彼方

@wakefield

かたりえぬもの

 少年は信じていた。世界には外側があるのだと。

 それは幼い頃からの(少年がいまよりもずっとずっと幼かった頃からの)確信で、彼の育ったちいさな島のぜんぶを合わせたよりも確かなことだった。

 少年は利発だったから、海の向こうへ行けば自分が観るだろう事物、経験するだろう物事をあらかじめ識っていた。

 その豊穣さを。

 それでも世界は少年の基準を満たさなかった。遠くトキオの摩天楼も、数の概念を持たずに暮らす少数民族も、極地の半年のあいだ沈まない太陽も、可視の星々のすべてに別個の名前を与えたギリシア人も、いにしえの昔から絶えず燃やされ続けるという永遠の火も、ごうごう回るファンに冷やされた薄闇の中で人智の及ばない計算を続けるという超コンピュータも、天球の運行が司るという神々の音楽もなべてみな、驚くには値しなかった。それらはみな想像可能な物事の範疇にあって、少年の世界認識を打ち砕くような熾烈さを持ち合わせてはいなかった。むしろ物置小屋にある目の粗い古布を被った姿見や、風の強い日に巻きあがる砂の模様をじっとみつめていれば、この平坦な世界に裂け目がみつけられるような、そんな気がしていた。


 だからそうやって暮らしてきた。


 少年が「彼」に出会ったのは、外海からの廃棄物が流れ着く、灰色の岸辺でのことだ。

 冬の寒い日に息を吐けば、呼気に含まれる水蒸気の微細な粒子が周囲の光を乱反射させるから白く濁り、たなびく。少年は波打ち際に腰を下ろし、ずっとその様子を観察していた。不潔で冷たい波がときたま少年のズック靴や尻を濡らしたがそれは問題ではなかった。それはこの世の出来事だからだ。

 「彼」がはじめの言葉を発した。それはひとつながりの、長い長い物語だった。

 物語は語られるうちに奇妙な変容を遂げた。ときに寓話のようでもあったし、歴史絵巻と形容することもできた。音楽の論評であり、この世で最も罪深い信仰の告白であり、かつ、19世紀に西欧で流行ったような退屈極まりない啓蒙主義を認めることもできた。

 下世話なゴシップだった。死者に送る弔文だった。英雄の物語だった。菓子の製法であり、顔の美醜についての滑稽な小咄であり、荒唐無稽なサイエンスフィクションであり、内宇宙の秘密についての伝承だった。


 だが、重要なのはこれだけだ。

 その物語はその物語自体よりも大きかった。物語は自身の外延を露出し、はてしなく広がり続け、あらゆる境界という境界を侵犯した。人間の言語は有限であり、したがって有限個の意味しか持ち得ない。しかしその物語は無限だった。

 少年は自身の尾を咥えて飲み込み続ける巨大な蛇を連想した。

 魅了された。

 「彼」は物語をこう結んだ。


 ――そう。これは、きみの物語だ


 その後、「彼」と少年がどうなったか知るものはいない。ただわかっているのは、少年は島から世界から消え失せてしまったということだけだ。

 痕跡は残されなかった。家族も級友も幼い恋人も彼の記憶を失っていた。あなたもまたこの少年のことを憶えてはいまい。残されたのはこの卑俗で矮小な物語だけだからだ。少年はもう、この物語のなかにしか存在しない。

 この世界の内側には。

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