一問目 その2
「……なんなんだ、この子どもは」
燃えさかる炎の中で、暁月はため息をついた。腕の中には、首筋の血管を
「朱雀神獣、あんたならすべてを見ていただろう。本当にこいつはおれとは無関係の子どもだ。焼き殺すのは、
暁月は生き残れよと莉杏に呟き、少しでも火の回りが遅いところを探す。
(扉の前だろうな。
扉が開けば、真っ先に助けてもらえるし、真っ先に消火してもらえるはずだ。
「……あ~、
暁月は、力を貸してくれた
「それに比べてあんたはさぁ、こんな人攫いを庇おうとするなんて、本当に
小さな身体を扉の前に横たわらせたとき、──……『それ』が聞こえた。
──汝ら、真の愛をもつ夫婦なり。
今、語りかけてきたのは誰だろうか。
この朱雀神獣廟には、自分と意識のない少女しかいない。
暁月は右方向からぞっとするような視線を感じ、勢いよく身体の向きを変えた。祭壇の奥にある朱雀神獣の像の眼が、ぎらりと光った気がする。
直後、身体中の血が
(くっそ……!)
歯を食いしばったけれど、あまりの苦しさに意識が遠のく。
身体が燃えているような感覚に、これが天罰かと
「……は?」
肩で息をしていると、視界の中の赤色が消えていることに気づく。
どうやらいつの間にか、燃えさかっていた炎がなくなっていたらしい。
「焦げたあとすらない……だと……?」
一体どういうことなのか。あれは夢だったのか。だとしたらどこから夢なのか。
暁月は自分の
「そうだ、こいつの髪……!」
たしか莉杏の髪の毛の先が焦げていたはずだ。
「くそ! ここでなにが起こったんだ……!?」
暁月が頭を押さえてうつむくと、髪の毛がはらりと肩から落ちてきた。すぐに、見慣れているはずの髪の色が妙だと気づく。鳶色だったはずの髪が、血のように赤くなっていたのだ。つい先ほど、血を浴びたからだろうか。
不安と焦りを感じながら、慌てて祭壇に置かれている鏡を覗きこんだ。
「おいおい……」
暁月は、自分が恐ろしくなる。
鳶色の髪が血のような赤い色に、深緑色の瞳が金色に変化していた。
「……お、 ……こら、……、……きろ、起きろ」
莉杏はぺちぺちと頬を叩かれ、名を呼ばれた。ゆるやかに意識が
促されるまま眼を開くと、立派な天井画が視界に入ってきた。美しい朱き鳥……朱雀神獣が
ここはどこだろうかと身体を起こせば、温かい手が背中を支えてくれる。
「あ……」
「眼が覚めたか? 具合は?」
深紅の髪に金色の瞳をもつ青年が、こちらを覗きこんでいた。
誰だろうと眼を大きくしたあと、自分の夫である暁月だと思い出す。
そうだ、茘枝城の奥にある朱雀神獣廟で、暁月と比翼連理の誓いを立てたのだ。
(あれ? でも色が違う……?)
暁月の髪は鳶色で、瞳は深緑色だったはず。莉杏は間違って記憶してしまったのだろうかと首をかしげた。
「ほら、水。そこの祭壇に
暁月に水の入った杯を差し出されたので、莉杏はおそるおそる受け取る。状況はまだよくわからないけれど、言われた通りにくちをつけた。
(やっぱり、わたくしの覚え間違いなのかな? 髪と眼の色以外は、記憶と同じだもの)
ひとくち水を飲むと、
「……あんたさぁ、どこまで覚えてる?」
莉杏はきょとんとした顔で、暁月の言葉を
「覚えてる……?」
「謁見の間のことは?」
「ええっと、謁見の間で、わたくしはあなたに後宮入りのお願いをしました」
「おれの記憶と同じだな。ならここに入ってからのことは思い出せるか?」
「あなたと比翼連理の誓いを立てて、他の人が入ってきて、即位の儀式……? をして、朱雀神獣の加護を頂くために拝礼して……炎が……」
残された記憶の糸を莉杏が順にたどっていけば、赤く染まった記憶が出てきた。
炎に包まれたあと、暁月に
「あなたが、わたくしに、く、くちづけを……!!」
莉杏の顔が一気に熱くなり、思わず両手で
(どうしよう、どうしよう! くちびるの
夫婦だから当然の
莉杏が身もだえている横で、暁月はなるほどねと冷静に呟く。
「すべておれの記憶と一致している。なら『あれ』もやっぱり現実か」
