如カッと目を見開き「嘘をおっしゃい! なぁにが鶴の化身じゃ! あげな若くて愛しげな娘っこを一体どこで引っ掛けてきたのじゃ!?」

「いや、決してそのようなことは」

「ふん、どうだか。あやしいものよ」

「ばさまや……」

「あああああ口惜しい! じさまに、よもやそのような甲斐性があろうとは、わしは、この歳までついぞ知らなんだわい!」

「ばさま……それは誤解というものじゃ」

「ふん。もうええ。当分口もききとうないわい」

 そう言い捨てると、ばさまは向こうを向いてふて寝してしまった。

 ガアガアというばさまの高鼾のなか、戸口で低く呼ばわる声がした。じさまはそっと起き出して、戸口に向かった。

「こんな夜中にどなたかの」

「じさま、おらだ、与ひょうだ」

「なんだ、与ひょう、急用でもあるのか」

「きのう、この辺に、鶴が落ちてはおらんかったけぇ? たしかにこのあたりで矢で射たはずなんじゃがのぅ」

 与ひょうは、山ぎわの掘立小屋でひっそりと暮らしている貧しい若者。田を持たず、手製のぶかっこうな弓矢で野鳥や獣を狩って、獲物を米と交換して、なんとか命をつないでいた。昨日せっかく射止めた鶴が見つかるかどうかも、与ひょうにとっては暮らしのかかった大事じゃった。じゃが、じさまは、知らんぷり。鶴が恩返しのために娘に化けて家に来たなどと教える訳もなかった。与ひょうはがっかりして、トボトボと夜闇の中を帰っていった。


 三日後の朝のことじゃった。部屋から、何かを大切に抱えて出てきた娘は、それをじじばばにおずおずと差し出した。

「こんなものを織ってみたのですが。お世話になっているせめてものお礼にと」

 それは見事な反物で、本物の鶴の羽がたっぷりと織り込まれて、真珠のように輝いておったそうな。じじばばが驚き喜ぶ姿に娘は満足し、そしてその場に倒れた。

 ばさまが娘を布団に寝かせて介抱している間に、じさまは反物をもって、都へと走った。


 不案内な都を足を棒にして歩きまわり、じさまはようよう、とあるお役人様の屋敷の家来に、話を聞いてもらえた。家来はじさまの手渡した反物を持って屋敷に入った。門の外で小一時間も待たされたであろうか。やっと帰ってきた家来は、反物の美しさを褒め、じさまに十貫文もの大金を手渡して、もっと作って売りに来るようにと言ったのじゃ。

 じさまは、ばさまには京菓子を、自分には伏見の酒を買って帰り、その夜は大儲けを祝って痛飲したのじゃった。


 数日後、じさまの家に貴人の使いが訪れた。

「そこな爺よ。先般、織部佑おりべのすけ古田道重みちしげ殿の屋敷に、大層美しい鶴の千羽織を届けたのはお前か」

「へえ。たしかに手前にござりますが」

「拙者は、織手司おりてのつかさ遠山亀之丞様の使者である。爺、古田殿に届けたのよりも上等な反物を、近日中に当家まで届けるように。殿のたってのご要望じゃ。くれぐれもよろしくたのむ。早急にな」

 使いは手付金として五十貫文もの大金を置いていった。嬉しい悲鳴。

 じさまは途方に暮れた。つゆは再び千羽織が織れるほどに回復はしていない。あんな大金を受け取っておいて千羽織が渡せないとなるとどうなるか。嬉しい悲鳴は単なる悲鳴に変わったのじゃ。

 じさまは文字通り命がけでつゆを看病した。米の飯を腹いっぱい食わせ、川で鮎を釣ってきては食わせ、近所の猟師からイノシシの肉を分けてもらって鍋にして食わせた。

 ようやっと回復した娘は、再び織機に向かった。こないだのより上等な反物を二ひき(=四反)と言われて、最初は「そんなには無理です」と固辞していたつゆも、じさまが床に額を擦り付けて「それが無理じゃとわしの命がないんじゃ」とまで嘆願されては無碍に断ることもできなかった。

 つゆは野良仕事も家事も免除されて、ひたすらに機を織り、食って寝て体力(というか羽)の回復に努めたのじゃ。

 じさまも必死でそこらじゅうから精のつきそうな食べ物を集めては食わせ、あげくの果てには通販でプロテインをお取り寄せして飲ませ、藁にもすがる思いで、ミンの国から養毛剤を個人輸入し、羽が生えますようにと念じながらつゆに飲ませた。

