第1章 平凡な日常の終わり
「ソフィー様、そのバレッタは初めて拝見しますが、新しく
「いえ、クレイグ
ソフィー様の
授業が終わった王立学院の中庭で、そんな様子をチラチラ見ていた私ことアメリア・レストンは、取り巻きの皆さんを
うう、いいなぁ。
アッシュブロンドの髪に切れ長の緑の
でも、チャンスがあったとしても、私は自ら進んで彼女に声をかけることなどできない立場。
取り巻きの中でも一番
平凡な私が目立ったら、どうなるのかを身をもって知っているのだもの。
……ああ、ダメダメ。尊敬し、憧れているソフィー様の
ただの信者の私は、
おさわり厳禁! ってことを忘れてはいけないわ。
「アメリアさん? アメリアさん! 聞いているの?」
真正面に
「……ええ。聞いております。王太子殿下から贈られたバレッタの件でございますよね?」
ボーッとしていたけれど、ちゃんと聞いていたわ。
先ほどまでの会話内容を話すと声をかけてきた令嬢は、
「本当に、
「仕方がありませんわ。彼女はいるのかいないのかわからないくらいに存在感が
「それに見た目もね」
クスクスと
すると、少し
「見た目は関係ないでしょう。アメリアさん、紅茶のおかわりはいかが? お
笑っている令嬢達を
注意された令嬢達は、一様にバツが悪そうな表情を浮かべている。
でも、皆さんの言っていることも理解できるのよ。
だって、私は十人中十人に口を
言われたことが正論なので私は全く気にしていないのだけれど、ソフィー様は私が気にしていると思って、注意してくれたのね。
でも、事実を述べていると思っている他の皆さんは、注意されたことに
「ま、まあ、ソフィー様。彼女は中位貴族の令嬢ですよ。そのように気にかけなくとも問題はございません」
「上位貴族でも中位貴族でも関係ないわ。彼女は私の友人よ。なら、楽しんでいただきたいと思うのは当然ではなくて?」
レナール王国で王家に次ぐ権力を持つバーネット侯爵家の令嬢・ソフィー様の公平な言葉に私は感激する。
身分など関係なく平等に接するソフィー様の態度に、いつも私は助けられているのだけれど、令嬢達は、そう思っていないようだ。
まあ、皆さんがそう思うのも仕方ない話よね。
だって、私の家は
重ねていえば、私は明るい髪色ではなく、この国でよく見かけるダークブラウンの髪と瞳なのだもの。
とはいっても、私は平凡な自分の顔を
両親に愛され、使用人からも愛され、領民からも
だから、私はこのままでいい。派手な人生は望んでいない。大好きな
地味な人間が目立ったら、どうなるかは十年前の出来事で身をもって知っているのだもの。
と、何も言わずに
「……アメリアさんは楽しんでいらっしゃるに決まっております。王太子殿下の婚約者であるソフィー様と
「ええ、そうですわ。アメリアさんのように大人しい方は、あまりご自分の気持ちを表に出そうとはなさいませんから。きっと心の中では楽しんでいらっしゃると思います」
取り巻きの令嬢に、大人しい、と評された私は
心の中では結構
「そう。アメリアさん、本当に楽しんでいらっしゃるの?」
優しく話しかけてきてくれたソフィー様に、私は
目立たない私を気遣ってくれるなんて、やっぱりソフィー様はお優しい方だわ。
五年前にどうしても出席しなければならなかった茶会で、私は友達がおらず、
そんな私にソフィー様は『私達と一緒にお話ししませんか?』と
ソフィー様は私にあれこれと話しかけてくれて、取り巻きの皆さんの中にそれとなく入れてくれた。
そんな彼女と過ごすうちに、私は彼女が幼少時に理想としていた
だから、そんな彼女に憧れるのも必然というものよ。
ということで、五年前の茶会から、私はソフィー様の取り巻きとして彼女の側にいるの。
……まあ、過去を思い返すのもほどほどにして、私は彼女の問いに答えるべく、口を開いた。
「もちろん、楽しんでおります」
返答を聞いてホッとするソフィー様と、ニンマリと微笑む令嬢達。
「やはり、アメリアさんは楽しんでおられるようではありませんか。ソフィー様が心配なさる必要などございません。それよりも、もっと心配された方がいい案件がございます。ほら、ロゼッタさんのことです。あの方にも困ったものです。今日もお二人で話をしていたみたいですからね」
ふぅ、と息を
なんだか、
でも、彼女達がそう思うのも無理はないかも。
というのも、話題に上ったロゼッタ・ベイリーという女性に、学院の女子生徒達が頭を
私達よりひとつ下の彼女は今年、王立学院に入学してきたベイリー
でも、取り巻きの令嬢が不満を口にしたのはそれだけじゃない。
何がきっかけかはわからないけれど、ある日を境に王太子殿下はロゼッタさんと話すようになり、一緒にいるところを
