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2019年10月30日 16:11 編集済
さいどばーん様 初めまして。自主企画「詩とは何か、教えて下さいな。」主催のもざどみれーると申します。この度は当企画にご参加下さいまして、誠にありがとうございました。 まず、ご参加頂いた詩集は、こちらが想定していた性質、テーマのもの(詩歌論またはそれに準ずるもの)から若干外れている可能性があることを正直に申し上げます。 とはいえ、「この詩集こそが自分にとっての詩の考察、解答である」という思いでご参加下さったのかも知れませんので、今回はお約束通り、全て読ませて頂きました。 全体的にはとても素直な印象を与える詩集だと感じた一方、深みのある表現にも事欠かないという印象を受けました。「夢を諦めた時、輝いている友達を見た時。私達は自分に蓋をする為にバツを付ける。」「ホームに近づいた一号車は、線路上の『個人』を全て轢き殺し、血しぶきをホームに撒き散らした。/『社会』となった人達を乗せて、電車は今日も進む。」「私は世間一般論に殺される。」「辛酸は鉄の味がする。」「ガソリンとは給油口に注げば燃料、足元に撒けば身を焦がす炎となる。」 ……等々、この詩集は非常に興味深い表現に溢れていると思います。そして、それらがあたかも雲を掴むような淡い無味の感触ではなく、あくまでも直接的、具体的な力強さに満ちているところが、この詩集に収められた詩の個性であり、素敵なところだと感じました。 しかし、『違法アップロードに花束を』には僕は反対です。別れの花束なら話は別でしょうが……。 さいどばーん様は、創作作品全般(音楽や著書など、あらゆる創作物を含みます)について「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」と仰っていますが、これは間違いだと思います。 創作作品というものは、それが生み出されるまでに目には見えない労苦のプロセスを経ているのが普通であり、その時点で既に労働価値は発生しています。そして同時に、対価を要求する権利も発生します。さらには製品的価値や芸術的価値も同様です。 つまり、あらゆる価値は、作品それ自身に既に含まれているのです。 違法アップロードがなぜ違法なのかについて、「法律にはそう書いてあるから」「他人の利益となって、ずるいから」という認識しかお持ちでないようなら、それは極めて危険であるとはっきり申し上げておきたいと思います。 創作者が自分の創作で生活費を工面できないならば、当然その創作の世界からはリタイアするでしょう。違法アップロードというのは、その流れを助長する害悪以外の何物でもありません。「この世からありとあらゆる感動をなくしたい」という想いはお持ちでないようですので、このことについては今一度よく考えて頂きたいと切に思います。 厳しい事も書きましたが、さいどばーん様にとって、これからのカクヨムライフが素晴らしいものとなりますように。 この度は、ご参加下さいまして誠にありがとうございました。
作者からの返信
もざどみれーる様、コメントありがとうございます。 私の詩集を全て読んで頂いて、更に感想まで頂き感無量です。 さて、「違法アップロードに花束を」についてご意見を頂きましたので、そちらについてコメントさせて頂きます。 同詩内にて「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」という私の表現に対して、もざどみれーる様は「創作物には生み出した瞬間に労働価値が発生し、それを請求する権利がある。製品的価値や芸術的価値も同様である」と仰っていました。 確かにそうです。生み出した創作物には価値がその時点で発生し、その価値を踏みにじる違法アップロードは創作者を陥れる害悪そのものであるという事は重々承知しております。それを理解した上でも私は、「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」と思います。 画家や漫画家が何の気なしに描いた落書きが、偶然ファンに発見されて崇高な絵となるように、受け手に発見されていない作品はどれだけ労働価値や制作的・技術的価値があったとしても、それは存在していないに等しい。だから価値は生まれない。そう私は考えます。 ですので、同詩はそういった違法アップロードを助長し、褒め称える意味で執筆したわけではございません。 違法アップロードされている作品をたまたま見かけたことによりその作品の価値を生み出し創作者を知りファンになる。つまり、違法アップロードは時には作品と受け手を繋ぐ一種の仲介人となり得る。そういった意味での「違法アップロードに花束を」です。 しかしながら、もざどみれーる様の意見も理解できます。違法アップロードによって何人もの創作者が苦難に陥り、それによって全ての創作物の業界に多大な損害を与えていることも間違いありません。 これからはもざどみれーる様に仰って頂いた意見もしっかりと取り入れ、創作活動に励んでいこうと思います。 この度は私の作品に出会っていただきありがとうございました。
