獣の海 (Mare bestiarum) 4
ロレンツィオたちが海岸線を離脱する頃には、戦闘から掃討へ潮目が変わりつつあった。大型の魔獣がいなくなったことで、地上部隊が積極的になり始めたのだった。恐らく、増援も来たのだろう。遠くから重い砲声が響いていた。
「今日は看板だな」
遠ざかる陸、その随所で煌めく銃火をしり目にロレンツィオは呟いた。どの道、燃料が持たないだろう。次に出撃命令が下れば、いっそ手漕ぎボートで繰り出すしかない。
──ローマ
内心でロレンツィオは皮肉めいた感想を抱いた。今のイタリアとかつて古代ローマには、民族的な連続性はないのだ。
部下の一人が大声で喚いた。艇内の奥のほうに引っ込んでいた、無線手だった。
「中佐、司令部からです!」
イヤーマフを首にかけ、無線手が叫んだ。直感的に嫌な予感を覚える。
「なんだって!?」
「すぐに戻れ! 出頭せよ!」
「それだけか!?」
「それだけです!」
「わかった……!」
ロレンツィオは慎重に椅子に腰かけたが、自らを落ち着かせることはできなかった。M.A.S艇は暴れ馬のごとく波間を突っ切り、艇内を揺らしまくっている。
高馬力の震動を全身に受けながら、脳内で未来予想図を巡らせる。愉快なことではなさそうだった。わざわざ司令部まで出頭とは、どんな厄介ごとを背負わされるのやら見当もつかなかった
◇
ターラント軍港について、約十二時間後、ロレンツィオは再びアドリア海に駆り出されていた。朝陽が眩さが目にしみて、思わず瞼を細めた。
艇内の揺れは、昨日ほどは酷くはなかった。海が凪いでいるのに加え、スピードを出していないためだ。
「
使い慣れないドイツ語で、ロレンツィオは尋ねた。
「代用じゃない。本物だよ」
「いただこう」
尋ねられた客人は錫製のカップを受け取った。魔法瓶から半分ほど相手のカップに注ぎ、自身の分もついでに注ぐ。
「我らが航海に」
軽くかかげると、相手も応じた。洒落が通じる相手とわかり、ロレンツィオは幾分か見方を変えた。正直なところ、表情が読めない人間だったため、扱いかねていたのだ。
一口だけ飲むと、おもむろに客人は口を開いた。伝えるべきことがあるらしい。
「貴官らの協力を感謝する」
能面のような顔で客人は言った。聞き取りやすいが、抑揚の少ないドイツ語だった。印欧語族に属しない人間特有のアクセントだった。
「おかまいなく。うちらも命令なんでね。お互い、公僕の苦労は知れているだろう?」
客人は微笑らしきものを浮かべた。
「たしかに、お互い拒否権はないな」
「まあ、どうあれ、あなたが気に病むことじゃないでしょう。こう言っては何だが、貧乏くじを引かされたんじゃないかね?」
「さあ、どうだうろうね」
客人は微笑から能面に戻して答えた。とぼけれているのか、あるいは守秘義務に殉じているのかわからなかった。
「まあ、うちらにとっては悪い話じゃない。おたくのピクニックの道案内と引き換えに、貴重な油をもらえるのだから」
ロレンツォは司令部で聞かされた話を引き合いに出した。とあるドイツの客人をアドリア海の対岸、具体的にはアルバニアへ届ける代わりにドイツから油を融通してもらう話だった。陸送なので量は知れているが、ないよりは遥かにましだった。すくなくとも木造ガレー船で出撃しなくて済む。
「ならば、私としても気が楽だ。はるばるアルプスを越えてきた甲斐がある」
「ああ、だから……おい、わき見はするなよ」
ロレンツォは機銃座に向けて、低い声で叱った。先ほどから若い機銃手がちらちらとこちらを見ているのに気がついていた。
「すまないな。なにせ、東洋人は珍しいんだ」
「かまわないよ。私は慣れている。あるいは逆の立場なら同じようにふるまったかもしれない」
国防軍服に身を包んだ東洋人は言った。肩章からロレンツォと同じ中佐だとわかった。
「聞いていいかな。その、ああ、すまない。どうも東洋の名前は……」
バツの悪い顔のロレンツォに対し、客人は今度こそ微笑した。
「タジウラだ。呼びにくければウラと呼んでくれ」
「じゃあ、ウラ。東洋人のあんたが、なんでこんなところに……? いや、そもそも、どうしてドイツ軍にいるんだ? ハーフか?」
ウラは一呼吸おいて答えた。
「まず、最後と二番目から答えよう。私は生粋の日本人で、政治信条の違いからドイツに亡命した。最初の質問については、ここでは話せない」
◇========◇
次回2月14日(月)に投稿予定
ここまでご拝読有り難うございます。
弐進座
◇追伸◇
書籍化に向けて動きます。
まだ確定ではありませんので、
実現のために応援のほどお願いいたします。
(主に作者と作品の寿命が延びます)
詳細につきましては、作者のTwitter(弐進座)
もしくは、活動報告(2021年6月23日)を
ご参照いただけますと幸いです。
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