それで、
彼女の実家が商人上がりで、今の当主の事業が
一度、他の生徒がロゼッタさんに王太子殿下と親しくしすぎるなと注意をしたことがあったのだけれど……、今もお二人の目撃情報があることを考えると、全く聞いてもらえてなかったみたい。
「注意してくださった方の親切心を
「失礼
「ソフィー様、このままでよろしいのですか?」
静かにしていたソフィー様は、カップをゆっくりとソーサーに置いた。
「もちろん、いいとは思っていないわ。でも、ただのご友人だった場合、クレイグ殿下はお
「何を弱気なことを仰っているのですか」
「友人なわけがございません。注意しても聞いてくださらない以上、何かしらの行動を起こさなければ、取り返しのつかないことになりますよ?」
「それに、王太子殿下はこれまで特定の女性と親しくすることなどございませんでした。対応を誤ると、ロゼッタさんに王太子殿下を
令嬢達の
何があってもご自分が王太子殿下の婚約者であるということは
その強い意志に憧れるわ。
なのに、取り巻きの令嬢達はそんなソフィー様の態度に気付いていない。
今も、ロゼッタさんに対して怒りを
「あの方は、ご自分が貧乏な男爵家の
「きっと、お金目当てに
「ふしだらですわ。学院の
令嬢達は、なんて
いくらソフィー様の婚約者である王太子殿下と親しくしているといっても、人の悪口を聞くのは気分がよくない。
悪口を言われる方の気持ちが私にはわかるから。
どうしたものかとソフィー様に視線を向けると、彼女は無表情で悪口を言っている令嬢達を
「いい加減になさいませ」
冷たさを感じさせるソフィー様の声に令嬢達は
「ただクレイグ殿下と仲がよいというだけで、悪口を仰るなど
彼女の
さすが、真面目で誠実、思慮深いソフィー様だわ。
ソフィー様は皆さんの様子を
「私のせいで雰囲気が悪くなってしまったわね。申し訳ないわ。……今日はこれで終わりにしましょう。私は寄るところがあるので、皆さんは先にお帰りになって。では、また明日。ごきげんよう」
スッと席を立ったソフィー様は
迷いなく歩く姿が美しくて
彼女と同じアッシュブロンドの少年に私は見覚えがある。
ソフィー様の取り巻きの私は、学院内で何度かルーファス様の姿を見たことがあったからすぐにわかった。
彼は一学年下で愛らしい見た目から年上のお姉様方に人気があるのだ。
あら? ルーファス様ってば、何やら訝しげな表情を浮かべているわ。
一体、なんの話をしているのかしら?
気になってしまい、ジッと見つめていたら視線を感じたのか彼がこちらを見た。
すぐに目が合ってしまって、私はビクリと体を
彼の方も私をジッと見て目を
まさか見つかるとは思わず、私の体が固まる。
どうしようかしら? と思っていたら、不思議に思ったのかソフィー様がルーファス様に話しかけて、ようやく彼の視線から
でも、ソフィー様と話しているというのに、チラチラと私を見てくる。
これは頭を下げない私を
焦ったけれど、これで終わったはずだ。
ホッとしていると、今の私の行動は
「でも、ソフィー様は、ああ仰っていたけれど、心の中ではロゼッタさんを
「ええ。そうでしょうね。ソフィー様といえども、お二人の仲を見過ごすことはできないはず。それに考えたくはないけれど、もしも、もしもよ? お二人の婚約が
「婚約を破棄された令嬢の友人だなんていい笑いものになってしまいますわ。王太子殿下の婚約者の友人だからこそ皆様に一目置かれているというのに」
「全くです。王太子妃の友人として、いいお
そうよそうよ、と令嬢達は同意しているが、私はそれには同意できない。
皆さんは、ソフィー様の何を見ていたのかしら。
彼女は王太子殿下の婚約者として取り乱したりなどせずに、どんと構えているのに。
もっとソフィー様を信用するべきよ。あれほど素晴らしい方は他にいないわ。
そんなことを考えながら、私は令嬢達の会話には参加せずに、聞き流していたの。
「なんとしてでも、王太子殿下の側からロゼッタさんを引き離さなければいけないわ」
「最悪の場合は私達でなんとかしないと」
「そうですわね。ですが、まずはソフィー様にその気になってもらわなければなりません」
「ええ。ひとまず、ソフィー様に危機感を
あれこれ言っていた彼女達は、主役であるソフィー様がいなければ話が進まないとなったのか、
「……今日はもう終わりにして、日を改めて、もう一度ソフィー様にお話ししましょう」
「私達の熱意がソフィー様に伝わればよろしいけれど」
「
同意する令嬢達を冷めた目で眺めていたら、いつの間にか、その場は解散となったようだ。何人かの令嬢が立ち去った後で頃合いを見計らって私も席を立ち、残った面々に