 ばさまは面白くなかった。つゆは家事をしなくなり、食って寝ているばかりに見えた。じさまは何かにつけては、つゆ、つゆ、と下にも置かぬ可愛がりっぷり。じさまは金のためじゃと言うが、その必死の看病ぶりがばさまには、どうにもただごとではないように見えたのじゃ。

 夜、ばあさまは、夢を見た。織機の鎮座する娘の部屋で、あの若くて綺麗なつゆとじさまとが、裸で絡まりあって、乳繰りあっている姿じゃ! びっしょり汗をかいて飛び起きたばあさまは、たしかにその光景をこの目で見たと思った。虫の知らせ。隣をみると、案の定、じさまの布団はもぬけの殻。やはり、やはりそうか! ばさまは台所から包丁を持ち出し、物音も立てずに、娘の部屋に忍び寄り、そっと中を覗いた。

 じさまはいなかった。気が抜けてへたりこんだばさまは、見事な織物が出来上がりつつあるのを見た。それを織っていたのは、全身の羽が抜けて、見るも無残な一羽の鶴じゃった。鳥の丸焼きの下準備で、下っ端の料理人に毛をむしられたかのような哀れな姿。ばさまは息を呑み、声に鳴らない悲鳴を上げた。鶴が振り返り、

「こんな恥ずかしい姿を見られたからには、もうここにはいられません」

 その言葉を聞いて、ばさまは我に返った。わしは、なんという愚かなことを。

「つ、つゆや、ちょっと待ちなされ。バックスペース! アンドゥー! アンドゥー!」

 しかし、南蛮渡来の呪文も、かなしいかな野生動物には通じない。厠で用を足しておったじさまが騒ぎを聞きつけてつゆの小屋に飛び込んだ時、つゆは、いままさに鶴の姿に戻り、飛んで逃げるところだった。鶴は、布を織るために自分の羽を大量に毟って使ってしまったために上手く飛べなかった。じさまとばさまは飛びついて鶴を羽交い締めにした。抵抗虚しく、鶴は囚われの身になった。


 じさまは娘の足に鎖をつけて監禁し、無理強いをして機を織らせ続けた。が、一羽の鶴が産する羽根の量には当然限界がある。遠山様から命じられた量の反物は、この調子では到底無理じゃった。

 途方に暮れておるところに、千羽織の噂を聞きつけた別の貴族も使者を立てて、ぜひ、その布を売って欲しいと言ってくる。引く手あまたどころではない。宮中も、京のファッション業界も、美しい千羽織の噂で持ちきりじゃった。

 噂は殿上人にまで届き、ついには、従二位権大納言山科禁言やましなきんときの使者までが寒村を訪れた。山科様と言えば、宮中の装束全般を取り仕切る大物中の大物官僚。山科様に命じられた反物の量も手付金の額も今までとは桁違いじゃった。

 もはや野良仕事などしている暇はない。先祖から受け継いだ田んぼは耕作放棄。つゆに栄養をつけさせ、脅しすかして機を織らせるだけでは埒が明かない。原料も足りなければ織り手も足りない。じさまは与ひょうに金を渡して狩人団を結成させ、国中で鶴を狩らせた。獲った獲物は羽根と肉に仕分けして納品させた。その羽根のお陰で、つゆはもう自分の身を削って原料を提供する必要はなくなった。肉のほうはじさまたちが食うばかりでなく、つゆにも食わせた。共食いであるが、貴重な栄養源を無駄にはできぬ。つゆはみるみる血色がよくなった。

「ただし、与ひょうよ、わしの田の周辺では鶴は決して殺してはならんぞ、ちょっとだけ傷をつけて翔べないようにするんだ、いいな」

「合点承知」

 そうして、与ひょうたちがちょっとだけ傷つけて落とした鶴があると、じさまはすぐに駆けつけて矢を抜いてやり、

「おお、可哀想に、さぞや痛かったであろう。これでもう大丈夫じゃ。今度は無事に山に帰れよ。人間の射た矢に掛かるなよ」

 と、優しく声を掛けた。翌日、若い娘のなりをして礼を言いに来た鶴には、ばさまがご馳走責めにもてなして、泊まっていくように勧め、建て増した小屋に放り込んで監禁した。

「一生懸命に布を織るのじゃぞ。さすれば悪いようにはせぬ。毎日鱈腹ご馳走を食わせるけぇ。織らなければお前が焼き鳥になるんじゃぞえ」

 ばさまがこの台詞に慣れるのに、さほどの時間は掛からなかった。

 こうして原料確保にも目途が立ち、織り手も増えた。じさまが発注してあった新しい織機も続々と納品され、新築の小屋に収まっていった。昔からあった古い織機は、縦糸が床に対して水平に張られる、いわゆる水平機すいへいばたであったが、新しく導入したのは最新式の縦型の織機である。

