海が見えるよ

深里

第1話

 春の柔らかい陽射し、が、異様に熱く意地悪く感じられるのは何故だろうか。

 もちろん、理由はわかっている。子供を背負っているせいだ。

 海が見たい、という甥っ子を遠足気分で連れ出したのが運の尽き。

 バスを降りて幾らも歩かないうちに、足が痛いといって半べそになるものだから、どうしようもなくなって、この有様である。

 海など諦めて帰ればいいのだけど、せっかくここまで来たのだからという気持ちもある。潮のかおりが鼻をくすぐり、まだ海は見えないけれど気持ちが浮き立つ。

 僕も海を見るのは久しぶりなのだ。第一、帰ろうにもバスは二時間後にしか来ない。

 というわけで、僕は甥っ子を背負って歩いている。こちらの足も、そろそろ痛くなってきた。

「暑いな」

 などと、子供に皮肉をいっても仕方ないのだが。

「お茶、飲む?」

 背負われて、すっかり楽になったらしい甥っ子は呑気なものだ。そのお茶だって、僕が背負っているんだぞ。

 まあ、飲んで汗でもかいてくれれば少しは軽くなるのかもしれないが、今立ち止まったら二度と進めなくなりそうだ。

「後でな」と僕はいう。

「汗かいてるよ、お兄ちゃん」と甥っ子。

 本当は、叔父さんといわれるのが正しいわけだが、僕はまだ二十一なので、叔父さんとは呼ばせない。

「暑いからな」

「拭いてあげるよ」

 甥っ子はポケットからハンカチを出す気配だ。

「大丈夫だ。動くな。重くなる」

「そう? ねえ、海のにおいがするね」

「ああ」

「まだかな」

「たぶん、もうちょっとだろ。この坂を越えたら」

 しかし、坂は幾つもあって、越えても越えても海は見えない。

 いったいどうなっているんだ。海はこんなに遠かったか。この潮のにおいは幻か?

 僕の足はどんどん遅くなる。へばりかけた僕に気づいたらしく、甥っ子が、僕おりるよといい出した。

「大丈夫か、歩けるのか」

「うん、もう痛くない」

 本当かよ。

 どうせまたすぐに痛いとかいうんだろう。しかしとにかく、一時でもおりてくれるのは助かる。こっちはもう限界だ。

 休んで元気になった甥っ子は、ふらふらの僕をしり目に歩き出す。けれどやっぱり海は見えない。坂は更に現れる。甥っ子の額にも汗が浮かび始めた。それでも彼は黙って歩く。

「大丈夫か。足、痛くないのか」

「平気。ねえ、海のにおいがするよ」

「それはさっき聞いた」

「うん。でもするんだもん」

 そして、嫌がらせのような急な坂道。僕も甥っ子も黙り込んだ。

 が、それを登り切ったら──。

「お兄ちゃん! 見て、海だよ、海!」

 そう、目の前には海が見えていた。

 潮のかおりとひんやりした風が、疲れた身体と気持ちを洗う。

「きれいだね」

「ああ」

 僕と甥っ子は顔を見合わせる。

「おまえ、よく頑張ったな」

 僕がいうと、甥っ子は誇らしげに笑い、お兄ちゃんもね、といった。

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海が見えるよ 深里 @misato

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