編集済
さいどばーん様
初めまして。自主企画「詩とは何か、教えて下さいな。」主催のもざどみれーると申します。この度は当企画にご参加下さいまして、誠にありがとうございました。
まず、ご参加頂いた詩集は、こちらが想定していた性質、テーマのもの(詩歌論またはそれに準ずるもの)から若干外れている可能性があることを正直に申し上げます。
とはいえ、「この詩集こそが自分にとっての詩の考察、解答である」という思いでご参加下さったのかも知れませんので、今回はお約束通り、全て読ませて頂きました。
全体的にはとても素直な印象を与える詩集だと感じた一方、深みのある表現にも事欠かないという印象を受けました。
「夢を諦めた時、輝いている友達を見た時。私達は自分に蓋をする為にバツを付ける。」
「ホームに近づいた一号車は、線路上の『個人』を全て轢き殺し、血しぶきをホームに撒き散らした。/『社会』となった人達を乗せて、電車は今日も進む。」
「私は世間一般論に殺される。」
「辛酸は鉄の味がする。」
「ガソリンとは給油口に注げば燃料、足元に撒けば身を焦がす炎となる。」
……等々、この詩集は非常に興味深い表現に溢れていると思います。そして、それらがあたかも雲を掴むような淡い無味の感触ではなく、あくまでも直接的、具体的な力強さに満ちているところが、この詩集に収められた詩の個性であり、素敵なところだと感じました。
しかし、『違法アップロードに花束を』には僕は反対です。別れの花束なら話は別でしょうが……。
さいどばーん様は、創作作品全般(音楽や著書など、あらゆる創作物を含みます)について「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」と仰っていますが、これは間違いだと思います。
創作作品というものは、それが生み出されるまでに目には見えない労苦のプロセスを経ているのが普通であり、その時点で既に労働価値は発生しています。そして同時に、対価を要求する権利も発生します。さらには製品的価値や芸術的価値も同様です。
つまり、あらゆる価値は、作品それ自身に既に含まれているのです。
違法アップロードがなぜ違法なのかについて、「法律にはそう書いてあるから」「他人の利益となって、ずるいから」という認識しかお持ちでないようなら、それは極めて危険であるとはっきり申し上げておきたいと思います。
創作者が自分の創作で生活費を工面できないならば、当然その創作の世界からはリタイアするでしょう。違法アップロードというのは、その流れを助長する害悪以外の何物でもありません。
「この世からありとあらゆる感動をなくしたい」という想いはお持ちでないようですので、このことについては今一度よく考えて頂きたいと切に思います。
厳しい事も書きましたが、さいどばーん様にとって、これからのカクヨムライフが素晴らしいものとなりますように。
この度は、ご参加下さいまして誠にありがとうございました。
作者からの返信
もざどみれーる様、コメントありがとうございます。
私の詩集を全て読んで頂いて、更に感想まで頂き感無量です。
さて、「違法アップロードに花束を」についてご意見を頂きましたので、そちらについてコメントさせて頂きます。
同詩内にて「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」という私の表現に対して、もざどみれーる様は「創作物には生み出した瞬間に労働価値が発生し、それを請求する権利がある。製品的価値や芸術的価値も同様である」と仰っていました。
確かにそうです。生み出した創作物には価値がその時点で発生し、その価値を踏みにじる違法アップロードは創作者を陥れる害悪そのものであるという事は重々承知しております。それを理解した上でも私は、「見たり聴いたりする人がいないと価値は生まれない」と思います。
画家や漫画家が何の気なしに描いた落書きが、偶然ファンに発見されて崇高な絵となるように、受け手に発見されていない作品はどれだけ労働価値や制作的・技術的価値があったとしても、それは存在していないに等しい。だから価値は生まれない。そう私は考えます。
ですので、同詩はそういった違法アップロードを助長し、褒め称える意味で執筆したわけではございません。
違法アップロードされている作品をたまたま見かけたことによりその作品の価値を生み出し創作者を知りファンになる。つまり、違法アップロードは時には作品と受け手を繋ぐ一種の仲介人となり得る。そういった意味での「違法アップロードに花束を」です。
しかしながら、もざどみれーる様の意見も理解できます。違法アップロードによって何人もの創作者が苦難に陥り、それによって全ての創作物の業界に多大な損害を与えていることも間違いありません。
これからはもざどみれーる様に仰って頂いた意見もしっかりと取り入れ、創作活動に励んでいこうと思います。
この度は私の作品に出会っていただきありがとうございました。