獣の海 (Mare bestiarum) 18
「全艦爆雷防御!」
全身を爆発音が殴打し、足元が崩れ去っていく。よろけながらも咄嗟にハインツは壁際に身を寄せて耐えた。他の乗員も同様に、恐怖の時間が過ぎ去っていくのを待っていた。ただ一人の例外はクラウスだった。
──どうなっている?
ハインツは目をむいてクラウスを凝視した。
クラウスは何事もないかのように、直立し、周囲を観察し続けていた。異常さに気が付いたのは、ハインツだけではなかった。フラーや他の兵士たちも、酷い悪夢を見ているような顔だった。
「艦長、失礼しました。どうぞ、あなたの為すべきことをしてください。そのあとで私の話をしますよ」
爆雷攻撃がおさまったところで、クラウスは一言告げると誰の邪魔にならないよう室内の隅に自分を移した。
「ああ、そうしてくれ。被害報告、早くしろ!」
ハインツは我に戻ると、すぐに被害報告の確認を行った。あのSS大尉には司令塔から出て行ってほしかったが、そんなことを言う時間はない。
幸い、深刻な被害は出ていなかった。有り難いことに、<U-219>は従来のUボートよりも頑強な造りになっている。
爆雷攻撃前の命令が忠実に実行され、<U-219>は前のめりに深海へ向かっていた。深度計の針が時計回りに移動していく。
じりじりとした感情を抱えながら、ハインツは視界の隅にクラウスをおさめた。相変わらず、SS大尉は何事もないように佇んでいる。時折、喉元のマイクに手を当てているのが気になった。いったい何をしているのだ。不可解さが不気味な感情へ変質していくのがわかった。
目前では、フラーが頭上を仰ぎ見ていた。いつもの軽快な面持ちが吹き飛び、額から冷や汗が流れている。爆雷攻撃を食らったのは、今回が初めてだったのだ。
内心でハインツはフラーを祝福した。おめでとう。君は、たった今、Uボートの訓練課程を一通り終えた。あとは、どれだけ生き残れるかだ。
「振り切れたでしょうか」
フラーが問うてきた。ハインツは首をふった。
「いいや、まだだ」
数年前、人類同士が戦っていた頃を思い返していた。
「最大深度でやりすごすぞ」
「
「ああ、このままだ」
<U-219>は艦首を下方へ向けた状態で潜っていた。どこかで水平に戻さなければならないが、今ではなかった。
ハインツは重心のバランスを取りながら、慎重に司令塔内を移動した。兵士たちの表情は強張っていたが、まだ落ち着いている。久しぶりの実戦だったが、よくやっているほうだった。
そうだ。数年ぶりの実戦なのだ。
原則として、対BM戦争でUボートが実戦を行うことはほとんどなかった。水上艦に比べて、魔獣との遭遇頻度も少なかったためだ。Uボートだけではなく、潜水艦全般に当てはまる事実だった。遠洋での行動が主体で、しかも単独航行が基本だ。よほど運が悪くなければ、会敵することがなかったのだ。
頭上の相手は英国海軍だろうかとハインツは思い、やはり原因は8本の魚雷にあるのだろうと思った。過程はわからなかったが、魚雷攻撃に対する反撃を受けたと解釈していた。だとしたら大層に不愉快なことだった。ハインツ自身、攻撃の意図は全くなかったからだ。少なくともドイツ本国から、英国相手に戦争を吹っ掛けろなどと聞いてはいなかった。
──あのSS大尉は何を俺たちにやらせているのだ?
本気で人類同士の戦争を再開するつもりなのか。
ソナー室のカーテンが開かれる。ロットマンがまた青い顔をしていた。良くない兆候だった。
「艦長、また歌が聞こえてきました」
深度計の目盛りは150だった。やはりブルーノと交代させるべきだと思ったときだ。片隅で人影が動いた。
「ハインツ中佐、彼は決して気がふれたわけではありません」
クラウスが断言した。
「説明しろ」
ハインツは語気を強めた。こいつは何か知っている。
「全てだ。お前が何をやろうとしているのか。俺たちが戦っている相手が何なのか。その全てだ。さもなくば──」
「拘束しますか?」
クラウスは場違いな困り顔で尋ねた。
「いいや、いっさいお前の言うことを聞かなくなるだけだ。ベルリンで何とでも抗議するがいい。総統代行の名前を使ったところで、俺の意思を変えることは出来んぞ」
クラウスは目を丸くすると、観念したように苦笑した。
「それは困りますね。わかりました。簡潔にお答えします。我々が相手にしているのは、日本が保有する魔導駆逐艦<宵月>です。私は本国から月鬼ネシスの殺害を命じられています」
◇========◇
毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化したく考えております。
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
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