短編集(イワトオ)

イワトオ

四天王(玄武)の憂鬱

 市立図書館の前のベンチは春の陽気が心地いい。

 不良高校生のトーチは友人のタキと学校をサボってここに来ていた。

 盛り場に行けば楽しいのだけど、別のグループの不良少年達と揉めるのが面倒で、こんな暖かな日和には他の不良少年があまり来ない図書館前で過ごすのが二人の日課だった。

 二人が育った都市は、お世辞にも品がいいとは言いがたい。

 中学時代の友人達の半数は高校へも進学しなかったし、進学した中でも半数は最初の夏休みまでに辞めてしまった。親しい友人どころか、同じ小学校の卒業者全体でも大学まで進む者は僅かだろう。トーチは大多数の側に立っている自覚もある。

 というわけですっかり友達も減り、通うのもつまらなくなった高校二年の春。

 トーチはタキから驚く提案をされた。


「なあトーチ、おまえ四天王になれへん?」


 最初、トーチはタキがなにを言ったのかよくわからなかった。

 耳を通り過ぎた言葉を掴んで反芻してみる。

 四天王。

 といえば勧進帳だろうか。

 トーチはぼんやりと歌舞伎の演目を浮かべた。

 

「なあ、ええやんトーチ。四天王になってや」


 タキはいつもと変わらずキラキラとした無邪気な笑顔で話しを続ける。


「ん、なんやねんタキ。四天王って」


「なんやトーチ、四天王も知らんのかい。無学やのう」

 

 ほっとけ!


「四天王ちゅうたらなんや仏さんのエライ人に侍ってはる誰かや」


「おまえもなんも知らんやんけ」


 トーチはため息を吐いた。

 自分とタキは高校で知り合ったので、お世辞にも品のよくない地区に建つ成績面でおとなしい高校の学生という意味でレベルは同じだ。

 友達は選べと先生は言っていた。

 真面目な連中はそれを素直に受けて自分と距離を置いた。

 大正解だ。

 トーチはそう思っている。

 自分が向こう側に立っていても自分とは付き合わないだろう。

 その程度に品が悪い。

 クラスの中で友人関係にあぶれたもの同士がつるみだし、不良グループと眉をひそめられる。

 仲間達は一人、また一人といたたまれなくなって学校を辞める。取り残された者は更に強くなる風当たりに耐え切れず辞めた者のあとに続くか、ひたすらに知らん顔を貫くか。

 オールドスクール・ヤンキーなんて寂しいものだ。

 そうこうするうちに取り残されたトーチとタキはコンビとなっていた。

 

「それでなんや、四天王って。俺ら別に族でもないぞ」


 タキはその問いに待っていましたとベンチから立ち上がる。


「俺の組織な、その幹部をやって欲しいねん」


 トーチは顔を背けて眉間にしわを寄せる。

(あかん、これが噂に聞く春の陽気ってヤツや!)

 数少ない友人が壊れてしまっては大変だ。彼を彼岸から連れ戻す算段を並べはじめたトーチに、タキは慌てて手を振った。


「違うで、俺なんもボケてへん!」


「余計悪いわ、アホ」


 つまらない冗談なら合わせて笑ってやってもいい。

 だけど本意気でタワゴトを並べられると参ってしまう。


「ちゃうねんて、聞いて。聞いて、ねえ、聞いてよ!」


「しつこい、いくらほど注目させんねん。こっちは聞く準備ばっちりじゃい!」


 タキのおどけにトーチは思わず笑ってしまった。

 

「あんな、うちの実家ゴツいやんか」


「いや、知らんけど」


 互いに家族の話なんかしたことはないはずだ。

 相手の生い立ちやら興味もない。


「とにかくデカいねん。その広さたるや東京ドーム一個分!」


 タキはそう言って胸を張るのだけど、東京ドームに行ったことがないトーチにはピンとこなかった。

 なにより、広さの表現として使われる東京ドーム何個分という表現も、一個分だと逆にしょぼく聞こえてしまうから不思議だ。

 

