獣の海 (Mare bestiarum) 46:終

「青い……魔導機関は使用者によって、異なる光を放つのですか」


 興津は艦橋から外を眺めていた。<宵月>を取り巻く半径数メートルの海が、青白く輝いているのが見えた。


「そうらしいな」


 同意しながら、儀堂は呟いた。


──青……青の光、どこかで見たような気がする。


 捉えどころのない既視感を憶え、儀堂はもどかしさを覚えた。大昔ではないが、最近でもない過去で確かに見たことがあった。


 あと少しで思い出しかけたときだった。御調の声が鼓膜を震わせた。


『司令、ネシスです!』



「どこだ?」


『本艦より2時方向、距離おおよそ4千。深度は……どんどん遠ざかっています』


「そいつは、えらくまずいね」


 あまりにも遠ざかると、ネシスと合流できなくなってしまう。ネシスが敵の月鬼を殲滅していれば話は簡単だが、儀堂には確かめる術がなかった。実際のところ、眼下ではネシスがレールネとクラウスを撤退に追い込んでいたが、今の儀堂は知らない。


「どうにかして、あいつと連絡はとれないか」


『難しいと思います。彼女は、あえて司令との共有を断って行きました。むこうの月鬼の干渉を避けるためでしょうから……』


 ネシスは自身を介して、レールネが儀堂に干渉するのを防ごうとしていた。もしネシスが儀堂と感覚を共有したままレールネと対峙した場合、レールネはネシスの中継して儀堂を操ろうとしたかもしれなかった。


 あるいはと、儀堂は思った。危険を承知で、御調に命じて<宵月>を潜航させるべきだろうか。


「……莫迦な」


 余りにも博打性の高い判断だった。物語フィクションの英雄ならば、迷いなくネシスを助けに行くだろうが、儀堂は現実リアルに生きる軍人だった。


「待つしかない。そうだな?」


『はい。我々にはどうしようもできません』


 御調は鎮めるように告げた


「わかった」


 もどかしい気持ちを抱えながら、儀堂は無線を切った。入れ替わるように興津が険しい顔で、近づいてきた。何があったかは知らないが、きっと悪い知らせだろう。


「司令、<ヴァリアント>のウィッペル中将からです」


 先ほどまで興津は通信室で船団を守る地中海艦隊と連絡をとっていた。


「我、有力ナ敵部隊ト遭遇。戦闘状態ニアリ。至急、戻ラレタシ……だそうです」


 狭い艦橋内に、動揺が走ったが儀堂は何事もなかったように答えた。


「敵戦力はなんだ?」


「不明です。小型の水上目標が多いらしく、電探でも拾い切れないとか。いかがしますか」


 興津が恐る恐る尋ねた。


「もちろん、助けに行く。ただし──」


 月光に照らされた、海面へ目を向けた。



 クラウスたちが脱出した後、<U-219>もろともネシスは深海へ沈もうとしていた。大量の海水が艦内に入り、ネシスは押しつぶされた。


 すでに電源も消失し、非常灯の明かりも途絶えていた。暗闇の中でネシスは足掻き、自身のBMを展開した。


「おのれ、あやつら……!」


 怒りを滾らせ、憎悪と敵意のままにネシスは<U-219>を突き破った。



『司令、ネシスの反応が急激に強くなりました』


 御調のハスキーボイスが、やや上ずっていた。それほどの異常が起きているのだろう。


「何があった? もっと具体的に教えてくれ」


『はい。近づいてきて……え、そんなまさか……通り過ぎました!』


 我が耳を疑う。


「すまないが、復唱してくれ」


『ネシスが急速に<宵月>から遠ざかっています。凄まじい憎悪の気を纏っています。これは……怒りに我を失っています!』


「あのっ!」


 莫迦野郎と言いかけて、儀堂は飲み込んだ。俺まで怒りに囚われてどうするのだ。それこそミイラ取りがミイラだ。


「奴を呼び戻す」


 冷たさを感じるほど、確固たる口調だった。


『しかし、我々から接触はできません』


 御調が困惑気味に答える。


「はっ、俺とあいつは契約呪いで繋がっているのだろう? ならば、無理やりにでも振り向かせるしかない」


 儀堂は、うすら笑いを浮かべながら言った。聞きようによっては自棄を起こしたと思うだろう。


『……何をするおつもりですか?』


 無線の向こうで御調が戸惑っているのがわかった。


「君が怒るようなことだ」


『え……まさか、やめてください!』


「副長、ここを頼む。なるべく早く戻るよ」


 儀堂はそう言うと、艦橋から出ていった。



 地中海の底をネシスは驀進し続けていた。レールネたちとの距離はだいぶ離れてしまったが、後を追うことは可能だった。魔獣の臭いや霊力の残滓を辿れば、造作もない。


 <U-219>の霊力を吸収したネシスは、気力体力ともに完全充足された状態だった。このまま地中海を縦断すらできただろう。


 徹底的に追い詰めて、奴らを恐怖に跪かせていやるつもりだった。しかし残念ながらネシスにとって、過去形で語る出来事になった。


「なんじゃあ……!?」


 舌なめずりしていたネシスは、突然肢体を大きくエビぞりにのけぞらせた。全身の筋肉が痙攣し、焼けるような痺れが駆け巡る。


「くぅうううううううああああああ!」


 思わず、声を裏返らせて叫んだが。激痛はすぐに止んだ。


「なんじゃ、これは……まさか、ギドー!?」



 海面が跳ね、黒光りした小さな球体が飛び出した。球体は海面をバウンドしながら進むと<宵月>の甲板へ降り立った。


 BMの膜を解くと、ネシスは甲板上の人だかりへ向けて歩いていった。ネシスの姿を見るや、甲板にいた将兵は一斉に避けて、道を開けた。


「ようやくか」


 人だかりから出てきたネシスへ向けて、儀堂は言った。


「おぬし、何をしたんじゃ。ぼろぼろじゃぞ」


 ネシスの足元には重度の火傷を負った儀堂が横たわっていた。


「はっ……大したことは……無い」


 儀堂の傍には煙を吹き、火花を散らした電線が垂れ下がっていた。少し前まで探照灯に繋がれていた高圧線だ。儀堂は無理やり引き抜いて、感電したのだ。


「お前を呼び出すにはこれくらいしないと駄目だろう」


 苦し気に身体を起こすと、ちょうど御調が駆け付けてきた。


「司令、なんてことを……」


 御調は怒りを通り越して、諦観の念を浮かべていた。


「心配するな。俺は生きている。それよりも御調少尉、後は頼む。ネシス、早く行け。お前にはいるべき場所があるだろう」


 ネシスは不敵に笑うと小首をかしげた。


「レールネを追うのかや」


「いいや、そいつは後回しだ」


 頬膨らませたネシスに、儀堂は続けた。


「まだ危機は脱していない。それにおかしいと思わないか……」


 よろよろと立ち上がりながら、儀堂は苦々しく言った。


「なにがじゃ?」


「思い出せ。ジブラルタルで俺たちは何を見た? あの錆びついた魚雷や腐った帆船、時代錯誤の残骸があっただろう。しかし、あの潜水艦との戦いで……そいつらが出てきたか?」


 儀堂は艦橋に向かいながら、胸騒ぎを覚えていた。もしかしたら、自分は大変な錯誤を犯していたのかもしれない。


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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