海獣(cetus) 18

 ローンは額の汗をぬぐうと、深く息を吐いた。 


「私の任務は生きて情報を持ち帰ることだ」


 自分は大した魔導士ではないと、ローンは自覚していた。魔導を行使した瞬間に正体を暴露することになるだろう。だから彼はこれまで目立った行動はしてこなかった。幸いなことに<宵月>とローンはあらゆる意味で運に恵まれていた。


 何しろローンが乗艦以来、十名そこそこの戦死者で済んでいる。しかし幸運の女神は残酷なまでに平等で気分屋だった。さすがに今回は駄目だろうと思ったのだ。何しろ竜に丸呑みされている。過去の戦訓に胃袋からの脱出方法など残されていない。


「死んでしまっては私の見聞きした、そしてカメラに収めたものは本国に渡らない。ましてや人知れずクソッたれの腹ブラディ・ストマックで一生を終えるなど三文芝居スリーペニーオペラも良いところじゃないか。こんなにも得難い経験をしながら、それを未来に伝えることが出来ないなんて」


 だからこそ、ローンは自身の能力を<宵月>の生存へ捧げることにした。もちろん祖国を裏切ることは出来ない。いささかスマートさに欠くが、彼は狂人を演じることにした。間諜スパイとカミングアウトするよりは救いがあるだろう。もちろん看破される可能性が高かったが、気休め程度に上官と自分自身に対する面目は保てる。


「命令無視は重罪だが、私の場合は貴国の士官ではないからね。すぐには拘束されないだろうと思っていたよ。それに幸いなことに儀堂司令はネシス嬢と通じている。司令が気が付かなくともネシス嬢ならば気づくだろう」


 カメラとフィルムが没収されるまではローンの予定通りだった。もちろんイビルシャッターの方は隠して普通のカメラを渡す。その後でイビルシャッターのフィルムを現像して、儀堂の目に触れさせればいい。


