カリビアン・ロンド(Round dance) 32
TNTを満載したトラックが突っ込み、大統領官邸の分厚い門扉は完全な瓦礫と化した。爆発の火炎と煙が収まらないうちに、武装した集団が一斉に突入していった。
共産主義者のゲリラ兵だった。この日のために、ハバナ市に潜伏していたのだ。今ならばキューバ島東部に軍の主力が集結している。市内に展開している兵力も、平時よりも少なかった。
共産主義者たちは賭けに出た。
約束もあった。
彼らを支援した奇特な連中が、しきりに攻めろと煽り立ててきた。
やるなら今だと彼らは言ってきた。
合衆国の心配はない。彼らが抑えると言った。手段については教えてくれなかった。
反政府ゲリラの主導者、フアン・マルティネスは決断した。
バティスタの軍をゲリラの本拠地に引きつけ、そのすきに首都ハバナを占拠するつもりだった。
キューバ市内に潜入するため、彼らはわざわざ船まで貸してくれた。バティスタは陸路の警戒は厳しくしていたが、海路はさっぱりだった。せいぜい、魔獣の侵入に備えるくらいだ。それも合衆国海軍によって、ほとんど掃討されている。
ハバナに潜入した部隊は100名近かった。彼らは武装を固めて、大統領官邸へ突入した。すぐに警備兵たちと交戦状態になった。
初動こそ混乱に陥ってたが、キューバ軍とて訓練を受けた軍隊だった。統制を取り戻した部隊から反撃に移り、官邸内外で激しい銃撃戦が始まった。
◇
正門の爆破は予定時刻よりも数十分遅れで実行された。
やはりゲリラごときに過度な期待は禁物だ。
見張りから連絡が入り、無線操縦されたトラックが来たとわかった。直後、グレイは大統領官邸の裏門へ回ると、消音銃で手早く衛兵を処理した。
裏門は正門ほどではないにしろ、鉄製の門扉で構成されていた。こじ開けるには苦労しそうだった。グレイは雑嚢から吸着地雷を取り出すと、手慣れた様子で門扉にセットした。
正門の爆発と同時に信管を作動させる。
ささやかな爆発が起こり、鉄のオブジェが出来上がった。
官邸内は上へ下へと大騒ぎだった。誰も裏門のことなど、気にしていない。
ここまで予定通りだ。
誰にも見咎められることなく、グレイは官邸内へ潜入することができた。そのまま目標地点まで走り抜ける。途中で何名か兵士とすれ違うことがあったが、誰も気にしなかった。彼はキューバ軍士官の制服を身に着け、帽子を目深に被っていた。
二階の政務エリアを抜け、三階へ向かう。その先は宮殿と呼ばれるバティスタのプライベートエリアだった。
ゴールまで、あと少しだ。銃声はまだ遠かった。踊り場の窓から中庭が見える。数十名の警備兵たちが正門へ向かっていた。機関銃分隊が後続にいた。
急がなければと思った。あれがゲリラに向かって火を噴き始めたら、著しく不利だ。奴らには旧式のM1ロケットランチャーを渡してるが、上手く扱えるとは思えなかった。慣れない武器に習熟するには、それなりの訓練がいる。ゲリラ兵に、そんな時間的な余裕はなかった。
手薄になったとはいえ、官邸内の護衛は必要十分なほど確保されていた。バティスタとて莫迦ではないのだ。やがて、撤退を強いられることになるだろう。
「30分持ちこたえれば、合格だ」
グレイは呟くと階段を上り切った。
プライベートエリアは、さらに混乱していた。無理もない。非戦闘員ばかりだからだ。あちらこちらから、性別とわず悲鳴が聞こえている。執事やメイドが逃げ惑うか、その場にすくんで動けなくなっていた。後者のほうが正解だ。下手に逃げ回ると流れ弾で命を失う恐れがあった。
さらに奥へ進むと、廊下の先にひときわ豪奢な扉が見えてきた。とっさに身を隠す。扉の前に護衛が二名立っていた。さて、どうする。
「何をしているの?}
ふいに話しかけられ、振り向くとメイド服の女が立っていた。知った顔だった。数日前にパナマの夜をベッドで過ごした相手だ。貴重な情報も提供してくれた。
「あなた──」
グレイは相手を壁に押し付けると、相手の口を塞いだ。空気が抜けるような音して、心臓に弾丸がめり込んだ。ほぼ即死だった。
しばらくして男の叫び声が聞こえ、扉の前の兵士がかけつけた。
「誰か助けてくれ!」
見慣れない士官がしゃがみ、メイドを介抱していた。
「いったい何が?」
兵士の一人が語りかける。
「君らを待っていた」
グレイはメイドの服越しに二発撃った。兵士の一人が倒れる。
もう片方が何かを叫ぼうとしたが、すかさず接近してナイフを胸に突き立てた。
死体が二つ追加される。
「こういうときは、うろついたら駄目なんだよ」
メイドの死体に言い聞かせると、静かに目を閉じさせた。
全ての障害を排除し、グレイは扉を開けた。
中年の小男が目に入る。半裸で執務机の前に立っていた。床には鞄に入りきらなかったドル、ポンド、円の紙幣があふれていた。
「バティスタだな」
返事を聞く前に、グレイは射殺した。
ふとベッドに人影が見えた。
どうやら取り込み中だったらしい。
下着姿の女が震えていた。
「向こうで、代わりに謝っておいてくれ」
ベッドに新たな血だまりを作ると、グレイは部屋を後にした。
外では連続的な発砲音が響き渡っていた。機関銃が火を噴いたのだ。どこからか乾いた破裂音も聞こえた。誰かがロケットランチャーを使ったようだ。しかし機関銃の音は鳴りやまなかった。
グレイの任務は終わった。
彼だけではなく、キューバ軍、ゲリラ、ここにいる全てが役目を終えつつあった。
◇========◇
次回4月11日(日)に投稿予定
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弐進座
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