冷酷な不等式

陽月

冷酷な不等式

 酸素濃度が減っている。20.45%、誤差と言えば誤差の範囲だ。人間の生存には問題のない数値である。

 けれども、点検記録を見返せば、わずかずつ確実に酸素濃度が減っていた。

 酸素生成装置を確認するが、問題なく動いている。

 そういえば、出発時の加速に使用した燃料が、想定をわずかに上回っていた。しかし、残量は軌道修正や減速に使用する分には間に合っていた。最悪の場合、減速前に捨てられるものを捨てればなんら問題はなく、大して気にしていなかった。

 しかしながら、酸素濃度の低下、加速時の使用燃料の増加、その二つは密航者の存在を示唆していた。

 慌てて、食料と水の残量を確認する。足りない。密航者は食料の減りをごまかすためか、ご丁寧に奥からくすねてくれていた。


 人類が入植を開始した惑星で、開拓班が毒を浴びた。もちろん、解毒剤は用意されていた。けれども、想定以上に被害が大きく、解毒剤が足りない。

 浴びた毒の程度によっては即死だが、3ヶ月程度なら生き延びることもできる。

 最も近いコロニーまでは、高速船でおよそ2ヶ月。患者は4組に分けられた。

 解毒剤の到着を惑星で待つ軽傷組、2ヶ月は待てないが中間地点の宇宙ステーションまでの1ヶ月なら待てる治療のために移動する組、現地の解毒剤で対応できる者と、どうしようもなく安楽死となる者。


 この宇宙船は、本来ならば18名を運んでいた。操縦士と医療スタッフ2名、治療のために移動する患者15名。今はそこに密航者が、おそらく1名加わっている。

 操縦士は溜息をつくと、密航者の探索に乗り出した。


   ◇


 密航者は13歳の少女だった。父親が患者の一人で、側にいたいと隙を見て乗り込んだとのことだった。

「宇宙船への密航がどのくらいの罪か知っているか」

 操縦士が少女に尋ねた。

「懲役5年くらい?」

 その程度だと思ったから、やってしまったのか。未成年であることと、二人暮らしの父が患者ということで、そこからさらに減刑されると思ったか。

「残念ながら、死刑、終身刑もしくは無期懲役だ」

 ともすれば、殺人罪よりも重い刑に少女は絶句する。


 操縦士は、想定外の人員増加が宇宙船にとってどれだけの脅威となるかを、少女に淡々と説明した。

 全体の重量が増えれば、加速や減速に必要なエネルギーが増え、減速できなければ安全に着地できなくなる。宇宙空間に漂い続ける事になるかもしれない。

 人員が増えれば、必要な酸素量が増える。当たり前だが、宇宙空間では酸素の補充はできず、酸素が薄くなれば人は生きていけない。

 食料や水の問題もある。どちらもなしで人が生きていける時間には限りがある。それも、どうにか生きていけるというだけで、必要とされるパフォーマンスは発揮できなくなる。


「そして、最も普通の罪と違うのは、乗員乗客の安全な生存が確保できない場合、裁判なしで密航者を宇宙空間に出す私刑が許されている」

「私は、宇宙に捨てられるの?」

 少女の問いに、操縦士はそうだと首を縦に振った。

「何が足りないの?」

「食料と、どうしようもなく水が足りない」


 エネルギーは捨てられる物を捨て、患者のベッドも解体してラスト数時間我慢してもらえばどうにかなる。

 酸素はこのペースでの減りならば、問題なく生存可能な濃度を維持できる。

 食料と水は18名分が用意されていれば、どうにか少女を生かすことができただろう。けれども、患者は点滴のため3人分しか用意がなかった。

 1日分余裕はあったものの、4人で分けるとなれば、1週間分が足りなくなる。

 予備の点滴を少女に使うとしても、それでも1週間分足りない。それに、まだ予定通りに到着する見込みのない状態から、体力勝負の患者のエネルギー源を奪うわけにはいかない。

