一問目 その2



「……なんなんだ、この子どもは」

 燃えさかる炎の中で、暁月はため息をついた。腕の中には、首筋の血管をあつぱくされたことで気絶した莉杏がいる。

「朱雀神獣、あんたならすべてを見ていただろう。本当にこいつはおれとは無関係の子どもだ。焼き殺すのは、たいを叫びながらたいざいおかしたおれだけにしてくれ」

 暁月は生き残れよと莉杏に呟き、少しでも火の回りが遅いところを探す。

(扉の前だろうな。すきから、外の空気が少しでも入ってきてくれたら……)

 扉が開けば、真っ先に助けてもらえるし、真っ先に消火してもらえるはずだ。

「……あ~、はくようのやつ、おれを騙したな。絶対に化けて出てやる」

 暁月は、力を貸してくれたりんごくの皇帝の顔をおもかべた。焼き殺すのなら、莉杏ではなく珀陽にしてほしい。

「それに比べてあんたはさぁ、こんな人攫いを庇おうとするなんて、本当に鹿でいい子だな。頼む、助かってくれよ」

 小さな身体を扉の前に横たわらせたとき、──……『それ』が聞こえた。


 ──汝ら、真の愛をもつ夫婦なり。が加護をさずけよう。


 今、語りかけてきたのは誰だろうか。

 この朱雀神獣廟には、自分と意識のない少女しかいない。

 暁月は右方向からぞっとするような視線を感じ、勢いよく身体の向きを変えた。祭壇の奥にある朱雀神獣の像の眼が、ぎらりと光った気がする。

 直後、身体中の血がふつとうしたかのように熱くなり、悲鳴を上げそうになった。

(くっそ……!)

 歯を食いしばったけれど、あまりの苦しさに意識が遠のく。

 身体が燃えているような感覚に、これが天罰かとなつとくしかけたが、なぜか突然ふっと身体が軽くなり、一気に楽になった。

「……は?」

 肩で息をしていると、視界の中の赤色が消えていることに気づく。

 どうやらいつの間にか、燃えさかっていた炎がなくなっていたらしい。くさいにおいも、熱気も、まるで最初からなかったかのように、すべてが元通りになっていた。

「焦げたあとすらない……だと……?」

 一体どういうことなのか。あれは夢だったのか。だとしたらどこから夢なのか。

 暁月は自分のおくの不確かさにぞっとし、同じ体験をしていたはずの莉杏を起こすために手をばす。

「そうだ、こいつの髪……!」

 たしか莉杏の髪の毛の先が焦げていたはずだ。かくにんするために莉杏の髪の毛をすくってみたけれど、燃えたようなあとはどこにもなかった。

「くそ! ここでなにが起こったんだ……!?」

 暁月が頭を押さえてうつむくと、髪の毛がはらりと肩から落ちてきた。すぐに、見慣れているはずの髪の色が妙だと気づく。鳶色だったはずの髪が、血のように赤くなっていたのだ。つい先ほど、血を浴びたからだろうか。

 不安と焦りを感じながら、慌てて祭壇に置かれている鏡を覗きこんだ。

「おいおい……」

 暁月は、自分が恐ろしくなる。

 鳶色の髪が血のような赤い色に、深緑色の瞳が金色に変化していた。




「……お、  ……こら、……、……きろ、起きろ」

 莉杏はぺちぺちと頬を叩かれ、名を呼ばれた。ゆるやかに意識がじようしていき、手足の感覚もはっきりしてくる。

 促されるまま眼を開くと、立派な天井画が視界に入ってきた。美しい朱き鳥……朱雀神獣がえがかれた天井なんて、今まで見たことがない。

 ここはどこだろうかと身体を起こせば、温かい手が背中を支えてくれる。

「あ……」

「眼が覚めたか? 具合は?」

 深紅の髪に金色の瞳をもつ青年が、こちらを覗きこんでいた。

 誰だろうと眼を大きくしたあと、自分の夫である暁月だと思い出す。

 そうだ、茘枝城の奥にある朱雀神獣廟で、暁月と比翼連理の誓いを立てたのだ。

(あれ? でも色が違う……?)