「ゆ、夢みたいな瞬間でした! まさか、わたくしが物語の妃のようにあんな……!」
「へぇ、よかったね」
「はい!」
暁月は、炎よりもくちづけ体験に興奮している莉杏を馬鹿にしたのだが、莉杏には通じなかった。なぜなら、莉杏の興奮はまだおさまっていないからだ。
「泣きわめかれたら
「ありがとうございます!」
「いい返事。馬鹿っていいねぇ」
暁月はけらけら笑い、莉杏と眼をしっかり合わせる。
「あんたが後宮入りを願う予定だった皇帝は、あんたが謁見の間へくる少し前に病死した」
「……え? 病死、ですか?」
莉杏は、謁見の間に皇帝がいなかった理由を知り、驚いた。でも納得もした。今、ここにある大きな箱はやっぱり棺で、皇帝の
では今、眼の前にいる、皇帝として即位した『暁月』は、一体どんな人物なのか。
「おれは、病死した皇帝の次の皇帝、新しい皇帝陛下ってわけ」
「あなたが新しい皇帝陛下……」
莉杏はわかったと頷いた。
「皇太子殿下だったんですね」
だったら、暁月から皇后になれと言われた意味も理解できる。
赤奏国は夫婦であることをとても大切にするため、即位の儀式のとき、新しい皇帝には妻がいなければならないという決まりがある。まだ結婚していなかった暁月は、『妻』を求めていたのだろう。
(でも、皇太子殿下の
いや、そもそも皇太子の年齢は五歳のはずだ。暁月はどう見ても五歳ではない。
「年齢が……」
なにも考えずにおかしいと呟けば、暁月はにやにや笑った。
「あんたさ、翠家を
「ええっと、翠家のお妃さまに、
「わかってるじゃん。おれが翠家の妃から生まれた暁月皇子で、新しい皇帝。皇太子は
急に病死した皇帝、五歳なのに道教院へ入りたいと願った皇太子、そして血のにおいをまとっていた新しい皇帝『暁月』。
十三歳の莉杏でも、この状況が『おかしい』ことぐらいはわかる。
(……病死って、本当に?)
二十八歳の若き皇帝は、とても丈夫な方だと登朗から聞いていた。しばらく皇帝の代替わりはないだろうから、登朗はこの先を考えて、莉杏を後宮に入れようとしたのだ。
「陛下、あの……」
──本当に先の皇帝陛下は病死したのか。本当に皇太子殿下は自分から道教院に入りたいと言い出したのか。
莉杏は疑問をくちにしようとして……暁月の金色の瞳を見て、息を呑む。
「……うん?」
暁月は、言ってみろと言わんばかりに笑う。
(これは、警告だわ……)
『真実』に踏み入ってはいけないと、本能が莉杏を引き留めている。
祖母はよく言っていた、『大人の話に子どもが入ってきてはいけません』と。
(……大人になってから訊こう)
十三歳は大人だけれど、祖母はいつも『一人で生きていくことができるようになってからが大人です』と言っていた。
まだ莉杏は、祖父や祖母に保護されながら生きている子どもだ。
「やっぱり、なんでもないです」
莉杏がにっこり笑って引き下がれば、暁月が手を伸ばしてくる。
大きな手のひらが、ぽんと莉杏の頭の上にのせられた。
「おれは馬鹿でうるさいやつが
暁月は立ち上がり、扉の向こうに「泉永」と呼びかける。
「朱雀神獣の加護は受け取った。ここは予定通り
今度は扉があっさり開き、すぐに泉永が入ってきた。莉杏は首をかしげてしまう。なぜ急にまた扉が開くようになったのだろうか。
(そういえば、炎ってもう消えたのかな?)
莉杏の記憶の中に、穴の開いている部分がある。
あれだけ激しい火事を、誰がどうやって消火したのだろうか。水を使ったのなら、部屋が
「皇子殿下、……いえ、皇帝陛下、その前に一つ報告が。先ほど、蕗登朗
莉杏は、泉永のくちから出てきた祖父の名前に驚く。どうするのかと暁月を見上げれば、暁月はにやりと笑う。
「あいつは使える、ここに連れてこい。……莉杏、登朗がきたら『お祖父さま』って呼びかけてやれ」
それから暁月は、悪いようにはしないと莉杏に約束してくれた。
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