幼年期の記憶(Once upon time) 5

 竹川は室内の応接セットの長椅子へ座らされていた。元々艦艇に取り付けられたものなのか、無骨で飾り気のないものだった。竹川の向かい側には達磨のような体型の六反田が鎮座している。両脇を大量のペーパーの山に挟まれ、まるで雪に埋まりかけた地蔵のようだった。


「あの、いくつか聞いてもよろしいですか?」


 恐る恐る竹川は言った。六反田は面白そうに「かまわんよ」と返した。


「閣下が、私を召喚したと聞きました。なぜでしょうか。私は戦場で大した功績を立てていません。それに予備士官ですし、将校教育だってまともに受けたわけでもない。論文だけで、海大に来られるとはとても思えないのですが」

「当然の疑問だな。まあ、確かに、あの内容は与太話の類いに近い」


 六反田は何の遠慮も無く言い切った。竹川は当然とばかりに肯いた。六反田に言われるまでも無く、誰よりも彼自身が認めていることだった。


「君を買った・・・理由は、二つある。おい、君、あの論文を書き上げるのにどれくらい時間をかけた」


 竹川は顎に手を当てると数秒ほど思案した。


「正確に覚えておりませんが、五日ほどでしょうか。一週間は経っていなかったと思います」

「一次資料を調査する時間も込みでかね?」

「ええ、まあ……」


 六反田は満足げに鼻を鳴らすと、書類の塔から紙の束を引き抜き、テーブルに置いた。


 ちょっとした文庫本ほどの厚みのある。ヤニで表紙が少し黄ばんでいるが、「伝承的観点における魔獣の考察」と題されているのが見て取れた。


「これだけの量を五日で書き上げた?」


 六反田はわざとらしく訝しむように言った。竹川は不思議そうに肯いた。


「はい、書きました。なにぶん時間がなかったもので、言いにくいのですが、軍の召集へ応じるため色々と身辺を整理しなければなりませんでしたし」


 竹川は当時の状況を振り返りながら話を進めた。帝国大学の史学研究室の助手をやっていたこと。東京にBMが出現したとき、たまたま実家の宮崎にいて助かったこと。東京へ戻ったら、研究室が丸焼けになっていたこと。それから暫くして召集令状が届いたこと。


「四年前、本当なら博士論文を書き上げるつもりでした。でも東京BMと魔獣が現れて、研究室が無くなって……情けない話ですが、途方に暮れてしまったんです。幸い、私の恩師は生きていて、何かと気にかけてくれました。まあ、気の毒に思ってくれたんでしょう。軍へ入るまで時間があるのなら、なんでもいいから書き上げろと発破をかけてくれまして。そんなわけで、出来上がったのが、この論文です」

「徹夜で書き上げたのかね?」


 竹川はわずかに首を捻った。質問の意図がわからなかったのだ。


「正直、よく覚えていません。全く寝なかったわけではないかと。うたた寝くらいはしたように思いますが、どうでしょう。軍に入る前は起きたいだけ起きて、眠たいときにしか眠りませんでしたから」

「いいね。俺が君を買った理由の一つがそれだ。まあ、おいおいわかってくると思うが、ここではちょいと特別な題材を扱っている。そいつを突き詰めるためには、寝食忘れられる性根を持った奴が必要なんだ」

「はあ……」


 気の抜けた返答に対して、六反田は苦笑した。


「安心しろ。それだけじゃない。もう一つの理由が、こいつの中身だ」


 六反田は竹川の論文をぱらぱらとめくった。


「君自身、こいつを与太話と思って書いたのかね」


 六反田が小馬鹿にしたように言うと、竹川の瞳に怒りに似た何かが宿った。


「極論を言えば、仮説止まりの論文は分野を問わず全てが与太話になります。この世の定説や理論は実証されて、初めて真実と名乗ることができるのです。ええ、その意味では、ぼく・・の論文は与太話だ」


 まくし立てるように竹川は言った。


「なるほど、君は悔しいのだな」

「当たり前でしょう」


 気づかないうちに、竹川は自棄になっていた。


「実証できないのは、ぼくの力不足ですが、こればかりはどうしようもない。この戦争のせいにもできません。だって、この戦争が起らなければ思いつきもしなかったでしょう。古代の怪物、神話の伝承が実在しただなんて、気が狂ったと思われるのが関の山です。いつになるかわかりませんし、その日が来るなんて確証もありませんが、この戦争が終わって隠居するようなとしになったら、実証にとりかかるかもしれません」


 竹川が話す間、六反田は相変わらず腹の底の見えない笑みを浮かべていた。我に返った竹川が失礼しましたと頭を下げようとしたが、六反田は片手で制止した。


「いいや、こちらこそ申し訳ない。君の腹を見てみたくてな。わざと怒らせた。許せ。さて竹川君、君を採用した理由だが――」


 六反田は執務中の副官に呼びかけた。


「おい矢澤君、あれを持ってきてくれ」


 数分後、矢澤中佐は機密の判を押された文書を持ってきた。その視線には同情的なものを浮かべている。どうやら竹川と六反田の会話を聞いていたらしい。


「見たまえ。君にとっては興味深いものが映っているぞ」


 六反田に促され、竹川は表紙をめくり、その手を止めた。一ページ目に写真が掲載されていた。どうやらサーペントタイプの魔獣らしい。貨物船と思しき残骸が漂う海域で、無数の牙が並んだ顎を天に向けて咆哮している。


 何の変哲も無いものだった。護送船団方式が確立される数年前まで、地球上の海洋で頻繁に見かけられた光景だった。


 しかし、竹川は次のページをめくりかねた。何かがおかしかった。間もなく疑問は氷解し、驚きへ昇華された。


 万年筆と思しきもので、写真の淵に小さく『7.30.1915』と記載されている。


 日付の表記だ。


 一九一五年、七月三十日を意味している。


◇========◇

次回2月9日(日)投稿予定

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弐進座


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