 出発して1週間。食料的には引き返すことが可能だが、そうすれば患者が助からない。

 一人の少女のために、多数の患者の命を奪うわけにはいかなかった。


   ◇


「お父さんに会いたい」

 操縦士は、今度は横に首を振る。

「その願いを叶えるわけにはいかない」


 父親に会わせれば、おそらく父親は廃棄するなら自分にしろと言うだろう。エネルギーや酸素の問題ではなく、食料と水が足りないのだから、それでは意味がない。

 父親の点滴で少女を生かすことはできるだろうが、それだけの問題でもない。


 少女とその父親を会わせる過程で、密航者の存在を知るものが増える。そうすれば自ずと、全員助かる方法をという話が出てくる。

 普通の人は冷酷な判断を下すことができない。今はまだ、密航者の存在を知らない方がいい。


「許可できるのは、お父さんにムービーメッセージを残すことだけだ」

 父親に伝える際に、それがあった方がいいだろうという判断でもある。

 録画し、少女に内容を確認させる。

 少女が確認している間に、操縦士は出発地の惑星に向かってメッセージを送信した。密航者についてと、もう一つ。


「さて、これがキミに渡してあげられる空気だ」

 少女にスプレー缶を見せる。実際の中身は空気ではなく、100%窒素だ。

 少女の鼻先に近づけ、噴射した。想定外の、急激な酸素濃度低下に、少女は意識を失った。


 操縦士が気密服に着替え終えたとき、ようやく惑星から返信がきた。「許可する」と。

 操縦士は、意識を失ったままの少女を抱きかかえ、エアロックに入る。

 減圧が完了し、宇宙空間側の扉が開く。少女を宇宙へと押し出し、扉を閉める。

 これで彼女は、意識を失ったまま死に至る。

 水と食料を絶ち苦しんで死んだ後に遺棄するよりも、変に気密服を着せ残り時間のカウントダウンとともに宇宙に放り出すよりも、彼女は苦痛なく死に至る。


   ◇


 機内へ戻り、気密服を脱いだ操縦士にはまだやらなければならないことが残っていた。

 密航者の発見が遅れたため、密航者を排除しただけでは、食料と水の問題は解決しなかった。

 1週間も発見できなかったのは、操縦士の責任だ。

 患者のためにも、医療スタッフにはきちんとしたパフォーマンスで働いてもらわなければならない。よって、二人にはきちんと水分と食料を摂取してもらわなければならない。

 一方で、操縦士のパフォーマンスが落ちれば、進路の微調整と到着時の操作に支障をきたす。


 操縦士は医療スタッフの内一人を呼び出すと、一人にだけ事の経緯を伝えた。

「キミには操縦を覚えてもらわなければならない」

 完璧に、免許を取れるほどには無理だ。けれども、到着時に宇宙ステーションからの指示に従って操作できる程度にはなってもらう。

 本来なら、資格のないものが操縦することはできない。けれども、緊急回避として許可は出ていた。

 足りないのは4日分、それまでに医療スタッフに教え込まなければならない。


 操縦士自身が生き残れるかどうかは賭けだった。

 きちんと判断できる内に指示を出しておく。

 予定通りに到着できることが確実になるまでは、患者用の予備の点滴を自分に使わないこと。医療スタッフとしてただ衰弱する様子を見るのは辛いだろうが、諦めてほしい。

 少女から父親へのメッセージを頼む。

 自分が事切れたら、減速に必要なエネルギーを減らすためにも、宇宙へ遺棄してほしい。

 苦しさに何をするか分からないから、自分を捕縛しておくこと。

 大丈夫、宇宙ステーションからの指示もある。キミならできる。15人の患者は助かる。


   ◇


 水分不足により意識を失った操縦士は、宇宙ステーションの医務室で目を覚ました。

 どうやら、助かったようだ。

 医療スタッフの笑顔が見える。

「少女のメッセージのデータが入ってます。あなたから父親に渡してください」

 握らされた手の中に、小さなデータチップの感触。これまた辛い仕事から始まる。

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