「そんな高価な機械をどうしたのじゃ?」

「JAの百姓共済に頭を下げて、融資を願ったんじゃ」

「ほえー、そんなに簡単に貸してくれるものけぇ?」

「それが、そうなんじゃ。都さ持っていけば、何百貫文にもなる最高級の織物だと聞いて共済さんも大乗り気でのぉ。あっさり融資してくれおったわい」

「なんとまあまあ、この不景気のご時世に、強気な銀行じゃこと」

「イケイケドンドンじゃ。バブルの夢よカムアゲイン! と言ったところかのぅ」


 遠山様、山科様から命じられた反物を無事に納め終えると、これで命がつながったわい、とじさまとばさまは泣いて喜んだ。命拾いしたばかりではない。その年アパレル業界でのもっとも優れた業績に対して授与される西陣賞まで受賞して、一同はガッツポーズ、喜びを爆発させた。

 つゆたちはもはや鎖で繋いで監禁する必要もなかった。美しい布を織り、ご馳走を食べる暮らしに満足しておったのじゃ。天敵や猟師に四六時中怯え、エサを求めて一日中飛び回る野生の暮らしよりもよほど楽しかったそうな。

 その後も京の都からの注文は増え続けた。じさまはさらに織り手を増やした。設備投資もした。そして、ついに「つるのおんがえし株式会社」を設立。じさまは代表取締役社長に、ばさまは取締役経理部長に、つゆは製造部長に、与ひょうは調達部長にそれぞれ就任した。そして、翌年には東証一部に上場する優良企業としてアパレル業界に確固たる地位を占めたんじゃ。


 とはいえ経営に波風が立たなかったわけではない。最初の試練はお約束の労働争議である。どこぞの主義者アカに唆されたのか、鶴たちが組合を結成、ストライキ、ブロックアウトと、闘争を展開。

「そもそも我々は、働かなければ焼き鳥だと脅されて、強制労働をさせられているのではないか! 何が優良企業だ! 重大なる人権侵害に断固抗議すべし!」

「しかし、人権といっても、うちらは鳥類じゃしなあ」

「では動物虐待でどうじゃ!」

「動物愛護協会に動いてもらうのはどうだろう」

 救済を求める手紙は、紙がないので、文字を織りこんで、布で書いた。

 ここで、鶴である娘らにどうやって手紙が書けたのか、と疑問をもつ方もおられよう。もっともな疑問である。そもそも、じさまばさまにしても、ほぼほぼ文盲に近い庶民であったのだから、彼らから文字を学んだとも考えづらいのである。さらに、そんな読み書きもできぬ老人たちがどうして株式会社を設立できたのかと疑問を持つ向きもおられよう。まことにもっともな疑問である。そこはそれ、蛇の道は蛇、世の中には代書屋という種族がおり、法外な金をふんだくって書類作成を代行してくれるのである。おそらくじさまたちはそのような代書屋にかなりの財産をかすめ取られていたのではないか、というのが、歴史学者たちの一致した見解である。(そもそも鶴がどうして人間に化けて言葉も喋れるのか、という根源的疑問については、聞かぬが花というもの)

 閑話休題。

 書き上げた手紙を誰に託すのか。密使の選定が問題となった。

「俺が行ってやる」とヤギ。

「お前は駄目だ。配達すると見せかけて全部食っちまうからな」

 みんなは、ヤギさん郵便の悲劇を忘れてはいなかった。

 結局、野鳩が経営する「山鳩ポッポの宅空便」に依頼し、郵便は無事配達された。

 ややあって、動物愛護団体が大挙して村に押し寄せた。しかし、じさまも腐っても経営者。動物虐待をやめろ、動物の権利を守れという彼らの主張を、堂々と退けた。

「いいですか皆さん。これは産業動物であってペットではないのですよ。愛玩などするべき対象ではないのです。産業動物の利用を止めよというのなら、まず南蛮の国々に行って、牛肉を食べるのをやめさせてごらんなさい。それができたならウチも考えないではないですわ。わっはっは」

 血の滴るような牛ステーキ大好きの南蛮人を頭とする動物愛護団体であったから、彼らは白い顔を赤くして、スタコラサッサと退散したそうな。(当時の動物愛護運動はまだ、自分のことを棚に上げて相手を糾弾する現代の運動家ほど面の皮が厚くなかったようじゃ)


 こうして、じさまとばさまの事業は順風満帆に思えたのじゃ。ところが。じさまたちの羽振りのよさにあやかろうと、隣村でも同じ千羽織を売り出す同業他社が出現。その「うんず&そうど織物カンパニー」は、JA百姓共済より巨額の融資を受け、より大規模に千羽織生産を始めていた。じさまは百姓共済の担当者に抗議したが、にべもない対応をされたんじゃ。