 暁月の髪は鳶色で、瞳は深緑色だったはず。莉杏は間違って記憶してしまったのだろうかと首をかしげた。

「ほら、水。そこの祭壇にそなえてあったやつだけど、たぶん大丈夫じゃない?」

 暁月に水の入った杯を差し出されたので、莉杏はおそるおそる受け取る。状況はまだよくわからないけれど、言われた通りにくちをつけた。

(やっぱり、わたくしの覚え間違いなのかな? 髪と眼の色以外は、記憶と同じだもの)

 ひとくち水を飲むと、ずいぶんと頭がすっきりした。そんな莉杏の様子を見て、暁月はため息をつく。それはあきれたというよりも、安心したと言いたそうなものだった。

「……あんたさぁ、どこまで覚えてる?」

 莉杏はきょとんとした顔で、暁月の言葉をかえす。

「覚えてる……?」

「謁見の間のことは?」

「ええっと、謁見の間で、わたくしはあなたに後宮入りのお願いをしました」

「おれの記憶と同じだな。ならここに入ってからのことは思い出せるか?」

「あなたと比翼連理の誓いを立てて、他の人が入ってきて、即位の儀式……? をして、朱雀神獣の加護を頂くために拝礼して……炎が……」

 残された記憶の糸を莉杏が順にたどっていけば、赤く染まった記憶が出てきた。

 炎に包まれたあと、暁月にえんされそうになって慌てて止めたこと、一人で死なせるわけにはいかないと叫んだこと、それから……。

「あなたが、わたくしに、く、くちづけを……!!」

 莉杏の顔が一気に熱くなり、思わず両手でおおってしまう。あれは本当にしようげきてきな出来事だった。思い出すだけで、恥ずかしいようなうれしいような、一言では表すことができない気持ちに襲われる。

(どうしよう、どうしよう! くちびるのかんしよく、まだ残っている気がする……!)

 夫婦だから当然のこうだけれど、でも自分にとって初めてのくちづけだった。

 莉杏が身もだえている横で、暁月はなるほどねと冷静に呟く。

「すべておれの記憶と一致している。なら『あれ』もやっぱり現実か」

「ゆ、夢みたいな瞬間でした! まさか、わたくしが物語の妃のようにあんな……!」

「へぇ、よかったね」

「はい!」

 暁月は、炎よりもくちづけ体験に興奮している莉杏を馬鹿にしたのだが、莉杏には通じなかった。なぜなら、莉杏の興奮はまだおさまっていないからだ。

「泣きわめかれたらめんどうだって思っていたけれど、あんた、随分と神経がぶとそうだから、今の茘枝城のことを教えてやるよ。その代わり、もう少しだけこの馬鹿げた夫婦ごっこにつきあってもらうよ」

「ありがとうございます!」

「いい返事。馬鹿っていいねぇ」

 暁月はけらけら笑い、莉杏と眼をしっかり合わせる。

「あんたが後宮入りを願う予定だった皇帝は、あんたが謁見の間へくる少し前に病死した」

「……え? 病死、ですか?」

 莉杏は、謁見の間に皇帝がいなかった理由を知り、驚いた。でも納得もした。今、ここにある大きな箱はやっぱり棺で、皇帝のがいが納められているのだろう。

 では今、眼の前にいる、皇帝として即位した『暁月』は、一体どんな人物なのか。

「おれは、病死した皇帝の次の皇帝、新しい皇帝陛下ってわけ」

「あなたが新しい皇帝陛下……」

 莉杏はわかったと頷いた。

「皇太子殿下だったんですね」

 ぐうぜんにも、だいわりの直後に後宮入りをお願いしてしまったらしい。

 だったら、暁月から皇后になれと言われた意味も理解できる。

 赤奏国は夫婦であることをとても大切にするため、即位の儀式のとき、新しい皇帝には妻がいなければならないという決まりがある。まだ結婚していなかった暁月は、『妻』を求めていたのだろう。