「普通の写真の中にこいつを混ぜて置けば、きっと真価に気づくだろうってね。実際のところ思っていた展開とは違ったが、まず目的は達せれられた」


 告解後の晴れやかな顔で、ローンは告げた。


「さあ、御調少尉。君の義務を果たしたまえ」


 禁固処分と言ったところだろうか、本国へ召還されたら、長い尋問が待っている。うんざりするが、死ぬよりは救いがあるだろう。


 御調よりも先にネシスが答えた。


『その前に、妾にその写真を捧げよ』


「おっと、これは失礼。元よりそのつもりでした」


 ローンは写真を手にした。


 ネシスが納められた魔導機関マギアコア、その前扉が開く。セイラー服の鬼が姿を現した。


 歩み寄りながら、つくづく棺桶コフィンそっくりの形状だとローンは思った。そっと丁重に写真を差し出すと、たおやかな白い指でつままれる。


 ネシスはじっと写真を眺めていたが、やがて顔を上げた。ローンは静かに下がろうとしたが、すぐに呼び止められた。


「もうひとつ、おぬしの玩具じゃ」


 少し驚きを覚えながらも、ローンは惜しい気持ちになっていた。マギアコアが開かている今こそ、内部を撮るシャッターチャンスだったろうに。全くものにできそうにない。


 しかし、彼の予想に反して機会が訪れた。


「その玩具を妾に使え」


「えっ……」


 聞き間違いかとローンは首を傾げた。対して御調が厳しい顔でネシスの前に進み出た。


「あなた何を言っているの? こんな得体のしれない魔導具を自分に使うなんて、危険すぎるわ」


 もっともな反応だった。ローンでも同じ結論を出しただろう。しかしネシスの意志は変わらなかった。


「女官よ、妾を見くびるな」


 いつになくネシスは剣呑な口調だった。思わず身構えた御調だったが、次の瞬間ネシスは相好を崩した。


「良いではないか。なに戯れよ。その玩具は在りのままの姿を残してくれるのであろう? 今の妾をこの世に留めておきたいのじゃ」


 ローンは頬に引きつりを感じていた。


「私が何かを仕掛けるかもしれませんよ」


「おぬしは莫迦ではなかろう。莫迦なふりをするかもしれんが」


「言ってくれますね」


 嘗められているのか、それとも試されているのか。ローンはイビルシャッターを構えると、マギアコアのネシスをフレームに収めた。


「撮りますよ」


「早うせい」


 乾いた音が小さく鳴った。


「ッ!」


 シャッターを切ると同時に指先に痺れが走り、ローンはイビルシャッターを落としそうになった。意味不明な痛みにローンは首をひねった。


「どうかしましたか?」


 御調が訝し気に聞いてくる。こっちのセリフだとローンは言い返したくなった。たしかに自分は普通の写真を撮ったはずだ。変な真似はしていない。それにイビルシャッターを扱っていて、こんな現象はいままで起きなかった。


 御調と同じ表情でローンはネシスを見ると、涼し気な面持ちで見返された。


 何かを仕掛けられたのかもしれないが、確かめる術はない。せめて自分に害が及ばないように祈るばかりだった。


「案ずるな、妾はおぬしが気に入った」


 見透かしたようにネシスは約束した。


「おぬしの望み通りに生かしてやろう」


「感謝します」


「下がってよいぞ」


 言われるがまま、ローンは一礼して下がった。その流れで御調に向き合う。


「さて、ロンドン塔はどこかな?」



 <宵月>が針路を変えると、ローンの写真を頼りに飛行していった。儀堂の視界には、窓越しに見える艦外の光景が、そのまま映し出されていた。例えるのに苦労する絵面だった。何しろ竜の腹など、誰一人として見たことがなかったのだから。


 敢えて表すならば、壊れた青空だった。


 青白い壁が一面に広がり、あらゆる生き物が蠢き、走馬灯のように流されていく。ときどき半透明の個体もいて、それぞれがお互いの身体を透過していった。どれもこれもが禍津竜に食われた魂の成れの果てだ。死んだことすら自覚していないのかもしれない。


 大半は魔獣で生前の生態を推し量ることができそうだった。縄張り争いで群れ同士が争ったり、繁殖のため雌を取り合う様子も見て取れる。地球上の野生動物と何ら変わらない、本能のままに生きる姿があった。


 目を凝らせば人影らしきものも散見されたが、あまりにも姿が小さすぎてわからない。禍津竜に遭遇した不運な地中海の漁師か、もしくは異世界で食われた現地人なのかもしれない。


 とにかく博物学者か民俗学者でもいれば、たいそう喜んだろう。


──屍どもの博覧会だ。


 儀堂は航海日誌の文章を考えていた。


『軍医より艦橋。異常事態が発生』


「こちら儀堂、詳細を述べよ」


 すぐに儀堂は司令専用の喉頭式マイクで聞き返した。滅多なことでは軍医が艦橋を呼び出すことは無い。特に戦闘中は負傷者の治療に専念しているからだ。それをわざわざ連絡を寄こしたということは、よほどの緊急事態なのだろう。


『要らぬ混乱を招く恐れがあるため、こちらにお越し願いたい』


 軍医は憚りながら言っていた。無理な相談と理解しているのだろう。


「それは出来ない。<宵月>は臨戦態勢にある。ここで要件を述べてくれ。この回線ならば私にしか聞こえない」


『……了解』


 ためらいがちに返事をすると、軍医は切り出した。


『治療中の負傷者が消えました』


「脱走したのか?」


『いいえ、文字通りの意味です。目の前で消えたんです。まるで透明人間になったように』


 声を抑えているが、当惑と恐怖が透けて見えた。


「そんな──」


 莫迦なと言いかけて、思い出した。ここは禍津竜の中だ。生きながらにして食われていく呪いがかかっている。深手を負った人間ほど犠牲になりやすい。


「そいつは……助かる見込みはあったのか?」


『……峠でしたね。長くはもたないと思っていましたが……お迎えが来たんでしょうか』


 軍人らしく医者らしからぬ発言だった。


「笑えない冗談だな」


『……失礼しました』


「貴様は負傷者の治療を続けてくれ。他に重傷者はいるか?」


『2名ほど……いずれも望み薄です』


「わかった。その二人が消えても取り乱すな。この竜の腹の中では弱った奴から消えていく。そういうものだと思え。他の連中にも説明してやってくれ。深手を負わなければ大丈夫だと」


