京のあやかし小帖

ことねくたー

上洛

 桜の蕾もほころんできた頃、僕、糀谷優はまだ夜も開けきらない京の都へと降り立った。地元の高知ではもう桜が咲いていたので、肌着と長袖のシャツに黒いパーカーを羽織っただけの薄着で夜行バスに乗り込んだが、いざ京都に来てみると明け方ということもあってか吐く息が白くなるほど冷え込んでいた。本当に寒い。

 だから、どこか暖を取れる場所はないかと探してみたものの、京都の駅前にあったネットカフェには入店を断られた。僕はひとり暮らしを始めるとはいえ、まだ16歳。始発のバスまでまだ1時間半近くあるので、諦めて重いスーツケースを従えて家を貸してもらえるという西院さいの大家さんのもとへと向かう。


 親からは烏丸からすま通を北に進んで、烏丸四条に出たら四条通を東に進めば西院駅前に出る。そこからは地元の方に道を聞いて下さいと言われたので、言われた通りに烏丸通を北に進んでいく。歩いていたらお腹が空いてきたので、近くにあったコンビニでおにぎりと水を買って軽く早い朝食を済ませた。姉が言っていたように心なしか物価が高知よりも高い気がする。


 1時間ほど経って西院の駅に着いてもまだ時計は5時半だった。こんなに早くに大家さんの家を訪ねるのも気が引けるので、近くにあった公園で携帯をいじって時間を潰すことにした。暗い中で携帯を触ると目が悪くなるよという親の忠告を思い出してしまうが、寒いのを紛らわすためだと言い聞かせて構わず画面を見ていると、突然おばさんに話しかけられた。「あんた、そんな寒い中薄着でおると風邪引くさかい、うちにおいないやー」

 意味がわからなかった僕は「お気遣いありがとうございます、けどってどういう意味ですか?」

と聞き返してみた。おばさんは「家に来ないかって意味ですよ。」

 「そういうことでしたか、ならお言葉に甘えて上がらせてもらいます。」我ながら不用心だと思ったが背に腹は替えられない。好意に甘えさせてもらうことにした。


 歩きながらおばさんが「あんた名前何て言うん?」というので、

「糀谷優です。」だと答えると、「うちに来る言うてた子かいな」

「もしかして大家さんの大川さんですか?」

「そやけどこないけったいなことあるかいな」

どうやら疑われてしまったらしいので持っていた学生証を差し出すと、「ほんまや」

と驚いている。僕も驚きだ。京都に来て初めてあった人が偶然にも会う予定の人だったなんて。聞くと、大家さんはこの時間に散歩に出かけるのが日課で、その途中で寒そうにしていた子がいたから声を掛けたのだそうだ。


 家に着くと温かいお茶を出されてこれから住む家の話を切り出された。「糀谷さんが住まはる家は、西大路通を上って姉小路通を東に入ったとこにある古いコーポの2階なんやけど、明るなったら鍵渡すし一緒に行こか。家具は古いもんやけど備え付けてあるし、その荷物整理したらそない生活には困らへんやろ。家賃は親が毎月払うって聞いてるから生活費だけ稼げばええし。」

僕は一気に色々と言われて少し混乱したが「はい…」と返事だけはしておいて、親にメールを送ろうと携帯を開く。が長旅の疲れからかそのまま寝てしまい、「あんたそろそろ行くよ」

との大家さんの呼び声で目を醒ました。外は朝焼けの燃えるような赫で綺麗だ。今日はこのあと雨が降るかもしれないが。


 

 新しい家は大家さんの家からそんなに遠くなく、部屋も思っているほど古くないし、台所も備え付けてある。しかし、お風呂がなく銭湯に行かないとお風呂に入れないのでそこが少し残念だ。思い切って大家さんに「銭湯ってどこにあるんですか」と聞くと、「あんた来る途中にあったん気づかんかったん?」と言われて少しびくっとしてしまった。確かに調べてみると言われた通り来る途中の大通りにあったが入り口が表側を向いてなかったので気づかなかったようだった。

 

 しばらく荷物を整理していると、大家さんは買い物に出かけるのでそろそろ帰るけど、どうせならその出した制服着て証明写真取ったらどうだと言って500円玉をくれた。物価の高い京都で500円で証明写真が撮れるというのも驚きだったが、姉が言うほど物価が高いのか確かめたくなって、考えるよりも先に「荷物を持つので買い物についていっていいですか?」と聞いていた。大家さんは、「そこまで言うなら着いてきはったらいいよ」と返して私に着いてきてと言った。

 


 向かった先は、高知にもある名の知れた大手スーパー。生鮮食品売り場を見ていると、京うど、九条ねぎ、京みょうがと高知では見かけない野菜もあり、見ていて飽きないがどれも中々値段が張る。普段食べるには高い食材たちだ。店内を見て回っていると証明写真機を発見したのでお金を入れて写真を撮る。年末に検定試験を受けたとき以来の証明写真だ。そのまま色々と見て回っていると、大家さんが買い物を終えて戻ってきた。やはり少しだけ物価は高いようだった。


 荷物を持って大家さんの家まで帰ると、大家さんは汗かいたでしょうといって銭湯の回数券を一枚ちぎってくれた。こんなにいたれりつくせりでいいのだろうかと思いながら、失礼なことに姉のこういう人は後が怖いよという言葉を噛み締めていた。

 

 大家さんと別れて家に着替えを取りに戻ると、街へ出て昼食をさっと済ませて銭湯へと向かう。銭湯は入り口のない表通りから見ても風情のある造りになっていて、狭隘な裏通りの入口から古びた暖簾をくぐって中へ入ると、湯気に乗って石鹸のいい香りがする。回数券とタオル代を払って中へ入り、浴場へと足を踏み入れると、大正浪漫を感じさせるような見事な富士山のタイル画が壁に描かれていた。

 

 気持ちよくてつい長風呂してしまってのぼせてしまった。お風呂から上がり手早く着替えを済ませると牛乳を買ってごくごくっと一気飲みした。ふわっとしたこの感覚がたまらない。

 

 銭湯を出るとそのまま家に帰って残りの荷物を全て整理した。整理しているといつの間にか夕方になっていたので、下の階の住人さんに洗剤の包みを渡しに行って挨拶を済ませてきた。下の方も優しい方で、何か困ったことあったら教えるから言いやと言ってくれた。夕飯は銭湯の帰り道に買ってきたお惣菜で済ませた。朝が早く、長旅の疲れも残っているので早めに寝ようと準備していると宅配便が届いた。宛名を見ると親からで、中を見ると玄米が入っていた。これでしばらく食事には困らないと思いつつ布団を敷いて寝ようとする。


 今日一日、学校にいて普通に生活していたら一生かかっても与えられないとも思える優しさを与えられた。世界はこんなにも綺麗なんだと思いつつ、仕事を探す前に明日は絶対みんなを見返してやるためにあそこに行ってやるんだと思って目を閉じたのだった。それがあんなことになるなんてつゆも知らずに。



 


 

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