非常用扉
ガッシリとしたいかにも頼もしげな鋼の扉を見て北園は大きく鼻息を吐いた。
どう見ても人力で破れる扉ではない。しかも、後から溶接されたものか、かんぬき状の横棒もしっかり固定されており、これも簡単には外れなさそうだ。
「ああ、無理ですね」
とりあえず後ろに居並ぶ面々に肩をすくめて見せる。
「ふざけてないで早く開けろよ!」
苛立った中年が強い言葉を投げかけてくる。
一体、どこをどう見たらふざけている様に見えるのか。北園は横に移動し、中年に場を譲ってみた。
「どうぞ、好きに開けたらいいですよ」
僕には出来ないけど。そんな言葉を発するのはやめておいた。
逆上して殴られたらたまらない。
暑さか緊張か、多分両方が原因で大汗を流す中年は、扉をガチャガチャやってから蹴りつける。分厚い扉は揺れもせず、音も中年の足が壊れる音だけだった。
他の面々も扉に取り付いては押したり引いたり叩いたり、徒労を繰り返している。
駅の裏手に位置する市営バスの操車場は日陰がほとんど無く、夏の日差しを受けてジリジリと肌を灼いた。
吸う息までが熱く不快で、北園はその場を離れようと思った。
「ちょっと、どこへ行くの?」
小さな赤子を抱いた女性が北園の肩を掴む。
「暑いんでコンビニにでも」
そう言って手を払うと女性は信じられないというような表情を浮かべた。
「真剣にやってよ、アンタがあれを作ったんでしょう!」
金切り声が耳に障る。
必死なのだろう。扉を指す手がブルブルと震えていた。
いや、ここにいる者は皆必死だ。必死に生き残ろうとしている。
「だからね、何度もいいますけど自分はあれの設計を請け負っただけで施工はまた別の業者がやってますよ。法律的には市役所があれを作ったんです。責任ならそっちを詰めてください」
十年程前、近隣の国がミサイルを発射した。それは海を越え、北園の住む市に落下したのだった。別段、爆発したわけでもない。着弾点も山中だったので被害は木が数本倒れたくらいだったが、それでも当時は大騒ぎになった。
市長は記者会見を開き人口密集地にシェルターを作ると発言したのだけど、今思えば滑稽な話である。
その後、ミサイルの発射間隔は短くなり、いろんな都市に落ちた。爆発もしたし人も死んだ。『最初にミサイルが落ちた市』なんて称号は、今ではありがたみも何もない。
それでも予算は組まれ、発注もなされ、北園の勤める会社は設計業務を受注したのだった。
その頃にはミサイルの落下から二年が経過しており、全体のトーンは著しくダウンしていた。しかも計画を打ち上げた当の市長は直前の選挙で落選し、なんとなく計上された予算を消化するだけの投げやりな事業を北園は受け持つことになったのだ。
だが、全国的に見れば初の対核大規模シェルターの設置事業である。北園も注目されてシェルターの設計者としてテレビに取り上げられたり、市報に載ったりもした。当時は多くの人から名前を呼ばれたし、北園も期待に応えようと必死だった。
本場に行っては様々なシェルターを見学し、文献も漁った。もちろん、建築に限らず兵器に関する事も勉強し、完璧な理論に基づいた設計書を納品したのである。
現代型水爆であっても爆心地から三㎞離れれば中の人間を十分に守る無敵の砦。しかし、自信満々に納品したそれに、市の担当者はとんでもない理由でリテイクを出した。
曰く、予算が足りない。
仕様書には一万人が収容できる事、とあったのが五〇〇人になり、コンクリートの厚みも半分以下に削られた。もはや普通の鉄筋コンクリート構造物ではないか。
しかし修正事項はそれに留まらず、地上建設を地下に変更された。
土地が勿体ないというのがその理由で入り口以外は地下に埋められ、シェルターの上部は舗装された。バスの操車場としてその上を引っ切りなしに車両が通過するため、まあ有効利用をしているのは間違い無いだろう。
最初の建設予定地は駅前で堂々とそびえる予定だった。そのことだけでも当初のやる気がいかにしぼんでいったのかがよくわかる。
一二〇〇億円といわれた建設予算も終わってみれば数十分の一である。
この一件は北園のやる気を大いに削り、やる気に満ちあふれた青年を厭世的な中年に変えた。
極めつけはあの扉だ。
全国で作られたシェルターにホームレスが住み着いたり、不良少年が入り込んだりする事件がワイドショーで盛んに取り上げられた頃、このシェルターにも鍵が掛けられた。
緊急時にどうするのかよりも平時に何も起こらないことを優先したらしい。
もはや北園には関係ない。
誰かが自分の持ち物をどうしようと知ったことではなかったし、今さらシェルターに関わりたくもなかった。
十五分前、ミサイルは発射された。
度重なる実戦ですっかり精度がよくなった着弾点予想装置はすぐにこの都市を指し、次いで発射した国のお偉いさんが核ミサイルであると世界に向けて発言した。
周囲の人間がシェルターへ向けてワラワラと集まり、群衆が北園を見つけるに至ってこの騒ぎだ。
北園は離れた場所にあるベンチに寝っ転がった。
空は青くて雲が高い。
「夏だな」
独り言を呟いて入道雲がキノコ雲に取って代わられる事を想像する。観測できる者はこの場には一人もいない。
シェルターの周りでは未だ諦めきれない大勢が扉を叩いていた。
どこかからゴツい工具を持ってきて部品を壊すか、市役所から鍵を持って来て貰うか。
いずれも時間が足りない。
と、一台のバスが動き出し周囲の人を跳ね飛ばしながら扉へ激突した。
なるほど、人力よりはずっといい。まあ無理だろうけどいいアイデアだ。案の定、扉は曲がってもいないらしい。
開けない方がいいよ、きっと。
北園は政府が発信するミサイルの落下予測を見ながら思った。
あと数分。
開けたところで、彼らを待ち受けるのはきっと絶望だ。
先ほど扉を確認した際、しばらく開けられた形跡がなかった。
数年の間に維持管理が曖昧になって、誰も手を出さなかったのだろうけどあれは地下シェルターである。しかも予算の関係で完璧な浸潤対策が出来ていない。
だから排水ポンプを回していないと水没してしまうのである。
常時稼働のポンプは半年に一度の点検をしないと壊れてしまう。そうして水に浸かれば二度と動かない。
扉をあけて真っ先に目に入ってくるのは空間を埋める大量の地下水だ。
絶望に直面して最後の時間を過ごすくらいなら開けない方がいい。
それに、もう少し待てば扉は開く。
扉そのものは十分に爆発を耐えるだろうけど、爆心地がこれだけ近いと門扉を支えるコンクリート壁が持たないのだ。
全部綺麗に吹っ飛んでいくだろう。
喧噪に紛れて蝉の声が響いている。
「ああ、かき氷が食べたいな」
北園は気持ちいいほど青い夏空を見上げた。
あの冷たい頭痛が恋しかった。
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