(でも、皇太子殿下のこんやくしやはいたはず。たしかまだ三歳って……)

 いや、そもそも皇太子の年齢は五歳のはずだ。暁月はどう見ても五歳ではない。

「年齢が……」

 なにも考えずにおかしいと呟けば、暁月はにやにや笑った。

「あんたさ、翠家をうしだてにもつ暁月おうって知らない?」

「ええっと、翠家のお妃さまに、おんとし十八歳の皇子さまがいらっしゃることなら知っています。お名前は存じ上げませんでしたが……」

「わかってるじゃん。おれが翠家の妃から生まれた暁月皇子で、新しい皇帝。皇太子はどうきよういんに入りたいって自ら言い出したから、おれが皇帝になったんだよ」

 急に病死した皇帝、五歳なのに道教院へ入りたいと願った皇太子、そして血のにおいをまとっていた新しい皇帝『暁月』。

 十三歳の莉杏でも、この状況が『おかしい』ことぐらいはわかる。

(……病死って、本当に?)

 二十八歳の若き皇帝は、とても丈夫な方だと登朗から聞いていた。しばらく皇帝の代替わりはないだろうから、登朗はこの先を考えて、莉杏を後宮に入れようとしたのだ。

「陛下、あの……」

 ──本当に先の皇帝陛下は病死したのか。本当に皇太子殿下は自分から道教院に入りたいと言い出したのか。

 莉杏は疑問をくちにしようとして……暁月の金色の瞳を見て、息を呑む。

「……うん?」

 暁月は、言ってみろと言わんばかりに笑う。

 けもののような金色の眼を向けられた莉杏は、身体を動かせなくなった。

(これは、警告だわ……)

『真実』に踏み入ってはいけないと、本能が莉杏を引き留めている。

 祖母はよく言っていた、『大人の話に子どもが入ってきてはいけません』と。

(……大人になってから訊こう)

 十三歳は大人だけれど、祖母はいつも『一人で生きていくことができるようになってからが大人です』と言っていた。

 まだ莉杏は、祖父や祖母に保護されながら生きている子どもだ。

「やっぱり、なんでもないです」

 莉杏がにっこり笑って引き下がれば、暁月が手を伸ばしてくる。

 大きな手のひらが、ぽんと莉杏の頭の上にのせられた。

「おれは馬鹿でうるさいやつがきらいなんだ。……いい子だな、莉杏」

 暁月は立ち上がり、扉の向こうに「泉永」と呼びかける。

「朱雀神獣の加護は受け取った。ここは予定通りへいする。次のところへ行くぞ」

 今度は扉があっさり開き、すぐに泉永が入ってきた。莉杏は首をかしげてしまう。なぜ急にまた扉が開くようになったのだろうか。

(そういえば、炎ってもう消えたのかな?)

 莉杏の記憶の中に、穴の開いている部分がある。

 あれだけ激しい火事を、誰がどうやって消火したのだろうか。水を使ったのなら、部屋がみずびたしになっていてもいいのに、かわいたままだ。

「皇子殿下、……いえ、皇帝陛下、その前に一つ報告が。先ほど、蕗登朗殿どのらえました。我々に従う気はなさそうです。いかがしますか?」

 莉杏は、泉永のくちから出てきた祖父の名前に驚く。どうするのかと暁月を見上げれば、暁月はにやりと笑う。

「あいつは使える、ここに連れてこい。……莉杏、登朗がきたら『お祖父さま』って呼びかけてやれ」

 それから暁月は、悪いようにはしないと莉杏に約束してくれた。

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