獣の海 (Mare bestiarum) 44

「ネシス……あなた、本当にしつこい」


 レールネはじとりした目で、ネシスを睨みつけた。ネシスは凍てつくような、冷ややかな瞳でそれを受けた。


「レールネ、それはこちらの台詞じゃ。こちらの言葉でなんと言ったかのう……そう、ここで会ったが百年目……!」


 言い終わらないうちに、ネシスは初撃を繰り出していた。


「野蛮……」


 レールネは目前に方陣を展開すると、陣の中心から黒い影が飛び出した。黒い影はネシスを弾き飛ばすと、前へ躍り出た。赤色灯が影の正体を照らした。狼とも獅子とも判別のつかない魔獣だった。


「相変わらずの他力本願よのう」


 嘲るネシスに対し、レールネは眉をひそめた。


ひとわたしの肉を喰った、あなたに言われたくない」


「ほざけ。節操なく悪食しおってからに。己が欲望に囚われた愚物め。だから、おぬしは良いように操られたのじゃ。あのとき・・・・も、そしてもな」


 したり顔のネシスに対し、レールネは般若の面相になった。


「……黙れ!」


 レールネが片腕を挙げると、魔獣がとびかかってきた。牙をむき出しにした黒い影がおおいかぶさろうとしたが、瞬く間に赤い線が胴体に走り、真っ二つになった。


 続いて二つに割れた魔獣の片割れにネシスが手を触れた途端、死体が爆発し、黒い血の霧が艦内を覆った。


 レールネは魔獣を新たに召喚しようと手を挙げたが、方陣を展開する前に膝をついてしまった。


「あがっ……」


 腹部を激痛が走り抜け、身動きが取れなかった。膝から床に崩れ落ちる。手で腹を覆ったが、目立った傷はない。


「な、んで……?」


 絶対にネシスに貫かれたと思ったのだが、違った。魔獣の血で煙幕をつくり、その間に距離をつめて来るつもりだろうと思っていた。あの子は、そういう子だ。いつだって、自分で手を下さなければ気が済まない。とても腹立たしいけど……そう思っていたのに。


「やはり、お前は莫迦ものじゃ。まだ気が付いておらんのかや?」


 黒い霧が晴れるとネシスは元の位置にいたまま、レールネと同様に床に膝をついていた。ただし、レールネと表情は真逆で愉快極まりない様子だった。ネシスは片手を床について、方陣を展開していた。


「あなた、なにを……ああっ!」


 ネシスが床の一部に貫き手で穴をあけると、レールネが悶えた。


「この船は、おぬしと同化しておるのじゃろう? つまり、おぬし自身じゃ。この船を魔導で細工すれば、おぬしと直接つながることが出来る。そう……例えば感覚を弄って、責め苦を味わしたりなどな」


 ネシスが自身の手を床から引き抜くと、レールネは喘いだ。


「レールネ、おぬしは憑依術に優れておるが、相変わらず使いこなせておらんな。憑依は対象を如何に自身のものにするかが寛容で、一緒になってしまっては全く意味がないぞ」


「うるさい! 説くな! 教えるな! そんなことはわかっているの!」


 逆上するレールネに対して、ネシスはどこまでも高慢であり続けた。


「いいや、わかっておらん。だから、おぬしは敗けようとしているのじゃ」


「敗ける? 違う! 私があなたを殺すの! じゃないと、私は……」


 背後から空気の抜ける音が聞こえた。とっさに振り向いたネシスの頬の近くを羽のついたアンプルが飛び抜けていった。


「おぬし、何の真似じゃ?」


 静かな殺気を込め、ネシスはクラウスに尋ねた。クラウスは床にへたり込んだままだったが、無事なほうの手に麻酔拳銃が握られている。


「水を差してごめんよ。だけど、そろそろ失礼しようかなあと思って。これ以上、建設的な進展も望めそうにないからさ」


 クラウスは、全く悪びれていなかった。


「レールネ、そろそろ帰るよ」


 思わずネシスは鼻で笑った。


「おぬしも莫迦かや? こやつが素直におぬしの言うことを聞くもの──」


「……ええ、そうね」


「なっ!?」


 唖然とするネシスの脇を小さな影が通り過ぎた。クラウスの横にレールネが並んだが、その首は座っておらず、瞳から光が消えていた。


「おぬし、そやつに何をした?」


 ネシスは船体をさらに抉ったが、レールネは反応しなかった。今度はクラウスが失笑した。


「さあ、何をしたのかな。それでは失礼。君は、せいぜい深海のバカンスを楽しんで」


 レールネを中心に小規模なBMが展開され、二人を飲み込む。そのまま船体を突き破ると、出ていった。


「待ちやれ!」


 レールネのBMから生じた破孔から、大量の海水が<U-219>の残骸に流れ込んだ。数千トンの水圧にネシスは押しつぶされた。



「最初から、ああすればよかったなあ」


 深海へ遠ざかる<U-219>を眺めながら、クラウスはぼやいた。


 BMで船外へ脱出した後、クラウスはレールネに水棲魔獣のサーペントを召喚させ、自身を運ばせていた。


「ま、当初の目標は既に達成したからいいか。あとはベルリンの判断に任せよう」


 もはや、この海域に用はなかった。あとはタラントへ向かい、適当なところで上陸、ベルリンへ戦果報告となるだろう。彼らの戦闘は、終わりを告げた。


◇========◇

毎週月曜と木曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

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よろしくお願いいたします。

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