第2話 マユミ、見学する。

 水曜日、講義を終えて一旦部屋に戻り、コンビニで買った夕飯を食べた。7時まであと30分。ちょっと早めに出て、様子を窺おうと身支度をする。といっても、普段の鞄にチラシとスマホと財布を入れただけだが。パーカーを羽織り、スニーカーを履く。戸締りよーし、玄関の鍵締めよーし。

 いざ、市民センターへ!


 市民センターはしんと静まり返っていた。練習は練習室で行われるらしいのだが、人気のなさにマユミは大丈夫だろうかと心配になってきた。とにかく練習室まで行ってみよう。そう一歩足を踏み出した時、練習室から人影が出てきた。

 ひょろりとした男性だ。ふわぁと欠伸をし、胸ポケットから煙草を取り出して、喫煙所に足を運ぼうと階段を下りてくる。と、センターの入り口で固まっているマユミと目が合った。

「あれ、女の子」

 こんな時間に、と、ひょろりとした男性はマユミを見るなりそう呟いた。

「あの、見学に来たんですが。晴れるや会の」

 マユミは勇気を振り絞って男性に来訪の目的を告げた。

「……うちの。見学。ははぁ」

 男性は目を瞬かせた。と、下りかけた階段を上り返し、練習室の扉を開けた。

「おーい、タナカさーん、見学者ー、女の子ー」

練習室からええっとか、ほぅ、とか声が聞こえたが、男性が扉を閉めてしまったので後は聞けなかった。すんずんと階段を下りてくる。

「そこで練習してるから、そこ行って。俺はちょいと一服させてもらうから」

 マユミの隣を通る際、ついでといった感じで男性は言った。

 階段を上り、練習室に足を運ぶ。そっと扉を開くと、練習室の奥にいた15人くらいの男女が一斉にマユミを見た。

「あらー若い!」

「いえらっしゃーい!」

「ちょっとマルウオさん、それじゃ呼び込みですよ」

「そんなところに立ってないで、こっちに来て下さい」

「はいどうもこんばんは、よく来てくださいました」

 それぞれが好き勝手なことを喋りだしたのでマユミは一瞬たじろいだ。が、気を取り直して練習室の中へ入る。

「……こんばんは。見学させてもらっても、いいですか?」

「もちろん!どうぞ見ていって下さい。あ、私、このサークルのリーダーのタナカと申します。お見知りおきを」

 感じのいい男性がマユミに頭を下げた。タナカさんは、おじいさんと呼ぶにはちょっと早いかなと思った。でも結構年がいっている感じだった。

「若いわねー、可愛いわねー。ソプラノとアルト、どっちかしら?」

「モリヤマさん、まだ入ると決まったわけじゃないんですから」

「あら、テライさんだって見学初日で決めたじゃないの」

ふくよかな女性と、細身の女性が話している。女性の年齢はもっとわからない。

「さて、先生もいらっしゃる時間ですし、練習始めますよー」

 タナカさんがぱんぱんと手を叩いて、皆を促した。

 皆は男女2組に分かれ、さらに男性で2つ、女性で2つのかたまりに分かれて立った。たぶん、テナーとバリトン、ソプラノとアルトに分かれたのだろうな、とマユミは思った。

「あなたは、ええと……」

 タナカさんが私を振り返る。

「モリタマユミです」

「じゃあモリタさん、そこに座って見てて下さい」

「はい」

 マユミは入り口近くの椅子に座った。練習室はマユミのいる入り口付近に机が寄せられ、3つだけ奥のピアノのあるスペース前に置かれていた。2つの机にそれぞれキーボードが2つずつ置いてある。マユミは緊張してちょっと座り直した。古めかしいパイプ椅子だ。座り直すときにぎしりと音が鳴った。

「じゃあまずはブレスからー。さんはい」

 すー、はっ、すー、はっ。

 タナカさんの手拍子と共に、規則正しい呼吸音が聞こえる。すー、で息を吐き、はっで息を吸う。なんだか独特の練習法だ。

 ぎぃと練習室の扉が開く。振り返ると先ほど煙草を吸いに行っていた男性が戻ってきた。すー、はっと呼吸を繰り返しながら、練習室の奥へと姿勢良く歩く。男性の中央側のかたまりに混ざり、呼吸を繰り返す。その目は真剣そのものだ。

 すー、はっ、すーすーすー、はっ。タナカさんの呼吸が変わる。それに合わせて皆の呼吸音も変わる。すー、はっ、すーすーすー、はっ。すー、はっ、すすすすすー、はっ。7~8分ほど続けて呼吸をしたところで、手拍子が終わった。

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