カリビアン・ロンド(Round dance) 31
「俺もあいつも変わったことなど何もない。この世界もだ」
儀堂は淡々と続けた。
「どういうこと?」
キールケにとって殊のほかに意外だった。さぞや不満だろうと思っていたのだ。この男にとって、BMや魔獣の存在を放置するなどあり得ない話だ。
「六反田の提案に不服はないの?」
「キールケ、君はいくつか勘違いをしている」
「……勘違い?」
「俺は軍人だ。六反田少将は上官であり、命令および方針に逆らうことはできない。意見具申というかたちで異議を唱えることはできる。しかし、それはあくまでも意思の表明であってサボタージュもボイコットもできない。少なくとも俺にその気はないのだ」
「つまり、あなたは意思に関係なく事は進んだと?」
儀堂は否定も肯定もせずに、話を続けた。
「確かに、俺はBMと魔獣を跡形もなく消し去るつもりだ。君の見解は正しい。俺もネシスも、その点については一致している。手段は問わない。徹甲弾だろうが、爆雷だろうが、そして反応兵器だろうが、奴らに有効なものはとことん使って殲滅する。今回、俺が黙っていたのは、六反田閣下の企みが俺と相反しなかったからだ」
六反田が調整会議でぶち上げた月鬼奪取計画は、すでに連合国軍司令部から各国の首脳へ伝えられている。明後日から始まる日英米首脳会談の議題にあがる手はずだった。その際に、北米戦線の攻勢停止も決議することになるだろう。現状、三か国のうち二か国が停戦に票を入れる見込みだ。
「月鬼を全て手に入れる。そんなことが本当にできると?」
「一度は成功しかけた。二度目があってもおかしくはない」
オアフBMのことだ。宿主の月鬼シルクが凍結状態になったため、結果的には失敗している。もし凍結を防げたのならば、儀堂たちは三体目の月鬼を手に入れていただろう。
「ずいぶんと遠回りをするのね」
「急がば回れと言うだろう」
「あなたは、もっとせっかちだと思っていたわ」
茶化すようなキールケに対して、儀堂は一瞬だけ苦笑した。
「もうひとつ、君は勘違いをしている」
表情を元に戻していた。
「あなたがせっかちだということかしら」
「いいや、その点は否定しないよ」
「そう、素直なのね。焦らさないでくれる? 私もこらえ性のない女よ」
「BMの消滅は、戦争の終わりを意味しない」
訝しむキールケに儀堂は続けた。
「俺は、あの黒い月を寄こした奴らを必ずぶち殺す。そこで俺の戦争は終わる。そのためならば、月鬼でもなんでも使うつもりだ」
キールケは何も返す言葉を見つけることができなかった。
そこには鬼が立っていた。
「そろそろ俺は戻る。君も仕事が済んだら<大隅>へ戻れ。徹夜したのだろう。ゆっくりと休むべきだ。戦いはこれからなのだから」
立ち去ろうとした儀堂は、ふと何かを思い出したように振り向いた。
「そうだ。あまり甲板をうろつかないでくれ。最近、頻繁に君の姿が目に付くと報告を受けている」
「何か不都合でも?」
不満げなキールケだったが、内心は安堵していた。そうだ。この男も普通の会話ができるのだ。例え鬼心人面であっても。
「兵の気が散る。大いに不都合だ」
ゆっくりとした足取りで、儀堂は艦内へ戻ろうとした。
「そう……」
「あともう一つ……」
不意に儀堂は振り向いた。
「君、香水が少しきついぞ」
「それはごめんなさい。でも、これが私の嗜みよ」
「理解はする。だが、君が乗っている艦は兵器だ。時と場所を選んでほしい」
「……選んだからこそよ」
儀堂は小首をかしげた。キールケは苦笑すると、手を振った。
「ええ、わかったわ。自重しましょう。あなたもたまにはコロンぐらいつけたら? あの鬼の姫にも買ってあげなさいよ。世話になっているのでしょう。ブランドを紹介しましょうか。パリに本店があるものだけど──」
創業者の名を冠したブランドだ。ナンバリングの3が品名と言う珍しいものだった。
「悪いが、俺は遠慮しておくよ。ネシスのは考えておこう。あいつに、そんな習慣があるかは知らないが」
儀堂はそういうと、キールケに背を向けた。
黒い背中をじっと見送り、パナマ港へ目を移す。明かりが明滅していた。
しばらくキールケは眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。
「気が散る、ね。安心なさい。もう、そんな悩みもなくなるでしょう」
【キューバ ハバナ】
1946年2月16日 深夜
キューバを統治するバティスタ将軍にとって、始まりは小さな変化だった。しかし、2月上旬から連鎖反応のように拡大し、今日にいたっている。
まず、ゲリラどもの動きがよくなった。相変わらず、思い出したころに嫌がらせのような攻撃をしかけてくる。しかし以前と違い、本格的な反撃を行う前に姿を消していく。おかげで、一方的な損害を被る羽目になった。
それまで数名の負傷で済んでいたはずが、戦死者数名に変わった。
次に持ち物が、えらく良くなった。どこの莫迦が横流ししたのか、狩猟用の単発銃から合衆国製のM1ガーランドに更新されていた。最近じゃM3サブマシンガンまで持ちはじめていた。おかげで山狩りに出す兵の数を増やさなければならなかった。
しかし、今度は指揮官クラスの戦死者が出るようになった。地の利を知るゲリラによって、一方的に狙撃されたからだ。
テロによる被害も深刻化した。
景気よくTNTを使った時限爆弾が炸裂し、貴重な装甲車両が失われた。
ここにきて、ようやくキューバ軍司令フルヘンシオ・バティスタの怒りを買うことになった。彼の雇用主である合衆国からも、遠回しな催促を受けていた。これ以上、被害が増えるのならば合衆国軍自ら鎮圧に乗り出しかねなかった。それだけはどうしても避けたい。
バティスタにも統治者としてのメンツがあった。加えて、雇い主から解雇を言い渡される恐怖も後押ししていた。大国にとって、属国の統治者は替えの効くパーツにすぎない。不具合があればすぐに取り換えにかかるだろう。
バティスタはキューバ西部の部隊を引き抜くと、すぐに東部の密林地帯へ差し向けた。ゲリラの殲滅戦が開始しされ、次々と根拠地を焼き払っていった。
その過程で、少なからず血を流すことなったが、誤差の範囲内だった。
バティスタは前線から届いた報告に満足し、さらに東部へ部隊を前進させた。ハバナ周辺にいる部隊も増援で送らせることにした。これを機に、こざかしい共産主義者ども根絶やしにしているつもりだった。もちろん協力者も許さない。匿った村は地上から消す。
まさに望むべき展開が、生まれつつあった。
ハバナ周辺の兵力が東部に移動し、市内は手薄になっていた。
異変が生じても、キューバ軍の主力がすぐに救援に駆けつけることは難しい。彼らは道の悪い、密林の中にいるのだから。
キューバで発生した紛争の連鎖は、ハバナの大統領官邸で絶頂に達した。
深夜、閃光とともに爆発音がハバナ市内を揺らした。
市民たちが窓を開けると、市内中心部から火炎が上がっていた。
そこには、夕方まで大統領官邸と呼ばれた場所があった。
◇========◇
次回4月7日(水)に投稿予定
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弐進座
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