「じさまだけを特別扱いする理由はないけえ」

「そうはいっても、競合する業者が増えれば、こっちは利益があがらんのじゃ。おたくさんも貸し倒れの危険が増すじゃろ? 違うけ?」

「なあに心配には及ばんよ。ちゃんと融資の際には担保を取ってあるけえ、あんたの土地、財産を差し押さえるだけのことじゃ」

「あ、あんた、最初からワシを潰す気で」

「そげな言われようは心外じゃのう。資本主義経済は弱肉強食が基本じゃけえ。競争力のない企業に市場から撤退してもらうんは、いわば理の当然。違うけえ?」

 業者の増加、千羽織生産量の増大に伴い、国中の鶴の生存数も急速に減少。絶滅寸前の状況に。競合業者は遠くの国からも鶴をかき集める強引な手法で、さらに生産量を増やした。

 千羽織は市場に溢れた。希少性はなくなり、相場も急落した。利益は上がらず、「つるのおんがえし株式会社」の未来に暗雲が立ち込めた。

 そんな危機の中でも、じさまは明の国から最新式の空引機という織機を取り寄せて、研究を怠らず、起死回生を目論んでおったのじゃが……止めを刺したのは、従一位太政大臣足利義義あしかがよしよしその人であった。義義は、勘合貿易で明の国から千羽織の類似商品を大量に輸入し、京の呉服問屋に売り捌かせた。義義は巨額の利益を手にしたが、千羽織は貴人の独占物ではなくなり、誰もが買える安物に成り下がり、レア物感は完全に失われたんじゃ。

 こうして鶴の千羽織の一大ブームは僅か数年で終焉し、じさまの倉庫には、売れるあてのない大量の在庫が残ったのじゃ。

 「つるのおんがえし株式会社」は倒産した。同業他社も同じような道をたどった。

 失業した鶴たちには、野生に帰るもよし、残って野良仕事の手伝いをするもよし、と伝えた。つゆ以外の鶴たちは故郷の山へと帰っていった。


 じさまは百姓に戻る気はなかった。数年の間に荒れ放題に荒れた田を元通りにする気力は既になかった。

 幸い、ブームの間に溜め込んだ金はまだまだ残っていた。美しいつゆ(製造部長になると同時にじさまの愛人の座にも収まっておった)と二人、南国のリゾート地で楽しく暮らそうと目論んだじさまは、ばさまに毒を盛って殺して埋めた。しかし、その直後に、じさまも謎の心臓発作でこの世を去った。つゆが毒を盛ったのだとも、ばさまの祟りだとも言われている。

 独り、家に残ったつゆは、誰か適当な男でも婿にとって家を継ごうかとも考えたが、結局やめにした。田は荒れ果て、千羽織も売れない。この家に残っても仕方がない。人のなりをして、人と暮らすことにも飽き飽きじゃった。

 つゆは思った。わたしは、本来の鶴の姿に戻って、野生動物として、残りの生涯を全うすべきではないのか、と。しかし、野生は野生で、辛いのも事実。幸い、じさまが残した遺産がたんまりある。それを食いつぶすまでは、ここにいればよい。

 人間の姿で好きなものを買って贅沢に暮らし、気が向けば鶴の姿になって、気ままに空を飛んだり、魚を獲ったりする。まさに悠々自適の暮らしであった。


 そんな晴れやかな春の朝のことじゃった。鶴の姿に戻って、大空に飛び立とうとしたつゆは、草陰に隠れていた与ひょうが放った矢を心臓に受けて即死した。

 愚か者の与ひょうは、実のところ、カブシキガイシャも、チョウタツブチョウも、まるで理解してはおらなんだし、カイシャがつぶれたことも理解できなんだ。おまけに、じさまの田の付近で鶴を殺してはならぬと言われたことなど、とうに頭から抜けておったんじゃ。

 お気楽な与ひょうは、久々に獲物を得て天にも舞う心地。口笛を吹きながら、鶴を捌き、羽根と肉に分け、臓物や骨は川に流した。

 羽根と肉をじさまに渡そうと思って、意気揚々とやってきた与ひょう。しかし、じさまの家はもぬけの殻であった。

「久々に酒が買えると思ったんじゃがのぉ、じさまがおらんではしょうがない」

 肩を落として、とぼとぼと自分の小屋に帰った与ひょうは、その夜、射止めた鳥の肉を、鍋にして、腹一杯食ったとさ。とっぴんぱらりのぷう。



               (終)


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つるのおんがえし株式会社 青海 嶺 (あおうみ れい) @aoumirei

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