復活祭(Easter) 21
火勢が弱まったところで、黒木は餓鬼の群れの先に別の存在を見出した。
その人影は、熱に揺らぐ空気の向こう側で幽鬼のように刀を振り回している。
吠えるような怒声。
餓鬼の鳴き声と銃声の合間で、罵倒とも鼓舞ともつかぬような咆哮。
それは明らかに日本の言葉だった。
わずかに数秒の間であったが、黒木に迷いはなかった。
このままでは黒木たちが、あの誰かを誤射する恐れがある。
あるいは、餓鬼どもの手にかかるかもしれない。
つまり、攻撃を止めず、助ける必要がある。
「射撃止め。突撃準備」
黒木はあらん限りの声を上げた。
「突撃」
銃声が止むと同時に、彼は餓鬼の群れへ突貫し、兵士たちが後に続いた。
そこから先は、原始的な光景が繰り広げられた。
装填された弾を撃ちきると、彼らは銃剣やスコップで片端から餓鬼を始末していった。胴体を刺突し、頭蓋をたたき割り、厚底の軍靴で蹴り飛ばす。耳障りな奇声が各所で上がり、途絶えていった。
もちろん餓鬼とて無抵抗ではなかった。しかし、視界が開けた空間では人類側が有利だった。敏捷性を生かそうにも、包囲されて逃げ場のない状況では限界があった。
餓鬼どもと入り乱れつつも、兵士たちは包囲の輪を縮めていった。やがて、そこに軍刀を持った榊が加わり、次第に餓鬼どもの断末魔は途絶えていった。
◇
その連絡将校の少尉には、待機命令が下っていた。
しかし、不幸な偶然が重なり、彼は命令を受け取ることができなかった。
彼は積極的な人間だった。
士官学校時代における評価は悪くない。座学においては平均を上回り、演習においては平均をやや下回る程度だ。考課表の備考欄には「即応にして果断。しかれども、思慮に欠くところあり」と記載されている。
粗忽者と言えば、それまでかもしれない。ある種の場面においては、愛嬌ともとれる。
彼にとっての不幸は、職業として軍人を選んだことだった。
少尉は、黒木と別れた後にある種の満足感を得ていた。数時間かけて、負傷者を合衆国軍の野営地まで届け、無事に治療を受けされることができたのだ。
ようやく、あるべき自分を取り戻した気分だった。
どういうわけか上官の今井少佐は自分を前線から遠ざけていたが、今日から頼らざるを得なくなるだろう。ひょっとしたら、今井少佐は自分の能力を脅威に思い、温存していたのかもしれない。
そんな風に思い始めていた。
確かに、今井はある種の脅威を抱いていたが、それは彼が思い描くのとまったく別種のものだった。ある意味、純然たる恐怖に近いものだった。
連絡将校の少尉は、全く自身の行いに疑問を感じていなかった。
当然のことながら、負傷者がなぜ出たのかも思い至ることはできない。
むしろ、自分のおかげで損害がこの程度で済んだと思っている。
どこかの少尉が要らぬお節介をやき、黒木の部隊に指図しなければこんなことにはならなかったはずだが。
彼に言わせるのならば、黒木こそ諸悪の根源だった。
上位指揮官である─と思っている─自分を無視して、命令を下した結果が今だ。
そうだ。あの連中を放っておくことはできない。
自分が導かなければ。
少尉は、負傷者を運んできた兵士を集めると、すぐに黒木の
兵士たちは、あからさまに眉をひそめた。
彼らは数時間かけて、仲間を背負ってきたのだ。
本来ならば、大休止を与えるべきだった。
しかしながら、少尉に休止は必要なかった。彼はほとんど何も担がずにここまで来ていた。
それに妙な高揚が疲れを忘れさせている。
少尉は装備を整えさせると、数名の兵士とともにワイナイエへ戻った。
もちろん、黒木たちを導くためだ。
数時間後、奇跡的に少尉は黒木に追いつくことができた。
近づくにつれて、戦闘中だとわかった。
あたりは血と硝煙、そして化学燃料の煤けた香りが充満していた。怒鳴り声らしきものも聞こえる。
少尉は再び自分に機会が巡ったと考えた。
味方を助け、誰が指揮官に相応しいかわからせるときだ。
彼は疲労で息の上がった兵士を叱咤すると、山を登った。
やがて、彼の目に映ったのは、血と泥にまみれた黒木たちと見慣れぬ輩、そして大量の餓鬼の死体だった。
唖然とした少尉だったが、洞窟から何かが飛び出たのは見逃さなかった。
手にした拳銃の引き金に指がかかり、屈折する。
彼は自身の行いに、何の疑問も抱かなかった。
発射された弾丸は、アメリカ人の少女へ向かった。
彼女は、外の喧騒が止んだこと。そして聞きなれた声で名前を呼ばれたことから、真っ先に飛び出したのだ。
最初の数発は外れた。
しかし、最後の一発は避けようがなかった。
少女の視界が暗転した。
◇
黒木はすぐに倒れ伏した者へ駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!」
ぼろぼろの服を身に着けた男だった。少女が撃たれる寸前、盾になっていた。
「……日本人か」
すがるような一言だった。
「ああ、俺は日本人だ」
黒木はサイドポケットからモルヒネを取り出すと、すぐに打った。
「あの子は無事、みたい、だな」
パニックになった少女の慟哭が木霊していた。洞窟から出てきたアメリカ人の青年が何かを怒鳴っている。
「無事だ。安心しろ。あんたも助かるぞ!」
「ああ、日本語だ。よかった」
男は何も答えず、静かに目を閉じた。
◇========◇
次回9月20日(日)に投稿予定
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弐進座
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