「ええわ。そんで東京ドームの豪邸がどないしたんや?」


「あ、家は別にどうもしてへんけど、とにかく金持ちやって話しやねん」


「はあ、そら結構なことで」


 あまり聞きたくなかった。トーチは内心に形容しがたいモヤモヤが発生した事を感じた。

 親が金持ち。

 それはトーチには無縁の響きだった。

 貧しい母と素行の悪いどら息子、二人で暮らすボロいアパート。それがトーチの世帯である。

 それでも親が一人いるのはまだ恵まれていて、近所には親がいない子供も多くいた。

 祖母に引き取られていたり、施設に入れられていたり。

 家庭環境が豊かというのはトーチにとって異世界にも等しい隔絶された存在だった。

 しかし、友人に嫉妬してもしょうがないのもわかっている。もう子供ではないのだ。

 トーチは自分に言い聞かせると内面のモヤモヤを吹き飛ばした。


「そんでな、俺もオヤジの跡を継がなあかんねん。だからな、そうしたら大勢部下が出来るやんか。そこにおまえ、空手で入っていくのは流石に怖いやん。いや、別にビビってるわけとちゃうで」


「怖い、言うてもうてるやん」


 トーチはポケットから板ガムを取り出して口に入れた。

 タバコを咥える程の金はない。

 

「あ、一枚ちょうだい」


 タキが屈託なく手を伸ばした。

 銭があるんやったらワガで買え!

 そんな言葉が喉元まで出かかって、むなしく飲み干す。

 自分が貧しいのは友人のせいではない。

 トーチはガムを一枚とってタキに渡した。タキは包み紙から中身を出すと再びベンチに腰を下ろした。

 

「ていうか、跡取りやったらもっと勉強せえよ。ウチの学校、アホほど馬鹿やで。そんなとこ入ってたらあかんやろ」

 

 トーチは自らの学校についてろくな学校ではないと断言できる。

 学校OBの有名人は力士かプロレスラー、せいぜいヤクザだろうか。

 力士崩れのヤクザとプロレスラー崩れのゴロツキがよく歩いている地区なのだ。

 

「ええねんって、ヒロさんみたいなこというなや!」


「ヒロさんて誰?」


「ウチの用心棒で俺の家庭教師みたいなオッサン。ガラガラ声でいかついよ」


 用心棒というワードは気になったのだけど無視をする。

 

「そらヒロさんの言う通りやろ。社長がうちの学校のOBや言われたら俺、その会社に入らへんもん」


「そんな言うなや。ヒロさんかてウチのOBやねんで」


 タキが不機嫌そうに顔をしかめる。

 

「ほんでな、ヒロさんが言うんよ。将来に向けて今のうちに腹心を作っとけって。ヒロさんもな、高校の頃には二千人の頂点に立ってたらしいわ。その頃の仲間と今でもつるんではるわ」


 二千人。

 OB。

 ヒロさん。

 トーチの脳内でシナプスが音を立てて繋がった。

 

「なあタキ。ヒロさんってひょっとして木付宏和さんやらいう?」


「あれ、知り合い?」


 トーチの額から汗が流れはじめた。

 バリバリの、マジモンのヤクザやんけ!

 ヒロさんというのは暴走族華やかなりしころ近隣四府県の暴走族を余さず配下に納めたという伝説のヤンキーだ。

 抗争事件に絡む傷害致死で収監され、社会復帰したあとそのままヤクザになったときく。

 トーチはヤクザなんかと関わり合いたくなかったのだけど、このあたりで不良をやっていれば嫌でも知ることだ。

 

「なあタキ、おまえのオヤジさんって赤塚組の人?」


 近所を縄張りにするヤクザの、ヒロさんは若頭だったはずだ。


「え、赤塚? 違うよ。確かナントカ連合の会長らしいわ」


 指定広域暴力団じゃねえか!

 赤塚組はその三次団体である。

 トーチは目の前が真っ暗になった。

 自分の暮らしからはあまりにかけ離れた世界。


「あれ、どないしてんトーチ。おーい、おーい」


 タキはトーチの目の前で手をひらひら振る。


「あ、ああ。悪いけどなタキ。俺はヤクザにはならへんで」


「アホ、誰がヤクザになれていうてんねん。俺が頼んでるのは四天王やがな」


 いくら話してもショックばかり大きくて核心に近づかない。

 

「だからその四天王ってなんやねんって!」


 温厚なトーチもさすがにイラだってきた。

 

「あのな、俺もヤクザにはなれへんよ。オヤジやヒロさんも真っ当に働けていうてくれてるし」


「ほなオヤジの跡ってなんやねん」


「表の商売に決まってるやんか。オヤジは実業家でもあるからな。そっちを貰うねん。ヤクザの椅子はそれこそヒロさんあたりが貰うんとちゃうか?」


 実録系雑誌で読む世界だった。

 

