読書感想文『増補「戦後」の墓碑銘』

茜町春彦

第1話、戦争責任について

戦前の国家指導者の殆どが、責任を取っていません.


「本土決戦」

東京大空襲で何十万人が死んでも、戦争を継続しました.

沖縄で何十万人が死んでも、戦争を継続しました.

広島長崎で何十万人が死んでも、御前会議は戦争を止めませんでした.


しかし、国体の護持をアメリカが保証した途端に、あわてて戦争を終わりにすると言ったのです.なんとも、ご都合主義.本土決戦なんて雲散霧消.自分さえ助かればいいと云うことですか.


特攻隊員は誰のために特攻したのでしょうか.酷い話です.



「鬼畜米英」

マッカーサーなんて単なる米兵です.


何で挨拶しに行ったんですかね.敗戦国であっても、元首で大元帥ですよ.マッカーサーが挨拶に来るべきでしょう.わざわざアメリカ兵ごときの処へ出向くとは、どういうことですか.自分の命が助かって嬉しくて、感謝しに行ったんですかねぇ.


「捕虜の辱めを受けず」

捕虜の辱めを受けない道を選んだのは、近衛文麿ぐらいですかね.


国民に対して国家のために死ねと豪語していた大臣だとか大将は、巣鴨に収容されても、屈辱のくの字も感じなかったと云うことですよね.きっと、戦前の修身の教科書に有言実行なんて言葉は無かったのでしょう.


バンザイクリフで飛び降りた人や沖縄で集団自決した人は、何のために死んだのですか.国家指導者の方は鉄格子の中でも平気の平左で生きているのだから、自決の必要なんてなかったじゃん.


●ちょっと引用してみます.

(P46)・・・今日でも、昭和天皇の戦争責任の問題にこだわる人々は少なくない.戦中世代をはじめとして、この問題を指摘し続けたくなる心情は理解できる.しかしながら、この問題の提起される次元を問わないまま問われるならば、それは有意義なものではあり得ない・・・つまり、戦後日本政治なるものが本来的には存在しない以上、政治的な次元での戦争責任などそもそも存在し得ないのである・・・

●引用を終わります.


いやー違いますね、存在しています.


1943年には戦況は悪化して、44年には一方的な負け戦です.この時点で終戦でも停戦でも考えていれば、多くの国民の命が助かりました.しかし戦争を継続し続けたのです.一億人が全滅するまで時間稼ぎをさせて、道連れにするつもりだったことになりますね.つまり、国体の護持と国民の命を天秤にかけて、国体の護持を大事にしたと云うことです.国民の命は空気よりも軽いと判断したのですよ.


43年の時点でも44年の時点でも終戦宣言は出せたのにも拘らず、戦争を継続したことの責任が存在しています.


国民に無駄な犠牲を強いたことの責任を問わないで水に流せば、また同じことを繰り返す国家指導者が出て来ても、文句は言えませんよ.そう思いませんか?

(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る