死戦の地中海(Bloody Mediterranean sea)1

 禍津竜は自身の急変をいち早く悟っていた。


 最初に覚えたのは強烈な空腹感だった。あるいは飢餓が正しいのかもしれない。とにかく力が抜けていくのがわかった。


 原因は明らかだった。無尽蔵に魔獣を産み殺すことが出来なくなったからだ。それまで体内に蓄えていた魔獣の肉塊は、一瞬にして喰いつくされてしまった。


 禍津竜は言語による思考を持たなかった。ただ感覚と本能だけで不調の原因を突き止めようとした。


 突如、腹の中に巨大な目玉が現れたのは、そのためだった。予測や推論など吹っ飛ばして、直接見て確かめたほうが早かった。


 見えない。


 魔獣の生成器官、マギアコアがどこかへ行ってしまった。竜の青白い目は霊力しか捉えることが出来なかった。実際は、銀の筒の傍で小さな骸が5体ほど横たわっているが、禍津竜にとっては意味をなさなかった。


 とにかくマギアコアは停止し、禍津竜の旺盛な食欲に応えることは最早できない。魔獣の母胎をなくしたことを、ようやく禍津竜は把握したわかった


 同時に凄まじい不協和音が体内外に放出される。あまりの騒音に周辺を遊弋していた脊椎動物の大半が、絶命か気絶する羽目になった。


 禍津竜の体内活動が活発化し、全身が大きく震えだした。


 飢餓感が加速し、禍津竜は喘いだ。腹の中には数多の魂を捕らえていたが、それらを平らげても足りなかかった。


 禍津竜は、あまりにも巨大になりすぎていた。かつて、この世界に渡って来た頃は草野球の球場ほどの大きさにすぎなかった。それが今では街一つほどの大きさにまで膨張してしまった。


 禍津竜に理性も自制もない。あればあるだけ喰らって、際限なく大きくなっていく。全てを平らげて広がる厄災そのものであり、禍津竜の存在意義だった。


 その意味では地中海は禍津竜にとって、楽園に等しかった。狭い・・海に、戦没者の記憶と魂が犇めいていたからだ。禍津竜はどこへも動かず、触手を伸ばして惰性のまま捕食すればよかった。


 日ごとに竜は大きくなったが、今にしてみれば大きさは可愛いものだった。状況が変わったのは、5つのマギアコアを取り込んでからだった。


 食うには難儀な代物だった。何しろ、頑強な黒い塊BMで覆われていたのだから。それに時々、無数の小さな光弾を飛ばしてチクチクと痛めつけてくる。


 並の生物ならば諦めてどこかへ行っただろう。


 しかし禍津竜は欲望に忠実だった。マギアコアを取り込むまで捕食を止めようとしなかった。BMとの戦いで深刻な飢えに陥ったが、それでも食欲を優先した。


 本来ならば、そのまま竜は飢え死にしたかもしれない。月鬼が数人がかりで展開したBMは、禍津竜でも破壊することは出来ないはずだった。


 しかし不幸なことに、ここは地中海で禍津竜には豊富な餌が漂っている。そのうちの一つが、BMにとって致命的だった。


 禍津竜の触手が細長い鉄の塊を捕らえ、己に取り込んだ。海底に打ち捨てられたもので、中には人の魂とガラクタが詰まっていた。腹の足しにはならなかったが、代わりに禍津竜に新たな力を与えた。


 鉄の塊には毒が詰まっていた。それらは禍津竜の中に充満し、外へ漏れ出た。毒に触れた生き物は溶けて、爛れて、ばらばらになった。


 竜を中心に死の海域が生まれ、その中にはBMがいた。


 毒はBMの中へ浸透し、月鬼は徐々に冒されていった。


 崩壊は一瞬にして訪れた。


 BMが水中で大爆発を起こし、霧散した。


 月鬼たちの最後の抵抗だった。爆発の衝撃でマギアコアを遠くへ飛ばし、禍津竜から逃れようとしたのだ。


 残念ながら、彼女らの抵抗は無意味だった。


 禍津竜は触手でBMを取り囲み、全てのマギアコアを絡めとってしまった。


 そこから先が無間地獄の始まりだった。中にいた月鬼の幼子たちを直接喰らうことは出来なかった。マギアコアによって守られていたからだ。


 仕方なしに禍津竜はマギアコアの機能を乗っ取った。そのままマギアコアを魔獣の母胎として酷使し、魔獣を喰らうことにしたのだ。


 決して悪意でも合理的思考によるものではない。ただ生物として貪欲に本能へ従ったゆえの結末だった。


 腹の中に無限の食糧貯蔵庫を抱え、禍津竜の体長は広がり続けた。


 もし<宵月>との邂逅がなければ、禍津竜はアドリア海すら覆いつくしていたのかもしれない。


 ぎぃぎぃと不快な騒音が、再び響き渡った。


 皮肉なことにマギアコアで魔獣の産み殺しに最適化したことで、禍津竜は窮地に陥りつつあった。禍津竜は、その巨体をマギアコアなしで維持できなくなっていたのだ。


 常に成長し続けた結果、ただそこにいるだけで膨大な体力を消費するようになってしまった。今や呼吸するだけで禍津竜は疲弊していく。


 すぐに何かを喰わなければ、身体を保てない。


 腹の中に無数の目玉が開き、触手となって伸びていく。禍津竜は己の中に獲物を探し求めた。まずワイバーンの群れがからめとられ、悲痛な叫びをあげた。触手は次々と腹の中で飼われた魔獣の亡霊を捕らえ、吸収していく。もはや共食いと変わりなかった。


 いくら喰っても禍津竜の腹は満たされなかった。


 もっと霊力えいように溢れた食い物が必要だった。


 腹の内壁に開いた無数の目玉が目を凝らし、獲物を求めたとき、まばゆい光が網膜を焼いた。


 一瞬にして腹の中の目玉が潰れ、青白い体液が垂れ流された。不愉快な悲鳴を伴奏に、再び目玉が再生される。


 血走った目玉に映ったのは、高密度の美味そうな霊力の塊だった。しかも禍津竜には見覚えがあった。


 あのマギアコアを取り込んだ時と同じ匂いがする。香ばしくも新鮮な鬼の気配を感じ、触手に脈が浮かび、活発化した。


 あっという間に腹の中の全方位から触手が伸ばされた。



 全方位から大小あらゆるサイズの触手が腐ったツタのように落ちてくる。身の毛もよだつ光景は<宵月>の艦橋からも見て取れた。


「大したことは無い」


 艦内の将兵へ儀堂は端的に告げた。


 怒鳴るわけでも、声を張り上げるわけでもない。


「うろたえるな」


 淡々と事務的かつ日常的に、それでいて明朗に儀堂は命じた。


ネシスあいつを信じろ」


 応えるかのように<宵月>の周辺に無数の方陣が現れた。


◇========◇

twitter(@BinaryTheater)で各話の挿絵をランダムで公開中。

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

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よろしくお願いいたします。

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