海獣(cetus) 15

 ざわめく艦橋の中で、儀堂はまっさきに目を向けた。たしかに複数の影が<宵月>に向かって飛行してくる。


 ネシスの視界を通じて、相手の姿が鮮明に見えていた。大型個体のワイバーンだ。


──近い!


 ネシスの視界ごしとはいえ、いくら何でも鮮明に見えすぎていた。距離は一万メートルほどだろうか。


「ネシス、撃ち落とせ!」


 怒鳴る儀堂に対して、ネシスは無反応だった。


「ネシス、早くしろ!」


『落ち着け。よく見るがよい』


 やや呆れた声で、ネシスが返してきた。


「お前こそ、何を見ている! 早く撃て!」


『やれやれ、しょうがないのう』


 数秒後、前後の連装砲が火を噴いた。放たれたのは対空用の四式弾で、それらはワイバーンの群れに綺麗に突き抜けていった。


 そこでようやく儀堂は異常に気が付いた。


「信管が作動しない?」


 四式弾は近接信管を内蔵している。本来ならば群れに到達した時点で信管が作動、砲弾が破裂し、四方に破片をぶちまけているはずだ。


 未だに砲弾は放たれていたが、どれもがワイバーンの群れを突き抜けていった。ネシスが外しているとも考えられなかった。いくらなんでも全弾が動作不良とも考えられない。まるで群れなど、存在しなかったかのようだ。


 理由を考える時間はなかった。とにかくワイバーンの群れは、<宵月>を指向し続けている。


『ネシス、回避しろ!』


 ネシスが応える前に、雲霞のようなワイバーンの群れが視界いっぱいに広がった。


「総員、衝撃に備え──」


 言い終わる前に、ワイバーンたちは<宵月>に到達した。


 直後に艦内のいたるところで、悲鳴が生じ、混乱した将兵によって小規模な悲喜劇が演じられた。運の悪いものは階段から転倒し、強かに全身を打つ羽目になった。


 幸いなことに、儀堂は応急班へ命令を出す必要はなかった。反撃の命令も出さなかった。その前に事態が収束したからだ。


 いつのまにか、連装砲の対空射撃も止んでいる。


 事態を飲み込めないまま、儀堂は過ぎ去っていくワイバーンの群れを凝視していた。


 白昼夢を見ている心境だった。ワイバーンたちは<宵月>の反対側へすり抜けて・・・・・・・・・いったのだ。


『だから言ったであろう。よく見よと』


 ネシスが呆れた声で囁いた。促されるまま儀堂はワイバーンの群れを見ると、身体が透けているのがわかった。幻の類らしい。それにしては妙に生々しいが。


「蜃気楼のようなものか」


『言い得て妙じゃな。何処いづこに在りて、当てもなく彷徨う亡霊よ』


 ワイバーンたちは群れごと優雅に旋回すると、どこかへ消えていく。その後を目で追いながら、儀堂は心境の変化を覚えていた。同時に扱い難い葛藤を生まれる。


 飛び去る群れを見ながら、儀堂は平静を取り戻していた。無害とわかったからではなく、その光景にノスタルジックな落ち着きを見出していたからだった。


 空を駆ける魔獣どもは、大人しく敵意など一切見せていなかった。そこら辺を飛翔する鳶のごとく、気ままに翼を広げているのだ。


 炎で街を焦がし、船を焼き、人を食らう獣とはかけ離れている。気高さすら感じる姿だった。


「アイツら、本当に魔獣か……」


『然り。よく飼いならされておる。い獣ではないか。どうやら、ここに囚われたものは出自を問われぬ。ただ忘我の果てに、安らかに終わっていくようじゃ』


「だから亡霊か。何かの喩えかと思いきや、そのままの意味かい。アイツらの肉体は失われ、魂だけがここに取り残されている。そういうことだな」


 ワイバーンの群れは儀堂の視界から完全に消え去った。


『ほう、えらいぞ。おぬしも魔導を心得てきたではないか。目を凝らすがよい、そこかしこに現世の未練から解き放たれた影が揺蕩っておる』


 ネシスの言う通りだった。四方へ双眸を巡らせると、あちこちに透けた身体の魔獣たちがひしめいている。あまりにも影が薄すぎて、気が付かなかったのだ。


「このまま居続ければ、俺たちも同じ運命を辿るのか……」


『左様。説明の手間が省けたのう』


 思わず儀堂は自身の胸に手を当てた。今のところ、背中側に手は突き抜けずにいる。見透かすようにネシスが嗤った。


『案ずるな。おぬしらは、まだ生きておるよ』


「そのようだ……ネシス、早く出るぞ」


『はてさて、とはいえどこへ行ったものやら』


 ぼやきながら、ネシスは<宵月>を飛行させた。同調こそしなかったが、儀堂も似たような心境だった。


 単純に考えれば、元来た道を引き返せばよい。生物と同じ構造しているのならば、食道を通って胃に来ているはずだ。ならば胃から逆流して口から出ていけばよいはずだが、難しそうだった。


 まず出入り口が分からない。上を見上げれば青空にも似た天井が広がり、血管と思しき脈が不気味に波打っている。


 脱出に関しては、もう一つ取りたくない選択肢があった。胃には食道とは別のルートが残されている。消化の原理に沿うのならば、腸を通って……そこで儀堂は考えるのを止めた。現実逃避によるものではない。何やら艦橋内が騒がしかったからだ。


「司令!」


 耳元で呼びかけられ、儀堂は顔をしかめた。あやうく殺気を覚えそうになりながら、儀堂は聞き返した。


「……なんだ?」


「ワイバーンの群れが、また現れました」


「だから、なんだ?」


 莫迦みたいに聞き返し、儀堂は過ちに気が付いた。ネシスから念話で説明を受けていたのは、儀堂のみだ。ワイバーンが、幻の存在だと他の連中は知る由もないだろう。


「すまない。俺から説明する」


 儀堂はネシスとの視界共有を切ると、喉頭式マイクを艦内放送に繋いだ。艦橋内の将兵を正面から見据えながら、ここがどこで何が起きているか簡潔に告げていく。


「今、説明したとおりだ。引き続き周囲を警戒しつつ、決して取り乱すな。反撃も厳に慎め。弾が勿体ないからな。相手は、そこにいるようでいない。ただの幻、幽霊にすぎない」


 幻と言い聞かせたところで、魔獣への恐怖心が和らぐわけではないだろう。しかし知らないよりはマシだった。


 ふと周囲を見渡しながら、本来いるべき顔ぶれが欠けていることに気が付いた。


「ローン大尉はどこだ?」


 先ほどまでいたはずのローンの姿がなかった。代わりに見張り員の一人が裏返った声で居場所を告げてきた。


「ローン大尉が甲板に出ました!」


◇========◇

twitter(@BinaryTheater)で各話の挿絵もランダムで公開中。

毎週月曜に投稿。

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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