「はあ、
先ほどまでの会話を思い出し、私はため息をついた。
できるだけ
もっと平和的な解決方法を
そうなったら、反論できる言葉なんて私は持ち合わせていない。
言いくるめられるのがオチだ。
ソフィー様が彼女達の言葉に
はぁ、と息を吐いた私は、周囲に人がいないのを再び確認する。
「それにしても、ルーファス様と目が合ったのには驚いたわ。ソフィー様のお側にいるようになって初めてよ。今までは上手く存在を消せていたのに。
突然だったものの、いい目の保養になったわ。
あちらからしたら目の保養なんてならなかったと思うけれどね。
「さて、これからどうしようかしら。今校門に行ったら他の方と会うし、ロゼッタさんの話を振られても困るわね。うっかり同意するようなことを言って、後々私もこう言っていたとか言われたら大変だし……と、なると、皆さんが帰るまで図書館で時間を
学院の図書館なら
平常心を保てなくなったときは恋愛小説を読むのに限る。
決めた私は人気のない校舎を早足で図書館へと向かった。
学院の図書館は校舎から少し離れた場所にある上に、学院の生徒は中庭でお茶をしたり、さっさと帰ったりするから、放課後はあまり人がいない。
歩いている途中で、複数の話し声が聞こえてきたことで立ち止まり周囲を
すると、少し離れた場所で楽しそうにお喋りしている男女の姿を発見して、私は目を
向かい合っている背が高い
その二人には物凄く見覚えがあった。
あれは、王太子殿下とロゼッタさん!?
放課後の誰もいない場所でお二人で話をしているなんて、親しくしているというのは
それにしても、王太子殿下は本当に楽しそうに笑っているわ。
ソフィー様という婚約者がいながら、なんということをしているのかしら。
ロゼッタさんは王太子殿下に婚約者がいるのを知らないのかしら? いえ、知っているわ。だって、注意されたはずだもの。
とんでもないところを見てしまった私は、気まずさからそっと
見つかったら、絶対に
だから、静かにお二人が立ち去るのを待つしかないと思っていたのだけれど、ふと視線を
ソフィー様はお二人を見つめながら静かに
頬を
けれど、彼女の手は強く
一目見て、お二人の姿に嫉妬しているとわかってしまった。
ソフィー様が王太子殿下を愛しているのは周知の事実。好きな人が他の女性と楽しそうに話しているのを見たら、嫉妬するのも当然。
ソフィー様のお気持ちを考えると胸が痛む。
話に夢中なお二人は私達に全く気付いてないのか、
「それで、城の庭師が
「まあ、百合を? 前にも王城の庭にはいろいろな花が咲いていると教えてくださいましたが、色とりどりで美しいのでしょうね。
「では、一度城に来てみてはどうだ? 庭くらいなら君でも見学できるだろう」
「よろしいのですか?
「友人と? いや、あの。
「いいえ、王太子殿下に案内をしていただくなど
「……君は本当に何も望まないのだな。
優しげに微笑む王太子殿下と、笑みを返すロゼッタさん。
一見すると、
ああ、もう! これ以上ソフィー様を傷つけないで! 早くここから立ち去って欲しいと私が願っていると、王太子殿下は予定があるのか、少ししてお二人はその場からいなくなった。
ホッとした私がソフィー様を見ると、彼女は動くことはなくジッとお二人がいた場所を見つめていた。
心ここにあらずな感じのソフィー様に、いつもの凜とした様子はない。
そこにいるのは、恋愛小説に出てくる
ソフィー様のことを考えたら、ここは静かに立ち去る場面だとわかっているのに、なぜだろうか。私はソフィー様を放っておけないと感じている。傷ついている彼女を一人にしておけないと思っている。
どうにかして、王太子殿下の心をソフィー様に
これはただの自己満足かもしれない。ソフィー様は望んでいないかもしれない。
でも、泣いているソフィー様を無視することもできなかった。
それに、五年前の恩返しをしたい。ほんのちょっとしか返せないけれど、今動かないとダメだと私の心が
私はハンカチを取り出し、いまだに動かないでいるソフィー様の
「お使いください」
頬に涙の
ハンカチを差し出したことで、私が先ほどの場面を見ていたことを察したみたい。
「……ありがとう、アメリアさん」
「いえ」
この後、どうしようかと固まっている私を見て、ソフィー様は軽く微笑むと視線を庭へと向けた。
「……少し、お話をしましょうか」
そう言って、ソフィー様は近くのベンチに移動し、誘われるまま私も彼女の
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