獣の海 (Mare bestiarum) 16

 ハインツは<U-219>の中央部、司令塔まで戻っていた。


お客さんゲステの様子はいかがですか」


 尋ねたは副長のフラーだった。ハインツと同じく無精ひげを生やし、老け込んで見えるが実年齢は二十代半ばだったはずだ。


「相変わらずだ。執事と令嬢様だよ」


 背後のゲストルームを指しながら、ハインツは言った。


 <U-219>は他のUボートと異なり、特殊な役割を備えていた。元は潜水母艦として建造された艦で、乳牛ミルヒクーと呼ばれていた。大量の油と物資を満載し、作戦行動中のUボートへ分け与えるのが彼女の役目だった。


 潜水艦隊の司令長官デーニッツは、<U-219>のような母艦を大西洋で周遊させるつもりだった。当時ドイツは英国と戦争状態で、デーニッツは英国のシーレーンを締め上げるため、数十隻のUボートを大西洋で活動させていた。それら子飼いの狼を養うには、潜水母艦は必要だった。乳牛一頭で、4匹分の狼の腹を油と魚雷で満たせることができた。


 しかし、1941年の12月7日を境に世界は変わった。黒い月が地球全土に顕れ、魔獣の群れが跋扈するようになった。人類は同族同士の戦争をしばらく忘れなければならなかった。


 <U-219>は急変した世界への対応を迫られた。母艦としての能力は半分に削減され、代わりに特殊工作艦へと改装された。上部甲板に格納庫を装備し、上陸用舟艇や機雷を収納できるようになった。また船体内部は特殊工作員の居住区画や要人輸送のためのゲストルームまで造設されることになった。


 ハインツが先ほどまで訪れていた区画は、ゲストルームだった。艦長室よりも快適な―と言っても留置所のような―部屋だった。あの腹の読めないSS大尉と得体のしれない少女にあてがわれている。


「いったい、何が起きているんでしょうね?」


 解せない顔でフラーが言った。


「俺も知りたいよ。魚雷8本も海に食わせた理由なんて、誰が思いつくものか」


 数時間前、クラウスSS大尉の要請で<U-219>は魚雷を8本海中へ投棄していた。意味が分からなかった。どこかの船や魔獣に撃ち込むのではなく、ただ海中に捨てろと言われたのだ。説明を求めても、あのSS大尉は頑なに語ろうとしなかった。


「必要なことです」


 何を聞いても、ただそれだけだった。本来ならば、ハインツは断ることが出来たはずだった。しかしクラウスは免罪符を持って、<U-219>へ乗り込んできていた。彼は、ドイツにおける最高権力者から直々の信任状を持たされていたのだ。相手が総統代行のお墨付きとなれば、ハインツとて無下には出来なかった。


「捨てた8本分の代金をSSに請求しますか?」


「いい考えだな」


 フラーの意図をハインツは汲み取っていた。この若者は艦内の空気を浄化しようとしているのだ。あえて自らの不遇を茶化すことで、あのSS将校に対する悪感情を散らそうとしている。開戦時、それこそ対英戦から色んな奴と組んできたが、フラーみたいな機転の利く奴は貴重だった。誰もが自分のことで精いっぱいなのだ。


「どのみち、過ぎたことだ。それよりも、あの捨てた魚雷をどう活かしたのか気になっている」


 ふいにフラーは神妙な面持ちで肯いた。


「ロットマンが言うには──」


 聴音員の名を挙げて、フラーは続けた。


「モーターが作動と停止を繰り返していたみたいで」


「故障したわけではなさそうだな」


「ええ、最後は航走音の後で爆発しています」


 <U-219>が海中に投棄した魚雷は、しばらく海中を漂った後で突如モーターを作動させ、不明な目標へ向けて推進していったのだ。ハインツたちにとっては不可解な現象だった。信管を作動させたわけでもないのに、魚雷が動くはずがない。


「圧壊音は?」


「いや、そこまではわかりません」


「捨てた魚雷は|G7esではなかったよな?」


「いいえ。通常のG7eタイプです」


 G7esはツァーンケーニッヒ《ミソサザイ》と呼ばれ、音響探知能力を持った追尾魚雷だった。発射後は25ノットで推進し、目標の航走音を捕捉、追跡した後に船底付近で炸薬の信管を作動させる。


 対してG7eは旧来の魚雷で、発射後は無誘導で直進していくタイプだった。


 今回投棄した魚雷は、G7eタイプだった。変則的な動きが出来るはずがない。


「わけがわからんな」


 まるで魚雷が意志を持ったかのようだった。


「実は、嫌な話を耳にしたんですよ」


 フラーが小声で、顔を近づけてきた。耐え難い口臭がハインツの鼻をつく。次の寄港地で、また歯を抜く羽目になりそうだ。


「なんだ……?」


 さりげなく顔を背けつつ、ハインツは聞き返した。


「出港前、あの子どもを魚雷発射室で見たとか」


「……初耳だぞ。なぜ俺に言わなかった?」


 叱り口調でハインツは言った。



◇========◇

毎週月曜と水曜(不定期)投稿予定

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

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