「だからな、高校出たら商売の勉強して巨大財閥を築き上げたらないかんねん」


「フロント企業そのものやないけ」


 トーチの言葉に、タキは悲しそうな表情を浮かべた。


「ほなトーチ、俺らの入れる会社でヤクザと関わり合いないトコがあるんかい。ないやろが。それでも皆、一生懸命に生きてはるわ。嫌やから働かんて、それこそシャレにならんで」


 トーチはやりきれなくなって頭をボリボリと掻いた。

 上手く生きたいと思いつつ、そうできなかった我が身がついにノッピキならぬところまで来ていることを悟った。

 

「ええわ。ほんなら腹心やってもいいよ。でも、なんで四天王やねん。普通は右腕とか言うンとちゃうんかい」


「右腕はもう決まってんねん。なんかオヤジが世話して大学まで出した弁護士が俺を支えたいんやて」


「ホンマ、ゴッドファーザーの世界やのう」


 というか、オッサンもまず我が子を大学出してやれよとトーチは思う。


「ほんでその下に四天王なんやけどな、トーチはそこで玄武やってや」


「玄武?」


 玄武なんて言われてもぴんとこない。

 せいぜいが刃牙で入場門の名前がそうだったと思うだけだ。


「四天王はな、朱雀、白虎、青龍、玄武の四人らしいわ。そんでトーチは玄武。まあ亀やな」


「なんやねん亀って。白虎か青竜にしてや」


 トーチはどうでもいいことに噛みつきながら二枚目のガムを取り出す。


「あかんよ。トーチ以外の三人ももう決まってんねん」


「なんじゃそりゃ。どんなヤツ?」


「ええとね、朱雀はなんか痩せたおばさんやな。なんか中国人不法移民の上の方にいる人らしいけど、オヤジの昔の愛人やったんて。ほんでこのおばさんに頼めばいろいろ中国とのパイプも取り持ってくれるらしいわ。すごいやろ。中国言うたら五十億人はいるんやからな」


 いくらなんでも五十億は多い。

 確か歌の歌詞で覚えた世界人口は四十八億だったはずだ。

 トーチはタキの勘違いを鼻で笑った。


「そんで白虎なんやけど、なんか在日朝鮮人系右翼の大物やて。一回会ったけど怖いオッサンやったわ。ヒロさんとメッチャにらみ合ってた」


 噂に聞くヒロさんと正面からにらみ合うとは、考えるだけで恐ろしくなってくる。

 

「最後に青龍な。なんか中国マフィアの代理人らしいわ。ニコニコ笑ってたけど眼が一個も笑ってなかった。あれは人殺しの目やったね」


「四天王中二人が中国人やんけ」


 トーチは力なくうな垂れた。

 その面子に一介の不良少年である自分が並べるとは思えなかったのだ。

 

「ていうか怖いやろ。俺かて怖いねん。なんでそんな胡散臭い連中を従えられると思ったのか、オヤジの考えがいちばん怖いわ」


 タキは言葉と裏腹に嬉しそうだった。


「トーチがおってくれたら心強いわ。俺もがんばれそうな気がするし」


 ※


 しかし、トーチが四天王の椅子に座ることは結局なかった。

 タキから誘われた一週間後に青龍と白虎の対立が表面化し、内紛が始まったらしいのだ。

 トーチは相変わらず市立図書館の前のベンチでタキから断片を聞くだけだったのだけど、日ごと情勢は変化し、朱雀の参戦があり、本家への飛び火からヒロさんも喧嘩に巻き込まれ、やがて四天王戦争と呼ばれた大きな抗争は、玄武の存在を忘れ去ったまま泥沼化の末に各陣営の勢力を大きく消耗させて終了させたらしい。

 その頃にはトーチとタキは三年生になっており、徐々に学校から遠ざかりつつあるタキと、トーチは距離感を感じ始めていた。

 友達もいないトーチはとりあえず大学にでも行ってみるかと勉強をはじめ、タキと長い時間を過ごしたベンチは図書館内から眺めるだけになった。

 大学に行き、違う街で暮らそう。トーチはそう決心している。

 ただ、ときどき風の噂でタキの話しを聞くとき、自分こそがヤツの腹心にして四天王の一人、玄武なのだと思って笑うのだった。

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