獣の海 (Mare bestiarum) 19

【駆逐艦<宵月>】


 地中海、水面下の暗闇に歌声が響いていた。さながら古代ギリシャより伝承されるセイレーンのごとく、聞くものを魅了する声音だ。歌の源泉を辿ると、海中を漂う楕円形の巨影があった。水面下にある人工物としては、世界最大になるだろう。


 駆逐艦<宵月>は水深50メートルを航行していた。船体上部をネシスが展開するBMの膜で包み込み、浸水を防いでいる。


 唐突に歌声が途絶えると、絶叫が木霊した。悲鳴とも怒号とも、あるいは慟哭とも判別のつかない音波が撒き散らされる。


 <宵月>の艦橋にもごくわずかだが、足元から絶叫が伝わってきた。


 すぐに儀堂の耳当てから、歌声の主が結果を聞かせてきた。


『ギドー、捉えたぞ』


「どこだ?」


『妾の足元よ。深さは二百かそこらかのう』


「先ほどと同じように誘導できるか」


『任せよ』


 しばらくして<宵月>の前方に紅い光がぼうっと浮かび上がった。艦橋から視認できるほどの距離だ。


『その光を追ってくるがよい』


 紅い光がゆっくりと左方向へ動き出していく。


「取り舵いっぱい。あの光を追え」


 儀堂の命令を受けて、操舵員が舵輪を回す。それに応じて、楕円形の膜につつまれた<宵月>が左方向へ回頭していった。


「司令……」


 興津が恐る恐る聞いてきた。


「ああ、残念ながら仕留めきれなかった。副長、もう一度仕掛けるぞ。今度は散布爆雷も食らわせてやる」


「了解。さきほど爆雷投射機へ装填完了と報告がありました。いつでもやれます」


「うん、いいね。盛大に見舞ってやろう」


 反射的に口から出た感想だった。艦橋内の兵士数名から笑みがぼれた。


「やられっぱなしでしたからね。さすがに肝が冷えました」


「初めてだからさ」


 何の気なしに、儀堂は言った。


「何がですか」


「人間相手の戦闘。我々にとってはそうだろ?」


 興津は虚を突かれた。確かに、その通りだった。支那事変以来、帝国海軍は久しく人間相手に戦っていなかった。開戦時こそ真珠湾の合衆国軍に奇襲をしかけていたが、それでも結局相手にしたのは魔獣だった。


「魚雷戦を仕掛けられた時点で確信していたよ。誰か知らないが、どうやら俺たちのことが目障りな連中がいるらしい。ようやく、そいつらに借りを返せる。誠に愉しみだ」


 儀堂は心底嬉しそうに言った。興津は、狂気の片鱗を改めて認識していた。思い返せば、見敵必滅を地で行く男ではあった。これまで表に出ていなかったが、内心ではさぞ歯がゆい怒りを抱えていたのだろう。


「なに、魔獣相手と理屈は変わらない。いつも通りでいいんだ」


 興津は気おされるように、肯いた。


「ええまあ、考えてみれば。この艦は駆逐艦ですから。本来の仕事をするだけのことですね」


「その通りさ。しかし海中で爆雷戦をする駆逐艦は、なかなかいないだろうがね」


 <宵月>が<U-219>へ放った初撃は、水深50メートルから投下された爆雷だった。本来ならば海上から落とす爆雷を、海中から放り投げたのだ。


 その少し前、魚雷攻撃を受けた<宵月>には二つの選択肢があった。一つは空へ逃れて魚雷を回避する策だった。確実に逃れることが出来るが、儀堂は真逆の選択を取った。<宵月>を海へ潜らせたのだ。急速潜航した<宵月>の艦上を魚雷はすり抜け、爆発した。


 魚雷の爆発音に紛れながら<宵月>は潜航を続け、<U-219>を捕捉、爆雷投射を行った。儀堂にとっては、不本意なことに初撃で仕留めきれなかった。


 儀堂の耳当てから歌声が流れてきた。原理はわからなかったが、ネシスは魔導の歌声で敵の位置を把握していた。あるいは音波探信儀と同様の仕組みなのかもしれない。周辺の魔獣にも作用しているらしく、うろついていたサーペントが大人しくなっていた。便利な魔導だが、欠点もあった。<宵月>の位置を敵に暴露することになる。


「ネシス、少しいいか」


『なんじゃ? せっかく調子が出てきたというのに』


「お前に聞いておきたい。敵の正体だ。ただの潜水艦とは思えない。魔獣の動きに合わせるように、俺たちに魚雷を撃ち込んできた。怪異の類か」


 返答まで数秒の間があった。


『魔導の波は感じぬ。魔獣独特の邪気もない』


「では、ただの偶然だというのか」


『いいや、違う。儀堂よ、妾は認めぬばならぬ。奴らめ、妾の同胞を召し抱えておる』


◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

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