カリビアン・ロンド(Round dance) 29

 モノクロの月鬼は裸でうずくまっていた。


 瞳は閉じられ、全身が埃にまみれているようだ。


「あまり、驚いていないようだ」


 メンジーズが訝しむように言うと、六反田は首を振った。


「そんなことはありませんよ。まあ白状すると、予測の範囲ではありましたがね。ただ、その中でも、もっとも可能性が低いと思っていたもんが出てきた。なので、どうしたものかと反応に困った次第」


 六反田はしげしげと写真を手に取ると、裏返した。特に何も書かれてはない。


「どこで撮られたものですか?」


 メンジーズは、小さく首を振った。


「不明です。だが、おおよその推測は出来ている。候補はいくつかあげられるが、最も有力なものは、レニングラードです」


 六反田は、わずかに目を見開いた。今度こそ、彼は驚いたようだ。


「ははあ、なるほどねえ。どおりで、おかしいと思ったのですよ。レニングラードに関しては、月獣の出現報告が一切なかった。てっきり反応兵器を一気に叩き込んで無理やり始末したかと思ったが、その必要自体なかったわけですな」


「その通り。まずは、この場で必要な情報はそれだけで十分でしょう。あなた方が、喉から手が出るほどほしいものをドイツは保有している。その可能性が高い」


「ドイツとしては、ユナモの代わりを期せずして手に入れたわけか。さて、あらかた手の内は出しきったと解釈しているが、よろしいですかな」


「全く同意します。そろそろ、あなたも隠している目的を聞かせてほしい」


「はて?」


 六反田は小首をかしげた。


「スパイと知りながら、キールケ・リッテルハイムを同行させた理由です」


 メンジーズの発言を受け、矢澤は腰を浮かしそうになった。対して六反田は、大した反応を見せず、どっしりと腰を落ち着かせている。


「あのドイツ人の研究者はナチスのコントロール下にある。泳がせておくだけならば、日本本土に軟禁しておけばいい。しかし、あまつさえ、あなたはパナマへ連れてきた。先日、あなたの部下が拉致された際も、彼女が内通していた可能性もある。情勢を覆しかねない危険因子だ」


 メンジーズは、やや前かがみに身を乗り出した。


「ミスター・六反田、我々は非公式のルートで貴国の政府に伝えている。ナチスが、ドイツ人の亡命者をエージェントとして送り込んだとね。合衆国も同様の手口で浸透されました。狙いは反応兵器の基幹技術だった。結果は言うまでもありませんな。レニングラードが灰燼となった。次は貴国の技術が標的になっている」


 不敵に六反田は笑った。


「今さらサムライソードの製造法を知りたいわけでもないでしょうな。まあ世が世なら、アウグスト選帝侯あたりが、高値で取引してくれたかもしれませんな」


「ある意味、今世紀のドイツ首脳部プリンツ・アルプレヒトが求めているのも似たようなものでしょう。選帝侯は白磁を作らせるため、錬金術者を幽閉しましたが、現代においては科学者と言う肩書に置き換えられる。そして彼らの研究対象は魔導と呼ばれている」


「個人的にはアイロニーを感じざるをえないですな。教会が魔女狩りウイッチハントで土着信仰を滅ぼし、科学が教会の迷信を払しょくし、辿り着いた先が魔導メイガスの研究とはね。キリスト教的な世界では、さぞや受け入れがたいでしょう」


「如何に受け入れがたく奇妙であっても、事実は受け入れねばならない。5年前、黒い月が現れた日から世界の法則は覆ったのだから。今や新世界の法則に、最も適応しているのが極東の貴国だ。我が英国を含め列強各国が実証段階に過ぎない中で、いち早く魔導を実践に持ち込み、成功している」


 六反田は、メンジーズの言葉を継いだ。


「次にドイツが狙うとしたら、我が国の魔導技術に他ならない。それも、我々が有する魔導駆逐艦メイガスデストロイヤーと月鬼が格好の標的となると」


「英国としては、このまま獅子身中の虫を抱えた貴方とバルカンピクニックは出来ない。こちらの意図がドイツ側へ漏れることになってしまう。異論はないかと思うが、いかがかな」


 メンジーズは上体を起こすと、椅子に腰かけなおした。目前の日本人に動じる気配は一切なかった。


「もちろん、ありませんな。ただ、私としてはリッテルハイム嬢を拘束するつもりはない」


 六反田は明言した。英国人たちの顔が、明らかに険しいものになった。


「なぜですか」


 上官よりも先にアルフレッドが口を開いていた。当然の問いかけだった。


「それは言えない。確かに、私は貴国からのメッセージを海軍大臣井上さんから受け取っておりましたよ。彼女を抱え込む危険性も承知している」


「つまり、それは日本政府の意思だと?」


 能面のような顔でメンジーズは言った。


「そう捉えてもらってかまわない。メンジーズ、彼女はカナリヤなのです。同時にドイツで最も魔導に造詣のある魔女キルケ―だ。私が言えるのはここまでだ」


 メンジーズは、すぐに六反田の含意に気が付いたようだった。


「なるほどギャラルホルンかね」


 六反田は大きく肯くと、出された紅茶を口にした。冷めたアッサムだった。


 メンジーズは、相変わらず能面のような顔だったが、横にいるアルフレッドは困惑していた。ふと、アルフレッドは目の前の日本人と目が合った。矢澤とかいう副官は似たような顔を浮かべていた。妙に通じるものを感じ、二人はアイコンタクトを交わした。


 このまま平行線をたどるかと思われたが、六反田の表情は妙に明るかった。一方、メンジーズは何を考えているかわからなかったが、異端審問官のような雰囲気は消えていた。


「メンジーズ、ひとつ提案をしてもよろしいだろうか」


 SISの長官は肯いた。何を言い出すのか、すでに見透かしているようだった。


「今日の会談で、我々は妥協点を見つけたように思うのです。もしよければ、あなたの主にお伝えいただきたい」


「なんだろうか」


「我が国は、北米戦線での一時停戦を提案する。ついては、貴国にも賛同いただきたいと」


「全く問題ないですな」


「よかった。バルカンへのピクニックは、パナマの祭りが終える頃に話をしましょう。私としては俄然興味が出てきた」


「それはよかった。私からも、ひとつあなたに提案がある」


「どうぞ」


「カリブ海の遊覧飛行・・・・はいかがだろうか。特にキューバの夕日はとても綺麗らしい。聞くところによれば、かのツェッペリン伯も滞在したことがあるとか」


 矢澤ははてと思った。ツェッペリンと言えば飛行船の生みの親だが、カリブにゆかりがあったとは聞かない。いや、待てよ。今のツェッペリンならば──。


 彼の上官のほうが先に感づいたらしい。


「なるほど、とても興味深い。検討してみましょう」


 実に愉快な笑い声とともに会談は終わった。



 短い休憩時間を挟み、調整会議が終わったのは、夜も更けた頃合いだった。


 六反田のクーデターめいた動議によって、当初の議題は全てリセットされた。本来ならば次の攻勢について話し合うはずだが、終わってみれば根底から覆されていた。


 連合軍指導部は北米における長期停戦を検討することとなった。



◇========◇

次回3月31日(水)に投稿予定


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弐進座

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