「了解……」


「それから──」


 通話が切られる直前で儀堂は呼び止めた。


「はい?」


「その二人にはできるだけのことをしてやってくれ」


「ええ、そのつもりです」


 通話が切られ、軍医の反応を思い返した。余計なことを言いすぎたのかもしれない。数秒ほど自省し、戦場へ意識を向けた。


 間もなく<宵月>の将兵全員が、負傷者の喪失を認識することになるだろう。誰もが疑問に思うはずだ。


 果たして自分はいつ消えてなくなるのか。


 よほど魔獣と銃火を交わしていたほうが救いに満ちている。少なくとも抵抗の手段は行使できるからだ。


 それに対して今は緩慢かつ無抵抗に胃の中で死を迎える状況だ。時間がたつほど士気を保つのが難しくなるだろう。


 軍医の報告から艦内は静まり返り、誰もが手持ち無沙汰になっていた。必要最低限の会話しか行えなかった。特段に静かにしろと命じられているわけではない。ただ自然と不安が口に出そうで、誰もが押し黙るしかなかったのだ。


「司令」


 ついに耐えられず、興津が口を開いた。彼には二つ気がかりがあった。一つはローンのことで、まさか英国の情報部員とは思いもよらなかった。もう一つは全く別の疑問だ。彼が尋ねたのは、そちらの方だった。


「我々はどこへ向かっているのですか」


 <宵月>の行先について、彼は何も説明を受けていなかった。彼に限らず儀堂は乗員の誰にも目的地を明かしていない。


 内心では期待と不安が混じっていた


「さあな」


 他人事のように儀堂は呟いた。


「実は俺もよくわかっていない」


 ためらいなく儀堂は言い切った。


「俺はネシスに任せた。あいつの方が、この手の怪異に詳しいだろう。しばらくは奴の気の向くままに行くさ」


 興津は一瞬ぎょっとしたが、異議は差しはさまなかった。代わりにふと思った。ローンならば、なんと切り返すだろう。


彷徨える日本人フライングジャパニーズ


 思わず口から漏れてしまい、居心地の悪さを覚えた。意外なことに儀堂は微笑を返すだけだった。いや、恐らく苦笑に近かった。


 針路変更から十数分後、ネシスから念話で話しかけられる。その少し前から<宵月>の速度が落ちていることに気が付いていた。恐らく終着が近いのだろう。


『ギドーよ、妾の頼みを聞いてくれるか』


「わけありかい?」


 無線ではなく、わざわざ念話を使ってきたのだ。


「あの写真の子らは、お前の身内なのだろう」


『左様。妾にとっては捨て置けぬ。例え残影であれ。妾の同胞じゃ。例え幻であっても……いいや、幻の方が良いのか。とにかく妾は会わねばならぬ』


「ネシス、お前の見ているものを俺に見せろ」


 すぐに視界が共有された。華奢な指に挟まれた、総天然色フルカラーの写真が現れる。数人の月鬼が仲睦まじく肩を寄せ合い、焚火を囲んでいた。何の変哲もない、牧歌的な情景だったが、儀堂にはしっくりとこなかった。


 少し考えて、すぐに思い当たった。


 写真の構図が見慣れないアングルだったのだ。記念写真のように正面から見たわけでも、記録写真のように引きで見たわけでもなかった。


 ローンの写真では年端もいかぬ少女たちを下から仰ぐアングルになっていた。まるで彼女らよりも小さな視点から見上げたように。


◇========◇

twitter(@BinaryTheater)で各話の挿絵をランダムで公開中。

月一で不定期連載中。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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